ピープルファーストに行ってきました!!
6月9日(土)10日(日)に広島市内で行なわれた、ピープルファーストin広島に、とびたつ会の関係者総勢21名で参加しました。
当日は約600名の人があつまり、自立支援法がはじまってからの生活の大変さなどについて意見を交わしました。

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 牛窪さんの感想

 ピープルファーストin広島の感想
牛窪 敏志
6月9日に久しぶりに、JR町田駅に集まって、ピープルファースト in広島に行きました 最初は横浜線で移動をしました! 堀さんに写真をとって上げる話しをしながらしてると目的地の新横浜に着きました。ちょうどお昼ご飯なので、みんなでランチタイムの用意をしました! 僕は前回に お金の使い方に失敗をしたので、美空のKさんにアドバイスを聞いたのでころ得ていました。なるべく安い弁当のチャーハン弁当を買いました。ビールは悪酔いしたらいけないので、一本です、それとお金がなくなったら困るでこずかいがなくなったら?元の木阿弥になるので、節約しました。新幹線に乗ったら
窓を見ていたら、雨が降ってきて(このままだと、会場は大雨?)窓を叩いていました。着いたら、すっかりはれていて、よかったです。会場では、重たい話しばかりです。自立支援法の話で被害にあっている人の話や、施設に入った人の虐待のあった話しを 聞いたりしました。僕も、施設ではどのような? 虐待がおこなわれて、いるのか? 知りたかったです それとその怒りで一杯でした!
後でとある、男たちはお好み焼き食べに行こうとしたのに、その店がしまっていたので、会場のホテルのお好み焼き店に食べに行って、お好み焼きを食べました味はまあまあでした そのあと交流会で、食べ物がなくなってしまうので 先に食べに行ったのです 交流会では、沢山の食べ物とお酒がでました。みんなへべれけになって いました
中の出しものは ダンスの出しものでした

6月十日 2日目 僕たちは会場のホテルで、夜を過ごし そのホテルは綺麗な豪華なホテルで、お陰で 朝はすばらしい朝を迎えました。しかも、側には海が見えるのです。部屋には海が見えるので よかったです。僕は朝早く、起きたら、外に出て、ナビを持って 港をさんぼをして、携帯に写真を撮りました 朝食が近いので、部屋に戻りました。朝食はバイキングでラウンジで朝食を食べたら、外が見えるのでゆっくり食べられました
文化会は広島の原爆と戦争に行きました 広島は世界で被爆を受けました。当時の広島の人々はアメリカの爆撃で被爆をして酷いやけどをしたり、体に放射能の影響が出たりして 死んでいったです。その原因は日本の侵略で世界が日本に怒りをしたのでした。それで広島に原爆を落としたのでした。この後で、その事実を間野あたりにするのでした。それで、広島の平和記念公園に行って戦争の恐ろしさと悲しさを知りました此処でいくつかの命が散って行ったのでしょうか?
また、戦争で散って行った若い命も… そう思って、資料館を見ました!




 今田さんの分科会感想

今田 義寿
11月6日7日と、ピープルファスト大会in徳島に参加をしました。
2日目の分科会は、ぼくと、杉本直美さんと、橋本さんの3人で参加をしました、「サン・グループ事件」についてのビデオを見ながら説明をしました。最終的にはくにとかの責任を認めているのに和田さんは認めようとしません。みなさんはどうおもいますか・・・・。次に「子殺しについて」にうつり、「障害」児殺し事件をどう受けとめるか、当事者が親に殺される事件が立て続けに起こりました。その仲の「減刑バンザイ」について、2003年7月に起きた事件で、父が14歳の実の息子を殺害したという事件です。一人で三人の子供と暮らしていて真夜中にどうしても先行きが立たない、あるいはこの子も死んだほうが楽だろうということで、エプロンの紐でその子の首を締めて殺してしまうわけです。それに対して、直後から地元の人や県の身体障害児の親の会から減刑嘆願運動が起こりました。一つは地元の町内会の婦人会の人たちが起こした嘆願運動なんですが、まだ下に小さい子供がいるので早く家に返してやってほしい。親の気持ちも良く分かるので罪をできるだけ軽くしてほしいこれに対して、脳性マヒのひとたちのしゅだんである。「青い芝の会」の人たちが減刑反対というよりも人を殺せば死刑、または無期懲役、もしくは三年以上の刑に処すると書いてあるではないか。なぜ障害が重いからといって普通に考えて、人を殺すということに対する刑として、なぜそのような軽い処置をするのか言ったわけです。その減刑運動のおかしさもさることながら、減刑運動を起こした人たちが、二人の重い障害の子供を支えてほとんど一人で子育てあるいは介護をしているときに、いったい地元の人たちはどう言う風に、その人を助けたのか。それについては全くなくて、こういう事件が起きるとお母さんがかわいそうだといって、減刑運動をやって執行猶予の軽い刑罰で済んでよかった良かったとなる。「それが問題なんだ」といってるわけですね。「重症児殺しの母親を取り巻く地域社会のあり方だった。母親を重症児殺しにまで追い込んでいったのは、他ならぬ地域社会の目であった。すなわちモノをつくり出す能力が無いもの、あるいはモノつくり出す能力を妨げるものとして、身体障害者をあくとする健常者の論理だった」と、「青い芝の会」の人たちが書いた機関紙に書かれています。ほんとうにしんどいときには支援がないままであったのに、事件がおきたら減刑運動をやって、いい事をしたようになって結果的にそれが功奏すると「良かった良かった」で終わってしまう。ある障害児の親の会の人がいうには「あなたたちの言うことはもっともだ。確かに人を殺すことの罪は,不問にするひとはでない。あなたたちのいうことは正しいだけども、あなたたちは今自分の考えを主張することができる。しかし、いま私が育てている子供は重症児でモノも言えない。それで、どこからも支援が無く、自分ひとりで自分の想いを表現することもない重い障害を持っている子供を一人で育てているときに一番大きな問題は、施設が無いことだ」行政はもちろん最低限のセイフティーネットという物の整備をする責任を持っているはずですが、しかし、行政がいくら制度的な整備をしたとしても解決しない問題が残る。それはわたしたちの意識なんです。その意識はなんに支えられているのか、言葉では言えますが、梅谷さんところの毎日の生活、尚司さんを取り巻く家族も含めた生活を支えるということについて、わたしは協力というか常に歩むということをやってないわけだから、なかなか言えないんだけど、しかし課題としてあるのは当事者運動の人を含めて具体的にどうしていこうかということを、やっぱり打ち出していくことしか変える道がないというふうに思うんですね。それはとっても難しいんです。結果として、神戸地裁は、この件に関して「懲役三年、執行疾呼猶予五年が妥当である」という判決が下りました。このことに対して、僕は、複雑な心境で分科会を過ごしました。確かに同情をするよね。一年にして365日時間にして8760時間それが毎年でしょう。もしも、僕が知っている人があったりしたらどうするだろうか。何ができるのかでも、今云える事は直美さんが言っていた様に私達が声を上げていくしかないだろう。今、私達ができることは、そこまで追い込まれる前にちゃんとしたサポートができる地域を作っていかなければいけないと、思うから今、出来る事をやっていきたいと思います。



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