<今月の言葉:2004年11月>
今カラデモ遅クナイカラ
戒厳司令部(ニ・ニ六事件の投降勧告)
<意味も無く(^^;)今月の画像:パンジー> |
このページは当HPの管理者が月々徒然なるままに 他愛も無いことを書き連ねるページです。とはいっても、 どーしようもないことは普段掲示板に書き散らしているので、 古(いにしえ)の識者・賢人のお言葉を借用しながら、 少しはもっともらしいことを書くことになっとります。 さて、今回えらんだこの言葉は いわゆる”名言”ではありません。 戦前日本の暗い歴史の中でも 特に暗黒の話題といえるニ・ニ六事件で 登場する言葉です。 こんな言葉を選ぶと当然話題が暗〜くなります。 なんでこんなネタを選んだの?、 と思われる方も多いでしょうが、 まあ気分ですな(笑)。 毎月書いていると、たまには暗い悲しい文章も 書いてみたくなるんですよ(^^;;)。 モーツァルトだってたまに暗い曲・悲しい曲を 書いているでしょーが(と、すごい人をたとえに 出してみたが・・(笑))。 というわけで、今回は悪いけど筆者(のんぶれす)の 気分(?)にお付き合いください(_o_;;)。 |
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1.戦前日本史におけるニ・ニ六事件への道筋 明治維新から1941年の太平洋戦争勃発までの戦前日本史において前半は上り坂。 その頂点が対ロシア国防戦争ともいうべき日露戦争に勝利した1905年あたりでしょうか。 その後、大正時代前半は山の頂上の平坦なところ。欧州における第一次世界大戦の特需で 日本経済はバブリーな景気に浮かれます。また、政治的には普通選挙へ向けた大正デモクラシー、 文化的には竹久夢二の美人画などに代表される大正ロマンの時代です。 で、明らかに下り坂になるのが大正12年の関東大震災と昭和4年の昭和恐慌。 強烈な不景気の中で農村の荒廃や都市の社会不安がひろがり、そんな中で ロシア革命の影響を受けた労働者・インテリによる社会主義運動と、 それを取り締まろうとする政府の動きが目立ってきます。 そういう暗い世相の中で、腐敗した政治家たちを一掃し自分たちで清く正しい政治をするんだ、 という動きが軍の若手将校たちの中に出てきます。 本気で世直しのために立ち上がるんだ、と思っている真っ直ぐな将校もいましたが、 本質的には権力争い。陸軍と陸軍以外、さらに陸軍内部でも”皇道派”といわれるグループと ”統制派”といわれるグループの権力争い、という泥沼状態になっていきます。 #実際には海軍の若手なども絡んできます。五・一五事件は海軍将校が加わっていますからね。 #でもそのへんは今回は省略。 ”皇道派”と”統制派”。 どちらも国家改造、つまり高度な国防国家を陸軍主導で行おう、という点では同じでしたが、 統制派は斬新をとなえ、皇道派は急進を主張していました。 まあ、斬新でも急進でも結局のところは陸軍部内での派閥闘争に過ぎないんですが。。。 特に幼少の頃から陸軍幼年学校・陸軍士官学校で純粋無垢に戦争のことばかり 勉強してきた皇道派の青年将校たち、かれらはシンプルに尊王と討奸を目指しました。 彼らは軍のエリートですが、青年ですからそれなりに理想や正義にもえやすい。 彼らの率いる部下(兵)たちの多くが農村から徴兵されてきた者達ですが、 そういう兵たちから農村の荒廃している様子、借金を返せなくなって娘を売るとかですね、 そういう話を聞いて純粋に同情するわけです。そんで、彼らが考えたのは天皇親政での世直し。 現人神である天皇陛下がちゃんと政治をすればもっと良い世の中になるはずだけど 周りの連中がケシカランので世の中うまくいかない。 だから、そういう君側の奸(重臣・統制派軍閥・財閥・官僚)を一掃してしまおう、 というわけですな。 というわけで、政界・財界の大物を狙ったテロリズムと陸軍内部での血で血を洗うような 派閥抗争が発生します。有名なところでいうと、大蔵大臣・井上準之助を暗殺した血盟団事件とか 統制派の要人・永田軍務局長の暗殺などです。 で、いろいろ暗殺・謀殺・変死というような事件が繰り返される中で とうとう行きついたクーデターがニ・ニ六事件。 第一師団の歩兵第一連隊、歩兵第三連隊などの兵1500を率いて首相・重臣を襲撃すると同時に、 国会議事堂を含む永田町一帯を占拠したわけです。 