発生日・場所 『週刊女性』 2001年11月6日号 (インタビュー記事)
キーワード [ババァ]
内容

これは僕が言ってるんじゃなくて、松井孝典が言ってるんだけど、文明がもたらしたもっとも悪しき有害なる物はババァ≠ネんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です≠チて。男は八〇、九〇歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって……。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。
 まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。

関連発言

2001年10月23日、東京都「少子社会と東京の福祉」会議で:
 この間すごい話をしたんだ、松井さんが。私は膝をたたいてその通りだと。女性がいるから言えないけど…。本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しかも人間であるということだけでいろんな消費を許され、収奪を許される。特に先進国にありうるわけだ。でね…、やっぱりやめようか(笑)。あれが実は地球の文明なるものの基本的な矛盾を表象している事例だな。

2001年12月11日、都議会定例会での答弁:
 次いで、私の週刊誌等の発言についてでありますが、これは私が一時間余、松井教授とMXテレビで話をしました。その後、それがどういうふうに編集されたかはわかりませんが、人間の存在をめぐるこの地球の環境悪化について、惑星物理学の泰斗であります松井さんからいろいろ話を聞いて、慄然とした思いでありました。その話の連脈の中で、彼はかなり思い切ったレトリックで、人間がいかに地球にとって尊大で、傲慢で、自然の共存の循環その他を壊してきたかという話をしております。
 結論から申しますと、今のご質問は、私の発言のごく一部を引用しているだけで、極めて恣意的といえば恣意的ですが、卑劣なデマゴーグ的な手法で、これは私は非常に危険な発言の構造だと思います。

 それを、私は他の座談会なりにわかりやすく説明したつもりでありますけれども、それを共産党がどう解釈するか別でありますが、いずれにしろ、私が思わずひざをたたいたゆえんの一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いたうば捨て山という、あの、要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年とった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、その松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです。
 ゆえをもって、私はそれを私なりに受けとめたわけでありまして、あなたは何か私の発言を撤回しろというけど、私は私で女性を敬愛しております。ゆえに私の発言を撤回するすべもございませんし、する必要もないと思います。

引用元とされた
松井氏の言

月刊『自然と人間』2003年2月号より:
 引用元とされた松井教授に、石原氏の発言について電話で聞いた。
「これはコメントしようがないね…。石原氏の発言を見ると、私の言っていることとまったく逆のことだからね。私はこういう言い方はどこでもしたことはないし、おばあさん仮説という理論を私はいろんなところで話しているから、それを見てもらえば分かるでしょう。」
 松井氏が「おばあさん仮説」について語った記録を読むと、確かに、そこで語られている内容は石原氏の理解とは完全に異なっている。たとえば、松井氏は都内の講演会で次のように語っている。
 「おばあさんが存在すると、おばあさんの経験が活かされ、次の世代の出産はより安全になる。さらに、おばあさんに子供の世話をしてもらえるので、次の出産までの期間が短くなり、出産回数が増える。これらは人口増加をもたらす。こうして人口の増えた現生人類は世界中に散らばり、その過程で様々な道具を生み出し、さらに脳の回路が繋がり、言語が明瞭に話せるようになったことで、抽象的な思考ができるようになり、人間圏をつくるまでに繁栄したと考えられる。」

コメント

 素朴な疑問なのだが、この人は、自分の母親や妻に向かって、「お前が生きているのは無駄で罪だ」と言えるのだろうか。これは要するに「早く死ね」ということである。
 言えるのならまさに人非人だし、言えないのなら究極の差別者。どちらにしてもロクなもんじゃない。
 しかもこの人、言いたいことを自分自身の言葉として堂々と語ることもできないらしい。小心者の卑劣漢である。自説を歪曲されて利用された松井氏には、何ともお気の毒としか言いようがない。



[ UP ] [ HOME ]