<今月の言葉:2005年4月>

すべてを守るものは、すべてを失う
         フリードリヒ大王

<意味も無く(^^;)今月の画像:東伊豆の海岸>


このページは当HPの管理者が
月々徒然なるままに他愛も無いことを
書き連ねるページです。とはいっても、
どーしようもないことは普段掲示板に
書き散らしているので、
古(いにしえ)の識者・賢人の
お言葉を借用しながら、
少しはもっともらしいことを書くことに
なっとります。

というわけで、
4〜5月は全国あっちこっちの会場で
いろんな種目にチャレンジできる
日本マスターズ短水路大会のシーズン。
さらに6〜7月の大会エントリーを
考える季節。そんな今月はこの言葉です。



1.啓蒙君主・フリードリヒ大王


ウィルヘルム・フリードリヒU世、通称フリードリヒ大王。
この人の名前はどこかで聞いた覚えがある人も結構いるはずです。
高校の世界史の教科書には必ず出てきます。場合によっては肖像画つきで。

ドイツの前身・プロシアの名君で、強国ドイツの基礎を築いたということで有名な君主です。
また、有能な政治家であると同時に天才的な作戦家としても知られており
かのナポレオン(『今月の言葉2004年5月』参照)などは
大王の肖像画を机上に飾っていたそうです。
フランスの敵国プロシアの人でありながら尊敬する大先輩としてあがめていたわけだ。


フリードリヒU世は1712年、プロシアの王子として生まれます。

父親は当時すでに「軍人王」とか「兵隊王」というあだ名で知られていた、
ウィルヘルム・フリードリヒT世。以下、めんどくさいので略して父フリードリヒ(^^;;)。

父フリードリヒは「軍人王」とか言われるだけあって筋金入りの戦争マニア(?)。
とはいっても、米軍グリーンベレーの格好かなんかして喜んでいたのではなくて、
国王らしくプロシア軍をきっちり増強して鍛え上げ、周辺各国をばんばん攻めたてていたわけだ。

当時のプロシアはヨーロッパの中では田舎の小国。
そんなプロシアを強国にしようと気を吐いていたわけだね。

 (注)
  宮殿の庭園をつぶして練兵場をつくったり、農村から体格の良い青年を”誘拐”して軍人にしたり、
  特に背の高い兵を集めて「巨人軍」という部隊を作って閲兵して楽しんだり、
  ”兵隊マニア”的な面もあったらしいが・・・

そんな父フリードリヒの息子として成長していったフリードリヒU世ですが、
青年期に入るとご多分に漏れず父親に反発。
うちのオヤジは年がら年じゅう戦争ばかりしているひどい野郎じゃないか、という感じ。
家庭教師は、これまた世界史の教科書にも名前が出てくる高名な啓蒙思想家・ボルテール。
したがって、青年フリードリヒU世はそれなりに理想に燃えていて
『反マキアベリズム論』なんて本も書いたりしている。

んで、父フリードリヒが1740年に死んで国王に即位すると
いろいろと文化政策を実行するわけだ。
フランス風の建築物サン・スーシ宮殿をつくったり、
画家や音楽家を支援したり。

ちなみに、フリードリヒU世の宮廷に仕えていたので有名なのはフィリップ・エマヌエル・バッハ。
この人は有名な大バッハ、つまりJ・S・バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ)の次男


大王は、この次男バッハの指導も当然受けただろうけど自らフルートを演奏し、
作曲までしちゃいます。
しかも、その曲がCDでちゃんと売られているんだからすごいもんだ。

Amazon.co.jpで試みに検索してみると、ほ〜ら、ちゃんとひっかかります。

  フリードリヒ大王 / フルート協奏曲第4番ニ長調
  オムニバス(クラシック) CD (1998/08/01) ユニバーサルクラシック

また、有名なエピソードとしては、当時すでに最晩年の大バッハが旅行で
フリードリヒU世の居城の近くを通りかかったときのこと。
王は急遽、老バッハを居城に呼び寄せます。
ちなみに老バッハは『トッカータとフーガ ニ短調』などで有名な
フーガ形式の大権威。でも、この当時すでにフーガ形式はすたれつつあり
少々イジけているんですが・・・。

