<今月の言葉:2003年11月>
一国の価値は、つまるところ、それを構成している個人の価値にほかならない。
ジョン・スチュアート・ミル
<意味も無く(^^;)今月の花:ツバキ> |
このページは当HPの管理者が月々徒然なるままに 他愛も無いことを書き連ねるページです。とはいっても、 どーしようもないことは普段掲示板に書き散らしているので、 古(いにしえ)の識者・賢人のお言葉を借用しながら、 少しはもっともらしいことを書くことになっとります。 さて、今月はMACS YOKOHAMAの チーム創立1周年にあたる月です。 ならばそれにふさわしい言葉、 というわけで選んだのが上記のJ・S・ミルの 言葉です。 見ただけでどういう話の展開になるか すぐわかりそうな言葉ですが(^^;;)、 まずはいつもどおり言葉の背景からはじめましょう。 今回は古典派経済学史や19世紀の西洋思想史の お話になります。 ちょっと長いですがまあ気長に 付き合ってください(^^;;)。 |
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1.古典派経済学 ジョン・スチュアート・ミル、略してJ・S・ミル、(このページでは更に略してミル(^^;;))は 19世紀の英国の思想家です。この人の著作でもっとも有名なのは『自由論』と『自伝』。 ちなみに岩波文庫の『ミル自伝』の紹介文には以下のように記されています。 経済学者として,思想家として,また論理学・哲学・倫理学・文芸評論・宗教論争で 大きな業績を残したジョン・スチュアート・ミル(1806―1873)。 どの分野でも,それぞれ一人の人間が一生かかるほどのことを見事に成しとげた 驚くべき彼の力の秘密はいったいなんであったのか。 あらゆる自伝中の白眉と称えられる精神の発展の記録。 「ミル」は中学校や高校の世界史の教科書で必ず出てくる名前です。 でも、ほとんどの方々は覚えてないですよね(笑)。なにしろ教科書にはこの時代の 思想家と代表的な著作の名前が列挙されるだけ。無味乾燥で英単語を覚えるようなものですから。 そして、その割には期末試験などに以下のような形でしっかり出題されます。 【問題】以下の人名に関係する書物の名前をa〜dから選んで埋めよ。
a.自由論 b.諸国民の富 c.人口論 d.経済学及び課税の原理 もちろん大概の人は鉛筆を転がして解きます(笑)。そして試験が終わった後にボヤくわけです。 「あ〜あ、今回もヒドイ目に遭ったなあ・・・」(涙) でも、このへんの思想史はきっちり調べると本当はもっと面白いんですよね・・・・。 以下、HP管理者(のんぶれす)が学生時代に習ったことをベースに ざっと御紹介しましょう。めんどくさいので大雑把な記憶だけを頼りに・・・(^^;;)。 19世紀、世界で最初に産業革命を経験した英国は、蒸気機関を動力とする工場で いろんな工業製品をバンバン製造して、それを世界最強の英国海軍に護られた商船隊が インドや中国の植民地にバンバン売りつけました。その結果、英国は瞬く間に 豊かになり、世界に冠たる”大英帝国”になりました。 そんな感じで豊かになってくると、モノやお金がどういう形で交換され流れていくのか、 そのメカニズムを考えようとする御仁(暇人?)が現われます。 これがまあ、経済学の始まりで、一番最初がアダム・スミス。 『諸国民の富』(別名『国富論』)の中で、 自由な生産者と自由な消費者が、何の制限も無い市場において取引を行う場合、 供給側と需要側のモノの価値や量によって価格が上下し、 最終的には最も合理的・効率的な価格で取引がなされる、 ってなことを書きました。スミスは国富論の中でこの価格決定のメカニズムを 「神の見えざる手」と表現しました。 #余談ですが、「神の見えざる手」って結構使える言葉ですね。 # 「アンタ、いまワタシのお尻さわったでしょ?」 # 「えっ、そんなことするわけないだろ、きっと「神の見えざる手」だよ」 # 「馬鹿言ってんじゃないわよ!」バコッ(殴る音) #あれれ・・・イマイチ良い例ではありませんでしたね(^^;;)。 