209回 鶴見岳 

 別府市の郊外にある鶴見岳(1375b)は、
過去に何度も火山爆発を繰り返し、一方でこの街に温泉という大きな恵みをもたらしました。

この山は、別府市民と密接に関係しているのでしょう。





登山口から鶴見岳を望む

 鶴見岳の山頂まではロープウエイで行けます。
このロープウエイの駅の近くに登山口があります。





登山道

 道はよく整備されていました。





山頂

 鉄塔がいっぱい建っていました。




七福神

 山頂は公園のようになっていて、
どのような謂れがあるのか七福神の像があちこち立っていました。





由布岳を望む

眼の前に二百名山、「由布岳」が望めました。
由布院の温泉の近くに聳える山です。





スミレの一種



「九州山旅」メモ

別府に着いてはみたものの、やはり別府は都会だ。
街の中心は車だらけで、駐車するのもままならない。
市役所に着いたのだが、この日は土曜日で休み。
いつものように観光課に行って観光地図を貰うことができなかった。


計画では、二日ほどかけて別府の温泉をハシゴする積りでいたのだが、
この都会の雰囲気は私には合わない。
やはり私は、温泉は秘湯である。


私は、次の山、鶴見岳の登山口に向かった。

登山口は別府市の中心から2`もなかった。

この山は別府市民の山である。
神戸の六甲山というところか。


鶴見山はロープウエイで登れる山である。
そのロープウエイ駅の横が登山口になっていて、駅の周りは広大な駐車場であった。
地面がコンクリートの所と芝生の所があって、
「登山者は、芝生が植わっている所に停めてください。(無料)」と書いてある。

私はその芝生の真ん中に車を停めてテレビの映りの良い場所をさがした。
広い芝生には私の車のほか二、三台の車が駐車しているだけであった。
ここが今夜の宿である。


私は酒を飲みだし、食欲が出たところでコンビニで買った弁当を食った。
最初ビールを飲み、それから日本酒にし、最後にウイスキーに変わっていた。


いい加減酔って、うつらうつらしていたと思う。
外は暗い。
車のガラスをたたく音がする。
私は眼が覚めてウインドウを開けた。


「ここは夜間、車を停めてもらっては困るのです。」

「どうして、こんな広いところに停められないのでか。」

「決まりです。」

「私は、動きません。お酒をのんで酔っていて車は動かせません。」

「警察を呼びますよ。」

「呼びなさい。」

30分ほどして警察が来た。

冒頭に私は、「あなた達も暇なのか、
こんな詰まらないことでよく出てくるな。」と言ってやった。
酔った勢いだ。記憶が定かでないが、確かその様に言ったと記憶する。
息子が聞いたら怒るだろう(息子は警察官である)。


「市民の要請があれば仕方がないのです」

いやに丁寧である。

「免許書を見せてください。そして車を移動してください。」

「私は酔っているから車は動かせません」

「それでは我々が動かします。車のキーをください。」

というような訳で、車が動いたようだ。
私は寝たままで、どこに動いたかは分からない。明日起きれば分かるだろう。

私はいい加減酔っていて、記憶が定かでない。


4月30日(日曜日)  快晴

 翌朝、眼が覚めてみると、車が移動したのは極わずかである。
50メートルほど離れたところがゲートになっていて、
そのゲートの前に停まっていた。しかし、そこは道路の端である。
とにかく当該の敷地から外に出た所に移動させたようだ。
警察がこんな所に車を停めるというのも、別府も田舎だと言うことか。
大都会では考えられない。



 鶴見岳には7時ごろから登り出し、山頂には9時に着いている。

 途中の山道はよく整備されていて歩きやすい。
毎年春に、別府市民が山頂まで駆け上がるという一気登山という催しがあるとか。
この山は市民の山である。
山頂はローブウエイの終点で、公園のようになっている。
誰でも容易に来れる場所である。


