<今月の言葉:2006年2月>
成功するまで続けず途中であきらめてしまえば
それで失敗である。
松下幸之助
<意味も無く(^^;)今月の画像:バンダ。 |
このページは当HPの管理者が 月々徒然なるままに他愛も無いことを 書き連ねるページです。とはいっても、 どーしようもないことは普段掲示板に 書き散らしているので、 古(いにしえ)の識者・賢人の お言葉を借用しながら、 少しはもっともらしいことを書くことに なっとります。 さて、今月は町田マスターズで Sharkさんが100mバタフライ、 それから神奈川マスターズ短水路で チーム自来也の皆さんが100m平泳ぎに 「挑戦」されますなぁ。 というわけで、100m種目に挑む 勇気のある方々のために この言葉を採用しましょう。 |
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1.経営の神様・松下幸之助 この人は有名なので経歴までは知らなくても 名前は知っているという人は多いでしょうね(^_^)。 身ひとつで電気器具の作成・販売を行う会社を起業し、 ついには日本を代表するメーカー・松下電器産業を築き上げ 「経営の神様」と呼ばれた立志伝中の人物です。 ほんの15年ほど前まで生きていて、関係者も日本中にぎょーさんいる人物なので 迂闊なことは書けないのですが(^^;;)、 以下、マイクロソフトエンカルタ(電子百科事典)にある松下幸之助の紹介、 さらに松下電器のホームページにある「松下幸之助物語」を元ネタに 簡単に紹介しましょう(のわりには、長文になりましたが・・・)。 まずは、エンカルタから略歴引用。ここはざっと斜めに読んでください(^^;;)。 ・松下幸之助 まつしたこうのすけ 1894〜1989 松下電器産業の創業者。 和歌山県に生まれ、9歳で小学校を中退、大阪に奉公にでる。 ・1910年(明治43)、大阪電燈に見習工として入社、関西商工学校夜間部予科にもかよう。 17年(大正6)に同社を退職し、改良ソケットの製造販売で独立。 →でも、この改良ソケット、商売としては失敗で全然売れませんでした。 それで一時は銭湯にも行く金がないくらい困窮状態となりますが、 偶然にも別な電気器具の注文があり、それで危機を脱します。 ・翌年松下電気器具製作所を個人創業し、自転車用ランプ、電気アイロン、 電気ストーブの生産で事業を拡大した。 ・1931年(昭和6)からラジオ、乾電池の製造をはじめ、 33年に独立採算制と自主責任体制を特徴とする事業部制を創設した。 大阪の門真に本社、ラジオ工場、乾電池工場を設立、 35年には、株式会社に改組して松下電器産業とし、社長に就任した。 ・第2次世界大戦中は、民需生産の一方で、無線機器や木製飛行機などの軍需生産もおこなった。 戦後は、いちはやく家庭用電器製品の生産をはじめ、 テレビ、洗濯機、冷蔵庫などを次々に開発、 ・経営理念である「水道の哲学」(供給量が増大すればすべての物資が無料同然になる)にもとづいて、 大量生産によるコスト削減と大量販売をすすめ、家電メーカーの主導的地位を確立した。 その経営手腕は「経営の神様」とよばれるほど高く評価された。 1961年に会長となり、73年からは事業の第一線をしりぞき、相談役となった。 ・1968年、創業50周年に際して、50億円の「児童の交通等災害防止対策資金」を寄贈。 75年にNHK放送文化賞を受賞。また、国土庁顧問に就任して国土大改造計画を提案、 80年には政界、財界の指導者の養成を目的として松下政経塾を設立した。 83年に国際科学技術財団をつくり、日本国際賞を創設。87年勲一等旭日桐花大綬章をうける。 さて、松下電器ホームページの「松下幸之助物語」は 幸之助の人柄を物語る面白いエピソードで構成されているのですが、 以下にいくつか特に興味深いものを引用しながらとりあげてみましょう。 氏がどういう考え方・生き方をしていたかがわかります。 ある意味、むかしの日本人の典型的な姿かもしれません。 1)便所掃除の話 大正12年の暮れ、工場の大掃除のときに幸之助氏は便所をだれも掃除していない ことに気づきました。