配達されたもう一通の手紙

御崎 濯     




「おい、キール=セリアン」
あまり愛想のいいとは言えない声で名を呼ばれて、くだんの緋色の魔導士は足を緩めて半分だけ振り返った。
魔法研究院の中庭を抜けて、研究棟へ至る回廊の途中である。
夏も終わりに近い季節、盛りの頃よりはやや陽射しが緩んだとはいえ、それでもまだまっすぐ見上げるには眩しすぎる光が、辺り一面に降り注いでいる。
振り返った視線の先にいたのは、青い肩掛けの魔導士だった。研究院の同僚、ということになるのだろう。もっとも、研究分野も違うし(相手が何を研究していたかは──興味がないので──覚えていないが)階位が違うから、名前も定かではないが。
「何ですか」
自分よりは幾分か年上のその魔導士が近づいてくるのへ、キールは無愛想に応えを返した。相手の呼びかけがあまり友好的な響きではなかったのを考えれば、彼がそれだけで済ませたというのは、ある意味温厚な対応だったといえなくもない。もっとも、そんな声音で呼びかけられるのは、彼の場合珍しいことではなかったりするのだが。
青い肩掛けの魔導士は、彼の対応に何の反応を返すでもなく、すたすたと歩み寄ってきた。彼の前に立つと、右手に持っていたものをついと差し出す。
思わず視線を落とした先にあったのは、白い封筒だった。
「メイ=フジワラに渡しておいてくれ」
ぶっきらぼうにも聞こえる声で、青の魔導士はそう言った。
思わず、視線を上げて相手の顔を見る。
「…あいつにですか」
自分が、今、眉を寄せて不機嫌な表情をしているだろう、ということに、キールはふと思い当たる。
「そう言ってるだろう──ほれ」
自分から動こうとしないキールの手の中に、相手は焦れたようにその小さな四角い封筒を押しつける。
「渡したからな」
必要最小限のことしか口にしないで、青の魔導士は軽く顎をしゃくると身を返した。近寄ってきたときと同じ速さで、すたすたと歩み去ってゆく。
キールは、最前と同じ、半分だけそちらに身体を向けた姿勢で、その後ろ姿を視線で追った。回廊の角を曲がって青の魔導士が見えなくなると、初めて視線を手の中の封筒に落とす。とんでもなく重いものを持っているかのように、そろそろと持ち上げてみる。
『メイ=フジワラ様』
周囲の景色からぽかりと切り離されたかのような白い四角の中に、黒いインクで彼の被保護者の少女の名前が浮かび上がっていた。

