触覚 〜愛情の基本〜

N星人様     



 手に取る。指でたどる。
 撫でる。掴む。温度を感じる。
 そのかたちを、柔らかさを、目を閉じていても思い出せるように。


 幼い子どもは、珍しいものなら何でも手に取ろうとする。それが高価であるとか、掴んだら痛いかもしれないとか、そういう考えは無しに、ただ興味の赴くままに。
 そして気に入れば、いつまでもいつまでも持ったままでいる。大人がどう言っても手放さず、取り上げようとすれば頑として抵抗を示すのだ。
 よく言うではないか、泣く子となんとやらには勝てないと。純粋な欲望を満たそうとして行動する子どもは、どんな制約をも無効にしてしまう。
 規則も常識も、倫理もなく―――
「ちょっと、ねえ、キール」
「・・・・・・」
「おーい、聞いてる?」
「・・・・・・」
「あー、本日は晴天なりっ。マイクのテスト中〜♪」
「・・・・・・・・・」
「・・・っだーーーー!!いーかげんに離してよっ、もう!!」
 あまりにも無反応な相手に、終にキレた少女は、癇癪を起こして絶叫した。
 じたばたと暴れ、自分に触れている手を勢いよく振り払う。そうされて初めて彼は、現実感覚を取り戻した。
 はっと緑の目を瞬かせ、若き魔導士は世界のかたちを認識する。最初に映るのは、ぐしゃぐしゃになった枯葉色の髪。
 次に、見慣れた本の山。ここが己の研究室だと自覚する。
「・・・・・・あ?」
「あ?じゃないっ!何やってんのよアンタは」
 眼鏡越しにある、ぶすくれた少女の顔。くるんと大きな目が、不審そうにこちらを見やっている。
 その視線を辿れば、馬鹿のように宙に翳されている自分の手があった。
 まじまじと、それを見て。ようやく彼は、まともな言葉を紡ぎ出す。
「俺は、何かしていたか?」
「何かって・・・あたしの頭、死ぬほど手でグリグリしてた」
「・・・ほう」
 奇態だな、と他人事のように呟く。まったくその通りだ。
 亜麻色の前髪を掻き上げ、ぼうっと立ち尽くしたままの青年に、少女はますます訝しげな顔になる。
「大丈夫?補助魔法って、そんなに疲れるの?」
「いや、別に」
 1日1回、この少女にかける事にしてある魔法磁場安定の補助魔法は、高度ではあるが骨の折れる代物ではない。半年以上も毎日掛け続けていればいい加減慣れて、研究の片手間でも負担にはならなかった。
 彼女の頭に触れて、呪文を唱えて、3分待てば出来上がり。
「そんじゃ、また徹夜とか。頭の回りが鈍くなるくらい根詰めるなんて、キールらしい」
「・・・・・・」
 確か昨夜は珍しく眠気のウェーブが向学心に勝り、日付が変わる前に床に入ったはずである。おかげで今朝の目覚めは記録的な爽やかさだった。
 そう。真昼も真昼、太陽が無神経なまでに明るく輝いている日中に、意識が吹っ飛ぶくらい疲れているというだけの原因は、どこにも見出せない。
 疲れていないなら、何故に?
 何故にメイの―――保護者として面倒を見ている異世界の少女の―――頭を無用に撫でていたのだろう。
 補助魔法をかけた辺りまでは、しっかり記憶にあるのだが。
「・・・・・・」
「ああっ、考えこんじゃ駄目だよキール。なおさら疲れちゃうって」
 額を押さえて思考を巡らせる青年に、メイは慌てて言葉を足した。
「疲れてる時はねー、きちんと食べていっぱい寝る!これに限るの」
 ほらほら、これくらいなんともないし―――ささっと乱れた髪を指で梳かしつけて、メイは励ますように笑う。
 屈託の無いその笑顔は秋の日差しよりも暖かく、彼を包んだ。
「補助魔法は、掛け終わったのよね?」
「ああ」
「んじゃっ、あたしはこれで♪」
 身を翻し、メイは自分の保護者であり魔術の師匠でもある青年に背を向ける。
 さっきまで彼の指の中で無秩序に絡まりあっていた髪は、今はすっかり元のストレートに戻っている。それが少女の動きに合わせてしなやかに踊り、風が吹き抜けるのにも似た軌跡を残した。
 その線のひとつひとつ・・・髪の一筋一筋から闊達さが吹き出しているようで、青年は見とれ、意識を飛ばす。
「・・・って、痛ぁいーーーッ!!」
「あっ?」
 気が付けば少女の髪がまたも手の中にあって、キールはひどく驚いた。
 しかも今度は、鷲掴み。
「何をやってるんだ?俺は」
「痛い痛い痛い痛いって!!離せコラーーー!!」
 歩きはじめた方向とは全く正反対に、しかも急に引っ張られ、メイは頭を押さえてしきりに訴えた。その痛さといったら、木櫛に毛が挟まった級である。
「ばかばかっ、いきなり何すんのよっ!」
「え、ああ、悪かった」
我に帰り、ぱっと手を離すと、少女が強く睨み付けてきた。余程痛かったらしく、大きな茶色の目の端に涙が浮かんでいる。
「何なのよ、もうっ!」
 仕返しとばかりに、青年の肩を平手打ちするメイ。端整に着こなされていた緋色の肩掛けが、微妙に型崩れした。
「いや、俺にも何がなんだか」
 己の行動の不可解に戸惑うキールは、少女が憤然と駆け去っていくのを為す術も無く見送った。
(・・・どうしたんだ、俺は・・・)
 混乱しながらも必死で考える。本来理性派な彼は、思考によって理論的な答えが導き出されることを信じていたのだ。だが、容易に解答に続く糸口は発見できない。
 ・・・そんな状態であるから、叩かれた肩の痛みなど気付きもしなかった。

