<今月の言葉:2005年5月>

一利を興すは一害を除くにしかず
            耶律楚材

<意味も無く(^^;)今月の画像:横浜ビジネスパークのツツジ>


このページは当HPの管理者が
月々徒然なるままに他愛も無いことを
書き連ねるページです。とはいっても、
どーしようもないことは普段掲示板に
書き散らしているので、
古(いにしえ)の識者・賢人の
お言葉を借用しながら、
少しはもっともらしいことを書くことに
なっとります。

さて、5〜6月のこの時期は7月の
ジャパンマスターズや各種OWSの大会
にむけてきっちり準備をするシーズン。
つーわけで、多少なりとも泳法改善の
ヒントになりそうなもの、という感じで
選んだのがこの言葉です。
モンゴル帝国初期の政治家、
耶律楚材(やりつそざい)の言葉です。
この人物は知る人ぞ知る、という感じ
の人なので、まずは少し丁寧(?)に
人物説明から始めましょうか。



1.耶律楚材の生い立ち



今回の言葉の主・耶律楚材は13世紀の人です。
彼が生まれた頃の中国大陸はというと、
上半分(東北地方から揚子江まで)を満州系の女真族(じょしんぞく)のたてた「金」という国、
下半分(揚子江より南)を漢民族の「南宋」が治めていました。
ちなみに日本は源平争乱の頃、ちょーど今年の大河ドラマのあたりです。

中国の歴史というのは、チョーざっくり言えば、
メジャーな漢民族とマイナーな東北地方(昔の満州)の諸族が
北京周辺を取ったり取られたりという歴史です。

12世紀ぐらいまでは万里の長城より下の中国全土をすべて漢民族の「宋」王朝が治めていました。
ところが、この「宋」という国は先代の「唐」が軍の内乱で滅んだもんだから
その反省(飲み会ではない)で、極度の文民統制(シビリアン・コントロール)をとったわけだ。
歴史の教科書では文治主義とか書いとりますな。

これはマスターズスイマーにかなり強引に例えれば(^^;;)、
泳ぎの練習はホドホドにして競泳規則を勉強したりスイマガ読んだり
掲示板カキコしたりしてすごしているよーなもんだ。
これで宋代には文化面では非常に興隆するわけだけど、
こんなことやってたらタイムは落ちますね。実際、3秒ぐらい遅くなっちゃうわけだ(?)。

そんで1127年に「宋」の首都・開封(かいほう)が金軍の奇襲攻撃を受けて
皇帝も皇族多数も捕虜になってしまい「宋」は滅亡。
ひとりだけ高宗という皇族が南へ逃げることに成功し、
揚子江の南に「南宋」をたてるわけだ。
あれだけ広い土地を馬や人が走って歩いて攻めてくるのに皇帝まで捕まっちゃうんだから
宋という国の軍隊は相当たるんでいたに違いない。

で、
この「金」王朝の有力官僚・耶律履(やりつり)の息子として今回の主人公・耶律楚材は生まれます。
耶律履は女真族ではなく同じ満州系の契丹族(きったんぞく)の人。

実は契丹族も自分の国を女真族の「金」に征服された筋合いなのですが、
女真族は「仕事のできる人は誰でも使っちゃう」というスタンスだったので
有能な官吏だった耶律履は今なら副首相ぐらいの地位におさまっておりました。

そんでこの親父さん、息子に「楚材」という名前をつけたわけだが、
この意味は「外国で役に立つ人材」。
これはいろんな意味でビミョーなネーミング。
日本にたとえれば、終戦直後のGHQ占領下の時期に内閣官房長官クラスの人が
息子に「外国で役に立つ人材」という意味の名前をつけるようなもんだ。

しかも、この親父さんの「外国」がどこを指すか。
表向きは女真族の「金」を装いつつも、実はこの当時すでに北方で力をつけつつあった
モンゴルを指していたらしい。
楚材が生まれて程なくして高齢だった親父さんは死んでしまい、楚材は親父さんと
直接会話をすることは無かったのですが、母親や父の蔵書から自分の名前の真意を
知ったらしい。楚材は「金」王朝治世下で次にやってくるモンゴル政権に
仕えるべく勉学に励み、青年期には進士科(科挙)を首席で合格、
未来の宰相と目されるようになります。



2.モンゴル帝国と耶律楚材


「金」が「宋」を滅ぼして中国の上半分を支配した当時、
北方のモンゴルの草原はいくつかの遊牧民族がひしめきあって抗争を繰り返しておりました。

「金」としては「南宋」との戦いをやっている最中なので
モンゴル高原の「地区予選」については
「まあ、メチャメチャ速いやつが出てこなけりゃいーや」程度の考えで放っておりました。

