光降る森

御崎 濯     


 穏やかに晴れた日がしばらく続く、冬の日のことである。
メイはその日の授業を終えて、自分の部屋へ戻る途中だった。
魔法研究院の、天井の高い廊下をぱたぱたと歩く。彼女が、講義室のある研究棟から魔導士たちの個室のある一角へとさしかかった時、少し向こうの扉が開いてキールが姿を見せた。
「あ、キール」
彼の部屋に寄ろうかどうしようかな、と考えていたメイは、笑みを浮かべて小走りに彼のところへ駆け寄る。いつもの濃紺のローブに黒いマントを着込んだ彼は、滑り落ちそうになった緋色の肩掛けを、無造作に後ろに払った。栗色の髪を揺らせながら駆け寄ってくるメイを、戸口に立ったまま待つ。
「どーしたの、どっか行くの?」
「まさか、こんな時間から。お前と違って俺は忙しいんだ」
のっけからこれである。これでもキールとメイはいわゆる両想いという奴なのだが。
(まったく、あたしじゃなきゃとっくに大げんかよねー)
現に何度も大げんかをしていることは棚に上げて、メイは胸の中でため息をつく。
「あたしだって今日は大活躍だよ?今まで授業だったんだから」
「見習いなんだから、当たり前だ。授業をちゃんと受けてるのが自慢になるか」
「なによー、生徒の成長をちょっとは喜んだら?」
「喜べるほど成長してればな。…入れよ」
ふん、とふくれてみせるメイに、キールは部屋に入るよう促す。キールについて彼の部屋に入ると、メイはスツールの上から、相変わらず山積みになっている本やら巻物やらをよいしょと床の上にどけて腰掛けた。
「本を踏むなよ」
「じゃあ、ちゃんと歩けるように床の上空けといてよ」
「お前がものを踏まずに歩けるようにするなんて、部屋中片づけても無理だ」
「悪かったわねー」
メイはまたふくれて見せてから、小さく伸びをする。
「それにしても、また本が増えたよねー」
「まあな。王宮から借り出してきたのもあるけどな」
キールは、机の上の燭台にライトの呪文で明かりを灯すと、メイの方を振り向いた。
「お前の課題のことだけどな」
その単語を聞いたとたん、メイの表情がいやそうに曇る。キールは、それを面白そうに眺めてから、言葉を継いだ。
「今日は、なしにしてやる」
「…えええぇっ!?」
メイは、キールの言葉を聞いたとたん、飛び上がって叫んだ。
「ほんとに!?ラッキー!…でも、なんで?あたしの誕生日、じゃないし、あんたのでもないし祝日でもないし!なんか悪いものでも食べたの、キール?それともたまにはメイちゃんに優しくしなさいって女神様のお告げがあったとか?」
「…お前なあ」
キールが、半眼になってメイを見る。
「嬉しいならまず素直に礼くらい言ったらどうだ。…俺は、明日出かけるんで、提出した課題を見てやれないからだ。それだけだよ」
「えー?どこ行くの」
「郊外の森。実験に必要な木の枝とか薬草を集めにな」
メイはそれを聞くや否や、ぱっと手を挙げた。
「はいはーい!あたしも行くっっ!」
「遊びに行くんじゃないぞ」
「分かってるわよ、手伝いに行くんだったら!二人で集めた方が早いじゃない?」
「どうだかなぁ」
キールは、わくわくしているらしいメイの顔をちらりと横目で見た。その緑色の瞳に、僅かに柔らかな苦笑の色が浮かぶ。
「…まあいい。邪魔はするなよ」
「やったぁ!」
メイはぴょんと立ち上がると、両手を握りあわせて振り上げた。
「ね、いつ出かけるの?朝から?」
「ああ。昼前について、戻るのは夕方になるだろうな、今までの経験からすると」
「よーし、じゃああたしがお弁当作ったげるね」
「ピクニックじゃないぞ」
「だって仕事でもなんでもお腹はすくじゃない」
メイはにこにこと胸を張ると、天井を見上げてガッツポーズを取る。
「よし、早速下ごしらえだ!…じゃあね!」
言うが早いか、つむじ風のようにドアへ向かう。いったん飛び出してからぱっと振り向くと、彼女はキールに笑いかけた。
「置いてっちゃだめだからね!」
そう言い置くと、またぱたぱたと駆け出していく。遠ざかる元気な足音を聞きながら、キールはまた、今度はさっきよりずっと暖かな苦笑を浮かべた。