さて、アダム・スミスによって始まった古典派経済学は、そのあと 他の思想家たちによって膨らんでいきます。 その代表的な思想家グループに功利主義のグループがいました。 2.功利主義 功利主義は、ジェレミイ・ベンサムという思想家によって始まった倫理学です。 基本的な考え方は下記のようなものです。 個人の行為にせよ政府の施策にせよ結果が関係者全員にとって 最善になるものを行なうべきである。 つまり「最大多数の最大幸福」を目指すべきである。 ふーん、なるほど、ごもっとも。・・・と言いたいところですが、 一見もっともらしく見えるこの考え方もちょっと突っ込んで考えると とたんに困ってきます。そもそも「最善」とは何をもって「最善」なのか? このへんの曖昧なところから功利主義の思想家は同じ功利主義でも 言っていることがまるでバラバラになっていきます。 たとえば今回の主人公J・S・ミルなどは 「太ったブタよりも痩せたソクラテス」とかなんとか 訳のわからぬことを言っております・・・。 まあ、それは置いておいて、 このベンサムを総帥とする功利主義チームのサブ代表ともいうべき存在が ジェームズ・ミル、つまり今回の主人公・ミルのお父さんです (以下、こちらは略して「父ミル」としますね(^^;;))。 父ミルはどんな感じのオジさんだったかというと、一番ぴったりくるのが 「巨人の星」の星一徹氏ですかね(笑)。 とにかくおっかないおじさんだったようで、年中怒ってばかりいました。 奥さんが何かヘマをするとチャブ台を吹っ飛ばし、 息子のミルが勉強をサボるとチャブ台を吹っ飛ばし、・・・まあそんな感じです。 おまけに「俺と論争するヤツは必ず死ぬ」という感じの強烈無比な論客でもありました。 そんな父ミルと代表ベンサムは、功利主義の観点からスミスの経済学を仕立て直します。 また、東インド会社に勤務していた父ミルは植民地であるインドからの収集情報を整理して 『英領インド史』とかいうたいそうな本も著しインドの権威となりました。 #でも御当人は一度もインドに行ったことがなかったんですが・・・(^^;;) ところで、この時代はまだ経済学以外の諸科学が初歩or誕生前だったこともあり、 功利主義チームの皆さんは経済学以外にもいろんなことを考える必要がありました。 たとえば、功利主義の考え方の「人間は・・・・するべきだ〜」を現実的なものにするためには、 人間心理のメカニズムにも何かしらの説明が必要になってきます。 まだ心理学とか精神分析とかが生まれる前の時代です。 功利主義の面々は「観念連合心理学」という原始的な心理学の考えを編み出しました。 これはどんな考え方かというと、 人間の心理はパーツ(観念)の鎖のようなものである。 生まれたばかりの赤ん坊は観念ゼロでスタートする。 そして、たとえば「リンゴ」という観念と「美味しい」という観念がインプットされ、 何かのはずみでつながったりすると、この子は「リンゴは美味しい」と思うようになる。 こういう観念とその連鎖は日々の暮らしの中でどんどん大きくなっていく。 そして、すべての人間の心理や行動はすべて各自の巨大な観念の連鎖によるものである。 うーん、そうかなあ、と思う人もたくさんいると思いますが、 まあ彼らはそんなふうに考えたんですわ(^^;;)。 #ついでに言うと、 #彼らは神が世の中をどう創ったかで理神論とかいう考えをまとめたりしています。 #それから、ベンサムはどういう経緯からか知りませんが、合理的な刑務所(?!)の #設計論まで展開しています。これは看守の部屋を中心に牢屋が放射状に配置されている #刑務所で、これだと少ない看守でより大勢の牢人を監視できるんだそうな。 #ふ〜ん、そいつは良かったねえ・・・という感じですが(^^;;)、 #網走に保存されている史跡・旧網走監獄はたしかにそういう構造をしています。 さて、ここでようやく主人公のミルが登場します。 3.J・S・ミル ミルは前掲の恐怖のおじさん・父ミルの息子として1806年に生まれます。 