でもね、高校野球の神奈川県予選じゃないけど地区予選が激越ということは
そこでチャンピオンになったやつは滅茶滅茶つよい、っつーことになるんだよな。

そして1206年、熾烈な決勝戦を制したチンギス・カンがモンゴル遊牧民を統一するわけだが、
なるほどこの人物はアジア圏が生んだ最大最強の英雄。
強力な騎馬軍団を率いてあれよあれよという間に西のイスラム国家ホラズムや
シルクロードに栄えていた国・西夏を滅ぼし、強大な帝国を築きあげます。
そんでついに1215年、「金」の中心都市・燕京(えんけい:今の北京)も陥落させてしまうわけだ。

ちなみにこの時代のモンゴル軍団の強さは桁違いだったわけだが、
その理由はなんといっても強力な騎馬軍団。

まとまった単位の兵力を戦闘目的に沿って移動させることを「機動」という軍事用語で
表現するんですが、戦史に名を連ねる名将は一人の例外も無くこの「機動」を重視。
ナポレオンもフリードリヒ大王もハンニバルもロンメル将軍もパットン将軍も源義経も豊臣秀吉も
みんな短時間のうちに敵方の想像を超える距離を移動して相手に対して奇襲攻撃をかけている。
もともと遊牧民族のモンゴルの連中は普段の生活の中でふつーに「機動」の訓練をしているわけで、
しかも馬はこの時代には戦車といってよい破壊力、
つまりンゴル軍団は世界最大・最強の戦車軍団をもっていたようなもんだ。

この強力無比の軍団でもってチンギス・カンから孫のフビライ・カンの時代までに
東アジア・中央アジア・ロシア・東欧を向かうところ敵無しで征服してしまいました。
かろうじてモンゴル軍団を撃退できたのはドラキュラ伯爵率いるルーマニア、
ベトナムのゲリラ、そんで日本のカミカゼだけでした。
#そういえば、ベトナムは20世紀にも世界最大最強の軍事大国を追い返しているので
#こと防衛戦争に限ればベトナムこそ世界最強なのかもしれない。。。

さて、あっという間に広大な地域を支配することに成功したモンゴル帝国ですが、
建国当初は軍隊中心なもんで有力な人物はみな体育会系の脳みそプロティン民族(?)。
国が小さいうちはそれでもまあなんとかなるけど、
これだけ広大で諸民族がいる国家になると、やっぱり税金の取り方を決めたり、
そのための戸籍を作ったり、交通機関や警察を整備したり、儀式のスタイルを決めたり、
メーリングリストやホームページ作ったり(?)しないと運営できないないなあ、っということになる。
そうなると、やっぱり体育会系だけでは少々きつい。。。

そこで、モンゴル帝国も被征服民族から行政能力のある人材を登用しはじめるわけだ。
そんで、いろいろ紆余曲折あって耶律楚材もチンギス・カンの面接を受けることになるわけです。

この面接(?)において、チンギス・カンが質問、
 「予は、契丹族にとって仇である金を滅ぼそうとしている。
  とすれば、おまえのために、仇を雪いだことになる。
  そう思わないか。」
耶律楚材が答えて
 「私は金に仕え、その禄を食んで参りました。
  いったん臣となったのに、どうして君(金のこと)に仇をなすことができましょうや。」

体育会系のゴリゴリの連中とばかり接してきたチンギス・カンにはこの回答がとても
新鮮だったらしく非常に気に入ってしまい一発内定。
楚材は天文関係のお仕事につき、やがて儀式の式典整備や政令の起草、税制の確立などに
知恵・知識を発揮していつしかチンギス・カン政権の総理大臣的な立場となります。

さて、モンゴル帝国という「外国」で宰相の地位に登り国家運営にたずさわった耶律楚材ですが、
別に立身出世がしたかったわけではない。彼は実はとっても難しいことをしようとしていました。
それは、強大無比なモンゴル軍団のパワーを征服・破壊ではなく警察・治安維持に向かわせることでした。

特に、モンゴル軍団は残虐・非道さでも桁外れの世界ナンバーワン。
日本語の「むごい」という言葉は元寇の際に対馬で行った蒙古軍の行為に由来していると言わるし、
モンゴル軍が通った後は草木一本残っていない、とまで言われていました。
敵対的な行為をとった都市などは男女・老若関係なしに全員虐殺か奴隷化、
なーんてことを普通にやっていたわけで、
これでサマルカンドやウルゲンチで数万人を殺戮、バーミヤンでは家畜も含めて生けるものはすべて殺戮、
さらにドレスデンでは7万人以上、東京では10万人以上、あっ、ドレスデンと東京は
20世紀に連合軍が空襲で殺した人数か。。。。ごめんなさい。