ドアが軽く叩かれる音に、キールは我に返って顔を上げた。
魔導書を開いて読んでいたつもりが、いつの間にか別方向に思考が飛んでいたらしい。
彼が一瞬答えを返すのを忘れていると、焦れたようにもう一度扉が鳴った。
「キールー?いるんでしょ?寝てんの?」
聞き慣れた、澄んで心地よい声が、彼の名を呼ぶ。
「…ああ、いる。どうぞ」
視線をドアから机の方に引き戻しながら答えると、跳ねるように扉が開いた。
「なーによ、返事しないから寝てんのかと思っちゃった」
涼やかなブルーの──本人はいつも暑い暑いと文句を言っているのだが──いつもの服装に身を包んだ少女が、扉の向こうから現れる。
「寝てない。研究が大事な所なんだ、邪魔するな」
視界の端に彼女の伸びやかな動きを捕らえながら、キールはわざと目を魔導書に向けたまま返事をする。
無愛想この上ない彼の対応にも、メイは慣れたものでけろりとした声で言い返した。
「はいはい、ごくろーさま。んでも、たまには息抜きしないと、そのうち集中力が切れちゃうよ」
「お前じゃあるまいし、そんなことはない。…お前は、たまには集中したらどうだ。息抜きの合間にでも」
「ふんだ、悪かったわねっ」
やっと視線を上げて自分の方を見るキールに、メイはべーっと小さく舌を出して見せた。
「んじゃま、集中の成果を見てもらいましょーかっ」
寄せた眉をぱっと開き、今度は得意満面といった表情になって、メイは抱えていたノートをキールの前に差し出した。
「…へえ、もうできたのか」
ノートから、メイの笑顔に視線を向けながらキールは思わず呟いた。
差し出されたノートは、今週いっぱいが期限の課題だった。つまり、まだ2日は余裕がある訳だ。彼女が、これだけ余裕を持って出しに来るというのはとても珍しいことではある。
「えへへ、メイちゃんもやれば出来る!なんちゃってね、実は今回は教えてもらえたから」
手に取ったノートの頁を繰っていたキールの手が、ふと止まりそうになる。ゆっくりながらかろうじてその頁を繰り終えると、キールはちらりと視線を彼女に向けた。
「教えてもらった?」
「うん、あ、でも、やってもらったわけじゃないよ?いちお、ちゃんと自分で考えたんだから」
ぱたぱたと慌てたように手を振る少女から、もう一度視線をノートの上に落とす。
いつもの、下手くそな──こちらのアルファベットを覚えてあまり間がないのだから、仕方がないが──文字が、心なしか普段よりもきちんと綴られているような気がする。
「…ふん」
短く息をつくと、キールはノートから目を上げた。
いつもは、メイは分からないところがあると自分に聞きにくる。もっとも、たいていぎりぎりまで引っ張って、切羽詰まって、期限に間に合うかどうかきわどい、と言うところまで引き延ばしてからだが。
それが、今回は別の誰かに教わったという。
(…誰に?)
傍らに立つ少女にちらりと視線を向ける。誉めてもらうことを期待している仔犬か、獲物を捕ってきた仔猫のような、どこか得意げな表情で、メイは腕を後ろに組んでキールを見ていた。
キールはふとメイの視線から目を逸らすと、ノートを開いたまま机の上に投げ出した。
おや?と、メイが瞳を瞬かせる気配がする。
それには構わず、彼は机の上に山積みになった本の間から、白い封筒を引き出した。
メイの顔は見ないまま、彼女の方にそれを差し出す。
「…預かった。お前宛だ」
「ふえ?」
奇妙な声を立てて、メイが少しその封筒の方を覗き込む。
「あ」
続いて彼女の唇から漏れた声に、キールはちらりとメイの顔を見やった。
ぱちぱちと瞬きをする大きな茶色の瞳に、何かを理解したような色が浮かんでいる。
少女は、それ以上何を聞き返すでもなく、キールの手から封筒を受け取った。白い固まりがするりと指から抜き取られる感触に、キールは微かに息を詰める。
「ふぅん?」
メイは、ちいさく唇を尖らせて宛名を一瞥し、ひっくり返して裏を眺めた。
差出人の名はない。キールも、預かった後に見てみたのだが、そこには何も書かれていなかった。
しかし、さほど不審そうではなくちょっと首を傾げただけで、メイはひょいと封緘に手をかけた。器用に、ぺりぺりと糊を剥がして封を開いてゆく。
キールは、ややぎょっとしてメイの顔と手元を交互に眺めた。
(───おい)
ここで読む気なのだろうか。
ここで──自分の目の前で?
つまりそれは、自分には知られても構わないということなのだろうか。
普通は、特に女には、秘め事の類に入るのではないかと思うのに──
(──それは、俺はこいつの保護者だから)
保護者であって───異性ではないから。
言葉にならないそんな声が、不意に彼の胸の中に落ちてくる。
止めることもできずただ見守る彼の目の前で、メイは封を開ききると、中から白い便箋を引っぱり出した。