 メイの髪が揺れた。
 そうしたら、手が動いた。
 ふたつの事象を繋げるものは何?


「あ・・・あの〜、キール?」
「・・・・・・」
「もしもーし・・・僕の声、聞こえてますか〜〜?」
「・・・・・・」
「聞こえてないですね〜、はいぃぃ〜〜・・・」
 亜麻色の髪をした若き宮廷文官は、双子の弟に対してかけるべき言葉を見失い、深く溜め息を吐いた。
 晩秋の夜である。涼しさが寒気に移り変わり、そろそろ暖房の用意を―――そう人々に思わせる、平和で穏やかな宵だった。
 この日、珍しく自宅に帰ってきた弟を、アイシュ=セリアンは単純に喜んで迎えた。研究オタク、もとい学業に熱心な彼の弟は、自分の研究室がある魔法研究院に詰めっきりで、王都に構えている彼ら2人の家にも滅多に帰ってこなかった。
 それが、久々の帰宅である。少し過保護の気がある双子の兄は、いそいそと嬉しそうに夕食の支度を整えようとした。
「今夜は、腕を振るいますね〜」
 が。当のキール=セリアンは居間に落ち着くなり、浮かれる兄に向かって言った。
「兄貴、頼みがあるんだが」
「ええっ?珍しいですねえ、キールのお願いなんて。
はい〜、僕に出来ることでしたら何でも」
「髪に触らせてくれ」
「・・・・・・」
 冗談だと―――キールと冗談が月とスッポンほどに縁遠いものであると知ってはいたのだが―――思いたかったのだろう。白いフリルのエプロンを着用したアイシュは、その場でくるりと1回転した・・・意味も無く。
「はい〜?」
「髪だ。触らせてくれ」
 若き緋色の魔導士は、どこまでも本気だった。口調にも表情にも、ジョークの影など微塵も無い。恐ろしいことに。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・あうう・・・」
 真摯な眼差しの迫力。自分と同じ深緑の瞳に見詰められ―――双子の兄は白旗を上げた。
 そして、現在に至るのである。
「キール・・・あの〜・・・どうしちゃったんですか〜・・・?」
「・・・・・・」
 キール、無言。後ろで一纏めにしたアイシュの猫っ毛を、真剣な面持ちでぽふぽふと手に取って見ている。アイシュはまた、溜め息を漏らした。
 沈痛な表情で俯く兄と、その兄の髪を丹念に触りまくっている弟という図は、良く考えなくても異常だ。第3者がいないのが不幸中の幸いというべきだろう。
「・・・ふう」
「あ、もういいですか〜?」
 ややあって、弟の手が離れたのを見て取ったアイシュは、ささっと立ち上がる。どんな意図があるにせよ、これ以上の奇行に付き合うのは遠慮したかった。
 キールの方は、どこか釈然としない様子でソファに身を沈めている。
「変だな」
「何がです〜?」
「別になんともない」
「はあ?」
 説明に欠ける弟の台詞に、アイシュは頭上に巨大な疑問符を浮かべた。
「なんともないって・・・キール、何かあったのですか〜?」
 なんともなくなかったら、それこそ恐いのではと思いつつ、彼は問い掛けてみる。キールはしばらく考え込んだまま沈黙していたが、独りで思索していても埒が明かないと気付いたのだろう。ぼそぼそと語りはじめた。
「・・・メイの」
「はあ、メイですか〜?」
「メイの髪が、揺れるんだ」
「はい〜、揺れますね〜」
「そうしたら、俺の手が動くんだ」
「はい〜?動くって・・・どこにです〜?」
 キールの眉間に皺が寄る。つられてアイシュも、渋い顔をした。
「メイの髪に。気付いたら、触ってる」
