Puttin' My Finger to My Lip.

御崎 濯     




「ねえ、キール、いま一番欲しいものって、なに?」


メイが、自分の保護者である緋色の魔導士の誕生日を知ったのは、ついこの間だった。
それも直接彼に聞いたわけではない。彼の双児の兄、アイシュの誕生日を聞いたものだから、必然的に彼のも知ることになったのだ。
王宮でアイシュの執務室に遊びに寄った時、たまたま居合わせた侍女たち数人が、星占いの話をしていた。例によってお互いの誕生日と星座を聞き出し合った後、彼女たちの矛先がアイシュにも向いたのだった。
「アイシュ様のお誕生日はいつなんですか?」
「僕ですか〜、僕は10月15日です〜」
「じゃあ天秤座ですね!」
横でクッキーをかじりながらそれを聞いていたメイは、じゃ、キールもそうじゃん、と気づいたのだった。
(うわー、あと2週間ないの?やば!)
メイは少なからず慌てた。2週間しかないのでは、お小遣いを積み立ててプレゼントを買うというわけにはいかない。それでなくてもメイの財政はいつも厳しくて、毎月赤字ギリギリなのだ。
(っつってもねぇ、キールからもらってるお小遣いで、キールにプレゼント買うってのも、なんか今イチ?)
かといって、今からでは短期アルバイトなんか見つかるだろうか。
(まー、贈るものによるかな。高いものじゃなければ、なんとか。…難しかったら、あっちから持ってきたもの、骨董屋に売るとか。あーでも、それ見つかったら、また怒られるわよねー)
メイの私物は、こちらの世界では珍しい魔力反応があるとかで、それがやたらと研究院の外に持ち出されるのを、ここの魔導士たちは喜ばないのだ。
(二人分は手が回んないなぁ、悪いけどアイシュはカードかなんかで勘弁してもらおっと)
この辺、ちょっと薄情かもしれない。
(…で、何をあげよう?)
ここで、メイははたと困ってしまった。

キールは甘いものが嫌いだから、バースディケーキなんて迷惑がるだけだろう。
何か趣味があれば、その方面で考えられるのだが──アイシュなら、お菓子作りの道具とか、シオンなら園芸用品とか──なにせ、趣味なんて時間の無駄づかいだとか言うような奴である。身の回りを飾ることにも興味はなさそうだから、そういうものもダメ。
(…じゃあ、本とか?)
しかし、大概の本は魔法研究院と王宮の書庫でなんとかなるし、そこで見られないような本は、つまり掘り出し物ということで、メイに手が出るような値段ではない。
(…文房具…)
ペンとかインクのたぐいは、魔導士には必需品だから、研究院から支給されている。
無償支給だけあってあまり高級な品ではないので、こだわって自分用のものを持ち込んでいる者もいるが、キールはあまり気にしないらしい。
(…ハンカチとか、かなぁ…)
つまりは、そういう小物になってしまうのかもしれない。
(んー、でも、なんかなぁ…)
さんざん首をひねったあげく、メイは、キールにそれとなく探りを入れてみようと思いついたのだった。