無造作に広げると、少し眉を寄せながら目を通す。かなりクラインの文字を読みこなすようになってきた彼女だが、やはり見慣れない手書きの文字は読みとりにくかったりするらしい。本を書くのに使われる写字体や、キールの文字はほとんど読めるようになったと、言ってはいるが。
じろじろ見ているわけにもいかず、かといって彼女を置き去りに自分の研究に戻ることもできず、キールは視線を魔導書の上に意味なく置いたまま、ただその居心地の悪い時間が過ぎ去るのを待った。
さほどの間ではないはずなのに、ずいぶん、長い時間に感じられた。
あまり長い文章ではなかったらしい。程なくメイは、ふうん、とまたため息とも嘆声ともつかない声を立てて手紙から顔を上げた。
もう一度、さらりと視線を便箋の上に流してから、ひょいと折り畳んで封筒の中にしまう。
キールは、はりついたような喉で、短く咳払いをした。
(保護者なんだから)
彼女の身の上に起きることは、把握しておく必要がある。
いつも、何をしでかすか分からない彼女なのだから。
そう自分に言い聞かせながら、キールはさりげない声で、と心がけつつ口を開いた。
「…何だって?」
「ん?」
封筒をひっくり返してみていたメイが、ひょいと顔を上げてキールを見た。大きな茶色の瞳をまっすぐ向けられて、思わず視線をまた魔導書に引き戻してしまう。
「手紙だよ」
「あー、うん、お友達になってください、だって」
(お友達?)
いくら彼でも、男から女に差し出された手紙で申し出られるその単語が、本当にそれだけの意味でないことくらいは見当がつく。
「なんか、もう顔見知りの人に、改めてお友達、なんて言われても、変な感じだよねー」
けろりとした口調で言うメイに、やっとの事でちらりと視線を流してから問いかける。
「…で」
「うん?」
「どうするんだ。その、返事」
「え?うん、まあ、別に、お友達にってのを断ることもないし」
「……」
ふと息が止まるような気がした。唇を開きかけて──やめる。
何を言おうというのだろう?
そうか、と?それとも──やめておけよ、とでも?
「おしゃべりするのとかくらい、構わないしさ。まあ、あたしも気分転換になるし」
気楽な調子でそういうメイを一瞬見やって、キールは無理矢理視線を机の上に引き戻した。
「……お前は、気分転換の合間に勉強してるんだろうが」
「あ、なによ、しっつれーな」
「誰と…何をしようが、お前の勝手だけどな」
付き合う、という単語をなぜかどうにも口にしかねて、そんな風に言い換える。
「勉強の邪魔にならないように、しろよ」
「だいじょーぶだよ、そんな、一日中おしゃべりしてるわけじゃないんだし。向こうだって仕事あるんだしさ」
「お前ならやりかねないけどな、一日中しゃべってるくらいのことは」
「そんなことないもん」
ぷっと頬を膨らませて、少女は胸を張ってみせる。
「ほら、今日だってこれこのとーりじゃん」
机の上の、彼女自身のノートを指さすメイの手にふと視線を向けてから、キールは今度こそふいと彼女に半ば背を向けた。
「…分かった、じゃあ、もう行けよ」
「え?」
戸惑った少女が、くるりと瞳を見開く気配がする。
「課題は?見て、くれないの?」
「後で見といてやる」
「…えー?」
不満げなメイの声を、背中を固くして聞き流す。
「いいから行け、…研究を中断したくないんだ」
「……はぁい」
しぶしぶと言った調子で彼の生徒はそう返事をした。意固地になったように書物を繰り続ける彼を、しばらくの間そこに立って見つめながら、何かを待ち受けている気配がする。
が、キールがどうあっても今は彼女の相手をする気がないらしいと知ると、メイは短く息をついて身を返した。
「じゃ、ね、キール」
「ああ」
短く、音だけで返事を返す。少女の足音は、扉の向こうに消えていった。
足音が聞こえなくなると、キールはやっとのことで息を吐き出した。思わず、肩から力を抜いて机の上に肘をつく。
いつも、ぎりぎりに駆け込んで出しに来るメイが、せっかく期日より早く課題を仕上げてきたのだ。皮肉混じりにでも、よくやったと誉めてやればよかったのだ。メイも、きっとそれを期待していたのだろうに。
けれど、メイのあの一言が、どこかに引っかかっていて、誉め言葉が喉から出るのを邪魔しているのだ──小さなささくれのように。
「教えてもらえたから」
(…あいつに、か?)
目の奥に、青い肩掛けが一瞬ちらついて消える。
顔見知りだとメイが言うのだから、そう、それくらいのことはあったのかもしれない。メイは、気軽に誰とでも話し、気楽に打ち解けるから。…自分とは違って。
彼女が、いつまでも自分とだけ話しているわけはない。そんなことは当たり前だ。
王宮にも騎士団にも友達の多い彼女が、ここでだけ、友人を作らないでいるわけがないのだ。…それが、ただの『友人』で終わらない可能性だって、当然あるに決まっている。
…そんなことは、じゅうぶん分かっているのに。
キールは、もう一つ息をついて、重く疼く目を指で押さえた。