で、以前にNHKで放映された海外ドラマ『大バッハの生涯』では
このあたりの様子を以下のように描いておりました。

王の応接間にとおされた老バッハが、旅行中ゆえ粗末な服装で参内したことを詫びると、
フリードリヒU世は穏やかにこたえて曰く

  「服に用があるわけではない、中身に用があって呼んだのだ」

ふーみゅ、さすが名君。

そしていきなり王は御愛用のフルートを手に取り、なにやら意味深な雰囲気の
メロディーを吹いてみせます。そして

  「このメロディーをそこにあるチェンバロで3声のフーガにして演奏してみよ」

ここで映画『アマデウス』を見たことがある方は、天才モーツァルトが
オーストリア皇帝の前で聴かされたライバル・サリエリ作のつまんない行進曲を
即興で見事な変奏曲にして演奏してしまうシーンを思い出されると良い。
大バッハはさすがフーガ形式の権威、そして「音楽の父」といわれる超大物ですから、
フリードリヒU世の目の前で王の提示したメロディーを見事に即興の3声フーガにして
演奏してみせるわけだ。

ところがフリードリヒU世も大物、バッハの演奏を途中で打ち切らせて次の注文、

  「わかった、じゃあ今度は6声のフーガにしてみよ」

さすがの大バッハもこれには降参。さすがに即興は無理だっつうわけで

  「6声となれば準備が必要です」

大王は「ふーむ、そうか、わかった。じゃあ、今日はここまでにしよう」。
これで会見は以上。

でも少々事大主義者的傾向があった大バッハはこの会見にチョー感動。
帰宅後、フリードリヒU世のメロディーをもとにした
3声のフーガ、6声のフーガ、カノン10曲、トリオソナタ4曲を作曲し、
これをまとめてフリードリヒU世に献上したわけだ。
殿下のメロディーでこれだけの曲ができましたよ〜、ってとこなんでしょうね。

これがバロック音楽の名曲のひとつとして今日でもあっちこっちで演奏され
CDもたくさんでている傑作『音楽のささげもの』の誕生エピソード。
フリードリヒ大王のメロディーは名曲としていまでもあっちこっちで演奏されているわけだ。


さて、ここまでは文化人としてのフリードリヒU世ですが、
実はフリードリヒU世を「大王」たらしめているのは
文化政策よりも外交・軍事のほう。こちらは結構エグい(^^;;)。

まず、
外交面でいえば、1740年に隣国オーストリアの国王が皇女マリア・テレジアに代替わりしたとき、
「オーストリアの男系が絶えた場合、シレジア地方はプロシア王家に属す」という
100年前の口約束をネタにシレジアの割譲を迫ります。

なんかおもいっきり権謀術数のマキアベリズム。
若き日に書いた『反マキアベリズム論』はどーしちゃったんだ?、というツッコミが当然入ります。
事実、フリードリヒ大王を扱う資料の多くが「若き日に言っていたことと即位してからやったことが
全然ちが〜う」とツッコミを入れております(ホントの話)。

で、このときはやむなくシレジア地方を譲り渡してしまうオーストリアですが、
当時のオーストリアのリーダーはこれまた世界史に名高い女帝マリア・テレジア。
女の恨み(?)は容易には消えず、1755年に仲の良いフランス、ロシアと組んで
プロシアに宣戦布告。有名な”7年戦争”がはじまります。

ドイツというのはタイガー戦車とかメッサーシュミット戦闘機とか見ていると
気がつかないんだけど、実は対外戦争に不向きなロケーションにあるんですなあ。
特に、西のフランスと東のロシアの両方を敵にして喧嘩をする場合、
背腹に敵をもつわけだから絶対的に不利。第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも
結局このパターンで破滅しています。

