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2001年10月23日、東京都「少子社会と東京の福祉」会議で:
この間すごい話をしたんだ、松井さんが。私は膝をたたいてその通りだと。女性がいるから言えないけど…。本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しかも人間であるということだけでいろんな消費を許され、収奪を許される。特に先進国にありうるわけだ。でね…、やっぱりやめようか(笑)。あれが実は地球の文明なるものの基本的な矛盾を表象している事例だな。
2001年12月11日、都議会定例会での答弁:
次いで、私の週刊誌等の発言についてでありますが、これは私が一時間余、松井教授とMXテレビで話をしました。その後、それがどういうふうに編集されたかはわかりませんが、人間の存在をめぐるこの地球の環境悪化について、惑星物理学の泰斗であります松井さんからいろいろ話を聞いて、慄然とした思いでありました。その話の連脈の中で、彼はかなり思い切ったレトリックで、人間がいかに地球にとって尊大で、傲慢で、自然の共存の循環その他を壊してきたかという話をしております。
結論から申しますと、今のご質問は、私の発言のごく一部を引用しているだけで、極めて恣意的といえば恣意的ですが、卑劣なデマゴーグ的な手法で、これは私は非常に危険な発言の構造だと思います。
…
それを、私は他の座談会なりにわかりやすく説明したつもりでありますけれども、それを共産党がどう解釈するか別でありますが、いずれにしろ、私が思わずひざをたたいたゆえんの一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いたうば捨て山という、あの、要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年とった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、その松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです。
ゆえをもって、私はそれを私なりに受けとめたわけでありまして、あなたは何か私の発言を撤回しろというけど、私は私で女性を敬愛しております。ゆえに私の発言を撤回するすべもございませんし、する必要もないと思います。
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