その後2日間、メイは課題を出し終えた解放感を存分に楽しんでいるようだった。
翌日、キールが採点した課題を返しに彼女の部屋へ出向いた時は、メイは留守だった。
街へ出かけているらしい、と知って、キールはむしろほっとした。
そう感じて、なぜそう思うのかに思い当たる前に、慌ててそれを振り払いはしたが。


3日後の、朝と言うにはやや遅くなった時間、キールは部屋を出て研究院の書庫へ向かっていた。今かかっている研究に必要な書物を、まとめて借り出すつもりだ。高い天井に響く靴音を聞きながら、それが癖の、やや早足ですたすたと歩く。
何かの拍子で街中を一緒に歩くようなことがあると、いつもメイは彼に足が速すぎる、と文句を言う。キールは、お前が遅いんだと言い返し、そしてまた例によって他愛ない口げんかを始めたりするのだ。
ふとそんな時の、メイのきらきら輝く茶色の水晶のような瞳や、肩口にさらさら揺れる栗色の髪を思い浮かべた時、彼の向かう先から当の少女の声が響いてきた。
「んーー、そうなんだよねーー、やっぱそう思う?」
明るい、よく通る楽しげな声。親しい相手と気の置けない雑談をするときの声だった。
キールは一瞬足を緩めかけた。けれど次の瞬間何かを振り切るように、一層歩調を速める。
短い廊下はすぐに終わって、中庭を巡る回廊につながっていた。
昼前の明るい光が降り注ぐ、空の開けた場所に、キールは泳ぐように歩み出た。
「ほらほら、魔導士ってさ、こーゆー狭いとこに閉じこもってるから、やっぱ専門バカっぽいとこあると思うんだー」
身も蓋もない魔導士批判を繰り広げている被保護者の少女の姿が、中庭の芝生の上にあった。いつもの青い服の、短いスカートから伸びた脚を、惜しげもなく陽の光の下に投げ出して笑っている。
その隣に座っている相手を、彼は半ば予想しながら視線をそちらに向け───そして、二、三度瞬きをした。
(……女?)
メイの向こうに、半ば隠れるように座っているのは、どう見ても女だった。しかも、メイと同じ年頃の。
回廊を出たところで足を止めた彼に、メイが気づいたようだった。
「あ、やっほー、キール!」
笑顔を投げて、ぱたぱたと手を振ってくる。
キールは、メイの声に、止めていた足をまた前へ運び始めた。普段よりは少しゆっくりとした歩調で、中庭の芝生の上に踏み出す。
彼が並んで座った二人の少女の近くまで来ると、メイは保護者の青年を見上げてにっこり笑った。
「ほら、キール、エイミーだよっ」
彼女としては、それで隣の少女の紹介と、状況の説明をしたつもりらしかった。
分かったでしょ?と言いたげなメイの瞳を見下ろして、キールは少し眉を寄せる。
もう一人の少女は、小柄なメイとほとんど変わらないくらい、華奢な体つきをしていた。淡い灰色の髪を肩に垂らして、膝の上で両手を組んでいる。
どこか緊張したように、少し上目づかいでこちらを見上げてくる目つきに、なんとなく見覚えがあるような気がする。が、どこでだったかはとっさに思い出せなかった。
「……誰だっけ?」
少しの間をおいてそう問い返したキールの言葉に、メイはくるりと瞳を見開いて、大げさにため息をついてみせた。
「あーーもーー、ほらね?だから、魔導士なんて専門バカだっていうのよね!ひっどいよね、キールったら──会って話したこともある女の子の名前忘れる?ふつー」
さんざんにくさしておいてから、やっとメイは仏頂面で突っ立っている保護者の青年に答えを告げた。
「ほら、あんたも前にエイミーから手紙もらったじゃん。あたしが、ここで魔法の実験するからっていう、あれ」
「……ああ」
言われてようやく思い当たって、キールは瞬きをしてもう一度灰色の髪の少女を眺めやった。以前に、メイ経由で手紙を――メイが、中庭で魔法の練習をするせいで、庭が荒れて困るという苦情の手紙だ――受け取ったことがある。その相手だ。たしか、研究院に下働きに来ているとかいうことだった。
会ったことがあるといっても、一回きりだ。妙に印象の薄い少女だったので、あの事件が終わった後は思い出しもしなかった。魔法や学問に関しては、周囲から一目も二目も置かれる記憶力を持っている彼だが、それ以外のことには基本的に無頓着なのである。
「…あの時の女か」
「やっと思い出した?」
「まあな」
さっきから、二人のやりとりを幾分か固くなって見守っているエイミーを、キールはちらりと一瞥した。
「で?なんでこんなとこでしゃべってるんだ、お前たちは。また何か苦情を言われるようなことでもしたのか、メイ?」
キールの、半ば揶揄するような口調に、メイはぷっと頬を膨らませてみせた。
「違うもん!なんでそーなるのよっ」
そう言ってから、さほど意味なくひらひらと手を振ってみせる。
「ほら、こないだ、今度はあたしが手紙もらったでしょ、だからこーしておしゃべりしてるんじゃない」
「……あ?」
キールは、それでまた説明がすんだと言いたげなメイの顔を見下ろして、少し眉を寄せながら前髪をかきあげた。
「なんだ、手紙って?」
「何言ってんの、キールが渡してくれたじゃん、エイミーの手紙。あたしに」
キールは、一瞬沈黙してメイの手元を眺めた。
(俺が渡した?)
彼がメイに渡した手紙と言えば──この間、青い肩掛けの同僚から預かった、あれ以外に覚えはない。
(だけど、あれは)
彼からの手紙では――ないのか?
…それは、差出人の名前はなかったし。
あの男も、自分からだと言ったわけではない。
しかし────
「……手紙って」
さっきの自分の台詞を、キールはもう一度、無意識に繰り返した。
「この間、俺が渡した、あれか?」
「そう言ってるじゃない」
メイは、何を分かり切ったことを聞くのかといった風な表情でキールを見上げてきた。
「あれは、この女からだったのか?」
「はあ?何言ってんのあんた?あんたが預かってきたんじゃないの」
「………あの」
妙にちぐはぐになりかけた二人の会話に、おずおずとエイミーが割って入った。
が、一斉に振り向く二人の視線を浴びて、ぱちぱちと瞬きをして口ごもる。
「なに、エイミー?」
促すようなメイの言葉に、少女は幾度かためらってから口を開いた。
「…あの、あれは、私が直接キールさんに渡したんじゃないんです」
「えーー?」
メイは、ぱちくりと瞳を見開いて声を上げる。
「あの、メイさんに嫌われてるかもって思ったから、キールさんにお願いしようと思って──あの、でも、ここの──あの辺で、どうしようかなって思ってたら、その──」
しどろもどろになる彼女から、メイがツッコんだりまとめたりしてやっと聞き出せたのは、つまりこういうことだった。
魔法研究院に働きに来るだけあって、エイミーは魔導士というものにかなりの憧れを持っていた。ということで、研究院では数少ない女性魔導士(見習いだが)で、しかも同じくらいの年のメイと、彼女としては友達になれたらと思っていたのだ。
仕事のことで、苦情を言うような形になってしまって心苦しいけれど、なんとか仲直りをしたい(メイの方は、そんなこと気になんかしてなかったのに、と言ったが)。
それで、また、今度は彼女宛の手紙を書いて、キールに託そうと思ったわけだ。
しかし、彼が以前話した時、ずいぶん取っつきにくかった記憶が忘れられなくて(メイ曰く『そりゃもうそーだろーねー』)この辺で彼が通るのを待ちながら、うろうろと迷っていた。
そこへ、あの青い肩掛けの魔導士が通りかかった。何度か口をきいたことがあったので、何をしてるのかと話しかけられて答えたところ、言葉が足りなかったせいもあって、彼はその手紙が、エイミーからキールへのものだと早とちりをしたらしかった。
これは面白い、あの偏屈者の朴念仁が恋文なんぞ貰ってどんな顔をするか見てやろう、というわけで、俺が渡してきてやると彼女から手紙を取り上げて、ちょうど通りかかったキールの方へさっさと突撃していったのだという。
もちろん、預かった手紙の宛先をちらりと一目見て、彼が思ったような内容でないことはすぐに気づいただろう。が、ここで、じゃあ面白くないからやめたというのも薄情な話なので、さっさと用件だけすませて立ち去った、というのが真相のようだった。

