<今月の言葉:2004年4月>
当然だろう、初手から成功する筈がない
伊達宗城
<意味も無く(^^;)今月の画像:アネモネ> |
このページは当HPの管理者が月々徒然なるままに 他愛も無いことを書き連ねるページです。とはいっても、 どーしようもないことは普段掲示板に書き散らしているので、 古(いにしえ)の識者・賢人のお言葉を借用しながら、 少しはもっともらしいことを書くことになっとります。 さて、今年あたらしくメンバーに加わった方々にとって 初めての公式戦となる日本マスターズがいよいよ始まります。 そんな今月はこの言葉です。 幕末に”四賢公”のひとりに数えられた伊予宇和島藩主 伊達宗城(だてむねなり)の言葉です。 ただし、この言葉は歴史小説の中に登場した伊達宗城が 言っている言葉です。 |
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1.歴史小説と史実の境目 今回とりあげた言葉は歴史小説の中で出てくるセリフです。 したがって、実在する人が実際にしゃべった言葉ではありません。 でも、伊達宗城は幕末に実在した殿様です。 そして、伊達宗城だったらこのとおり、あるいはこれに近いことを言っていたかもしれない、 というのが今回とりあげた言葉です。 事実ではないのだけれど事実としてあったかもしれないし、 あったと考えてもおかしくない、というより、むしろそう考えたほうが面白い。 一定の史実をベースにしながらあるところから作者の創作の世界になる、 このへんが歴史小説というジャンルの面白いところです。 どこまでが史実でどこからがフィクションか、このへんのサジ加減は作品によって 異なってきます。 歴史小説の大家といえば今は亡き司馬遼太郎さん。この作家の代表的な作品で言えば、 日露戦争を描いた『坂の上の雲』は作者自身の弁によると可能な限り史実に即して 書かれた作品です。登場人物はすべて実在の人物、誰がいつどこの戦場でどんな戦いをしたか これもほとんどすべて事実です。 一方、新選組副長・土方歳三の波乱の生涯を描いた『燃えよ剣』、 この作品の後半で土方歳三はとある未亡人と素敵な恋に落ち、 わずかな日々しか一緒にいられなかったにもかかわらず相思相愛の仲となります。 旧幕府艦隊に合流して箱館へ移り、少しずつ劣勢となっていく旧幕府軍の中で 唯一の常勝将軍というべき土方歳三の元へ彼女が遠路訪ねてきます。 箱館港を見下ろすホテルの一室でふたりが再会したときに 彼女に背を向けた格好で窓の外を眺めながら歳三の言う最初のセリフがカッコイイ。 「あれが弁天崎砲台さ。昼夜、砲兵が詰めている。あれが陥ちるとき、 わたしの一生はおわるのだろう」 司馬作品の中ではかなりめずらしいラブロマンスの一幕なのですが、 この未亡人にまつわるストーリーはおそらく全部フィクション。 土方歳三に関わる文献・資料に彼女の存在は見当たりません。 #でも、このシーン、ワタシは好きなんですよね(^^;;)。 #夏休みに函館へ旅行するたびに函館山の上から弁天崎砲台のあったあたりを #眺めながらこのシーンを思い出します。 一方、他の作家の作品で考えた場合、たとえばこれもいまは亡き遠藤周作さん、 この人の代表作『沈黙』といえば高校の推薦図書にもなっていたりするので 読んだ方も結構多いでしょう。 江戸時代初期の北九州において、過酷なキリシタン弾圧の中で 奉行所役人に捕らえられた宣教師が棄教に至る物語、 強い信仰心をもつ敬虔な信者たちが次々と処刑されていくのに 神はなぜ”沈黙”を続けるのか、 というこの宣教師の心の叫びがこの小説のメインテーマです。 この作品はほとんどがフィクション。 ところが、実はこの作品には実在したモデルがいるようなのです。 『狐裡庵 歴史の夜話』というエッセイ集に『南からきた人』という短いエッセイが あります。これは『沈黙』が執筆される少し前に書かれたもののようです。 このなかに、こんな一節があります。 沢野忠庵や岡本三右衛門のような男の伝記を書きたいと私は、どのくらい思ったことで あろうか。彼等は事実上、実在の人間である。しかし実在の人間であり、その数奇な 運命にかかわらず、彼らについての資料はほとんどないといってよい。 ほとんど資料がないゆえに、彼等はまた小説家としての私の心を疼(うず)かせるのである。 