<今月の言葉:2005年11月>
順調じゃないか。これはだめだとのデータを、何千と知ったのだぞ。
トーマス・アルバ・エジソン
<意味も無く(^^;)今月の画像: |
このページは当HPの管理者が 月々徒然なるままに他愛も無いことを 書き連ねるページです。とはいっても、 どーしようもないことは普段掲示板に 書き散らしているので、 古(いにしえ)の識者・賢人の お言葉を借用しながら、 少しはもっともらしいことを書くことに なっとります。 さて、2002年11月より 毎月欠かさず更新していたこのページですが 9月・10月はとうとう降参、 お休みしてしまいました。 愛読者(いるのか?)の皆さん ゴメンなさいね〜(_o_;;)。 |
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お休みした一番の原因は異様に多かった大会(つまり「大会エピソード」) なんだけど、それ以外にやっぱりちょっとバテていた、ということもありますね。 なんか文章を書く創作意欲がわかなかったのよね。 月イチというペースでもやっぱり連載というのはツライもんだなぁ、と つくづく思いましたよ、今度ばかりは(^^;;;)。 というわけで、ここから先はいつもの調子で。 先日の町田の長距離大会でMACS横浜チームの マスターズ大会はすべて終了となりました。 終わってみれば、今年もたくさんの大会に出場しました。 そして、多くの成功と、もっと多く(?)の失敗がありました。 特に、今年はじめて大会に参加された方々は 大会=失敗=お笑いネタ(?!)、という感じだったのではないかと思います。 まっ、はっきり言って、経験が浅い間はいろいろな失敗を やらかします。召集に遅刻します。キャップを忘れます。 ゴーグルが飛びます。などなど。。。。 実際のところ、大会経験を何十回と積んでいても タイムにまで視野を広げれば毎回成功とはとうてい言い難い。 失敗レースは誰でもやってます。 しかし、失敗しても良いのです。 失敗するからこそ成功に一歩近づくのです。 そのへんのところを 「発明王」エジソン先生の言葉で今回は考えてみましょう。 1.トーマス・アルバ・エジソン 1)幼少期 この人物は子供向けの偉人伝には必ず登場する人物。 「ミスター偉人伝」といってもよいぐらい(笑)。 電球や蓄音機を発明し、さらに膨大な数の改良レベルの発明をした「発明家」。 ちなみに、「発明家」なんて職業は普通はありません。 でも、エジソンは学術論文をまとめて学会で発表したわけではないし、 改良・発明をするだけでなく、会社を設立し経営者としての 活動もしているので狭い技術者という枠にも収まらない。 もちろん通常の経営者・資本家ともちょっと違う。 やはり「発明家」としか表現のしようがない人物なんですなぁ。 エジソンは、1847年にオハイオ州のミランという小さな町で生まれました。 ペリーが浦賀沖に来航する6年前です。 生まれたときから普通の子供より頭部がちょっと大きかった、という話もあります。 モノ心つくころから、この大きい頭で両親に質問を連発。 たとえば、「ガチョウはなぜ卵の上に座るのか?」 タマゴを温めるためだと聞いて彼は自分もたくさんの卵の上にうずくまってみたそうです。 それから、「火とはどんなものなの?」 これを確かめるために彼は小屋に火をつけ全焼させました(おいおい・・・)。 さらに、「平泳ぎの飛び込み直後のドルフィンキックは反則なの?」 これを確かめるために彼は大会で飛び込み後にドルフィンをバシバシ打って浮き上がりました。 もちろん泳法違反で失格。1回だけにしておけば失格にならなかったのにね。 あっ、こんな話は無いか・・・(_o_;;) それから、「子供はどうすればできるの?」 これを確かめるために・・・・、もうやめておきましょうか(笑) これって18歳未満は御法度の質問ですからね。 #久しぶりにちょっとシモネタ。 さて、そんな好奇心旺盛のエジソン少年は学校に入学したのですが じぇんじぇん勉強しないために成績は常にランキング最下位。 親父さんは「頭がくさっているのではないか」などと言ったそうです。 #ヒドイ父親ですね・・・。 これに母親も同調して 「腐ってはいないけどカビが生えてんのよ」 な〜んて言ってたら、 発明王エジソンは生まれなかったでしょう。