「あんた、やっぱり人望ないわねー」
話を聞き終えたメイは、くすりと笑ってキールを見上げた。さっきから、彼はそこに突っ立ったままだったのだ。座れば?と、メイは言ったのだが、キールは無愛想に、いらん、と首を振るばかりだった。
「余計なお世話だ」
殊更に不機嫌そうに言う彼に、メイの傍らのエイミーは居心地悪そうに少し身をすくめる。
キールは、額に落ちかかる前髪をうるさそうにかきあげながらメイを見やった。
「お前は、あの手紙、見てすぐに誰からか分かってたのか?」
「うん、そりゃ」
メイは、こっくりしてみせる。
「前にあんたあての手紙預かった時、エイミーの字、じっくり見てたし。それに、あれと封筒が同じだったしさ」
「……ふん」
メイの台詞に、キールは短く鼻を鳴らした。
「なによ、あんた、ホントに分かってなかったの?」
「分かるわけないだろう、あれだけで」
キールは、そう言い返すと、会話を打ち切ろうとするかのようにくるりときびすを返した。
「いつまでも油を売ってるなよ」
肩越しに短く釘をさすと、なにやらにぎやかに抗議してくるメイの声を聞き流しながら、足早にその場を離れる。
陽の射す中庭から回廊の日影に戻って、キールはふと一瞬足を止めた。ひんやりした空気を吸い込んで、僅かに頭を上げる。
(…なんだか、な)
思わず、短く苦笑が零れそうになるのを、慌てて押し止める。
(お友達、か)
彼は、もう一度、半分だけ振り返って中庭の方を見やった。栗色と灰色、二色の少女たちは、またにぎやかに──と言っても、もっぱらしゃべっているのはメイの方らしかったが──おしゃべりを再開している。
ふと、キールの緑色の瞳に、柔らかな色が灯る。彼は短く息をつくと、さらりと緋色の肩掛けを風に流しながら向きを変えた。
そして、今度こそ中庭を後にして、元の目的地である書庫へと歩き出すのだった。
さっきまでの重みが取りのけられたかのような、どこか軽い歩みで。


