| 御崎 濯 |
こつこつ、と軽やかな音を立てたノッカーに応じて、少しの間の後、扉が開かれた。 「…ああ、来たか」 無愛想な出迎えに、メイは瞳を瞬かせて恋人の顔を見上げる。 「…わあ、キール!」 一瞬の後、メイははしゃいだ声を上げた。 アイシュがケーキを焼くから、とキールの家に誘われたのは、今週の火曜日のこと。 アイシュのケーキ、と聞いて、メイは早速親友のシルフィスを誘った。なんとなく渋る彼女(彼?)を引っ張って、今日は約束通り二人で出かけてきたのだった。 「…なんだ」 瞳を輝かせて見上げてくるメイに、キールは面食らったような声を出す。 「キール、ローブじゃないじゃん!わー、めずらし!そんな服も持ってたんだ!」 わくわくした表情のメイを見下ろして、キールは訝しげに眉を寄せた。 「…服くらい持ってるさ、何が面白いんだ、それの」 「えー、だって、見たことなかったもん」 研究院では、彼はいつも魔導士の定番とも言えるローブ姿だ。それと、せいぜい夏の長衣姿しか見たことのないメイには、今日の彼がひどく珍しく映っているらしい。なんということもない、普通のシャツにダークカラーのズボンを身につけているだけなのだが。 「キール〜、玄関で何してるんです?入っていただいてくださいよ〜」 奥からのどかな声がした。キールはちらりとそちらへ視線を流してから、メイたちの方に向き直る。 「入れよ」 「おっじゃましまぁす」 「こんにちは、お邪魔します」 さっきから、挨拶のタイミングを逃してしまっていたシルフィスが、ぺこりと軽くお辞儀をしてからメイに続く。横を通り過ぎながら、シルフィスはそっとキールの顔を見上げた。 いつもと同じような仏頂面で、あまり表情が動いているようには見えない。 シルフィスは、小さく息をついた。 玄関を入ったときから漂っていた甘い香りは、ダイニングに招き入れられるとますますふんわりとあたりを包み込んでいた。 「んー、いーい匂い!」 メイは、胸一杯にその香りを吸い込みながら、嬉しそうに言う。 「いらっしゃい〜、メイ、シルフィス」 キッチンから、アイシュが姿を見せた。そちらへ目をやって、またメイがはしゃいだ声を上げる。 「わあ、アイシュ、エプロン!…似合いすぎ〜!」 「ありがとうございます〜」 「…誉めてないって」 律儀に礼を述べるアイシュに、無愛想にキールがつっこむ。 「どうぞどうぞ、少しそっちに座って待っててくださいね〜、間もなく焼き上がりますから」 アイシュはにこにこと居間の方へ二人を案内した。こぢんまりとしているが、穏やかな色合いのソファやカーペットが居心地よく整えられていて、なんだかほっとさせる雰囲気がある。 「ねえねえ、この部屋のインテリアってアイシュの趣味?」 ソファにぽんと腰を下ろして辺りを見回しながら、メイが尋ねる。 「まあな、部屋だけじゃなくて家中たいがいそうだ」 メイの向かいに腰を下ろしながらキールが答える。シルフィスは、アイシュにメイの隣に案内されて、少し戸惑ったように座った。 「うん、そんな感じだよね、なんかほのぼのーとしてて。ね、シルフィス」 「あ、ええ、そうですね」 シルフィスは、辺りを見回して相づちを打った。 確かに、殺風景な寮の部屋や、騎士団の飾り気のない控え室ばかり見ているこの頃のシルフィスには、この部屋のもの柔らかな雰囲気はとても心地よかった。きちんと丁寧に暮らす人の生活がにじみ出ているようで、何となく故郷の自分の家が思い起こされる。 簡素な暖炉の上に、無造作に野花が飾られているのに気づいて、シルフィスは小さく微笑みを浮かべた。 「ねえアイシュ、今日のケーキはなに?」 嬉しそうにメイが尋ねる声に、シルフィスは隣を振り向いた。 「オレンジタルトとセサミクッキー、それにシュークリームをご用意しました〜」 「うっわぁ、すごーい」 心底嬉しそうに弾んだ声を上げるメイを、キールはやれやれと言った表情で見ている。 「それから、せっかく来ていただくんですから、うちでなきゃお出しできないものをと思いましてね〜、今、バニラスフレを作ってるんですよ」 「スフレ!?