とにかく、耶律楚材はチンギス・カンや第二代オゴディ・カンの傍らに仕えて
都市を攻略するごとに大量虐殺を諫止し続けたわけだ。

たとえば、オゴディ・カンの部下の一人が
  「中国は農地が多すぎて、土地が有効活用されていません。中国人に多いとい
   う、張、王、劉、趙の名前を持つ人間を皆殺しにしましょう。それだけ殺せば
   中国に広い牧場ができます。」
なーんて無茶な意見を言うと、楚材がすかさず反論、
  「牧場を作るより、彼らを働かせて税金を取った方が効率的ですし、
   儲かりますよ。」
そんでもって目の前で計算してそのほうが儲かることを示したりするわけだ。

体育会系ばかりのモンゴル政権の中で文系の楚材がこういう発言をするのは
非常に勇気がいるし難しい説得なのですが、文官として作戦自体への口出しを
一切控えていた楚材は有力武将から意外と好意的に見られており、またチンギス・カンや
オゴティ・カンも政治センスのある帝王だったのでまあなんとか抑止力を発揮できたようです。

こんな感じでモンゴル帝国初期の運営に貢献した耶律楚材ですが、
第二代オゴディ・カンの没後は後継者争いの中で実質的に失脚、
そんで1244年に55歳で静かに世を去りました。
ちなみに『元史』耶律楚材伝には在職のまま没したということになっているらしい。



3.一害を除くにしかず


さて、今回取り上げた言葉のほうに話題を移しましょう。

  一利を興すは一害を除くにしかず


一利を興すほうが政治家の業績としては派手でカッコよく見えるのですが、
歴史に名を残す名政治家は意外と今回の言葉のような
「一害を除く」型の漸進主義者が多かったという話もあります。
日本史だと勝海舟とか大久保利通なんかもそうだったというような話を
聞いたことがありますな。

しかしこの言葉、水泳への応用という点でも実に有効。
水泳とは「抵抗との戦い」なのでトレーニングジムでダンベル持ち上げて筋力アップするのもいいけど、
フォームのまずいところを一箇所直して抵抗を減らすほうがずっと効果的なんだよね。
まさに「一利を興す(パワーアップ)は一害を除く(フォーム改善)にしかず」なわけだ。

ジャパンマスターズまであと1ヶ月、フォーム改善には少々期間が短いけれど
まあ今後もいろんな大会があるわだからジャパンで実験するぐらいのつもりで
じっくりフォーム改善練習をするのもよろしいかと。
(特に最近肩痛に悩んでいる人が多いんでね)。

あせらず急がず綺麗なフォームを身につけてこの夏の長水路大会シーズンを
乗り越えましょう。

では、今月の言葉はいじょうです。



(余談1)耶律楚材が登場する読み物

イマイチ知名度の低い地味な人物ですが、そのわりには
日本を代表する歴史小説家の作品の中でこの人物のことをわりと楽に
知ることができます。

ひとつは井上靖『蒼き狼』(新潮文庫)

この作品はチンギス・カンの生涯を描いたもので
後半に耶律楚材はきっちり登場します。

もうひとつあげると陳舜臣『耶律楚材』(集英社文庫)

これは題名のとおり今回の御仁が主人公の作品。
上下二巻という大作ですが、読みやすく3日もあれば読み終えてしまえます。
刊行当時ベストセラーとなった不思議に魅力のある作品です。

ちなみに読むとしたらまず『蒼き狼』、次に『耶律楚材』というのがお勧めですかね。
前者でまずチンギス・カンとその周囲の人物群をひととおり理解すると
後者を読むときにとても入りやすいのでね。


(余談2)サマルカンド、ウルゲンチ、バーミヤン、ドレスデン、東京・・・・

最初はブラックユーモアのつもりでモンゴルが虐殺行為をした都市に続けて
第二次大戦で大空襲を受けた都市名をちょっと並べてみたのですが、
どのくらい悲惨だったかを調べてみると実は第二次大戦組の方が
規模も内容もそーとーヒドイんですよね。。。

1945年2月13日の夜、英国空軍の爆撃隊第一波は
ドイツ東部の古都ドレスデンを夜間爆撃し炎上させました。
でもきわめつけは3時間後にやってきた第二波。この時間の空け方が実に残忍非情。
第二波が爆撃を開始したのは、ドレスデンの街には周辺都市から到着した救援隊が
消火・救命活動を開始した時間帯。第二波は救助活動をしにやってきた人々も一緒に
炎と瓦礫の中に埋めてしまうことを意図していました。

また、1945年2月25日の東京への空襲に始まる米国戦略空軍の夜間爆撃は
焼夷弾で燃えやすい日本の民家を焼き払うことを意図しており、
その焼夷弾の撒きかたも一般市民の大量虐殺を狙っていることは明白。

モンゴル帝国が残忍だったというのは世界史における一般教養みたいなもんですが、
事実を並べてみると20世紀の民主主義国家も相当残忍に思えてならない。
きっとチンギス・カンが聞いたらあきれるだろうな〜、と今回つくづく思ってしまいました。




今月のページへ戻る


◆◆◆ このWebサイトに対するお問い合わせは下記のメールアドレスまで ◆◆◆
QFH02614@nifty.com