 その夜、キールの部屋に課題を出しに来たメイは、いつものように間違いを指摘されて絞られていた。
「どういう思考経過をたどれば、こんな適当な魔法陣が書けるんだ、お前は」
「だってさぁ」
「だってじゃない。理論に沿って順番に解いていけば、こんなものはできて当たり前だ。
載せてるだけで使わないなら、頭の代わりにカボチャでもくっつけとけ」
「なによー、そこまで言うっ!?」
さんざんに言われて憤慨しながらも、メイは課題に立ち向かう。
最初の頃は真剣に険悪な雰囲気だった言い合いや口げんかも、だんだんにこなれてきて、この頃はお互いに一種のコミュニケーションになっている感がある。
メイは、手が止まってる、とつっこみを受けない程度にはペンを動かしながら、キールの横顔を見た。
「あのさー、キール」
「なんだ」
「今日、王宮に行っててさ」
「らしいな。そういう余裕がある割には、課題の仕上がりはお粗末だけどな」
「う、うっさいわねー。…で、殿下に会って、おしゃべりしてたんだけどさ」
「殿下は公務がお忙しいんだから、邪魔をするなと言ってるだろう」
「いーじゃんたまには!…それでね、また、臣民の望みがどうとか、難しい話聞かされてたのよ」
この辺は、もちろんメイの作り話が入っている。セイリオスに難しい話を聞かされることはたまにあるけれど、今日は彼には会っていない。
「あたしはさぁ、お小遣いが増えたらなーとか、その程度だけど、ねえ、キール」
「なんだ」
「キールは、いま、一番欲しいものって、なに?」
「時間だな」
さらりと、かなり難しい答えが返る。
メイは眉を寄せて、ぱちぱちと瞳を瞬かせた。
「…じかんー?」
「いくらあっても足りない。出来の悪い生徒に、さんざん手を取られるし」
「…悪かったわね、不出来で」
「でなきゃ、平穏な日常って奴だな」
キールは、ぱらりと書物のページを繰った。
「あんた、研究院にこもりっきりで、こんだけ平穏に研究ばっかりしてんのに、これ以上どーやって静かに暮らすのよ」
「……お前、自覚ないのかわざと目を逸らせてるのかどっちだ」
緑色の瞳にじろりと睨まれて、メイは上目づかいに天井を見上げる。
「毎日毎日なにかしら騒ぎをおこしやがって。平穏な一日なんて、4月からこのかた、一回もお目にかかってないぜ」
「あははははー」
乾いた笑い声をあげるメイの額を、キールのペンがこづいた。
「こら、手が止まってる。さっさとやらないか」

(時間に、平穏な日常、ねー)
課題をすませて部屋に戻り、ベッドの上に長くなりながらメイは天井を見上げていた。
(そーゆー、抽象的なこと言われてもなぁ…)
具体的に手に入るものでなくては、せっかくのリサーチの意味がない。
(キールが喜んでくれるもの、あげたいのに)
彼が、あの仏頂面を解いて、いつもの皮肉っぽい微笑じゃなくて、嬉しそうに笑ってくれるようなもの。
(見てみたいのにな、そういう顔も)
ごろんと寝返りを打つと、メイは枕を抱え込む。
(………ちょっと、想像できないけど)
怒り顔や不機嫌な顔のバリエーションはいくらでも思い浮かぶのだが。
メイは、瞳を閉じて呟く。
(…時間…)
『出来の悪い生徒に、さんざん手を取られるし』
(…って、つまり)
彼女は、ぱちりと目を開けた。
(あたしが、キールの時間、取っちゃってるって事だよね)
メイは、むくりと起きあがってベッドの上に座り直した。
(なら、それをプレゼント、ってのも、できるんじゃない?)

翌週。
メイの涙ぐましい努力が始まった。
(一日じゃ、あんまりありがたみがないだろーし、せめて一週間はがんばらないと)
まずは、授業をすっぽかして外出するのは我慢。
…授業をさぼるのが前提になっている時点で、それを我慢しても、あまり同情の余地はないという話もあるが。
それから、授業が終わった後でも、極力外出は控える。
外出先で騒ぎを起こすと、キールをそこまで来させることになってしまう。
メイはそうしてやろうと思っているわけではないのだが、いつの間にか騒ぎの中心にいたり、ついつい飛び込んだりしてしまう以上、確実にそれを避けるためには、出かけないでいるしかない。
ディアーナとのお忍びの約束も、シルフィスとのお茶の約束もキャンセルした。
もちろん、一人で市の露店を冷やかして歩いたり、ウィンドウショッピングをしたり、おいしいケーキ屋さんを捜し歩くのも禁止だ。
メイは、ひたすら研究院の中でおとなしくし続けた。
かなり、ストレスがたまるが。