 翌日も、空は気持ちよく晴れていた。メイは宣言通り朝から大車輪の活躍だったようで、どこから調達したのか大きなバスケットを抱えて現れた。
「…ピクニックじゃないと言っただろう」
あきれて腕を組むキールに、メイはいっこうにめげずにけろりと笑う。
「お弁当なんて久しぶりだから、気合い入っちゃってさー。まあ、食べさせたげるんだから文句言わないの」
「頼んでないがな。…ほら、貸せよ」
手を伸ばしてバスケットを持とうとするキールに、メイはあわててかぶりを振った。
「え、いいよ、あたし持つから」
「いいから貸せ。心配するな、帰りは俺は薬草があるからな、こいつはお前に持たせてやるさ」
「…うん」
もちろん、帰りには中身はなくなっているのだから、すっかり軽くなっているはずだ。メイは、嬉しそうに笑うとキールの手にバスケットを渡した。

 魔法研究院を出て町中を抜け、門をくぐると、そこは既に王都の外である。
街道から分かれた道が、黒々とした森へ吸い込まれているのを眺めて、メイは大きく息を吸い込んだ。
「うーーん、ひっさびさの開放感!」
「しょっちゅう課題をさぼって研究院を抜け出してるやつが何を言ってる」
「それとこれとは別よー。堂々と授業をパスできるなんてさいこー!」
ぺろりと舌を出して言うメイを、キールはじろりと睨む。
「…何なら、お前だけここから引き返して講義に戻ってもかまわないんだぞ」
「あ、うそうそ!キールのお仕事の手伝いができるなんて光栄だわー」
メイはあわてて両手の指を組むと、にっこり首を傾げて見せた。俗に言う、かわいこぶりっこのポーズというやつだ。ディアーナあたりがやると、本当に花がほころんだかのように愛らしいのだが、メイは演技であることを隠そうとしないせいで、あまり劇的な効果は期待できない。キールは、半眼のままでふうとため息をついた。
「…まったく」
すたすたと歩き出すキールを、メイはあわてて追いかけるのだった。