 登りは二時間を要したが下りは一時間半で、11時に下山している。
登山口のレストハウスで食事をした。
すぐに車を動かすので、ビールは我慢した。




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鶴見岳山頂

別府市の郊外に鶴見岳があります。
標高1000bを越す山ですが、
山頂はご覧のようにNHKの鉄塔が立っていて、興ざめです。


(今回の山 209回鶴見岳)

(追加:その他6 春の花)

(前回の山 121回英彦山)

 今回は、あまり良い写真がありませんので、
その他6で「春の花」を載せました。



近況 (平成19年4月16日 記)

 

4月の始めに紀伊の山に出掛けたのですが、途中で帰ってきています。
実は、眼がおかしくなったのです。
現在、神戸大学医学部付属病院で治療を受けています
(詳細は下の「折々のこと」参照)。


眼の患いで、今年の登山計画がどのようになるのか、気になりますが、
多分夏の計画は変更する必要はないでしょう。
とに角、今年中に百名山を登ってしまう積りです。


眼の治療が五月の初めまでかかりますので、遠出の旅は出来ません。
それでこの際、歯の治療もしておこうと思いました。
歯の方は一週間に一度行きます。


しかし、紀伊の山は近いので、
良い天気を見計らって出掛けることが出来るでしょう。


神戸大学付属病院の医者は、
網膜剥離と酒とは関係がない、と言うものですから、
酒は飲んでいます。




折々のこと

「網膜剥離」

 今から20年ほど前「網膜剥離」という眼の病を患いました。
網膜が剥がれて、失明することがあるのです。
その当時、私は「網膜剥離」という医学用語は知りませんでした。

私の場合は、右の眼の視野が半分、真っ暗になってびっくりして、
近所の眼医者に行きました。
医者は、診察の後、ここでは治療できないと言い、
神戸大学医学部付属病院に電話して、直ちに入院、手術だと言います。

 私はその日のうちに入院しました。
そして、病院の定めた次の手術日(火曜か木曜)に手術しました。

 眼の手術ほど「えげつない」手術はありません。
今から
20年前のことで、今は、どのような手術か知りませんが、
その当時は、手術の時に両手に棒を握らされたものです。
なぜ棒を握らせるのだろうと思ったのですが、
それは、手術の激痛に耐えるためで、痛かったら棒を握れというのです。
確かに、気を失うほどの痛みでした。


おまけに、眼の手術ですから眼を閉じることが出来ません。
手術を見ながら手術を受けるのです。
2時間ほどの手術でしたが、最後の方では部分麻酔も切れてきて、
この世のものとも思えない苦痛を味わいました。
もう、二度と眼の手術は御免こうむりたいところです。


今から20年も前の話で、
最近ではどちらの眼を手術したのか分からないほど良くなっています。
手術直後は、視力も悪く、像が縮むのです。
医者は、「これはこんなものです」とそっけない返答でした。
この医者の言葉はウソで、4、5年すると視力も像も回復したのです。


網膜剥離の前兆というものはあるのです。
眼の奥が熱をもって、ポアンとしてきます。
ポアンと言っても当人しか分からないでしょうが、これが前兆です。


今回の紀伊の山行きで、二つ目の山、大和葛城山に登る頃から、
このポアンを感じていました。
いや、正確には神戸を出る頃から車の運転感覚が、
いつもと違うと感じていました。

しかし、これが例のポアンと結びつかなかったのです。
なにせ、今から
20年前の話です。

葛城山に登りながら、左眼の異常を感じ、
いろいろ考えながら歩いていたのですが、
そうそう、この感じは網膜剥離を起こした時のあの感じ(ポアン)
であることに辿りついたのです。

そうなると、気になり出します。
網膜剥離の手術はこりごりです。


葛城山の次は龍門ガ岳で、
私は、その時、既にその麓の温泉に来ておりました。

私は、そこで一泊して、翌朝、神戸に帰り、
神戸大学付属病院に行くことに決めました。


翌日、5時半に車を出し、神戸に向かいました。
しかし、2キロほど走ったところで気が変わりました。
その日は一点の雲もない快晴です。
今までの二回の山は、必ずしも天候に恵まれず
(また、寒くて雪がちらつくことが多かった)、
今日のこの天気を見逃すのは惜しい、と思い始めたのです。
それで、車を龍門ガ岳の登山口に方向を変えました。
この山に登ってから病院にいっても遅くはあるまい、と思い出したのです。