彼の人生を知る上で最も参考になる資料、それは彼自身が書いた『自伝』です。 有名な著作でいまでも岩波文庫で『ミル自伝』として発売されています (ひょっとしたら絶版かも?)。 さて、功利主義思想家チームのサブ代表・父ミルの子供として生まれたミルですが、 この子をどう育てるか?。ジョー・ディマジオのような偉大な大リーガを目指すか? それともマイケル・フェルプスのようなトップスイマーにするか? もちろん父ミルはそんなことは考えませんでした。 彼は子ミルを自分達の功利主義チームの次世代エースとして育てようとしました。 それも、例の「観念連合心理学」の理論にきっちり従って。 つまり幼少の時期から「卓越した観念連鎖」を作ることを狙って純粋培養で徹底した 特別早期教育を施しました。 どんな教育だったか?。 それはそれはすさまじいものでした。 「大リーグボール養成ギブス」とかいうかなり無茶な筋トレ器具で身体を縛り上げ、 来る日も来る日も「重いコンダラ」(?)を曳かされた星飛雄馬氏もビビリあがるような 恐怖のカリキュラムです。 3歳でギリシャ語を叩き込まれ、幼年期にはギリシャ古典を一通りカバー、 さらに8歳ぐらいにはヘロドトス・ディオゲネス・プラトンと進んで 論理学とかもちゃんと勉強して、午前は語学、午後は父ミル相手に 討論して論理的思考を徹底的に鍛えあげられる・・・という感じ。 さらには、昼食後に必ずボクシングのスパーリング30分、 夕食前には1分サークルのインターバル練習を60本やっていたという説もあるが、 これは嘘かもしれない(笑)。 とにかくこれで10代前半(まだガキ)の時にはすでに 父ミルやベンサム代表といっぱしの議論ができるようになったらしいんだが、 「デビット・ベッカム選手はR・マドリッドに移籍するか?」というような世俗的な話題には まったくついていけない変な子供になってしまいました。 (なんと幼少期のミルは同年代の子供たちとの交流を一切禁じられていたのだ) さて、これでうまく功利主義チームの次世代エースが誕生すれば良いのだが、 誰もが思う通りこういう教育はかなりアブない。 案の定、18歳ぐらいでミルは心がおかしくなります。 『自伝』の中で彼はこれを『精神的危機』と表現しました。 4.『精神的危機』と自伝の初期草稿 思春期を迎えいろんなことを自分なりに考えられるようになったミルは、 ふつーの人とはかなり違う特別早期教育を受けた自分自身が判らなくなってきます。 そりゃそうだ。 美しい夕焼けの景色を見て、「これを美しいと思えるのは オヤジが叩き込んだ観念連鎖のおかげ〜」などと考えるととたんに興冷めします。 あるいは、 「魅力的な異性を見てセガレが元気になってしまうのも オヤジの築いた観念連鎖のせい〜〜〜〜??」 まあ、そこまで助平なことを思索したかどうかは判りませんが(^^;;)、 とにかく行動意欲ががっくり落ちて勉強も討論も身が入らない。 もちろん半フリのタイムも2秒ぐらい遅くなったとか(これは嘘か・・・)。 とにかくミルは情緒不安定となりかなり精神的に落ち込んだ状態となりました。 この時代にまだ金属バットが発明されていなかったのは父ミルにとって かなりラッキーだったのかもしれません。 しか〜し、『自伝』によると、数ヶ月後になんとなく元気回復して その後は勉強だけでなく詩を楽しんだり乗馬をしたりもう少しマシな 人間になったのでした、メデタシメデタシ・・・ということなんだそうだ。 でもここが、ミルの研究家にとっての最大の論点。 この話、ちょっとキレイすぎるんではないか? 仮にも『精神的危機』などという大それた名前で呼んだ情緒不安定が ある朝目が覚めたらきれいさっぱり晴れました〜、なんてことがあるもんか。 きっと『自伝』では何か重大な事実を隠しているに違いない、というわけです。 というわけでミル研究家が見つけ出したのが『自伝』の初期草稿。 これをじっくり調べ上げた研究者達は、『自伝』公刊前に抹消された 注目すべき記述を発見したわけですわ。 「ある晩、○○の物語を読んでいたら主人公が父の臨終を看取るシーンに 行き着いた。