そして、所長みずから便所掃除を始めました。 以下、「松下幸之助物語」から引用(^^;;)。 便所はみんなが使う、自分たちのものである。 それを掃除するのに、何の理屈があるものか! 幸之助は激しく憤りを感じ、そして考えた。 「これではいかん。たとえ仕事ができても、常識的なことや礼儀作法がわからないままでは、 社員にとって松下ではたらく意義は薄い。人間としての精神の持ち方を教えるのも 工場主たる私の責任だ。言いにくいことも言わねばならない」と。 便所掃除が終わったら、何と言われようが、みんなに強く注意をしよう。 そう思いながら、幸之助は便所の踏み板を何度も何度もほうきでこすった。 米国流の経営者・従業員の契約関係では「人間としての精神の持ち方を教える」なんて ナンセンスです。また、昨今の成果主義の風潮ともなじみません。 でも、それでいて、なぜか考えさせられるエピソードですね。 2)Nationalブランドの由来の話 新商品の角型の自転車ランプ、これは松下の第二弾主力商品で、 幸之助は、それまで自転車ランプの販売を任せていた山本商店から販売権を買い戻し、 自らリスクを背負って、自分で全国に売り出そうと決意していました。 そんで、商品名をいろいろ考えていたんですが、ある日、新聞を見ていて思いついた。 当時はロシア革命とか社会主義とかが流行っていた時代でした。 「モスクワで第1回インターナショナル開催」なんて記事が新聞に踊っていた頃です。 以下引用。 「おい、"インターナショナル“ってなんちゅう意味や? ロシアの革命と関係あるんやろか?」 「ん−、辞書では"国際的"ちゅうような意味ですな。 "ナショナル"だけでは、"国民の"、ですなあ」 「国民……ナショナル……。」 こうして生まれたのが「ナショナルランプ」。 「国民のランプ」って思いらしい。 National名を背負った製品の第一号となりました。 3)社員のクビを切らなかった話 昭和4年の暮れ、どん底の不景気の中で松下電器製作所も 山のような在庫をかかえて苦しんでいました。 製品の売れ行きは半減状態、生産量を落とすために人員削減を考えるしかありません。 しかし、ここで幸之助氏は決断。以下引用。 「決めた、ひとは一人もへらさん。日給も全額払うで」 「えっ」 「生産半減のため、工場は半日操業や。 けど、そのかわり、休日も返上して全員で全力で在庫を売るんや!」 自分は、将来ますます発展するつもりで事業をしている。 ならば、せっかく松下に入ってもらった人たちを一時の事情で手放すのは 間違った判断だ----。こう考えた幸之助に迷いはなかった。 解雇も覚悟していた従業員たちはその心意気に感激し、燃えた。 その結果、翌年2月には倉庫を埋めつくしていた在庫はきれいになくなり、 一日中操業しなくては生産が追いつかないまでに回復したのである。 なんとなく、むかし流行した青春モノ、 あるいは「友情・努力・勝利」の某マンガ週刊誌を思い出してしまいます(笑)。 でも、 人員調整をしやすいよう正規社員を減らしてバイトやパートの比重を増やしている昨今の世の中、 これもいささか考えさせられるお話です。。。。 4)会社の使命を知ったという話 昭和初期の不景気を乗り越え、順調に拡大していった松下電器製作所。 そんなある日、幸之助氏は取引先の某氏の勧めである宗教団体の製材所を訪問。 そこでは全国の信者から寄進された材木を教祖殿にしようとしていました。 そんで、そこで作業する人々の表情が喜びに満ち溢れているのを見てびっくり仰天。 このことを帰宅後もずっと考えていた幸之助氏、いつしか自分の事業や経営と 重ね合わせて考えるようになります。 真の経営とは? そもそも、自分の事業の使命は何なのだろうか。 「正義の経営、経営の正義……」 そんで、ついに悟り(?)をひらきます。 以下引用。 「そうや! 生産につぐ生産で貧を無くす営みこそ、われわれの尊き使命やったんや! ああ、わしはそんなことも知らんかったんや」 われらこそは、自己にとらわれた経営、単なる商道としての経営の殻を 破らねばならない使命を自覚すべきだったのだ----。 いつしか夜も更けていた。