平穏な或る日のお話  〜買物篇〜

N星人様     



 この日は日曜日だった。空は美しく晴れ渡り、初冬の寒さも一時的に和らいでいるようである。風も無く、ただ薄い陽光だけが降り注ぐ午後。
 朝の内に干しておいた洗濯物の、最後の一枚をようやく籠に取り込んで、少女は軽く額を拭った。
「ふう。いやー、片手だけだとけっこう苦労するもんだわねー」
 やれやれ、と息を吐く。
 いつもは鼻歌混じりに行う作業も、利き手が使えない今はなかなかの難事だった。
せっかく奇麗にした衣類を地に落とさないよう、多少の緊張を強いられたものである。
 それもまあ、なんとか終わって。新米主婦たる少女は、すぐに次なる仕事を思い巡らすのであった。
「んーとー・・・あとは・・・」


 キール=セリアンのラボラトリーに於いて、書斎と研究室はほとんど区別が無い。
借家の間取りの問題もあるが、何より部屋の主が次々と資料やら古書やらを持ち込むので、境目が曖昧になってしまったというのが真相だ。
 その書斎兼研究室の中で、彼は今日も魔導の研究に余念が無かった。なんとかいう有名な魔法学者が書いた理論書を、熱心に読み解いている。
「きーるぅ?あたし、ちょっと買物に出てくるねー」
「ああ」
 だから扉の向こう側から新妻の声が聞こえた時も、最初は書籍から目と意識を離さなかった。
 適当に返事をして。そのまま、1秒、2秒。
「・・・んっ?」
 何か妙だと感じて顔を上げる。その耳に、いってきまーす、という元気な挨拶が届いた。
「って、おいっ!!」
 慌てて本を放り投げ、玄関へとダッシュする。普段の落ち着きぶりからは想像も出来ない、敏捷な身のこなしだった。
 今まさに外へ出ようとしていた少女は、血相を変えて飛んできた夫に唖然とする。
「うわ、何事?」
「それは俺の台詞だ。メイお前っ、何してるんだ!?」
「何って、だから買物に行こうと」
「怪我人が出歩くなっ!」
 まったくもって当然の如く、キールは怒鳴った。片方であっても手が使えないということは、歩行においてもバランスが狂うものだ。そこに荷物など持っていたら、転倒の危険性は高くなる。怪我の2重奏だ。
「今日1日大人しくしていろと言っただろうが、俺は」
「何を過保護な・・・」
 さすがに呆れた調子で、メイは苦笑する。心配してくれるのは嬉しいが、自分も幼い子どもではないのだ。そうそう粗忽な真似はしない。
「ちょっとそこの商店街まで行ってくるだけよ、大袈裟だなあ」
「お前の場合、心配は大袈裟なくらいで丁度いい。被害がでかいからな」
「・・・なんかムカつく・・・」
 一瞬眉を顰めたものの、メイは気を取り直して笑って見せた。
「ホントに大丈夫だってば、ね?」
「・・・・・・」
 まだ疑わしげな表情の夫は、その笑顔にも気を緩めなかった。過去の経験から言って、彼女から目を離すとロクなことが無い。
 そして彼の危惧は、かなりの高確率で的中するのだ。
「んじゃっ、お留守番おねがいねっ!!」
 そう言い置いて外に飛び出した途端、少女は敷石の溝に爪先を引っかけた。
 くらっ、と傾ぐ身体。しかも右方向に。
「えっ!?あっ、っと、うきゃあああ!!」
「っ!!」
 反射的に手を伸ばした―――それこそ超動物的な反射速度で―――キールが、華奢な身体を支える。そのまま行けばもろに頭を強打していただろう、そんな危うい転倒から間一髪で妻を救った彼は、重苦しい溜め息の後で彼女に言い渡した。
「阿呆っ!!前をよく見て歩けっ」
「うにゃ・・・ごめんなさいぃい・・・」
 きゅっと肩を竦めて、メイは雷のような叱責に耐えた。怒られ・謝るの会話は今日で何度目のことか、数えるとちょっと悲しくなってくる。
「・・・ったく」
 妻をちゃんと立たせてやって、青年はもう1度深い吐息を漏らす。そして苦い顔のまま踵を返すと、書斎に戻っていった。
「きーる?」
 しばらく待つまでもなく、青年は再び彼女の前に現れた。その手には着慣れた黒いマントを持っている。
「行くぞ」
「はえ?」
「荷物くらいは持ってやる」
 言うなり、青年は歩き出す。少女を置いたまま、無駄のない足運びで。
 事態の推移が突然すぎて頭の回転が間に合わないメイは、その後ろ姿に惚けっと見とれていた。
(んー・・・と、ええと、こーれーはー・・・もしかして?)
 理解すると共に、じわじわと微笑みが表情に浮かぶ。温かな何かが胸の奥から沸いて出る。
「・・・えへへ・・・」
「何笑ってる。気色の悪い」
「いーじゃんっ、嬉しいのっ!!」
「・・・ふん、置いていくぞ」
 その言葉に慌てたメイは、駆け足になりかけて―――そしてまた怒られた。