でも、そこは偉人伝の人物(?)、 お母さんは賢明にもエジソンを学校から引き取り、本を買い与えて自習させました。 当人の旺盛な好奇心に期待をかけたんでしょうね。 そして買い与えられた本のひとつに『自然科学の学校』というのがありました。 そこには家庭でもできる科学実験が図解入りで説明されていました。 これに強い関心をもった少年エジソンは、書いてある実験をすべて自分で熱狂的に試してみました。 そして、11才のころには、なんと自力でモールス電信機を作り上げ 少し離れた友人宅との通信を成功させています。 #このへんの逸話は学校教育というものの意味を考えさせられますね。 #学校が不要とは思いませんが、 #すべての子供が学校に「適応」する必要はないのかもしれません。 2)発明家デビュー さて、12歳になるとエジソン少年は実験資金を稼ぐために 鉄道の列車内の売り子の職につきます。 「新聞をどうぞ〜、りんご、サンドイッチ、シロップ、ピーナツもありますよ〜」 そんな声で売り歩きながら3時間でデトロイトまで。 あとは夕方の帰りの列車でもうひと働き。 昼の間はヒマでした。ヒマな時間に彼は駅の構内で蒸気機関車の修理の様子や 電気技師の仕事を飽きずに眺めて、さらには図書館に入り浸るようになりました。 そんなある日、彼は駅長の子供が機関車に轢かれそうになるのを間一髪救い出し、 駅長からご褒美として電信の勉強をさせてもらうようになります。 そして、見事に16歳で電信技士の資格を取得します。 当時、南北戦争で各地への迅速な連絡ニーズが高まっており、電信技士は ひっぱりだこのお仕事でした。 さて、21歳にエジソン青年はウェスタン・ユニオン電信会社に勤めるようになります。 この頃、彼はファラデーの『電気工学の実験的研究』という本を読みふけり、 そこに書いてある電気実験をすべてやってみようとしました。 ちなみにファラデーは、日本では学校の課題図書『ロウソクの科学』で ロウソク学者(?)と思われているフシがありますかね。 しかし、彼はこの当時の電気の研究の第一人者で、史上初めて原始的な発電機を発明しています。 したがって、彼の専門は電気であって、ロウソクや鞭(ムチ)は趣味みたいなもんです。 あっ、鞭はちがうって?、そうですね、すんません(_o_;;)。 さて、エジソンは学校に行っていなかったので科学についての基礎知識は ありませんでしたが、ファラデーの本を熟読し、さらに膨大な 実験(ロウソクの実験ではありません)をしたことで、電気についての当時の体系的な知識を ほぼ理解することができました。 そして、彼はこの電気の知識でさっそく発明第一弾を世に送り出します。 それは「電気式投票機」。議会で議員たちがボタンを押すと即座に賛成・反対の 票決ができちゃう、というシロモノ。最近ではテレビのバラエティー番組とかで 使われていますね(笑)。 でも。これは採用されませんでした。 こんな機械でバシバシ採決しちゃったら小泉首相のやりたい放題になってしまい、 せっかく民主党が対案作っても意味なくなっちゃいますからね。 あっ、エジソンの頃にはまだ小泉首相はいないか・・・(_o_;). 3)発明の数々 というわけで、デビュー作は「お蔵入り」となってしまったエジソンですが、 彼はこの経験で「皆が必要としないと駄目」ということを理解し、 その後の発明は次々と成功していきます。 まず、株価を瞬時に表示する相場表示機を発明して成功。 1869年にはニューヨークのゴールド・アンド・ストック電信会社と契約して そこの装置とサービスを改良して研究資金を確保。 1876年にニュージャージー州メンローパークに発明工場ともいうべき研究所を創設。 ここでいろんな改良・発明をするわけですが、代表的なのは、 1つの回線で複数の信号の同時送信を可能にした発明。 ちなみに、この会社でエジソンがたてた目標は以下のようなもの。 「10日ごとに日本新記録をひとつ、世界新記録は半年か1年にひとつ」 ・・・じゃなくて(笑) 「10日ごとに小さな発明をひとつ、大きなものはは半年か1年にひとつ」 そーとー無茶な目標のようにも見えますが、なんと彼はそれを上回るペースで 改善・発明を実現していったそうです。 以下、くわしく書いてると大変(^^;;)なので、ちょっと箇条書き風に走ると 1877年、有名な蓄音機の発明。 