研究院での日常生活。
これも、結構厳しい。まずは、講義や授業にはさぼらず出ること。出たら、居眠りしたり落書きしたりしないで集中すること。
…これだけで、かなり消耗する。
しかし、最大の難関は、魔法の実習だったりする。
外出や、授業のエスケープは、自分の意志でなんとかできるけれど、実習で魔法を暴走させたり、オーブを割ったり、果てはホールの壁を壊したりするのは、しないでおこうと思ってなんとかなるものではないからだ。
(対策としてはー…)
さぼる。
が、ずっとそれで通しては、どうせ苦情だか嫌みだかがキールの所にいくだろう。
仮病。
これも、保護者で世話係の彼に知られないわけにはいかない。
(うー、失敗しないようにがんばる、しかないのかなー)
一番苦手なことだが、魔力の制御に細心の注意を払って、抑え目にやるしかないだろう。
暴走させるより、魔力が足りなくて発動し損なう方がまだましかもしれない。
かといって、あまり控えめにやっていると、魔力の蓄積にオーブを使えと言われて、それをまた割ってしまう可能性大だから、その辺が難しかったりするのだが。

毎日の課題は、実はもっと大変だと思っていたのだけれど、思ったよりは何とかなった。
なにせ、外出しないので、時間に余裕があるわけだ。それで、やらなくちゃと義務感に追い立てられて取り組むと、思いの外無理なくこなせることに気づいた。
「毎日きちんとやれば、問題なく終わる量だ」
と、前にキールにそう言われたことがあって、その時は、できるわけないじゃん、と反発したのだったが。
授業にも、無理矢理だがカンペキに出てノートも取っているので、課題の内容も何とかこなせる。ケアレスミスはどうしようもないのだが、どうにもちんぷんかんぷんで歯が立たない、と思うような問題にはほとんどぶつからなかった。
(うわー、実はけっこーあたしってできるんじゃない?)
思わずそう胸を張りたくなるメイである。
期日の朝に課題をキールに出して、昼休みに添削してもらう。で、夜は自分の部屋で勉強。絵に描いたような優等生の生活を、メイは一週間必死でがんばり続けた。