襲撃されたのは首相の岡田啓介、大蔵大臣の高橋是清、内大臣の斎藤実、教育総監の渡辺錠太郎、 侍従長の鈴木貫太郎など。 高橋是清・斉藤実・渡辺錠太郎は死亡、鈴木貫太郎は重傷、岡田首相は偶然にも義弟が 首相と間違えられて身代わりになったため奇跡的に脱出に成功、となったわけです。 事件発生当初、いちばん態度があやふやだったのが陸軍上層部。 「よくぞやった」という意見やら、身内をかばおうという心理やら、 皇軍相撃つという事態は避けたいとかそういう諸々の気持ちがあらわれて、 反乱軍と呼ばず義軍と呼ぼうとしたり、・・・ 逆に、最初から態度が終始一貫明確だったのが昭和天皇。 事件の連絡を聞いた直後から決起部隊のことを明確に「暴徒」「反乱軍」と呼び これの鎮圧を強く命令します。 実は、戦前においても天皇は象徴であって、政治責任を負わない代わりに政治にも口出ししない、 つまり「君臨すれど統治せず」が基本。 特に立憲政治を信奉していた昭和天皇は、現人神扱いされている自分が政治的な 言動をすることを極度に控えており、それゆえ太平洋戦争開戦を制止できなかったという 説もあるぐらいですが、そういった意味でこのニ・ニ六事件のときの動きは極めて稀な例外。 侍従武官長として天皇の傍にいた本庄繁陸軍大将が 「彼らの行為はもとより許すべきではありませんが、その精神にいたっては、 君国を思う至情に出たもので、必ずしもとがめるわけにはまいりません」 というのに対して 「このような兇暴な将校が、その精神において何の恕(ゆる)すべきものがあるか。 自分の信頼する老臣を次々と殺傷して、陸軍は私の首を真綿でしめようとするのか」 という感じでとりつくしま無し。 さらに本庄が 「動機は誤解からだといたしましても、彼ら行動部隊将校としては、こうすることが 国家のためであるとの、純真な考えに発しておるということを申し上げる次第でございます」 すると天皇、 「それはただ、私利私欲のためにせんとしたものではないというだけのことだ」 さらになかなか煮え切らない陸軍の様子についには爆弾発言、 「陸軍の手で暴徒を鎮圧出来ないというなら、自分みずから、近衛師団を率いて鎮定にあたる」。 本庄大将の日記の中の記述には 「・・・陛下には非常なご不満にて、・・・、未(いま)だ嘗(かつ)て拝せざる御気色にて 厳責あらせられ、直ちに鎮定すべく厳達せよと厳命を蒙る」 宮中で「御不満」と称するのは「激怒」にあたる言葉だそうで、 「厳責」「厳達」「厳命」と続いているのは、それはもうボコボコに叱られた、ということらしい。 結局、占拠部隊は「反乱軍」となり、2月29日に有名な投降勧告が発せられます。 下士官兵ニ告グ 一、今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ ニ、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル 三、オ前達ノ父母兄弟ハ国賊トナルノデ皆泣イテヲルゾ 二月二十九日 戒厳司令部 クーデター失敗が明確となって、反乱軍の兵たちは順次投降、 首謀者である青年将校たちも身柄を拘束され 事件は収束していきます。 最終的には軍法会議で首謀者の青年将校たちが全員銃殺となり終息。 でも、このあと日本は陸軍統制派の恐怖政治状態となり そのまま太平洋戦争へ突入して破滅していきます。 ここまでが、ニ・ニ六事件前後の歴史のマクロ的な概括。 でもこれだと登場人物の人間的な面が見えないので、 次はミクロ的に個々の人物に焦点をあててみましょう。 2.侍従長鈴木貫太郎と陸軍大尉安藤輝三 青年将校達が「君側の奸」と称した当時の政府はたしかに腐敗政治家もいましたし、 政党も党利党略にはしりがちだったようです。が、 ニ・ニ六事件で襲撃された岡田首相、高橋蔵相、鈴木侍従長などはまともな政治家でした。 たとえば、高橋是清は米国で奴隷にされた経験ももつ苦労人。 昭和恐慌(デフレ)のときに国債発行によるインフレ政策をとって 景気の回復を進めました。これは自由放任主義的な当時の経済政策の考え方の中では 結構斬新かつ適切な処置で、間違いなく戦前の大蔵大臣の中ではトップクラスの人物。 国民からも「ダルマさん」の愛称で親しまれていました。 ニ・ニ六事件で襲撃されたとき、軍刀でメッタギリにされ、それこそ綽名の「ダルマ」のようにされて 絶命したそうです。ひどいもんです。 