翌週、メイが次の課題を出しに来たのは、例によって期限ぎりぎりになってからだった。
「前回のは、やはりただのまぐれだったんだな」
と、いつもの皮肉っぽい笑みを浮かべるキールに、メイはぷーっとふくれて見せた。
「だぁって、早く出しても、キール誉めてくれるわけじゃないし」
さほど恨みがましい口調ではなかったが、あの時のことがちょっと心に引っかかっていたキールは、ああ、と曖昧な音を出して目を逸らせた。
「…そういえば、教えてもらってたって、誰にだ」
ふと思い当たって、前回気になっていたことを尋ねてみる。
「ん?あ、こないだ?アイシュ」
「兄貴?」
メイは、いつものスツールの上でこっくりした。
「うん。書庫に行った帰り、ディアーナのとこに寄ったらちょうどアイシュの授業中でさ。ラッキーって思って、無理矢理教わっちゃった」
けろりと笑うメイに、キールは微かに苦笑を浮かべてノートに目を落とす。
「…おい、途中が三問、白いままだぞ」
「うん、わかんなかったから、キールに聞こうと思って」
メイは、きゅっと背を伸ばして、キールの瞳を見上げた。
「どーせ、他で聞いて早く出したって同じだもん。…だったら、キールに教えてもらって、ここでやった方がいい」
ふと、その口調になにか微妙な響きが混じっているような気がして顔を上げる。
メイの、茶色の大きな瞳がじっとこちらを見ていた。
「………まったく」
慌てて視線を逸らせながら、キールは乱暴にノートの頁を繰る。
「…俺の研究時間を、また削る気か」
「いいじゃん、生徒のやる気に答えるのは先生の義務でしょ」
「不出来な生徒を抱えてなきゃならん義務はないぞ」
「出来るまで教えるのも先生の義務なの!」
いつもの言い合いをしながら、メイはくすりと笑う。それに応じるように、キールの口元にも微かに苦笑が浮かぶ。
「仕方ない。教えてやるから、真面目にやれよ」
「はーい、先生」
メイは、ぱっと表情を輝かせると、手元にノートを引き寄せた。


「だから、どうしてそこにその動詞が入るんだ」
「え?え?あれ?これじゃない?」
「お前、ちゃんと系統立てて魔法陣を読んでるのか。書き込んでる一カ所しか見えてないだろう」
「うーー」
「イノシシみたいに一カ所に突っ込むな。全体を見渡して、魔力の流れを把握しろ。どれだけ注意を払っても、払いすぎるってことはないんだ。お前の場合、特にな」
「………うにゅーー」
「お前はどうだか知らないが、普通は頭ってのは、使うためにあるんだぞ。右から左へ引き写すだけなら、手だけで十分だろうが」
「………やっぱ、あたしって物好きだわ…」
「何か言ったか?」
「何でもないっ」


つまりは、ぐるりと巡って戻ってくるのは、また同じ場所なのかもしれなかった。

「これ、終わったら、お茶にしていい?」
「終わったらな。…入れてやるよ」
「うんっ」

それとも、もしかしたら、ほんの半歩くらいの、前へ。