私は彼等のゆがんだ顔を思いうかべ、彼等の生涯を乏しい資料からあれこれと想像し、 そして自分の心の中で酒が醗酵するように熟して泡をたてるのを待っていた。 沢野忠庵は元の名前はフェレイラ、そして『沈黙』なかではそのままの名前で登場します。 また岡本三右衛門、元の名前はキャラ、『沈黙』の中ではセバスチャン・ロドリゴ(岡田三右衛門) という名前となります。小説の中で、かつて神学校の先生であったフェレイラが長崎の評定所で 主人公ロドリゴ神父と再会し、やがて「転ばせる」(棄教させる)というのが『沈黙』のあらすじ。 江戸時代初期のキリスト教弾圧で行われた諸々の拷問は、それはそれは強烈なものでしたが、 特にその中で必殺フィニッシュホールド的な拷問が”穴吊るし”と呼ばれるものでした。 これは、信者の足を棒にくくりつけ、頭を下にして穴の中につり下げる、というものです。 拷問は殺すことではなく棄教させることを目的としていましたから、 血行を妨げるため全身を縄でぐるぐる巻きにし、毎日少しだけ食事も与えられました。 そして長々と苦しみを与え続け、囚人が少しでも棄教をほのめかすと、時にはほんのちょっと 手を動かしただけでも、役人はそれを棄教の合図とみなし、彼等を解放させて棄教者として 取り扱ったそうです。 史実においては、フェレイラ神父もキャラ神父もこの”穴吊るし”の拷問の中で棄教しました。 棄教後、彼等は日本名を与えられ、奉行所の通訳兼アドバイザー的な仕事をさせられます。 その仕事の中には、評定の席でまだ棄教していない信者に棄教を勧める仕事も含まれていました。 以下、上記エッセイの印象的な一節。ちょっと長いけど引用しましょう。 同じイエズス会の仲間にめぐりあい、神を棄てることを奨めたという旧司祭、フェレイラの 肖像画を我々は今日、見ることはできぬ。その晩年について我々は知ることができぬ。 だが、我々が彼のものとして見ることができるものがただ一つある。 それは、棄教後、彼が書いたという「顕偽録」という小さな著述だ。この「顕偽録」は いわば彼が、それまで信じていた基督教の教義を自分の手によって否定しようと したものなのだ。・・・(中略)・・・ 人間は、自分が半生、信じていたもの、信じていた思想をただでは消すことはできぬ。 ・・・「顕偽録」にかかれた基督教否定論は私には興味をひかぬ。 私の興味をひくのは、孤独な夜と夜、この本を書くために筆をすすめていた 彼のうしろ姿である。彼の顔である。彼の姿勢である。 そして「顕偽録」の一文字、一文字は小説家の私の心を疼かせるに充分である。 なぜならこの本の論理はなんとたどたどしいことか。苦しげなことか。 そのたどたどしい、苦しげな論理の背後に私はフェレイラの自己弁解をみる。 いや、むしろ彼は自分の孤独と心の深淵にたえかね、それを埋めるためにこそ、 これを書かねばならなかったのだ。 『南からきた人』というエッセイには、上記のほかにもいろいろな歴史上の”事実”が 書かれています。そしてそれらはいろいろな形で『沈黙』の素材となっています。 『南からきた人』はわずか数ページのエッセイですし、『沈黙』もそれほどの厚さは ありませんから、興味のある方は一度お読みになると良いでしょう。 もちろんその場合は、まずエッセイの方に目をとおし、そのあと『沈黙』に とりかかることをお勧めします。そしてこの凄惨な小説を”ほとんど実話” として読むと、ものすごい”重さ”を感じると思います。 2.『伊達の黒船』 毎度のとおりだいぶ道草をしてしまいましたが(笑)、今月の言葉そのものに戻ります。 今回とりあげた言葉は、司馬遼太郎さんの『酔って候』という短編集の中に収められている 『伊達の黒船』という作品の中で登場します。 この作品、どんな話かと言うと、時はペリーの黒船来航で大騒ぎとなっている幕末、 場所は伊予(愛媛県)の宇和島藩というわずか十万石たらずの小藩、 ここの藩主・伊達宗城が鶴の一声「黒船を我が藩でも作れ」という指令を出し、 城下に住む貧乏で気の小さい提灯職人・嘉蔵(かぞう)がこの藩命を負わされてしまい、 艱難辛苦の末についに本物の蒸気船を作り上げてしまう、というお話です。 完全なフィクションなら荒唐無稽でお話になりませんが、 実にこのお話、史実をベースにしております。 黒船来航のわずか6年後、薩摩藩や宇和島藩において日本最初の蒸気船が 建造されます。