2年後には白熱電球の発明、 このとき実験した膨大なフィラメントの材料の中で、彼がたどりついたベストチョイスが 日本産の竹だったことは有名。 1882年、世界初の大規模発電所を開発してニューヨークに設置。でもこの発電所は直流電気を 扱っていたので後に現れる交流電気の発電所にとって変わられます。 1887年には、ニュージャージー州ウェストオレンジに移って、実験と研究のための巨大な研究所を建設し 1893年にはキネトスコープで映画を初上映。いわゆる映画の先祖にあたります。 さらに、アルカリ性の溶液をもちい、陽極には水酸化ニッケル、陰極には酸化鉄をつかった「エジソン蓄電池」 1913年、蓄音機とキネトスコープを合体させて、世界初の音がでる活動写真を制作。 他にも発明・改良はいろいろいろいろいろいろ・・・。なんせ生涯に1300もの発明をしたというんだから 正直、真面目に細かく書いていたら身がもたない(^^;;)。 それにしても、エジソンはなんでこんなに発明できたのでしょうか? この素朴な質問に対してエジソンは答えます。 「ワタシは眠らないからだよ」 なんとエジソンの平均睡眠時間は1日3時間、そして起きている時間のほとんどを 発明のための思考に使っていたわけです。 ふつーの人が寝ている時間、ボケ〜っとしている時間、 テレビを見ている時間、あっ、これは違うか(^^;;)、などなど、そういう時間を すべて発明のための研究時間にしているから、 人並みはずれたペースで発明できるのだ、そんじょそこらの人とは「物量」が違うのだよ、と。 では、彼はなぜ眠らないでいられたのか?、眠くならなかったのか? 彼はこれにも答えます。 「ワタシは食べないからだよ」 なんとエジソンの食事は1日わずか400グラム。 たしかに最近読んだ半断食の本にも、食べるのは身体によくない、 1日1回しか食べなくても身体は大丈夫だし、むしろその方が胃腸は休まり 頭の調子もよい、というよーなことが書いてあります。 でも、ろくに食べない・寝ないでひたすら研究っつーのもねぇ・・・ だらしのない小生(のんぶれす)から見ると、 エジソンってはっきり言ってタダモノではありません。 こんな御仁を上司にもったりしたら大変です。 きっと、いきなりBGMでチャイコフスキーの曲が流れてきて、 おなじみのCMのフレーズでしょう。 「上司がバケモンだと思ったら・・・・オージンジ、オージンジ、」 4)その後のエジソン とにかくこんな感じ(?)でエジソンは通常の人には成し遂げられないような発明の山を築きあげ、 1890年ごろにはアメリカにおけるスーパーヒーローとなっていました。 たとえば、H.G.ウェルズの『宇宙戦争』の続編的な作品として、 今度は地球人が火星へ攻め込んでいくというSFが作られたのですが、 なんと地球人の指揮官はエジソンというストーリーでした。 題名もそのものズバリ、『エジソンの火星制服』(真面目な話)。 #ちょっと我々の感覚では理解しがたい話ですが、アメリカという国はそういう国らしい。。。 でも、スーパーヒーローといえども人間。 いろいろ社会のドロドロにも巻き込まれています。 特に彼の場合に多いのは、特許をめぐる法廷闘争と会社の買収。 前者について言えば、A社が市場を支配する画期的な製品を発売すると 対抗するB社はエジソンに頼んでA社の特許に触れない方法で A社製品と同等の機能の製品を作ってもらう。 でも、A社は「特許侵害だあ!」って言って裁判になるわけですな。 エジソンはこの手の裁判の常連で年がら年じゅう法廷に通っていました。 また、後者の会社の買収。 エジソンが実験・発明のために作った会社には次々と買収の話が持ちかけられ 巨大コンツェルンに巻き込まれていきました。 組織に拘束されるのを嫌ったエジソンはその都度、適当な金額で会社を売り渡し、 新たな会社を立ち上げていました。 エジソンには残念ながら会社経営・お金儲けのセンスがあまりありませんでした。 結局、彼の発明による果実の多くはカーネギーやロックフェラーといった大財閥・大資本家に 吸い取られてしまいました。 挙句の果てに、 エジソン45歳の年に、電灯業界におけるエジソンの発言権はゼロに等しいものに なってしまいました。彼は苦々しそうにつぶやきました。 