7年戦争もこの”必敗”パターン。しかも南のオーストリアまで敵なんだから決定的にまずい。
しかし、ここでフリードリヒU世の軍事的天才があらわれます。

防御ポイントを明確にして、要所要所では騎兵隊を巧みに使った戦術できっちり敵軍を撃退。
プロシアは3大国相手に何年にもわたってがんばり続けるわけだ。

それでも、6年目、7年目になるとプロシア軍もさすがに疲労困憊、
それに大王の戦法も7年もやっていればだいたい使い果たしてタネ切れ。
プロシアは風前の灯となり、フリードリヒU世も降伏・自害を真面目に考え始めます。

が、ここで1762年「ブランデンブルク家の奇跡」と呼ばれる事態が発生。
なんと敵国のひとつ、ロシアがプロシアとの講和に応じるんですな。
この年にロシア皇帝となったピョートル三世が大のフリードリッヒ大王ファンだったんだな。

これで絶対不利の挟み撃ち状態を脱したプロシアは優位に立ち、
やる気の無くなったフランス、オーストリアも相次いで講和に応じて7年戦争は終了。
なんと、”必敗”パターンのこの戦争でプロシアは勝利してしまったわけだ。

んで、以後は無茶な戦争もすることなく、国力発展につとめて
メデタク「大王」と称されて今日に至るわけだ。。。。。




2.すべてを守るものは


さて、今月とりあげた言葉の方に話題を移しましょうか。

  すべてを守るものは、すべてを失う


数的に圧倒的不利な複数国相手の多方面作戦で7年にわたって防御戦を守り通した
戦略・戦術の天才の極意がこれなんでしょうね。
防御戦というのは、なんでもかんでもすべて守ろうとするといくら兵力があっても足りないし、
だいたいそれだけの兵力があるのなら防御よりも攻撃に使うべき。
したがって、防御というのはなんでも守ろうとするんじゃなくて、
重要なところだけきっちり守るのがポイント、ということなんでしょう。
フリードリッヒ大王には似たような言葉として以下のものもあります。

  すべての事柄に手落ちのないようこだわる者は、何物も得ない。


あの大会もこの大会も、という感じですべてのレースに勝とうとするのは大変。
勝ちたいレースをきっちりきめて、あとは練習試合程度のつもりで臨みなさい、
というのがフリードリッヒ大王のお勧めということになるのでしょうなぁ。

あるいは、
参加者数が少ないのならバッタだけど、やっぱり背泳ぎも捨てがたいし、
レース前に不安にならないのは平泳ぎ、でも基本はクロール、
あるいはいっそ思いきって長距離で勝負・・・・な〜んて感じにあれもこれもと考えて
どれもこれも中途半端な練習のまま大会に臨めばどの種目も惨敗は間違いなし。
勝ちたかったら4泳すべてにこだわる必要も長距離・短距離の両方に色目をつかうことも不要。
まずは己の勝負種目をきっちりきめてそれを徹底的に磨きましょう、
という意味でも重要な教訓ですかね。

これから海泳ぎのシーズンにも入り、毎月毎月何かしらの大会があるけど、
勝負レース・勝負種目をきっちり決めて、それに結果を出すための
練習と試合(練習試合)をこなしていきましょー!。

では、今月の言葉は以上です。


<追伸>

今回の文章は実は正月頃に大半を書いていたんですよね。
この頃は「今年も昨年・一昨年同様にあっちの大会も・こっちの大会も、という感じの
エントリーオンパレードなんだろうなあ、だったら4月はちょっとブレーキかけないと・・・」
という思いで書いていたのですが、フタをあけてみたらあららら〜??
今年は皆さんぜんぜん大会に出ないじゃないの??。

いくらなんでもこれじゃ「守りすぎ」。
練習試合気分で出る大会もいくつか用意しておかないと
たまに出たって撃沈は必至だよぉ〜。
みなさん、もうちょっと大会出ましょうねー!!


ではでは。



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