それから、岡田首相と鈴木貫太郎侍従長。この二人は海軍出身のリベラル派。 ずっと後の昭和二十年、南洋諸島の日本軍は次々と玉砕し、 日本の都市のほとんどがB29の空襲で焼け野原になっても まだ「一億玉砕」で軍も国民も戦争を続ける狂気に燃え上がっていました。 そんな時、すでに政界を引退していた岡田が鈴木を首相に担ぎ出し、岡田のバックアップのもとで 鈴木首相が民族滅亡の一歩手前で日本の舵を戦争終結へもっていくわけです。 この二人がニ・ニ六事件で死んでいたら、今頃「日本」という国は世界地図に存在しなかったかもしれません。 #小生は歴代首相の中で一番大変な仕事をしたのは文句なしで鈴木貫太郎だと思っています。 さて、話をニ・ニ六事件の少し前に戻します。 事件発生のしばらく前のある日、ひとりの陸軍大尉が鈴木貫太郎の侍従長官邸を訪問しました。 名前は安藤輝三。歩兵第三連隊の隊長で、皇道派青年将校達の代表的なメンバーの一人でした。 この時代にこういう人物に面会するのは命がけで、 実際、五・一五事件では犬養首相が「問答無用」で射殺されてしまいました。 しかし鈴木貫太郎は日清戦争のときに水雷艇部隊の指揮官として敵の根拠地に夜襲をしかけた武人。 逃げも隠れもせず堂々と面会に応じました。 会見の当初予定は30分、しかし鈴木はこれを3時間に延長し、一緒に昼食までとって話し込みます。 安藤大尉は自分たちの考えとして ・政治の腐敗が日本の社会の混乱をひきおこしている ・だから軍が主導して国政を立て直すべきである ・そのために、総理大臣は政治的に純粋無垢な荒木貞夫大将でなければならぬ というようなことを主張しました。 これに対して鈴木侍従長が「君たちの考えは非常に間違っている」と論駁。 ポイントは三点。 その1。 軍人が政治を壟断(ろうだん)すること。 軍備というのは国防のために国民の税金をつかって備えているものであって、 これを国内政治に使うのは大間違い。国内政治のためなら警察で充分で、 軍人が国内最強の武器を持っていることをさいわいに政治を操作しようとするのは間違っている。 そもそも甲乙丙丁それぞれ異なった意見を持ったものが論議しあって中庸に落ちつくようにするのが 政治の要道である。武力を背景に論議すれば殺し合いであり、二人の部隊長が意見を異にする場合、 戦闘して政策を決めるというのか?。常備軍がそんなことをやっていたら外国との戦争のときに はなはだ心もとない。 #このあたりの考え方は現代にも十分通用すると思います。。。。 その2。 総理大臣は政治的に純粋無垢な荒木貞夫大将でなければならぬという点。 複数人の候補を挙げるならまだしも、荒木大将でないとダメなどというのは 天皇陛下にご選択の余地を残さず、天皇の大権の拘束である。 そのようなことは日本国民の口にすべきことではない。 その3。 農村の疲弊が後顧の憂いとなるという考え。歴史はこれと反対の事実を物語っている、と。 鈴木は安藤に対して「フランス革命史を知っていますか?」と質問。 「知りません」という安藤に対して、 ・革命で混乱しフランス国民は貧困に陥ったが、それでも内政干渉しようとする諸外国の侵入に対して 自ら武器をとって見事祖国を守り通した。 ・フランス人にできたことを日本民族にできないはずがない。 後顧の憂いがあるから自国を守れないような国民は、所詮滅びるしかない。 日清・日露戦役のときの日本人を見てごらんなさい。 確かに国民は貧窮の極みであったがちゃんと戦ったではないか。 話が終わって、安藤大尉は晴れ晴れとした表情で 「よくわかりました。今日はとても良い話をうかがうことができました。 隊に帰ったら周りの人間にも話して聞かせます」 といって帰っていきました。 実際その後、「安藤立てば歩三立つ」と言われていた歩兵第三連隊の安藤輝三大尉は やや自重派となります。 「どうも鈴木閣下は、見ると聞くとでは大ちがいだ。あの方は、西郷隆盛そっくりだ」 などと仲間に言っていたそうです。 そして、運命の2月26日未明、鈴木貫太郎の官邸に陸軍の一隊が襲撃をかけてきました。 1階の八畳間で決起部隊の兵達に囲まれた鈴木侍従長は左胸・腿・頭・肩に銃弾を受け倒れます。 「トドメ、トドメ」という兵達に割って入って夫人が 「老人ですからどうかとどめをさすのだけはやめて下さい」と懇願。 このとき2階に上がっていた指揮官の青年将校がやってきて 「とどめは残酷だからやめろ」と制止。 