そして宇和島藩の方の設計・建造の中心人物は城下の貧乏職人でした。 小説の中では、名君として名高い藩主・伊達宗城のかな〜り無茶な指令に 困り果てた家老が、「ちょっと器用だからできるかも・・・」という これもかな〜り無茶な論理で貧乏な職人・嘉蔵に白羽の矢をたてます。 さすがに蒸気船すべてを嘉蔵に任せるのはきついだろう、ということで 蒸気機関は嘉蔵担当、船体はたまたまこの藩に来ていた長州(山口県)の 蘭学者・村田蔵六(のちの大村益次郎)に担当させることになります。 この村田蔵六、司馬遼太郎さんの別な作品『花神』では主人公となり NHKの大河ドラマにもなります。 (1977年放送、中村梅之助主演。小学生ののんぶれすが最初に見はじめた大河ドラマです(^^;;)) プロジェクトが開始されると藩主宗城はもう出来上がったような気分で 江戸城において他の大名たちに自慢します、当家では黒船を作り始めておる、と。 #どことなく、どっかのチームのノーテンキな代表を髣髴させるが・・・(笑) でも、肝心の設計担当者・嘉蔵は蒸気機関なんて見たことも無いんですよ・・・。 それで、蒸気機関に詳しい(?)ということになっている蘭学者のところに 勉強に行ったり、長崎でオランダ船の見学をさせてもらったりするのですが、 嘉蔵は士農工商の下から二番目ですから中間管理職である侍どもにさんざんイジメられます。 それでも苦労を重ねて蒸気機関の仕組みを理解し、ついに試作機の開発に入るのですが、 銅板で作るべきところを無理解な中間管理職によって鋳物でつくらされてしまい、 実験初日に試作エンジンは破裂して失敗してしまいます。 十万石の小藩が藩財政をかたむけかねない大金をかけて作ったエンジンが テスト初日にあっけなく破裂ですから大騒ぎです。 当然、報告が藩主・伊達宗城のところにもエスカレーション。 そのときに宗城はさすが名君、顔色も変えずに言った一言が今月の言葉です。 当然だろう、初手から成功する筈がない 結局、嘉蔵はお咎め無しでそのまま設計・開発を続行、 次作のエンジンは彼の主張どおり銅板で作られ無事にテスト成功。 この蒸気機関が村田蔵六設計の船体に取り付けられ城下に面した湾において試運転、 無事に船が蒸気力で推進を始めたとき嘉蔵は機関室にへたりこんで 号泣する、というストーリー。 この短編、エンジニアのはしくれである小生(のんぶれす)のお気に入りのひとつです(^^;;)。 それで、実際に嘉蔵がどんな人だったのか、最初の蒸気船はどんな形をしていたのか 知りたいと思い、四国へ旅行した際に宇和島にも立ち寄り一日かけて歴史資料館や 図書館で調べました。 ちなみに宇和島は松山からJR予土線で1時間半ほど南下したところにある 観光・林業・漁業を産業としている結構のんびりした小さな町です (海に浮かぶ島ではありません。海岸沿いの町です。念のため)。 町の中心にある小山に宇和島城があり、天気の良い日にここから町の様子を見下ろすと ちょっと心が安らぎます。 引退したらこういうところで静かに暮らしたいなあ・・・と思うような町です。 現地で調べたところ史実は以下のとおりでした。 ・史実の上でも「嘉蔵」は実名。 蒸気船成功の褒美で苗字を許され前原嘉市という名前になりました。 (上記小説にもそのとおり書いてあります) ・蘭学者村田蔵六は設計段階で模型の船体を作るところまでを担当し 実際の船体建造はこれも嘉市が担当。また、村田蔵六の模型船は 城下の庭園の池でテスト中に転覆。 肝心の蒸気船の姿は残念ながら見ることができませんでしたが、 嘉蔵氏の写真は資料館で見ることができました。 目尻が細く鋭いちょっと恐い感じの迫力ある顔つきでした (サッカーの中田英寿選手に近い感じですかね)。 きっと技術の追求や設計・開発の姿勢においては妥協のない人だったんだろうなあ、 と小生は勝手に納得しました(笑)。 それにしても、今回取り上げた言葉、 当然だろう、初手から成功する筈がない 宗城公は本当にこんなこと言ったんでしょうかね。 最初の実験失敗がもしも史実なら、小生はたぶんこのとおり、 あるいは意味的にほぼこのとおりのことを言ったんではないかと思っています。 トップにそういう度量と理解があればこそ幕末版「プロジェクトX」は成功するのです。 そして、言ったにしろ言わなかったにしろ、この言葉は面白いですね。 