うわー感激っ!」 メイは、隣にいたシルフィスの腕をぎゅっと引き寄せた。 「たっのしみだねー、シルフィス!」 「ええ」 無邪気に笑うメイにつられて、シルフィスも頷いてアイシュを見上げる。 「それじゃ、続きを作ってきます〜」 「うん、待ってるね!」 「あ、キール、お茶の準備を手伝ってください〜」 「わかった」 腰を上げるキールを見上げて、メイも立ち上がりかける。 「あ、あたしもてつだおっか?」 「いい、座ってろ。一応、客なんだから」 無愛想に言い置いてキッチンに入っていくキールを見送って、メイはまたソファに戻る。 「キールも、お茶なんて入れるんですか」 「うん、まあ。だって、研究院では、飲みたきゃ自分で入れるしかないもん」 「ああ、そうですね」 騎士団は上下関係がはっきりしているし、見習いが上の者の身の回りの用事をするのが慣習になっている。それにくらべると魔法研究院は、階級はあるとはいえ、主従を表すものではないし、基本的には個人個人が単位だから、そういう習慣がないのだろう。 お茶を待つ間、メイは嬉しそうに辺りを見回しては、シルフィスをつついてあんなものがある、こんなものがあるとこそこそ囁いた。シルフィスは、メイの相手をしてひとつひとつ律儀に相づちを打つ。が、そうしながらも、お茶の準備にキッチンを出入りしているキールの表情がどうにも気になって仕方がない。 とうとう立ち上がって部屋の中をうろつき回りだしたメイを追いかけて暖炉のそばに寄りながら、シルフィスはそっとメイに話しかけた。 「…メイ、ほんとうに私が来てもよかったんですか?」 「え、なんで?シルフィスもお菓子好きでしょ」 「…ええ、それはそうなんですけど」 シルフィスは困ったように首を傾げる。 「…でも、その、…キール、機嫌悪くないですか?」 「えー?いつもあんなもんだよ」 けろりと言うメイに、シルフィスはちょっと額を押さえる。 「シルフィス、もしかして、あたしたちに、気、使ってる?」 「……ええと…」 ストレートに問いかけられて、かえってシルフィスの方が少しうろたえてしまう。 「も、やだな、気にしないでよー。どっちにしたって、アイシュがいるんだし、それだったらみんなで食べた方が楽しいじゃん」 仕方なく、はあ、と頷きながら、シルフィスは胸の中で苦笑を漏らした。 (メイはそうかもしれないけど、キールはどうなのかな) まだ未分化なシルフィスだが、男性の集団である騎士団にいるせいで、彼らの本音を小耳に挟む機会は多分メイより多いだろう。 (…まあ、キールは、騎士団のみんなとはちょっと違うのかも知れないけど) このへんは、まだ未分化なだけあるのだが。 「さあ、スフレができますよ〜」 アイシュの声がして、キッチンから暖かく甘い香りが漂ってくる。メイは、わあ、と歓声を上げてダイニングのテーブルに駆け寄っていった。 ひととおりお菓子が征服された頃、ふとしたことから魔法のことが話題に上った。 キールとメイはもちろんそれが専門だし、シルフィスも自分には素質はないとはいえ、魔法に縁の深いアンヘル種族なので、それなりに知識は持っている。アイシュも、口には出さないが素質はあるし、基本的な知識もある。結構会話が弾んで、そのうちキールが持っている本のことが話に出た。 「ああ、それならこっちにおいてある。部屋にあるから、取ってきてやるよ」 キールがそう言って立ち上がるのへ、メイがぱっと瞳を輝かせた。 「あ、キールの部屋!?見たいっ!」 ぴょんと立ち上がるメイを、キールは戸惑ったように見下ろす。 「…いいけど」 「シルフィスも見にいく?」 わざとだかなんだか分からないメイの台詞に、シルフィスは慌てて首を振った。 「い、いえ、私はいいです。…まだ、タルトを頂いてる途中ですから」 「そ。んじゃ、いこいこ、キール!」 メイは先に立って、たたっとダイニングを駆け出てゆく。キールは、ちらと苦笑を浮かべて、その後を追っていった。 