そして、10月15日。
今日も朝イチで課題を出し、午前中の実習を何とか切り抜けて、メイは部屋でぐったりと伸びていた。
(あと半日だよ〜)
はー、と思いっきりため息をつきながら、ベッドの上でごろりと寝返りを打つ。
(すごいよね、1週間、ホントになんにも事件起こさないできたじゃん)
メイの記憶の中でも、こんなに長い間騒ぎを起こさずにすんだことはない。
まあつまり、トラブルメーカーだという、多少の自覚はあるのだ。
(でも、これ、キールにホントにウケてるかなー)
ゆっくり顔を合わせていると、また口げんかになったり言い合いをしたりするに決まっている。で、彼の言う「平穏な日常」の邪魔になると、せっかくの企みが台無しだから、この一週間、あまり話をしていないのだ。キールが、研究が進んで喜んでいるのかどうか、まだ見当がつかない。
今日の夜になったら、おめでとうを言って、「プレゼント」の話をして、それから、用意してあるあれを渡して──
(うー、がんばる、もーちょっとだし)
メイが、気力を奮い起こして、ぽんとベッドから起きあがった時、扉にノックの音がした。
「はぁい」
聞き慣れたノックに、すぐさま返事を返す。扉が開いて、保護者の青年が姿を見せた。
「課題を返しに来たぞ」
「あ、やだ、いいのに、これから取りに行くとこだったの──ごめん」
ぱたぱたと駆け寄ってくるメイを見下ろして、キールは妙な顔をした。
ノートを受け取って、メイはキールを見上げる。
「んで、間違い、あった?」
「…ああ、3問と5問に綴りの間違いが2つずつ。あと、8問に文法間違いがあった。添削しておいたから」
「ん、ありがと」
こっくり頷いて、メイはノートを抱え込む。
いつもは、用が済むとさっさと立ち去ってしまうキールが、そうしないでじっと立っているのに気づいて、彼女は彼の顔を見た。
「…どしたの?」
「……お前、どうかしたのか」
「はぁ?」
いきなりつっこまれて、メイは顔をしかめる。
「課題ができてる。まともとは思えん」
「な、なんですってぇ?」
あんまりな形容に、メイは思わず怒鳴りかけた。
(…とと、いかんいかん)
「…ま、まぁ、あたしもやればできるのよ」
「今日だけじゃないだろ。ここしばらく、この調子だ。ますますおかしい」
「…だからっ、あたしだってね──」
キールは、胡散臭げにメイをじろりと眺めた。
「何か、企んでるのか?とんでもない要求でもするつもりだとか──それとも、誤魔化したいことでもあって、猫をかぶってるのか?」
「…なによっ!馬鹿言わないでよ、自分のためなんかにこんなうざったいことするワケないでしょ!?」
「…?」
ついつい怒鳴り返してしまってから、メイは、あちゃー、と額を押さえた。
「なんだと?」
「いや、だからね──」
「やっぱり、何か裏があるんだな?…なんだ?」
「裏ってなによ!そんなんじゃないわよっ!」
はうう、とメイはため息をつく。
(あと半日だったのに、先にばれちゃうのかー…も、仕方ないか)
彼女はいったん首をがくりと垂れると、また顔を上げた。不審げに見下ろすキールの瞳を見上げて、口を開く。
「…だからね、あのさ──あんた、今日が誕生日でしょ」
「……あ?」
思いっきり眉を上げて、キールが聞き返す。
話の繋がりが飲み込めない。───誕生日?…自分の?
そういえば、そうだった。…が、それとメイの課題と、何の関係があるのだろう?
説明を求めようと、彼が口を開きかけた時、遠くでどぉんと何か地響きのような音が聞こえた。
思わず、互いに黙ったまま顔を見合わせる。
音と同時に感じられたのは、二人ともよく知っている波動──魔力の流れだ。
「…あたし、ここにいるけど…」
思わずメイが零した呟きは、いつもはこの状況だと、震源地にいるのはほとんどの場合、彼女だという事実に基づいている。
「……まあ、お前でないなら、とりあえず関係ないんだが」
何となくあやふやな調子で、キールが呟く。
音がしたのは、ホールの方向だ。この半年ほど、ホールでこういう音がすると、まずそこにいるのはメイだったのだから、今回は彼女が原因ではないということに確信が持てないのである。
「……それで、お前の課題の──」
気を取り直して、キールが話を戻そうとした時、階下から怒鳴り声が聞こえた。
「キール・セリアン!こっちにいるのか!?」
また、二人は互いに顔を見合わせて一瞬黙る。こういう調子でキールが呼ばれる時は、たいていが──
「また、メイ・フジワラがやったぞ!早くホールまで来てくれっ」
じろりとキールがメイを見る。メイは、慌ててふるふると首を振る。
「あ、あたしここにいるんだよ?そんな、器用なこと──」
否定しかけて、メイは、ふと口を開いたまま宙を見上げた。
(まさか――)
さっきの魔法実習の時間に、また魔力の集積用にオーブを使った。魔力付与の実習だったのだが、魔力の流れの制御がよく飲み込めなかったせいで、結局魔法自体はうまくいかなかったのだ。だが、その時に魔力をため込んだオーブは──
「…そう言えば…オーブに魔力詰め込んだまま、解除してなかった…かも」