 森に着くと、キールは先に立ってどんどん奥へと入り込んでいった。動きやすいとは言えないローブを着て、大きなバスケットを下げているのに、メイよりずいぶん歩みが早い。背が違うのだから当たり前といえば当たり前だが、元からキールはどちらかというと早足で歩く方なのだ。メイは、彼との間が開くたびに、小走りに追いつかなくてはならなかった。
(まったくもー、ちょっとは気を使ったらどうなのよ)
何度かそう言おうかと思ったが、嫌ならここから帰れと言われるのが目に見えているので、とりあえずは我慢する。
ずいぶん森の奥までやってきた。そろそろ帰れと言われても「ここからじゃ、もう一人じゃ無理だもん」と言い返せそうだ。そう見当をつけたメイが、キールに文句を言おうと口を開きかけた時、彼がふと足を緩めて振り向いた。
「このあたりで探すぞ」
半分口にしかけた言葉を、メイは別の台詞に切り替えることにする。
「おっけー。…で、何を探すの?」
「バルメオ草だな、まず。それからリダの枝が見つかるとありがたい」
メイは、ふーん、と頷いてからあたりをぐるりと見渡した。
「でも、もう冬だし、草もたいてい枯れちゃってるんじゃない?その草、ほんとに見つかんの?」
「…バルメオ草は、冬でも枯れない。だから、かえって他の雑草が枯れてる今頃の方が見つけやすいんだ」
「へえ〜」
「へえ、ってお前な…」
キールは、頭に浮かんだ嫌な予感を確かめようとするかのように、メイの顔を見た。
「もしかしたら、バルメオ草がどんな草か知らないんじゃないのか?」
「へへへ」
肯定の代わりにけろりと笑ってみせるメイに、キールは半眼になって手を腰にとる。
「へへへ、じゃないだろうが!授業にも出てきたはずだぞ、何を聞いてるんだ!」
「仕方ないじゃない、覚えてないんだもん。だいじょーぶ、どんな葉っぱか、形教えてくれたら、それで探すからさ」
「…まったく…」
キールは、腹が立つのが半分、あきれるのが半分、といった目つきでメイを見たが、やがてあきらめたようにため息をついた。
「じゃあ、いいか、ここで覚えて帰れ。バルメオ草は、乾燥させてギマム草と混ぜることで、いくつかの補助魔法の触媒になる。その場合、混合の比率の──」
「あ、効能はいいから。まず外見教えて?でないと探せないじゃん」
「…………」
キールは、口を閉じるとあたりの気温を氷点下まで下げそうな視線でメイを見た。この視線にめげずに立ち向かえるのは、それこそメイの他にはシオンくらいなものだろう。
もっとも、てんで堪えていなさそうなシオンと比べると、メイはかなり内心たじろいではいるのだが。
キールは、ぷいと横を向いてわざとらしいため息をついてみせると、軽く眼鏡の位置を直した。
「…ああ、お前になるべく知識を得る機会を与えてやろうなんて気を起こした俺が馬鹿だったよ。向上心のない奴に何を言っても無駄だな」
「悪かったわねー。だって、そーいううんちくは、後でも聞けるじゃない。それに、実物を見ながら覚えた方がよく頭に入ると思わない?」
キールは、ゆっくりとひとつ息を吸うと軽く目を閉じた。一呼吸おいてから目を開けてメイを見る。どうも、怒鳴りつけたいのを抑えるための仕草らしい。もっとも、声はひとまず穏やかでも、眼鏡ごしの緑色の瞳は十分怒っているのだが。
「……わかった、じゃあそういうことにしておいてやる」
「うん」
にっこりして見せながら、実はメイも胸の中ではかなり冷や冷やしていた。
出会ったばかりの頃のキールは、とにかくよく怒った。メイも怒られておとなしく引っ込んでいられるたちではないから、ちょっとした言い合いからでもすぐに怒鳴り合いになってしまうことがよくあったものだ。
お互いがお互いに慣れ、気になり始め、惹かれ合うにつれて、彼もかなり丸くなったと、シオンあたりはからかい半分に言うのだが、それでもたとえば彼の双子の兄のアイシュなどと比べれば、まだまだ怒りっぽいことこの上ない。
(まあ、そりゃ、あのアイシュと比べるのが間違いだけどさ)
メイは胸の中でそっと呟きながら、何とか今回は怒鳴らずにすませたらしい彼の顔を見上げた。
「…ね、それで?どんな葉っぱ、探せばいい?」
両手を後ろに組んで見上げるメイの顔を横目で見下ろして、キールは不機嫌そうな声で説明を始めた。
「…バルメオ草は、多年草の一種だ。この時期は地面に接して根生葉を形成している。葉は倒披針形で縁は羽裂。通常は成人男性の掌程度の大きさだ。…分かったか」
「なによ、それ。全然わかんないわよ!」
露骨にメイには分からないレベルの解説をするキールに、メイはさすがにむっとなって食ってかかった。キールは、薄い笑みを唇に浮かべると、ふいと腕を組んでみせる。
「授業ではやったはずだがな。…まあいい、つまり地面にくっついて葉を広げてるってことさ。葉はこれくらいの大きさで、周りがギザギザ、全体は俺の掌くらいの大きさだ。
分かったら探せよ」
片手を腰にとった姿勢で立て続けにそう言い放つと、キールはその場にバスケットをおろしてすたすたと歩き出した。メイが言い返すヒマもない。彼女は、対抗するように両手を腰に当てると、もお、と彼の背中を軽くにらみつけて、せめてものお返しをするのだった。