さらに兵達に命令「閣下に対し、敬礼」「起てい、引揚げ」。 その後、この指揮官は夫人の前へ進み寄り 「まことにお気の毒なことをしました。われわれは閣下に対して何の恨みもありません。 ただ、われわれの考えている躍進日本の将来に対して閣下と意見を異にするがために、 やむを得ずこういうことに立ち至ったのであります」 そして夫人から名前を聞かれて曰く 「安藤輝三」 以前に鈴木貫太郎と面談し、鈴木に心服していた安藤輝三大尉がなんと襲撃部隊の指揮官でした。 彼は決起しようとする同志達の中で最後まで決起に反対し、 いよいよ立たざるを得なくなったとき、自ら鈴木邸襲撃をかってでたということでした。 事件の最後に彼は自決しようとして周囲の者達に止められ、 結局投降、軍法会議で銃殺となりました。 一命をとりとめた鈴木貫太郎は後年、自伝の中で 「首領になっていたから抜きさしならん場面に追いつめられて、あのままついに実行するに至ったが(中略)、 まことに立派な、惜しい、というよりもむしろ可愛い青年将校であった。 間違った思想の犠牲になったのは気の毒千万に思うのであります」 と、自分を殺そうとした安藤のことを君づけで語っているそうです。 戦前のテロや終戦間際の近衛師団の暴動などについて書いたものを読むと、 意外にも首謀者はみな真面目なやつばっかりなんですよ。 真面目で社会のためになろうと一生懸命なだけに、間違った思想を信じ込んでしまうと とんでもない行為につながってしまう。 安藤輝三大尉も、平和な時代生まれていて、たとえばマスターズチームの代表とかになっていれば きっと周囲から慕われる立派なリーダーになっていたんじゃないかな、と思います。 叛乱という行為に対して同情の余地はまったくありませんが、 なんとも悲しい話ですね。 戦前の昭和史にはこういうエピソードがいくつもあります。暗い歴史です。 3.今カラデモ遅クナイカラ さて、では今月取り上げた言葉ですが、最初に書いたとおりこれは明言ではないし、 とくに有益な教訓が含まれてもおりません。 でもね、今回取り上げた投降勧告、いろいろパロディーを作りやすい文章なんですなぁ(^^;;)。 たとえば、 MACSチーム代表ニ告グ 一、今カラデモ遅クナイカラ煙草ヲ止メ筋トレ・節制ニツトメ 引キ締マッタ身体ヲ取リ戻セ 二、コノママ太レバ来年ハ半フリ27秒ニ転落スル 三、オ前ノ奥サンハ、オ前ガデブニナッテイクト言ッテ泣イテヲルゾ な〜んてね(^^;;;)(笑) しかしですな、こんな戯言(ざれごと)を書くためにニ・ニ六事件を 取り上げて長々と書いてきたわけではありません。 今回、HP管理者としてここで書きたかったメッセージは以下のとおり。 今年大会ニ出ナカッタメンバーニ告グ 一、今カラデモ遅クナイカラ来年ノチーム登録ヲシ 大会エントリノ手続キヲセヨ ニ、新春マスターズノチーム内締切ハ12月1日デアル 三、チームノメンバーハオ前ガ大会ニ出ナイノデ皆泣イテヲルゾ 来年度のチーム入会希望者の受付締切りは 11月20日 です。 もちろん、その後でも登録は随時受け付けられます。 また、新春マスターズのチーム内締切りは 12月1日です。 来年はもっと大勢で大会に参加して盛り上がりましょう (^_^)/。 では、今月の言葉は以上です。 (補遺) 今回書くにあたって参考にした資料の中で中心的なのは以下の三冊。 半藤一利『聖断 天皇と鈴木貫太郎』 阿川弘之『軍艦長門の生涯』 角田房子『一死、大罪を謝す』 他に松本清張さんの『昭和史発掘』などにもこのへんの歴史がたっぷり書いてあるようですが、 今回はそこまでは手が回りませんでした(^^;;)。 ニ・ニ六事件へ至る歴史、太平洋戦争に至る歴史については、 書く人によって捉え方も微妙に違い、また取り上げられるエピソードも陰惨・残忍なものが 多くて正直あまり読んでて楽しいものではありません。 ほんとに昭和史の前半は底なし沼のような暗黒の歴史で、しかも複雑怪奇です。 「一人のヒトラーも出さずにあの大戦争を始めた国」 「誰が戦争へ向かって国を誘導したのかわからない国」 といわれる日本の特異な面が非常に感じられます。 現代の日本社会が当時からどれくらい変わったのか、これはとても興味のある課題ですね。 |
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