「馬鹿」
短く怒鳴ると、キールはくるりと身を返してホールに向かって早足で歩き出した。慌てて、メイも後に続く。
ホールの入り口に着くと、二人は中を見回した。
「…まあ、そこそこ派手だな」
状況を見て取って、キールがそう評する。
オーブを載せてあったと思しき台はばらばらになっていて、その下の床にもかなりの大穴があいていた。もちろん、オーブは跡形もない。あたりにきらきらしたものが散らばっているから、それが元はオーブだったものの残骸だろう。
「自習に来た奴が、そこにあったオーブを使おうとしたら、途端に爆発したらしいぜ」
爆発跡から離れた所で眺めていた魔導士が、キールに気づいてそう説明した。
「誰か、ケガした!?」
メイは、せき込むように尋ねた。今までなら、失敗する時にはもちろん自分が一番近くにいたのだから、その心配もなかったのだが──
「いや、かすり傷。その場で、真下に向かって暴発したらしいから。煙はすごかったけど」
なめときゃ治る程度のケガだ、という魔導士の言葉に、メイは、はぁっと息をついて肩を落とした。その頭を、ぽんとキールが叩く。
「地の魔法の魔力付与で、助かったな」
説明していないのに、キールにはそうと分かったらしい。
彼は、すたすたと爆発跡の方に歩み寄ろうとする。メイは、我に返って、慌ててキールを引き留めた。
「…キ、キール!いいよっ、あたしが片づけるから!」
腕に飛びついてきたメイを見て、キールは憮然とした表情を浮かべる。
「何言ってる、一人で何とかなるか、こんなもの」
「いいの、あたしがやる!ちゃんとする、書類も書くから、キールは構わないでっ」
「…出来るわけないだろ──何、言い出すんだ」
「だって──キール、誕生日なのに」
悔しかった。せっかく、あんなに苦労して、がんばって、なんとか今日まで無事に来たのに。
(なんで、肝心の今日にこーゆーことになるかなぁ!?もぉ!)
キールは眉を寄せて、メイを見下ろす。
「誕生日がどうした。関係ないだろう」
「あるよ!あるのっ──せっかく一週間がんばったのにーっ」
「…一週間?」
半分泣き出しそうな顔で叫ぶメイの方へ、キールは少し向き直った。
「一週間ってなんだ?」
「だから!」
メイは、ふるふると顔を振った。栗色の髪が、頬を打つ。
「…キール、時間が欲しいって言ったじゃない。あたしが、面倒ばっか起こして、手を取られるからって」
「……はあ?」
キールは、瞳を瞬かせた。
「平穏な日常が欲しいってそう言ったじゃん──だから、せめて誕生日まで一週間、そうしてあげようと思ったのっ」
こんな状況で説明する羽目になるなんて思わなかった。もっと静かに、ちょっと得意げに、「どう、研究、捗った?」なんて聞きながら、説明しようと思ってたのに。
「…だから、あたし片づけるから!キールは、部屋に戻って、研究しててよ」
なんだか、もう、彼がここまで呼び出されて、こんな惨状を見てしまった時点で、台無しではあるのだけれど。
キールは、しばらくメイの必死の顔を見つめていた。
それから、額に手を当てて、少し長いため息をつく。
「…そんなことだったのか」
「そんなって、なによ!」
「馬鹿」
顔を上げると、キールは今日二度目のその台詞を口にして、メイの額をごつんとこづいた。
「何、考えてるんだ──まったく。妙なこと、思いつくなよ」
そういうと、キールはかがみ込んで壊れたオーブの台の欠片を片づけ始めた。
「妙ってなによ、あたし──」
「初めの2、3日は、研究も捗ったけどな」
顔を上げないで作業をしながら、キールは口を開く。メイは、慌てて彼の横にかがみ込んで手伝い始めた。
「その後は、お前があまり顔を見せないから――いずれ騒ぎを起こすに違いないってはらはらしてて、それどころじゃなかった」
「…起こさない、予定だったもん」
「起こしただろ」
「…ううう」
がっくり肩を落とすメイに、キールはちらりと目を向けた。緑色の瞳に、いつもより少し暖かな苦笑が灯る。
「…出来もしないこと、無理しなくていい。もう、こういう毎日の方が、今の『日常』になっちまってるんだからな」
「………」
メイは口を開きかけて、やめた。なんだか、抗議しても空しいし──それに、キールの声に、どことなくいつもの皮肉とは違う響きが混じっているような気がする。
キールは、がらくたを片隅に積み上げると、両手をはたきながら立ち上がった。
「…そういうのも、別に、嫌な訳じゃないから」
ずいぶん間が空いてから付け加えられた言葉が、さっきの続きだと、一瞬メイは気づかなかった。瞳を瞬かせながら見上げるメイからぷいと視線を逸らせると、キールはホールの中を見渡した。さっきの魔導士は、じゃあがんばれな、とさっさと退散してしまっていたので、ホールにはぽつんと二人きりだった。
「…ま、これくらい片づけとけば、とりあえずはいいだろ。書類は、後で出しておくから」
「う…うん」
メイは頷いてから、ぺこんと頭を下げた。
「ごめんね」
「もう慣れた」
短く返すと、キールはくるりと向きを変えてホールの扉に向かって歩き出す。メイは、慌てて後を追った。