 それからしばらくは、薬草探しが続けられた。キールは研究に没頭しているときと同じで、あっと言う間にそちらに意識を切り替えたと見え、ほとんどメイの方を振り返ることもなく地面を熱心に眺めて回っている。
メイは1、2度キールの近くに何気なく近寄ってみた。が、最初は気づいてくれなかったし、次には気づいたはいいが「二人で同じ所を探してても仕方ないだろう」と言われて、別の所を探しに行かざるを得なくなった。
(仮にも手伝う、って言って来たんだし、なーんにも見つけないってのは、ちとまずいよね、やっぱ)
メイは、そう思い直すと、気を取り直して真面目に薬草探しに取りかかることにした。が、マジで授業に出てきたという内容は全然覚えていない上に、キールの説明(意地悪な、とメイは胸の中で付け加えた)だけでは、漠然とした形しか分からない。
初めに見つけたやつは、そんな感じかなと思えたのでキールを呼びに行った。が、キールはやってきて一目見ると、
「違う」
と言い捨てて、またすたすたと自分の探していた方へ戻って行ってしまった。
次に見つけたのは、少し大きいかなと思ったが、やはり呼ばれてやってきたキールは、
「これも違う」
と切り捨てた。
「…いちいち呼びに来るな、こっちに持ってこい」
「だって、根っこから要るのかもしれないなって思ったんだもん」
「必要なのは葉だけだ。見つけたら摘んでこい」
そんなやりとりの後、メイは候補の葉を都合3回、キールの所へ運んだが、どれも彼の答えは、
「これじゃない」
だった。3つ目の葉を見せられて、それを即刻却下したキールは、うんざりした表情を浮かべてメイに向き直った。
「…お前、もういいからそこで弁当の番でもしてろ」
メイはそれを聞くと、ぷっと頬を膨らませてキールを見上げる。
「でも、手伝いに来たんだもん」
「手伝いになってない。お前の持ってくる雑草を見る時間がもったいないんだよ」
キールはそう言うと、さっさとまた元の方向を探し始めてしまった。
メイは、何となく置いてけぼりを食った気分で、しばらく彼の後ろ姿をにらみつけていたが、キールは振り向く気配も見せない。
(何よ、意地悪!)
彼女はぷいと視線をそらせると、ざくざくと枯れ草を蹴立てながらバスケットの置いてあるところに戻っていった。

 バスケットは、日だまりの中で静かに持ち主を待っていた。メイは、それを抱え上げてあたりを見回すと、腰をかけるのにちょうど良さそうな倒木が日向に転がっているのを見つけて、そこへ運んでいった。傍らにバスケットをおろして、ちょっと枯れ葉を払ってから木の上に腰を下ろす。後ろに手をついて日の光の射し込む木の間を見上げると、メイはふーっとため息をついた。
「もうほんとに、研究のこととなるとてんでよゆーないんだからっ」
(…そりゃ、遊びに来たんじゃないのは分かってるけど)
声に出して毒づいてから、胸の中でちいさく呟く。
(でも、楽しみにしてたんだけどな…)
この秋に想いが通じ合ってから、日常顔を合わせはするが、二人でどこかへ出かけたことなど本当に数えるほどだ。
(もーちょっと、恋人同士って言ったらさ、こう…デートとか、するもんじゃない?)
現代日本の高校生をやっていたメイの感覚からすると、なんとなく物足りない。キールの態度が、それまでとそんなに大きく変わったわけでもないのも、その理由のひとつかもしれない。もっとも、メイの方にしてもそれは似たようなものだから、お互いさまと言えばお互いさまなのだが。
「あー、もう、やめやめ!」
メイは声に出して言うと、ふるふると首を振った。濃い栗色の髪がさらさらと揺れる。
「せっかく来たんだから、ぐちぐち考えるのはやめ!気を取り直していこう!」
自分を励ますように言うと、彼女は木々の梢を振り仰いだ。少し目を細めて、枝の隙間から差し込む太陽の光を見上げる。遠くで、小鳥の声がしていた。
(…なんか、この感じ…覚えがあるなぁ…)
ぼんやりと緑に目を遊ばせながら、メイはその感覚を追いかける。
(あ、そうか。昔、おじいちゃんちから行った、裏山の森に似てるんだ)
そう思い当たって、小さく頷く。
(あたしが、10くらいだった?4年生かなあ…。確か、今よりはもーちょっと春先だったと思うけど。タケノコとか、掘ったのよねー)
彼女は小さく微笑むと、身体をくつろがせて思い出を頭の片隅から引っぱり出し始めた。
(…不思議ねー、こーいうとこの方があっちと変わんないんだ)
この世界に召還されてもう半年以上が経つ。かなり慣れてきたとはいえ、今の自分の住処である魔法研究院にいても町中を歩いていても、やはりここは異世界だなと感じることもまだ多い。けれど、この静かな森は、子供の頃の記憶にある場所とそっくりと言っていいほど雰囲気が似ていた。
(なんか…別の世界ってのが、嘘みたいよね)
切なさではなく、やさしい懐かしさを感じるのは、それが向こうの世界でも遠い思い出の中の場所だからだろう。現実世界にいた高校生のメイからの距離は、この森も、あの思い出の森も変わらないような気がして、彼女はふっと目を閉じた。日の光の暖かさが、頬に心地よかった。