書評・参考文献 (記事/論文編)


戸塚悦朗 『禁止されていた重大違反行為被害者の個人請求権放棄』
    戦争責任研究(日本の戦争責任資料センター) 第30号(2000年冬季号)

日本政府が、元「従軍慰安婦」(日本軍性奴隷被害者)をはじめとする、あらゆる被害者に対する謝罪・補償を拒んできた論理の根幹は、「条約の抗弁」(すべての補償問題は、サンフランシスコ平和条約および二国間条約によって解決済み、という主張)である。 従来、この「条約の抗弁」に対しては、サンフランシスコ平和条約や二国間条約では性奴隷被害者問題は一切論議されていないこと、日本軍性奴隷のような国際人道法への重大違反行為はユスコーゲンス(強行規範)違反であり、条約による補償請求権の放棄は無効であること、などを理由とした厳しい批判が行われて来たが、この戸塚論文は、1949年のジュネーブ第4条約に着目し、この条約中の重大違反行為に由来する個人被害者の権利放棄を禁じた条項の存在により、「条約の抗弁」は成立し得ないことを従来以上に明快に示した点で、極めて重要なものである。
その論理を簡単に紹介すると次のようになる。
  1. ジュネーブ第4条約7条(1)は、「被保護者の地位に不利な影響を及ぼし、またはこの条約で定める被保護者に与える権利を制限する」いかなる特別協定の締結をも禁じている。 加害国の責任を免責し、結果的に被保護者の権利放棄を許容するような協定はこの条項に違反する。
  2. 日中共同声明が発表された1972年までに、日中両国は共にジュネーブ第4条約を批准していた。
  3. 従って、日中共同声明中の「中華人民共和国政府は、…日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」という部分は、戦争被害者個人の補償請求権まで放棄したものではないと見なさなければならない。
  4. サンフランシスコ平和条約は、締約国がそこで定めるよりも大きな利益をいずれかの国に与えた場合、「これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼされなければならない」という、最恵国待遇の保障規定を定めている。(26条)
  5. 仮にサンフランシスコ平和条約における連合国国民の請求権放棄が有効であるとすると、被害者個人の請求権を放棄していない日中共同声明(および同声明に基く日中平和友好条約)によって、日本は中国に対して、サンフランシスコ平和条約で定めるところよりも大きな利益を与えたことになる。
  6. 従って、前記26条の規定により、サンフランシスコ平和条約加盟国も同等の利益を与えられるべきであり、連合国国民の個人請求権も放棄されていないと見なさなければならない。
戸塚氏はこの論文に示した内容を2000年夏の国連人権促進保護小委員会に日本友和会からのNGO文書として提出し、同文書は公式文書として同委員会に配布されている。 もはや日本政府による「条約の抗弁」は論破されてしまったのであり、これ以上の責任逃れの繰り返しは許されない。 「条約の抗弁」を前提とした民間基金政策(「女性のためのアジア平和国民基金」など)の欺瞞性もますます明確になったと言える。 なお、ジュネーブ第4条約146条は、締約国には重大違反行為を犯した加害者個人を処罰する義務があることを定めている。 (2000.12.30)

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