「部屋、どこー?二階?」 「ああ、そうだ」 二人の会話が、ドアの向こうに消えていく。 それを見送っていたシルフィスに、アイシュののどかな声がかけられた。 「シルフィス、お茶のおかわりはいかがですか〜?」 「あ、いえ」 シルフィスは、彼の方を振り向いて、急いで首を振った。 「まだ、ありますから」 「そうですか〜」 にこにこと頷いて、アイシュは自分のカップを取り上げる。 少しの間、穏やかな沈黙が降りた。 シルフィスは、少し目を細めてカップから立ち上る湯気を眺めた。どちらかというと人見知りしがちなシルフィスだったが、アイシュには出会った時から不思議と打ち解けることができた。今も、こうして黙っていても、気詰まりなものを感じない。 彼が宮廷の文官で、地位から言うとかなり自分よりも上なのを考えると、それは珍しいことだった。もちろん、彼の、あのおっとりとした風貌や、のんびりした受け答えのせいも大きいのだろうが。 「……あの、シルフィス」 やはりいつも通り、のどかな声でアイシュが呼んだ。 「はい?」 シルフィスは瞳を上げて応える。 「今日は、そのぅ…ご迷惑じゃ、ありませんでしたか〜?」 「え、いえ、そんな」 アイシュの言葉の意味をはかりかねて、思わず短く首を振る。 アイシュは、少し首を傾げて、困ったように微笑んだ。 「その、メイが、お誘いしたんですよね?…あはは、それで僕がこんな言い方するのも、何か変ですけど〜」 言葉を切って、彼はぽりぽりと頭をかいてみせる。 「キールがメイを呼びたかったんだと思うんですけど、それに巻き込まれて…ええと、気が進まないのに、無理矢理メイに引っ張ってこられたんだったら、申し訳ないと思ってます〜」 「そんなこと、ないです、ほんとうに」 アイシュが、自分の立場が気まずくないかどうかを気づかってくれているのだと分かって、シルフィスは懸命に首を振った。 「私こそ、厚かましくお邪魔してしまって」 「いえいえ、とんでもない」 今度は、アイシュが慌てて両手を振る。 「僕は、お客さまをもてなすのは好きですし〜、おいしいって喜んでくれる方に食べてもらうのが嬉しいんですから、全然構わないんですよ〜」 そう言って笑うアイシュの笑顔に、シルフィスはついつられて微笑み返す。 「…メイに誘われた時、ほんとうは遠慮した方がいいんじゃないのかなって思ったんで、最初は断ったんですけど」 アイシュのふんわりした雰囲気に引き出されるように、言葉が自然に滑り出る。 「メイが、じゃあ来週は、とか、あんまり熱心に誘ってくれて。…でも、遠慮しようとしてたら、じゃああたしもやめようかな、なんて言い出すものですから」 その時のことを思い出して少し困ったような顔をするシルフィスに、アイシュはやはり同じように困った笑顔で頷く。 「…それは、ええと、キールに悪いような気がして。それで、つい行きますって言っちゃいました」 「そうですか〜、それは申し訳なかったです〜」 アイシュは、申し訳ないと言うよりはなんだか嬉しそうに、こくこくと頷いた。 「あ、いえ…でも、実をいうと、私も、ちょっとアイシュ様のお菓子につられてたんです」 悪戯っぽく言ってみて──でも、そんな風に冗談を言えるのが、自分でも不思議だった。 同期のガゼルにはいつも、お前、言うこと堅いなぁ、とからかわれているのに。 アイシュは、あはは、と笑ってまた頭をかいてみせる。 「それは光栄です〜、お味はいかがでしたか?」 「とてもおいしかったです、ほんとに。器用でらっしゃるんですね」 「いえいえ、そんな〜。ただ作るのが好きなだけですよ」 誉められて、嬉しそうにそう言う表情は、とても宮廷では名高い天才だとは思えないほど無邪気だ。 「でも、喜んで頂けて、よかったです。また、ごちそうしますね〜」 「はい、ぜひ」 素直に頷いてしまってから、また、そんな自分に少し驚く。 アイシュ様の言葉は、なんだか、すとんとまっすぐ心に落ちてくるせいかもしれない── ふと、シルフィスはそんな風に思えて、アイシュの顔を見た。 