中庭にて

御崎 濯      


 黄色い光の輪の中を、見慣れた光景が通り過ぎてゆく。
ゆっくりと、懐中電灯の光を左右に動かし、あたりの気配に耳をすましつつ歩く。毎日の日課として、すっかりなじんでしまった行動だ。
2階を一巡りしてテラスの鍵を確かめ、ロビーへ降りて食堂を左手に見ながら事務所へ向かう。中庭を見渡せる廊下へ出て、支配人室の前を通り過ぎ、舞台の方へ向かおうとした時   ふと、窓の向こう、中庭のベンチのあたりに目を引きつけられた。

 満月の、金色の光が降り注ぐ下に、淡く輝く銀色の髪。
まるで月の光の見せる幻のように柔らかな輪郭を見せるその輝き   
 こちらに背を向けてはいるが、その姿を見違えるわけがない。
中庭へ出る通用口を開き、芝生の上に靴を下ろす。少し考えてから、懐中電灯を消した。今夜のような満月なら、むしろ建物の中よりも外の方が明るいくらいなのだ。急ぐわけではない。ゆっくりと足を運ぶ。
昼間はこのあたりまでくると、中庭で飼っている子犬が遊んでもらいにすっ飛んでくるところだが、このごろは夜になると建物の中で眠っているらしく、姿は見えなかった。
「やあ、レニ」
ベンチの少し手前まで来たところで、声をかける。もちろん、こちらに気がついていなかったわけではないらしく、彼女は驚いた様子もなくゆっくりとふりむいてこちらを見上げる。微かな、そしてほんの一瞬の笑みが瞳に浮かぶ。
「…隊長」
「どうしたんだ?こんな時間に中庭で」
「……」
こちらがベンチに歩み寄るのにあわせるように、レニもまた前を向き直る。すぐに言葉は返ってこない。けれど、以前のように会話を拒んでいるわけではないことは、なんとなく伝わってくる。
返事をせかすつもりはない。月を見上げながら、ベンチの端に腰を下ろす。
「……隊長が、見回りにこないかと思ってた」
少しの間をおいて、いつもより少し低い声でレニが呟いた。
「…俺に、用かい?それなら、部屋に声をかけてくれれば、さっきまではいたのに」
「……」
少しの沈黙。今度は、ちょっと困っているようだ。
「…用、というほどのことじゃない…ただ…」
レニは、もう一度言葉を区切る。話すことを、頭の中で組み立てているのだろう。今まで、戦い以外で自分を表現することをほとんど求められてこなかった彼女は、自分の感じていることを表現するのに不器用だ。
「…このごろ、前にあったことを色々考えるんだ」
ゆっくりと息をつくように、レニはそう切り出した。黙って彼女を見る。
レニは、少しうつむき加減に芝生を見つめている。少年めいた服装をしているけれど、そのあごの細さ、肩の線の華奢さは、まぎれもなく少女のものだ。
「…以前、夏に…長官が撃たれたことがあった」
「…ああ」
短く相づちを打つ。レニは、少し口をつぐんでから続ける。
「あのとき…ボクは…仕方がないと言った」
「…そうだったね」
少し記憶を探ってから、頷く。長官が撃たれて、動揺していないかと尋ねたとき、レニはいつもと同じ冷静な瞳でそう言ったのだった。
「油断して撃たれる方が悪い…戦いとはそう言うものだからって…そう言った」
レニの話の向かう方向が読みとれなくて、彼女の横顔を見守る。その表情からは、まだ彼女の胸の中にある感情は伺うことができない。
「…隊長は怒ったよね…重傷で入院している人に対してなんてことを言うんだ…って」
レニは、短く息を吸った。
「あのときは、本当に…そう思ってた。隊長が怒る理由が分からなかった…。長官が撃たれたことは撃たれたことで、単なる事件だ…その後どうするかだけを考えればいいんだって…そう思ってた」
そこで、しばらくレニは言葉を切った。黙って、彼女が続けるのを待つ。
「でも…このごろ、そのことや…他のことを色々考えるようになって…ふと、思ったんだ…もし   撃たれたのが、隊長だったら、…って…」
レニは、そこで少し身体を起こして、右手の拳をそっと左胸に押し当てた。
「そうしたら   そう考えただけで…胸がすぅっと冷たくなって…まるで深い穴の縁に立ってるみたいな気がしたんだ…」