そこを読んだ瞬間、自分の目から涙がとめどなく流れ落ち、 いままで心を覆っていた重い雲のようなものが晴れていくのを感じた」 この記述をどう評価するかで研究者の議論は分かれるようですが、 まあフツーに考えれば、ミルは読んでた本で父の死を疑似経験し、 ようやく恐ろしい父の呪縛から解放された、というとこですかね。 ひらたく言えば、 「イメージの中で憎っくき恐怖オヤジを金属バットで殴り倒したらすっきり元気になった」 というところですが(ちょっと極端?)、 さすがに世間に公表する自伝にそんなことは記載できなかったわけで この記述はバッサリ削除、結果としてなんで精神的危機から抜け出せたのか イマイチわからない『自伝』になったというわけです。 #でも初期草稿にはちゃんと書いていたわけで、 #逆に言えば親父さんを相当怨んでいたのかも知れない。 まあ、とにかくこれで元気を回復したミルは、その後は代表ベンサムや父ミルとは ちょっと違う見解を表明するようになり、人間的にももう少し泥臭くなって、 いっちょまえに人妻に大恋愛をして世間を騒がせたりするくらいに成長(?) したわけですわ。今度こそメデタシメデタシ。 というわけで、ようやく前フリ(ウォーミングアップ?)終了。 ここまで読めた人、よくがんばりました〜!。もう溺れそうかな?(笑) 5.それを構成している個人の価値にほかならない さて、今月の言葉そのものに戻りましょう。 「一国の価値は、つまるところ、それを構成している個人の価値にほかならない。」 とは、いかにも功利主義チームのエース・ミルらしい表現ですね。 一国の価値とは個人の価値の集合体であり、 善良かつ勤勉な個人がたくさんいる国家は価値の多い国家、 つまり各個人の価値が最大ならば国家の価値も最大、というところでしょう。 ミルの時代の英国はすでに議会制民主主義国家。 民主主義国家は独立した国民ひとりひとりが自立的に行動し、 それぞれの立場で自分たち自身の「国」の運営にタッチするという仕組みですから、 「一国の価値は国民の価値の総合計」、というのはまさに真理でしょう。 今の日本人にはピンとこないかもしれませんが、ミルの時代の民主主義は まだ普通選挙権をどこまで広げるか、個人の権利と公共の利益の両立はどうあるべきか、 などが懸命に議論されていた民主主義が誕生して間もない時代でした。 そういう時代の思想家であるミルには民主主義国家の本質が良く見えていたに違いありません。 んで、この言葉、「一国」を「チーム」に置き換えてもまったく違和感はありませんね。 「そのチームの価値は、つまるところ、それを構成しているメンバーの価値にほかならない。」 創立2年目を迎えるMACS YOKOHAMAも有志メンバーによって構成される いわば「民主主義」のチーム。 チームが良いチームになるかどうかはまさに参加メンバー各位の活動に拠っているわけです。 各自がMACSチームの活動についてどういう参画をするかで これからのチームの「価値」も決まってきます。 #もちろんチームにとっての「価値」はタイムだけではありません。 ということで、2年目に入りますが、各自それぞれできる範囲でチームの活動に参加して チームを盛り上げていきましょうね〜!(^_^)/。 今月の言葉は以上です。 #しかし、このシリーズもよく1年続いたなあ・・・・(^^;;;)。 (補遺) 今回はあんまり時間をかけられなったので記憶だけを頼りにかなりてきとーに書いております。 したがって、誤り等も含まれているかもしれません(ゴメンナサイ (_o_;;))。 以下のURLにミルや功利主義思想についてもう少しマシな説明があるので 参考にしてくださいね。 http://members.at.infoseek.co.jp/tealabo/mil.html http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/jsmill.html |
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