 ホールを出て、本館へ向かう廊下を歩きながら、メイはキールの顔を見上げた。
「…キール、眼鏡、ホコリだらけ」
ホールの中に、爆発で舞い上がった細かいほこりが漂っていたせいだろう。
「…ああ」
キールは、目を細めて眼鏡を外すと、ふっと息を吹きかけて、レンズの塵を吹き飛ばした。
眼鏡をかけ直す彼の仕草を見て、メイは、あ、と瞳を瞬かせる。
「ね、キール、ちょっちあたしの部屋に寄ってよ」
「なんだ?」
「いいからさ」
彼を自分の部屋まで引っ張ってくると、メイは訝しげな顔をしているキールを背に、ドレッサーの引き出しから小さな包みを取り出した。
とことこと彼の正面に立つと、ひょいとそれを差し出す。
「…はい、これ、誕生日プレゼント。…おめでと、キール」
淡い緑の包装紙に、ベージュ色のリボン。
手のひらに乗ってしまう大きさの、平らな包みを差し出されて、キールは一瞬それを見下ろして立ち尽くした。急には声が出ないらしい。
「…やっぱ、『時間』だけじゃ、なんかなーって思ったから…えと、あんま、たいしたもん買えなかったんだけどさ、でも、ちょうど、今使えそうなもんだから」
メイに、開けて開けて、とせき立てられて、キールは包みを開いた。
中から出てきたのは、ハンカチだった。濃い茶色と、淡いブルーのタータンチェック。
その色合いに、彼は一瞬瞳を瞬かせてから、目の前の少女に視線を移す。
「ね、眼鏡も拭けるから。…あの、実用品だしさ、数あっても、困んないでしょ?」
メイは、照れたように笑うと、キールを見上げる。
「…ああ、まあ、その」
キールは、困ったように、2、3度視線をハンカチとメイの顔の間で往復させた。
「使わせてもらう。…その、ありがとう」
「ううん!」
怒ったようなぶっきらぼうな表情と、口調は、彼が照れたときのもの。
それを知っているメイは、嬉しそうにふるふるとかぶりを振った。
「…じゃあ」
なんとなくぎこちない仕草でハンカチをしまい込むと、キールは短くメイに頷きかけた。
うん、と頷きかけて――メイは1、2度瞬きをすると、身を返しかけたキールの袖をつかまえた。
「ね、キール、あとで部屋、行っていい?」
「ん?」
「お茶、入れてくよ。お酒とかケーキはダメでも、紅茶はいいでしょ?」
にっこり笑いかけるメイの瞳を見下ろして、キールは一瞬瞳を見開く。
そして、短く苦笑を浮かべた。
「…ま、今日はもう課題も終わってるからな」
「うん!紅茶でお誕生日の乾杯ね」
「さっきの事故の書類書くから、詳しい状況も聞かせてもらうからな、その時に」
「……ぶぅ」

じゃあな、とキールが部屋を出ていくのを見送ると、メイは踊るような足取りでまたドレッサーに歩み寄った。引き出しを開けて、もうひとつの包みを取り出す。
中から出したハンカチを両手できゅっと握りしめて、メイはくすくすと微笑を漏らした。
淡い茶色と、赤のタータンチェック。さっきキールに渡したハンカチの、色違い。
(えへへへー、こっそりお揃いだもーん)
もっとも、ペアだなんて分かったら、キールは絶対さっきのを使ってくれないだろうから、これは極秘事項だ。
「さって、午後半分つぶれちゃったけど、『ちゃんと授業に出るぞ作戦』をあと半日、続行!っと」
制服のポケットにハンカチをしまうと、メイはぽんとその上を叩いた。くすりと微笑むと、彼女はノートを取り上げて、軽やかに部屋を駆け出てゆくのだった。