 繊細で柔らかな感触。日だまりを宿した温かさ。彼の知らない花の香り。彼女の髪を離した後の手には、そんな残滓がいつも纏わりついていた。
 奇妙にくすぐったいそれは、振り払いたいような、それでいてずっと残っていて欲しいような、まさに訳の分からない状態に彼を陥れる。混乱し、苛ついて、もう触れないようにしようと思うのに、翌朝彼女に無邪気な笑顔を向けられたら、そんな決意など乾いた砂よりも容易く、さらさらと崩れていく。
 補助魔法をかけるために仕方ないんだ、という言い訳は、もう通用しなかった。むしろ補助魔法を大義名分として、指は勝手に枯葉色の髪を梳いていく。
 そうこうするうちに、終には無意識のうちに触れるようになってしまった。これはいくらなんでもまずいだろう―――良識家の若き魔導士は、苦悩した。
「一応、俺に他人の髪を好む性癖があるんだろうとの仮説を立ててみたんだが」
「・・・・・・」
 それを聞いて、アイシュはある噂を思い出した。
 魔法研究院の魔導士が、何故かやたらと知人の髪を引っ張りまくっているという―――某筆頭魔導士や、美しい金髪で有名なアンヘル族の見習い騎士が犠牲になったらしいというそれは、彼が冗談だろうと笑って済ませた話だった。
(僕の前にも、実験したんですねー・・・さすがはキールです・・・)
 もはや笑うしかない精神状態の兄の前で、キールは難しげな顔で話し続けた。
「だが触ってみても、別になんともない。努力しなければ触ろうという気にもならないんだ」
「そうでしょうね〜・・・」
 はああっと重苦しい溜め息をひとつ吐いて、アイシュは弟に向き直った。あるいは自分が口出しすべき問題ではないのかもしれないが、このまま放っておいてさらに彼の『実験』の犠牲者が増えるというのも何かイヤである。
 それに、もっと深刻なことには、
(キール・・・心配はしていましたが、貴方はここまで鈍かったんですね〜・・・)
 弟の将来を正しい方向に導くため、アイシュは決意したのだった。
「あのですね〜、キール」
「何だ?」
 おっくうげに、キールが反応する。夕飯の準備などそっちのけで、双子の兄は語りかけた。
「キールが無意識に触ってしまうのは、メイの髪だけなんですね〜」
「そうらしい」
「それがどうしてか、考えたことあります〜?」
「さっきから言ってるだろ。俺に何か偏執的な性向が・・・」
「そうではなく〜!メイの髪でなくては、触れたいという衝動が起こらないってことですよ〜〜〜!!」
「・・・・・・衝動?」
 肯きながら、アイシュは思う。この手の説教は主に、色好みで知られる某筆頭魔導士の担う役割である。やはり自分では照れが先立つ。
 独り者のくせに、恋愛について弟に教えるなんて・・・。
「その、悪いことだって言ってるんじゃないんですよ〜?特定の女性に触れたいって思うことは、男性として当然の行動なんですから〜」
「・・・特定・・・?」
「そうです〜。例えば・・・ですね〜、ええと〜・・・その・・・」
「はっきり言え」
「か・・・髪以外にも、メイに触れたいって、思いませんか〜?」
「・・・・・・・・・」
 絶句してしまった弟に、自分がとんでもないことを口にしてしまったような気がして、アイシュは慌ててキッチンに逃げた。『夕食の準備が〜』などと今更のように叫びながら。
 残されたキールはと言えば、半ば放心したような表情で兄の言葉を反芻している。
(衝動・・・特定・・・)
『髪以外にも、メイに触れたいって・・・』
「・・・・・・っ」
 脳裏に突然メイの小柄な全体像が思い浮かんで、キールはソファに倒れ伏した。