「もう永久に電灯とは手をきる」。 その後、彼は畑違いの鉄の採掘などに手を出しますが 残念ながらそちらではそんなにうまくいきませんでした。 まあ、それでも、そこまでの蓄えと名声が十分だったので生活には困らない晩年でした。 また、エジソンのファンは多く、自動車王ヘンリー・フォードなども エジソンに傾倒していてエジソンに関するものを集めてエジソン記念館を建てました。 1929年、そのエジソン記念館で白熱電灯50周年祝賀会が盛大に催され、 フーバー大統領、モルガン財閥の二代目、飛行機を発明者ライト、キュリー夫人など そうそうたるメンバーが招待されました。 その一行を途中の駅で出迎えた82歳のエジソンは、車内販売の少年からカゴを取りあげ、 大統領に差し出しました。 「新聞をどうぞ〜、りんご、サンドイッチ、シロップ、ピーナツもありますよ〜」 物売りの少年が社会を変える発明王となったことを示す 印象的な光景でした。 そして、2年後の1931年10月18日、彼は衰弱により84歳の生涯を閉じました。 彼の葬式の日に、エジソンの死を惜しんでアメリカで1分間の停電をおこなおうという話が 持ち上がりました。 でも、それはできませんでした。 すでにこの当時、電気はアメリカ社会のインフラとして1瞬たりとも止めることの許されない存在と なっていたためです。 そこで、大統領は代わりに、この日の夜10時に各家庭で自発的に消灯をすることを 呼びかけました。 その日、多くの人々は自宅の灯りを消して、暗闇の中でエジソンをしのび、 ふたたびスイッチを入れ、電灯の明るさと便利さにあらためて感謝したとのことです。 メデタシメデタシ。。。。。 2.順調じゃないか。これはだめだとのデータを・・・ さて、今回とりあげた言葉の方に話題をうつしましょう。 エジソンの名言といえば有名なのは以下のもの。 天才とは1%のインスピレーションと99%の努力である。 うーん、ワタシの独断と偏見でモノ申すと、 これってあんまり良い言葉ではありませんね。(^^;;) この言葉を単独で耳にすると「ボクちゃんは天才だもんね〜」という気持ちが 背後に感じられてしまいます。 でも、実際のエジソンはそこまでエグい人間だったわけではないらしいです。 上記の言葉は周囲が「どーしたらあなたのような天才になれるのでしょうか?」 というような質問を繰り返すので その質問に決まり文句のように答えるフレーズとして「発明」(?)したもののようです。 それとは違い、今回取り上げた言葉、 順調じゃないか。これはだめだとのデータを、何千と知ったのだぞ これは、エジソンが電池の改良のために 膨大な材料を順番に試験していたときに仲間を励ますために言った言葉です。 この言葉には、「ダメな結果」というものの重要性をきちんと認識していたエジソンの姿勢が にじんでいて、なかなか味わいがあると思います。 日本人は気が短いせいか、とかく「成功」ばかりに目をむけ「失敗」の重要性を理解しません。 でも、物事はたくさん試してたくさん「失敗」の経験を積むことで 一歩ずつ「成功」に近づいていくものかと思います。 したがって、「失敗」の経験は「成功」の経験と同じくらい重要なものと考えられます。 今年もたくさん大会がありました。 そして多くのメンバーが多種多様な失敗をやってしまいました。 でも、それは決して無駄にはなりません。 同じことを繰り返さないように準備すれば、次回はほんのちょっと成功に近づいています。 まっ、次回も別な失敗をするかもしれませんけどね(^O^;;)。 そのときはちゃーんと「大会エピソード」でお笑いネタにしてあげるのでご心配なく!(笑)。 では、今月の言葉は以上です。 (参考) 今回は参考にした文献の中で特に大きかったのは以下の書籍です。 星新一著『明治の人物誌』(新潮文庫) ショートショートの帝王・星新一氏の父は製薬会社をおこして一度は成功した人物でした。 そんな父が関わった明治の頃の人たち(含むエジソン)を紹介している作品です。 このページでは触れる余裕のなかったもろもろのキラキラ・ドロドロの話が 読みやすい文章で紹介されていますので、興味のある方は是非ご一読ください。 |
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