分厚い眼鏡の向こうで、深い緑の瞳がほんわりと微笑んでいる。 シルフィスは、2、3度瞬きをして、カップに視線を落とした。 「……あの、アイシュ様」 「はい、何ですか、シルフィス?」 「やっぱり、お茶のおかわりを、頂けますか?」 「はい、もちろん」 アイシュは微笑んで頷くと、ポットを手にして立ち上がった。 メイはキールの部屋に一歩入ると、瞳を輝かせてぐるりと中を見回した。 「へえ、やっぱり散らかってるんだぁ」 「悪かったな」 ふん、と鼻を鳴らすキールには構わずに、ひょこひょこと中に入り込む。 窓際にはがっしりした机が置かれている。その上には、研究院の彼の机と同じように、書物や巻物が山積みになっていた。窓の向かい側の壁は一面作りつけの本棚になっていて、やはり本がぎっしりだ。研究室と違うのは、床にはさほど本が積み上げられていないことだろう。けれど、それはこちらの方が片づけられているからと言うことではなく、単に本の量がやや少ないからのようだった。部屋の奥には、壁に押しつけてベッドが置かれており、その隣にクローゼットがある。 部屋全体は、研究室よりは二周りほど広いだろうか。 「結構広い部屋だね」 「二人しか住んでないんだから、狭い部屋にいることもないからな」 「せっかくこんないい部屋があるんだから、ちゃんと帰ってくればいいのに」 「面倒だ」 「もぉ」 メイはくすくす笑って窓にぴょんぴょん駆け寄る。キールはそれを見やってから、本棚に歩み寄った。さっき話に出た魔導書を、記憶をたどりながら探す。 「…確か、もうあまり見ないと思って、上の方に…」 「キール」 口の中で呟いていた彼に、メイの声が呼びかけた。 振り向くと、すぐ後ろに彼女が立っていた。何か、嬉しくて仕方ないといった表情でにこにこしている。 「…どうした?」 「うん、キール──かっこいいね」 「……あ?」 いきなりなメイの台詞に、キールは照れるより先に面食らう。 「なに、言い出すんだ」 「ん、だって、さ。何か、いつもと違ってて、…かっこいいなって」 「……」 キールは、何と返事していいか分からないと言った顔で、前髪をかきあげた。 「今まで見たことないキール、見られたみたいで嬉しい。なんか、…どきどきしちゃう」 メイは、微かに頬を染めてキールを見上げている。 淡い桜色の頬、大きな茶色の瞳。 キールは、そっと彼女の髪に手を触れた。肩を引き寄せて、腕の中に抱き入れる。 素直に彼の胸に寄り添って、メイは瞳を閉じた。 軽く額に唇を触れられて、顔を上げたメイの唇に、優しいキスが降ってくる。 短く重ねて、一度離れた唇が、もう一度──今度は少し深く交わってくる。メイは、微かに息を零して、そのキスに応えた。 「………ん」 口づけが、また深まりそうな気配に、メイは身じろぎして彼の唇から逃れた。少し俯いたまま、困ったように髪を払う。 「……も、ダメ」 「……分かってる」 キールは、微かに息をついて、メイの髪を撫でる。 アイシュは、──大いにばつが悪いとはいえ──男同士だし、少しくらいのことは見て見ぬ振りをしてくれるかもしれないが、階下にシルフィスがいては、ここでいつまでも二人でいるわけにはいかない。いくら自分たちのことはもう周囲に公認とはいえ、それはあまりにも気まずい。 (…まったく) シルフィスを連れてきたメイに、ちらりと恨み言も言ってみたくなる。 が、もしかしたら、メイは元から、牽制のつもりでシルフィスを誘ったのかもしれない。 彼女の行動をどう取っていいのか分からなくて、キールはまた短くため息をつく。 ──が、とにかく、キスは嫌がっていないようだ。 キールは、メイの細い顎をすくい上げて、もう一度短く口づける。メイが、くすくす、と、くすぐるような笑みをこぼした。 キールとメイが2階から戻ってくると、下に残っていた二人は、お菓子の作り方の話で盛り上がっていた。 「ええ、きっと、台が少し違うと思うんです。