 メイの髪が揺れた。
 そうしたら、手が動いた。
 ふたつの事象を繋げるものは何?

『触れたい』
 気付かなかったことが不思議でならない、それほどに。
 
『触れていたい』
こんなにも大きくて、浅ましくて、痛いくらいにひたむきな。

『メイの全部を、俺の全部で』
 彼女が欲しいという気持ち。側にいたいという願い。



「ちょっと、ねえ、キール」
「・・・・・・」
「やっほー?寝てんじゃないでしょーね」
「・・・・・・」
「キールのおにー、魔法おたくーっ」
「・・・・・・・・・なんだと?」
「・・・っわわ、聞いてたのっ!?」
 にゃははっと笑いで誤魔化しながら、異世界の少女は不自由な肩をゆりゆりと揺する。
彼女の肩を後ろから押さえつけている青年の両腕は、そのくらいの振動ではびくともしないと言わんばかりに、さらに力を込めて少女の肢体を抱きしめた。
「だってねえ、キールってば何も言わないし」
「言わなきゃならんことがあれば言う」
「あたしと話したくないの?」
「こうしてるだけでいい」
 冬はすでに、王国の山河を支配している。窓の外は色彩も乏しく、寒々しくなる一方、キール=セリアンの研究室は度し難い熱気の発生地として、他の魔導士たちの敬遠するところとなった。
 ストーブにかけた薬缶が、白い蒸気と存在意義を主張する音を立てる。しかし熱の発生源は中古のストーブではなく、その側で猫のようにくっつきあっている青年と少女だった。
 ちょこんと。置物のように乗せられた青年の膝の上で、少女・メイが溜め息をつく。
「なんてゆーかさー・・・エスカレートしたよね、キールの触り癖。
最初が髪で、次が手で、今がコレだもん」
「ほっとけ」
 ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、少女を抱く腕は離れる気配を見せない。人目が無ければそれこそ子どものように接触を求めてくる恋人が、メイはなんだか可愛かった。口には出せないが。
「あたしに触るの好き?そんなに」
「・・・・・・ふん」
 返事の代わりに悪態をつき、ほのかに香る髪に唇を寄せる。その下に隠れる耳に吐息を吹き込むと、少女はくすぐったそうに身じろぎした。
「うにゃっ、えっち」
「何だと?」
「んー、でも許したげる。キールだもんね」
 身を捩り、彼の胸に半身を預けた体勢で、メイは笑った。それこそキールが惹かれ触れたいと望んだゆえの、輝くような笑顔だった。
「俺?」
「うん。結局ね、あたしもキールに触られるの、好きみたい・・・」


 手に取る。指でたどる。
 撫でる。掴む。温度を感じる。
 そのかたちを、柔らかさを、目を閉じていても思い出せるように。
 側に在る幸せを忘れないように。


END


【あとがき】
アイシュ・・・保健体育の先生のよーだ・・・(笑)。
ど、どーでしょう?御崎さんっ。少なくとも誰にもいぢめられてないよ、キール君(爆笑)。 

【御崎より】
誰にもいぢめられていないのに、そこはかとなく不幸なのが彼の持ち味なのでしょうか(笑)?
でも、最後は甘々いちゃいちゃだから幸せかー(*^^*)。うふふふ、「幸せな」キール、なんて無理難題(爆)ふっかけてごめんなさいです…この4文字をお伝えした時の、Nさんの「創作史上最大の難関」とのお返事が忘れられません(笑)。でも、無理言った甲斐がありましたわ〜(*^^*)。