しかし5キロほど走ったところで、やはり左眼がおかしいと感じ出します。
今まで見たことがない蚊も飛んでいます。
目玉の中に大きな蚊が飛んでいるように見えて、
これも網膜剥離の前兆です(飛蚊症)。
そう思うと、いよいよ気になります。
手術の恐怖が蘇って来ます。

それで私は、再度、神戸に車の向きを変えました。

最短の高速道路を飛ばして帰ってきました。


神戸には午前八時過ぎに着いています。

自宅で朝食を取り、神戸大学付属病院には9時半ごろ着きました。

受付で手続きをすると、
「以前に当院で手術を受けていますね、記録を探します」と言われる。
そんな古い記録を残しておくものだろうか。


2時間ほど待たされて、診察を受けました。
案の定、網膜に穴が空いていて、ほって置けば剥離するのです。
それで、レーザー光線を穴の周りに照射して固定することになりました。
レーザー照射は以前の手術の時にも受けたことがあります。


これはレーザー光線をピンポイントに照射して
網膜を焼いてタンパク変性を起こさせ、固定するのです。
いわば鋲を打って鉄板を固定するようなものです。
今回の場合は
100発ほど照射することになりました。


話はそういうことですが、
このレーザーを照射される側(私)は簡単ではありません。
随分辛いのです。


眼の瞳孔を薬物でいっぱい開かれて(散瞳)、
激しい光が眼底に向かって発射されるのです。
一瞬、閃光が走り、頭がくらくらします。
痛みも伴います。
それを
100発受けるのです。
まぁ、手術のことを思えば天と地ほど違いはありますが、
やはり辛いことは辛いのです。


不幸と言うべきか、運が悪いのか、
今回、このレーザーを照射するのに医者が
3人代わっています。


レーザーの照射は、最初、眼球の表面にレンズのようなものをくっつけます。
また、そのレンズの抵抗感をなくすために痛み止めの目薬をたらします。
それから、そのレンズを通して目的の網膜の穴を探すのですが、
最初の若い男性の医者は、
「私には手に負えるので、ベテランに代わってもらいます」と言います。
どうして手に負えないのかと聞くと、
あなたの場合は、テクニックを要すると言うのです。


次の医者は、女性で、私の目を覗き込み、どうも苦労している様子です。
私としては、眼にレンズをつけられて眼から涙が出てきます。
医者はレンズを取り外し、別のレンズをつけて再度、覗き込みます。
上を見よ、右上を見よなどと言うのですが、
一向にレーザーを照射する気配がありません。


最後には部屋から出て行ったきり帰ってきません。
そして、今度帰ってきたときは、教授らしき年配の医者と一緒でした。

結局、この年配の医者がレーザー照射したのです。
しかも、
100発を打つのに時間を要しました。
以前は連続的に照射したと思うのですが、今回は休み休みレーザーを打つのです。


以上のように三人の医者が私の眼を見たのですが、
いずれも、最初にやることは同じで、
先ず、眼の表面にレンズのようなものをくっつけ、
そのレンズを通して目的の穴を探すのです。
強い光を眼に当ててあちこち覗くのです。
患部の左眼だけではなくて、昔手術した右眼まで見ます。


この同じ操作を3回やられたのは、三人の医者に変わったからです。
一人なら一回で済んだ筈です。

三人の医者に覗かれて、網膜は強い光にさらされ、
その網膜の所有者たる私はくたくたです。


最後の年配の医者は、分かっていたのでしょう、
照射している最中に「我慢できますか」と何度も聞きました。
私は「何とか、手術を思えば」と答えました。

終わった時には私は、やれやれ、という思いでした。

最後に医者は、「今回のレーザー固定を行ったことで、
他の場所が剥がれやすくなることが考えられます。
数週間、様子を見ましょう」と言われます。



私としては、今年の山登りがどうなるのか、それが気がかりです。