粉も、小麦だけじゃなくて他のも混ぜますし──」 「それは面白いですね〜、ぜひレシピが知りたいです」 「じゃあ、今度、故郷に手紙を出すときに聞いてみますね」 「何の話ー?」 ぱたぱたとテーブルに戻ってきたメイに、アイシュはにっこり頷きかけた。 「シルフィスのお家で作る、お菓子の話を聞いてたんです〜。面白いですよ、僕たちが作るのとは少しずつ違うバリエーションがあって」 「へえ、シルフィスもお菓子作り、趣味だっけ?」 「あ、いえいえ、とんでもない」 シルフィスは照れたように手を振る。 「私は、食べるだけです。母が、よく作ってくれていたのを思い出して、お話ししてたんです」 「料理も、文化ですからね〜」 アイシュは、嬉しそうに頷きながらそう言った。 「いろんな国や、種族や、家、それぞれに伝わる文化が、味があります〜。でも、おいしいものを食べたい、食べさせたいって言う気持ちは、みんな同じなんですよね」 「アイシュが言うと、高尚に聞こえるね」 茶化すように言って、メイはテーブルにつく。キールは、持ってきた本を机の上に置いてその前に座った。 「アイシュ、お茶もう一杯ちょうだい!今度はストレートで飲むんだー」 軽やかなメイの声で、またお茶の時間が再開されたのだった。 夕方の鐘まであと1刻ほどになった頃、二人の客は暇を告げることになった。 「今日は本当にありがとうございました〜」 「こっちこそごちそうさま!」 「ごちそうになりました」 にぎやかに手を振って帰っていくメイとシルフィスを見送って、キールとアイシュは家の中に戻った。キールはメイを送ろうかと言ったのだが、メイがにっこり笑って、 「今日はシルフィスがいるから大丈夫!」 といったもので、そうか、と頷かざるを得なくなったのだった。 ダイニングのテーブルの上を片づけながら、アイシュがほぅっと嬉しそうなため息をついた。 「女の子が来てくれると、なんだか家の中が華やぐものなんですね〜」 「……」 なんとなく素直に頷けなくて、キールはソファにもたれて天井を見上げる。 「また、来てくれるといいですねぇ、二人とも」 「………」 「今度は、アイスクリームパイをごちそうしますって、シルフィスに約束したんですよ〜」 「…………」 「メイは、イチゴのミルフィーユが食べたいって言ってましたしね〜、また腕を振るいますよ〜」 なんだか、自分の思う方向には物事が進んでいないような気がする。 キールは胸の中で呟きながら、天井を睨み続けるのだった。 少し陽の傾きかけた王都の通りを、メイとシルフィスは並んで歩いていた。 「おいしかったねぇ、アイシュのケーキ!」 「そうですね、ほんとに」 キールに借りた本を胸に抱えて、弾むような足取りで隣を歩くメイを見て、シルフィスは微笑んだ。 「メイ、なんだかとても嬉しそうですね」 「え、そーお?」 メイは、くすくすと笑って、その場でくるりと一回転して見せた。それから、シルフィスの顔をひょいと覗き込む。 「でも、シルフィスも、なんか嬉しそうだよ?」 「え」 シルフィスは、瞳を瞬かせると、慌てて手を振る。 「そ、そんなこと、ないです」 「そーだよって」 メイは軽い調子で繰り返すと、シルフィスの右腕をぎゅっと引き寄せた。 「あんま、楽しいと、今日が終わっちゃうの、もったいないよねぇ」 金色を帯び始めた陽の光に顔を向けて、メイがそれでも楽しそうに呟く。 「…そうですね」 きらきら輝くメイの瞳から、太陽の方に向き直って、シルフィスは若草色の瞳を細めた。 (……もったいない、か…) 確かに、そんな風に思える。 と言うことは、やはり、自分も楽しかったのだ。 出かけるときは、実はちょっと──いや、かなり気が重かったりしたはずなのに。 それがどうしてか、考えるのは──今はちょっと、横に置いておくことにして、シルフィスは金色の髪をふわりと払った。 「また、行こうね!」 「はい、お誘いいただければ」 少女たちの楽しげな約束が、金色の夕日に溶けてゆく。 石畳に伸び始めた影を引いて、彼女たちはそれぞれの寮へ戻ってゆくのだった。 |