漆黒の闇のなかで、 初めて自らの事業の真の使命に目覚めた幸之助は、ひとり、震えるような感激を覚えていた。 うーん、なんか単純といえば単純(笑:ごめんなさーい)。 宗教団体といえば、「オ○ム真理教」とか「××の箱舟」みたいなのを連想してしまう我々には どーも幸之助氏のような感動は難しいんですよね(^_^;;)。 とにかく彼は自分のビジネスの使命を悟り、さっそく全社員を集めてこの話をスピーチ。 社員一同、いたく感動。ここに真の松下電器が生まれたんだそうな。。。。。 5)鬼門の話 順調に大きくなっていった松下電器製作所、ここらで新工場をつくろうと 幸之助氏が目をつけたのが大阪郊外の門真。なみはやドームの近くですかね。 ところが門真は大阪の北東、北東という方角は鬼門といって縁起の良くない方向。 「そーかー、門真は大阪の鬼門か。なみはやドームではタイムが出なかったわけだ」 ・・・などと考えたわけではありませんが(^^;;;)、 とにかく幸之助氏は鬼門ということで悩んでしまいました。 しかし、ある日、日本地図を見ていて発見!、日本列島は南西から北東に伸びている。 「まてよ、鬼門ゆうたら、日本じゅうが鬼門やないか」 えらいこっちゃ、どこ行っても鬼門だがら、どこ行ってもタイムなんか出るわけ無い(涙)。 ・・・などと幸之助氏はもちろん考えませんでした(^^;;;)。 むしろ、日本中が鬼門なら気にすることなどない、と吹っ切れて 自信満々で門真に大工場を設立したそうな。 別にどーという話でもないですが、なんか面白いエピソードですね。 6)PHP研究所創立の話 終戦後、民需向けの操業を再開した松下電器製作所ですが、 当時はGHQによって製品の公定価格を低く抑えられ、 しかも世の中はインフレ、松下電器は作れば作るほど赤字になるという メチャメチャ厳しい状況に追い込まれていました。 「正しく法を守り、誠意を尽くして働いているものがみんな苦しみ、悪徳が栄えている」と、 幸之助は嘆き、 「どうしたら人間の苦しみをなくし、正しい、平和な社会が築けるだろうか」 と 考え続けました。 そしてついに結論・・・必殺仕事人・・・じゃなくて(^^;;)、 以下引用。 考えた末、幸之助が出した結論は 「繁栄こそが幸福で平和な生活をもたらすものである。 今の日本ではその繁栄をもたらす理念が認識されていないから 平和な社会が築けないのだ」という考えであった。 「繁栄によって乎和と幸福を(Peace and Happiness through Prosperity = PHP)」。 この考えを実現しなければ国家の安定もなく、ましてや会社の安定もない。 昭和21年11月3日、幸之助はPHPの実現方法を研究し、 その考えを世間に広める機関として「PHP研究所」を設立した。 (中略) 勉強会や講演会の開催、機関誌「PHP」の創刊、そして街頭でのビラ配りと、 幸之助はPHP運動に精力を傾けた。 うーん、こうくるかぁ〜・・・というのが小生の率直な感想なのですが(^^;;;)、 どこまでもどこまでもまっとうに社会のために尽くそうとする幸之助氏でありました。 7)便所掃除の話U 朝鮮戦争の特需によって危機を脱した日本経済と松下電器製作所。 ここで、これまでの経営をいったん白紙にして世界的視野で事業を再構築したい、 と考えた幸之助氏は、昭和26年に初の米国視察を敢行。 そして、訪問先で米国の効率的・機動的なビジネススタイルに感動していたある日、 海水浴場で公衆トイレに入った幸之助氏はびっくり仰天。 ちゃんと清掃されていて綺麗なんですよ。 以下引用、 「これは……!だれか掃除してるんやろか」 「何言ってるんですか、ミスター・マツシタ。当然、役所がやってるんですよ」 「お役所が……」 「そのために我々は税金を払っているんじやないですか」 幸之助は考え込んだ。 日本では役所や役人は「お上」と奉り、税金は「納める」ものである。 しかし、なんとアメリカは逆ではないか。 役所をサービス機関ととらえ、目的をしっかり自覚して税金を払うアメリカ人の姿は、 後々までも幸之助の脳裏に焼きつくことになった。 これは興味深い話ですね。 