「…レニ…」
ようやく、レニの言わんとしていることが見えた気がした。彼女の言葉を遮らないように、その青い瞳を斜めから透かして見つめる。
「もし、撃たれたのが隊長で…意識がなくて入院していたら…そのときに、誰かがボクに、仕方がない、撃たれたのは隊長が悪いんだ、って言ったら   きっと、ボクは…怒ると思う…」
レニは、一瞬その場面を想像してみているかのように瞳を閉じた。
「とても腹が立って   その人を許せない…って思うと思う…ボクは   
続ける言葉を探しているのか、彼女はまたしばらく口をつぐんだ。
「…だから   ボクは…あのときのことを、隊長にあやまらなくちゃ、って…」
レニは、言葉を切ってこちらを見上げた。
「…あのときは…ごめん、隊長…」
真摯な青い瞳が、こちらを一心に見上げている。見つめ返す自分の瞳が、柔らかくなっていくのが分かる。
「…怒ってなんか、いないよ」
微笑を浮かべて、レニの瞳に頷きかける。
「…確かに、あの時は驚いたし、つい怒鳴ってしまったりもしたけど…」
右手をあげ、ちょっと頭をかいてから、言葉を継ぐ。
「でも、レニに悪気があったわけじゃないことはよく分かっているから」
レニが、短く瞬きをした。
「それに、今は、違うふうに思えるんだろう?長官が撃たれたことについても」
瞳で頷いて、レニはそっと膝の上に視線を落とした。
「あの時、レニが言ったことも、ある意味では真実さ…そして、レニがそれとは違う感じ方も分かるようになった…っていうことは、嬉しいよ」
「…違う感じ方…」
レニが、ゆっくりと繰り返しながらこちらを見上げる。
「あの時のレニが間違っていたわけじゃない…それから色々なことがあって、変わってきたけど、レニは、レニだ   それでいいんだと思う」
「……」
レニは黙ったままこちらを見上げている。その瞳に、とまどったような色が揺れている。
「ああ…俺も、うまく言えないんだけど」
照れ笑いを浮かべてまた頭をかいてから、もっとうまく伝えようと言葉を選ぶ。
「つまり…出会った頃のレニと、今のレニとが、別人になってしまったわけじゃないだろう?いろいろな経験をして、色々なことを考えて、これまでも、これからもどんどん変わってゆくと思うけど   でも、レニはやっぱりレニなんだよ。以前どんな風であったとしても、これからどんなふうになってゆくとしても…やはりレニは俺にとって、変わらず大切な   隊員で、仲間だ…いつも」
レニの青い瞳が、2,3度瞬き、ちらりと煌めくものが宿って揺れた。
「……隊長…」
レニの声の響きに、こちらの思いが伝わったことを確信する。その瞳に笑いかけながら、そっと細い肩に手のひらをおく。レニの瞳が、ふわりとなごんだ。
「…さあ、もう遅いぞ。部屋に帰ってそろそろ休んだ方がいい」
「…うん」
小さく頷く彼女を促すように立ち上がる。レニも、こちらを見上げながらベンチを立つ。歩き出しながら、冗談めかして話しかける。
「…まあ、俺も、油断して撃たれて、レニを心配させないように気をつけるよ」
「うん」
ちょんちょん、と足を早めてこちらに追いつきながら、レニはきまじめに頷いた。
「…ボクは、絶対…隊長をそんなことにはさせないよ」
「おいおい…」
苦笑して、冗談だから、と言いかけたが、レニはごくまじめな顔でこちらを見上げている。
「…隊長は…必要な人だから…ボクに   
僅かに言いよどんでから、そうしたこと自体を自分でもいぶかしむように、レニは少しゆっくりと先を続けた。
「…ボクたち、花組にとって…」
「…ありがとう」
今は、彼女の言葉をそのまま受け取って頷くことが一番いいのだろう。頷き返しながら、軽く彼女の背を掌で叩く。こちらを見上げたレニの唇に、淡い微笑みが浮かぶ。その頬が、微かにばら色を帯びているのは、金色の月の光が見せる幻ではないと思う。

 扉を彼女を先にくぐらせてから、もう一度振り返って空を見上げる。
満月に、淡い雲がかかろうとしていた。