 雑踏。
 日曜日の商店街はその言葉が相応しく、隅から隅まで人だらけであった。こんな人込みに不自由な身でやってくるつもりだったのかと、改めて夫は無鉄砲な妻を睨んだものである。
「買物なんか、明日でもいいだろう」
 通行人の多さに辟易しながら、キールがぼやく。彼にしてみれば、いかに天気が良かろうが物品が揃っていようが、こんな騒がしい場所にわざわざ出かけようという人間の気が知れないのである。
 安全上(キールは多少抵抗したが)彼の右手に掴まった形のメイは、その意見に主婦の論理で対抗した。
「だーめ。今日は雑貨屋さんで特売セールやってるんだもんっ。
欲しい布地があるの。たくさん買っとかなきゃ」
「何で布地なんだ?今ごろ」
 何気ないツッコミ。
 うっと言葉に詰まり、枯葉色の少女は明らかに狼狽する。
「・・・それは、その・・・・・・が、足りなくて・・・作っとこうかと・・・」
「あ?」
 周りの騒音でよく聞こえない。聞き逃したキールは、よせばいいのに復唱を求めた。
「もう1度言ってくれ」
「だから、あのね・・・お布団のシーツが、その・・・お洗濯が間に合わなくて・・・」
「・・・・・・・・・」
 気まずい沈黙。
 かあっと耳まで赤くした恥ずかしい状態で、新婚夫婦は互いに明後日の方向を見やっていた。
「・・・あと、お夕飯の材料も買って行こーね・・・」
「・・・・・・そうだな」
 そのまま言葉も無く、2人はさくさく歩く。からくり人形もどきのぎこちない動きに、目を留める通行人も少なからず存在した。
「おや、メイ嬢ちゃんでないの?」
 横合いから声を掛けられ、少女はハタと立ち止まる。見ればそこは、結婚前から懇意にしている八百屋の店先であった。
「あや?アイオナおばさん」
「まあま、元気そうだぁねえ」
 おっとりした口調の中年婦人は、八百屋というよりも婦人服店の主のような雰囲気であったが、1度売り口上に入れば、彼女の啖呵のキレは天下一品であると界隈の皆が知っていた。
 その彼女が、人の良さそうな表情を少し曇らせた。
「まあぁ、どうしたね、その手は?」
「ああコレ?ちょっと怪我しちゃった」
「ひどいのかねぇ?」
「ううんっ、すぐ直るよ」
 婦人の心配を払うように、いつもの笑顔で答えるメイ。ふるふると頭を振ってみせる仕草は、相変わらず子どもっぽい印象が強い。
「怪我してるのに、買い物かね?」
「うん、向こうの雑貨屋さんまで」
「大変だねえ、若奥さんも」
 ふと。婦人の視線が、少女の背後に流れる。そこに立つ端正な容貌の青年を知覚して、彼女は少し目を見開いた。
「あらまあ・・・」
「えへへ・・・」
 意味深に少女が笑うと、婦人もニカっと笑う。女同士、相通じるものがあるらしい。
「旦那様がついてきてくれるなら、大丈夫だぁねえ」
「うん♪」
「あとでウチにも寄ってねぇ、お見舞い代わりにサービスするから」
「はーいっ!!」
 婦人の楽しげな声を後に、2人は立ち去る。妻はご機嫌良さげに、夫はどこか決まり悪げに。
「何イヤそーな顔してんの?キール」
「・・・恥ずかしいだけだ」
 実際、他人に『メイの旦那様』などと言われると、こっぱずかしいことこの上ない。事実そうなのだからしょうがないが、それにしても、人並み以上に照れ屋な彼にとって、これはけっこうな試練だった。
 客観的に考えれば、夫婦して仲良く買物に来ている時点で、すでに周囲にノロケ回っているよーなものなのだが。
(この調子で、寄る店寄る店で見世物にされるんじゃないだろうな・・・?)
 

 彼の予想はいつも正しい。悪い方向に関してだけは。
 この日。雑貨屋に辿り着くまでに、肉屋・花屋・パン屋など、計6店の店主に声をかけられた妻は、その度に自慢の旦那様を披露して、蕩けんばかりの笑みを浮かべていた。



                 (つづく)