<今月の言葉:2004年12月>
人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いてゆくのだと思います
アントニオ猪木
<意味も無く(^^;)今月の画像:ラナンキュラス> |
このページは当HPの管理者が月々徒然なるままに 他愛も無いことを書き連ねるページです。とはいっても、 どーしようもないことは普段掲示板に書き散らしているので、 古(いにしえ)の識者・賢人のお言葉を借用しながら、 少しはもっともらしいことを書くことになっとります。 さて、2004年最後の月に選んだ言葉は 皆さんも良くご存知の人物、 燃える闘魂・アントニオ猪木氏の 引退セレモニーでの挨拶の言葉です。 |
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1.棺を置いて事は定まる 中国の古いことわざに「棺を置いて事は定まる」というのがあるそうです。 これは、人物の評価というものは、当人が死んではじめて定まるものだ、 という意味なんだそうです。 たしかに、人物評価というのは難しいもんですな。 歴史上の人物でも生前の評価と死後の評価が大きく異なる人は結構あるし、 死後100年以上たって評価される人物もいます。 したがって、まだ存命中の人物を取り上げるのはひじょーにキビシイ(^^;;)。 特に、今回とりあげたアントニオ猪木氏に関して言えば、 はっきりいってまだまだ何をするかわからない、 数年後には歴史に名を残す偉大な政治家に化けているかもしれないし、 あるいは大悪党になっているかもしれない(笑)。 というわけで、以下は現時点までのファクト(事実)と 一人のファン(小生(^^;;))の思い出にとどめておきますね。 <アントニオ猪木氏 略歴> 本名・猪木寛至。 1943年2月20日神奈川県横浜市鶴見区に11人兄弟・姉妹の6男として生を受ける。 14歳の時、ブラジルに移民。 全ブラジル陸上選手権(ジュニア部門)の円盤投げと砲丸投げで優勝。 1960年 力道山にスカウトされ帰国し同年4月日本プロレスに入門。 9月に大木金太郎を相手にデビュー。 1966年 東京プロレスを旗揚げするも解散。 1967年 日本プロレスに復帰。ジャイアント馬場と日本プロレスの黄金時代を築く。 1972年 1月28日新日本プロレスを設立。 1973年 N.W.F世界ヘビー級選手権を奪取。 1975年 プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメッド・アリと異種格闘技。 結果は引き分け。「猪木は寝てばかりいた」と評判イマイチ(笑) 1989年 ソ連国家スポーツ委員会と業務提携 日・米・ソのレスラーによるビッグイベントを成功。 しかし民間外交の限界も感じ、7月スポーツ平和党を結党、参議院選出馬を表明、当選。 1990年 湾岸戦争直前のイラクに人質全員解放に向け自ら現地に飛び込み、人質全員解放にちょっと貢献。 その後もカンボジア、ソマリア、モザンビーク等の危険地帯に入りPKO論議に一石。 それ以外にも朝鮮半島問題の平和的解決を訴えて「スポーツと文化平和のための祭典」を平壌で開催。 1996年 ロスアンゼルスで人種の融和を願い「ワールド・レスリング・ピースフェスティバル」を行う。 1998年 4月4日東京ドームでのプロレスラー38年の現役引退。 東京ドームでのイベント史上最高の7万人(超満員札止め)の興行記録を樹立。 各界著名人を含めた、7万人の大観衆によるイノキコールに惜しまれつつも現役引退。 #もうちょっと詳しいプロフィールは以下のURLを見てくださいね〜 # http://www.inokiism.com/ (Antonio Inoki Official Site ) 小生(のんぶれす)がプロレスラー・アントニオ猪木を初めてTVで見たのは たしか1981年ごろ。かの有名な初代タイガーマスクが デビュー戦でいきなり変幻自在な空中殺法を披露して ダイナマイト・キッドを撃沈してしまった頃でした。 昨今ではプロレスは週末の深夜に「細々」という感じで放映されておりますが、 この当時、猪木氏率いる新日本プロレスは全盛期とも言ってよい時期、ちょっとしたブームでした。 なにしろ金曜日夜8:00というゴールデンタイムにTV放映されておりました。 この頃のプロレスでは、 タイガーマスクと小林邦昭の抗争、藤波辰巳と長州力の息詰まるライバル対決、 ラッシャー木村・アニマル浜口・寺西勇の「国際プロレス軍団」の乱入など ファンを喜ばせる話題が盛りだくさん。 またこの当時の敵役外人選手もなかなか強力な剛の者ぞろい。 豪快なウェスタン・ラリアットの不沈艦スタン・ハンセン、 化け物みたいな巨人アンドレ・ザ・ジャイアント、 太い腕から繰り出すアックス・ボンバーを武器にした筋肉超人ハルク・ホーガンなどなど。 そんな中で、やはり最後の要(かなめ)は総帥・アントニオ猪木。 この人のリング上での動きには異様な説得力があり、 相手選手にいきなり平手打ちをするだけでも絵になるんですなぁ・・・。 んで、リングの上のアントニオ猪木は何度も何度もピンチに陥りながらも 一瞬の隙をついて有名な「延髄斬り」、これで一気に形勢を逆転してすかさず必殺の「卍固め」、 これで相手をリングに沈めていったわけですな。 #でも、ハンセン、アンドレ、ホーガンなどはなかなか沈まなかった(^^;)。 そして、そんな試合を毎度毎度、妙な造語(?)盛りだくさんの名調子で盛り上げていたのが 言葉の魔術師(あるいは言葉のペテン師?)、古館伊知郎アナウンサー。 彼もこの当時のプロレス中継でブレイク(?)したわけで。 今でこそ夜10時のニュース番組で神妙な顔をして政治や社会問題を扱っておりますが、 やはり彼にはプロレス中継が一番合っている、とワタシは思う。。。。 しかしそれにしても、こうして当時の思い出を書き並べてみると、 やはり当時はそれぞれの登場人物に異様な個性がありました。 この20年の間に日本人は粒が小さくなってしまったのかもしれない、 と思うのは小生だけでしょうか。。。。。 #でも、イチロー、ゴジラ、中田英寿、北島、という面々を見るとまんざらそうでもない #といふ思いもしますね・・・ 2.この道を行けばどうなるものか さて、では今月取り上げた言葉の方に話題を移しますが、 まあ今回の言葉は意味についてはあえて説明をする必要は無いでしょう。 読んで字の如し、ですからね(^^;;)。 ちなみに、この言葉は1998年4月4日に行われた猪木氏の引退試合&セレモニーの 最後の挨拶のしめくくりの言葉。 一般には「この道を行けばどうなるものか」にはじまる禅僧一休宗純(有名な”一休さん”)の 言葉の引用が有名ですが、今回はその直前の「人は歩みを止めた時に・・・」の一節を採用しました。 意味的にはどちらでも良かったんですが、1センテンスで独立・完結しているのは こちらのフレーズだったんでね。。。 いずれせよ、人間、生きている限りいろいろあるわけで、 どうせあるなら挑戦挑戦で行くほうが健康的で気持ちよい。 来年もいろいろな機会にチャレンジしていくよう心がけましょう(^_^)。 というわけで、2004年の最後はやはり 猪木氏の挨拶&有名な例の掛け声でもって締めてもらいましょう(^_^) 『人は歩みを止めた時に、 そして挑戦を諦めた時に年老いてゆくのだと思います。 この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ ありがとう。』 『いくぞ〜!! 1・2・3 ダ〜!!』 2004年最終の「今月の言葉」は以上です。 |
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