最初のチャレンジでは当事者にとって予想外のことがたくさんありますから 失敗してもまあしょうがありません。 むしろ、その失敗でいろんなことを学び、次のチャレンジに生かしていくことで 物事は進歩していくのです。 このへんはマスターズ水泳でもまったく同じ。 ですから4月にデビューする皆さんは、失敗を恐れる必要はまったく無しです(^^;;)。 初手から成功するはずなんかないんですから(笑)。 ところで、小説の中で船体を設計・開発したことになっている村田蔵六ですが、 自身が主人公となる大河小説『花神』では、宇和島藩の蒸気船の藩主初試乗の際に 船上での驚きと感動の大騒ぎの中で一人無表情に以下のようなセリフをはきます。 以下、『花神』からの引用。 家老松根図書までが子供のようなはしゃぎ声をあげ、 「村田、進んでいるではないか」 と、ふりかえって叫んだ。が、蔵六は悪いくせが出た。 「進むのは、あたりまえです」 これには、松根もむっとしたらしい。そのほうはなんだ、物の言いざまがわからぬのか、 といった。蔵六は松根からみればひどくひややかな表情で。 「あたり前のところまで持ってゆくのが技術というものです」 と、いった。 この言葉をくわしくいえば、技術とはある目的を達成するための計算のことである。 それを堅牢に積みかさねていけば、船ならば船でこのように進む。 進むという結果におどろいてもらってはこまるのである。 もし進まなければ、はじめて驚嘆すべきであろう。蔵六にいわせればそういうものが技術であった。 上記のとおり史実においては村田蔵六は模型までなので、このへんのやりとりは おそらくすべてフィクション。でも話そのものは面白いですね。 水泳も技術です。 どう入水するか、どう水をかくか、どういうリズムや筋力の入れ方で泳ぐか、 どういう準備をして体調を整え、どういう心持ちでスタート台に立つか、 そして飛び込んでからどういう段取りでゴールへ突き進むか、 これらをレンガでも積み重ねるようにこなしていくと結果としてタイムも改善されていきます。 他のスポーツ、たとえばテニスや柔道では相手選手との実力差や駆け引きで 結果(勝敗)が決まってしまいます。ところがマスターズ水泳の場合、結果(タイム)は自分次第です。 それだけに、上記のような技術の要素がひときわ大きいと言えるでしょう。 堅牢な技術の積み重ねがあれば必ず自分にとっての好タイムが出るはずなのです。 初手から成功する筈がない あたり前のところまで持ってゆくのが技術というものです どちらも真理であり、マスターズスイマーにとっても適用可能な言葉です。 大会に出て経験をつみ、その経験をもとに次の大会にむけた準備を整え 次の大会の経験をさらに次の準備・大会へ・・・・・・ このサイクルを繰り返して”堅牢な技術”を積み重ねてくださいね。 そうすれば数年の間にタイムは着実に良くなっていきますから。 (このへんは旧人の方々も同様ね(^^;;))。 では、今月の言葉は以上です。 (補足1) 遠藤周作さんのエッセイ集『歴史の夜話』では『踏絵』という一文も併せて先に読むと良いでしょう。 『沈黙』というタイトルは、そのテーマ「なぜ神は”沈黙”し続けるのか」からきていますが、 このエッセイを読むともうひとつの重要なテーマ、遠藤周作さんの基督教教義に対しての 深刻な課題提起を理解することができます。それは 「過酷な拷問の苦痛に耐えかねて踏絵に足をかけたとき、それは神を棄てたことになるのか」 というものです。『沈黙』の中で主人公ロドリゴはこの課題を自問自答し続け、 やがて彼なりのひとつの結論に至ります。 (補足2) 史実において、宇和島藩において村田蔵六が作った模型の船は 藩主の庭園の池であえなく転覆してしましましたが、 後に上野寛永寺の彰義隊を鎮圧したときの作戦指導は間違いなく彼によるものです。 『歴史群像』という雑誌(2003年12月号)において 上野戦争における大村益次郎(村田蔵六)の作戦について詳細な検証がなされております。 これを読むと、それはそれは緻密な配慮を広範囲にわたって払われており、 本当に化学の実験でも進めるように彰義隊を鎮圧してしまったことがわかります。 大村益次郎が日本歴史上トップクラスの天才作戦家であったことは紛れも無い事実のようです。 |
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