民主主義社会というのは、市民社会であって、 市民が社会全体のために必要な公共サービスのコストを「税金」という形で出し合うことで、 成り立っています。市民が政府のオーナーであり出資者なわけです。 市民社会を歴史上あまり経験しなかった日本人にはわかりにくいんですよね。。。。 #参考までにいえば、西欧人はすでに紀元前の共和制ローマで市民社会を経験しています。 しかし幸之助氏のエピソードには便所がよく出てくるなぁ・・・(笑:ごめんなさーい) 8)熱海会談の話 昭和36年に会長に退いた幸之助氏でしたが、 昭和39年ごろ報告書を見ながら心配していました。 長年の経験で、数字に表れた減収減益の兆しに、数字以上の事態の深刻さ、 構造的行き詰まりを感じ取っていたんだそーな。 そこで、彼は突然の会長号令を発します。 「営業所長が同道し、販売会社、代理店の社長さんに、一人残らずお集りいただきたい」。 場所は熱海。もちろん泳ぐわけではありません(笑)。 販売会社、代理店の社長さんを集めた幸之助氏は、 「今回の会合は日にちを切らない」「議題はあえて用意しない」 「策はないが、とにかく徹底的に話し合う」と宣言して、 無制限勝負の「朝まで生テレビ」(?)を敢行しました。 大半の販売会社・代理店が赤字に苦しんでいる、 販売会社・代理店、ひいてはお店の努力不足なのではないか、 と思っていた幸之助氏は、販売会社・代理店の社長さんたちを相手に壮絶バトル。 でも、松下に対する不満も大きく、議論は平行線のまま3日間、 誰もが「これは終わんないんじゃないの〜?」と思い始めていました。 そんなとき、以下引用。 「皆さんの言い分はよく分かった。松下が悪かった」 突如、頭を下げ、話を始めた幸之助に驚き、騒然としていた会場はしんとなった。 幸之助はもう誰が悪いと言い合っているときではないと思った。 誰の言い分にもそれなりに理があり、どこが悪いといっても始まらない。 現状は分かった。この現状を突破するために、 そしてお得意先のこれまでの信頼に応えるために、今は松下が頑張るときなのだ。 葛藤は消え、一言ごとに、これまでのご愛顧に応えられていない現状への悔しさと、 現状打破への決意をかみしめていた。 思いは一筋の涙となり、非難で埋めつくされていた会場を団結に変えた。 この熱海会談のあと、幸之助氏は自ら営業本部長代行となり、 会長の第一線返り咲き 。 先頭に立って大改革を断行。 新販売制度は軌道に乗り、苦しかった販売会社・代理店の経営も回復し始めた、 ということだそうな。 まっ、エピソードはこんなところで、そろそろまとめに向かいますか(^^;;)。 「松下幸之助物語」のいろいろなエピソードを読んでいてつくづく感じるのは、 家族経営的な日本の商家が旦那と社員たちの創意工夫・熱意・努力で 地道に商売を大きくしていき、ついに大会社になった、という古典的日本流の成功物語、 一昔前までの朝の連続テレビ小説の世界、というところです。 実際、PHP研究所でいまでもたくさん出版されている松下幸之助氏の語録みたいな本には、 はっきりいって商家の旦那が奉公人にとくとくと説教するような そんな感じの文章であふれています。 (長屋のご隠居さんが熊さんや八さんをつかまえて長々と説教している、そういう光景を 想像してもよいかもしれません) これって、ITベンチャーとかヒルズ族なんてのがチヤホヤされる昨今ではウケない、 はっきりいって流行の対極にあるようなシロモノなんですよね(^^;;)。 でも、ひょっとしたら今のこの国が見直すべきものは こういう商家の旦那様や長屋の大家さんが説教していたような倫理や道徳なのかもしれません。 最後にちょっと長いですが、松下幸之助氏がPHP研究所の機関紙「PHP」に 連載してきた短文をまとめた『道をひらく』という本にあるひとつの文章を紹介しましょう。 経済合理性のためにビルの構造計算を偽装したとか、 粉飾決算で時価総額世界一を目指して逮捕されたとか、 検査確認後に身障者用の施設を「儲からないから」と無断でロビーに改装したとか、 そういうニュースばかりが世間を騒がせています。 一方で、松下電器は20年前に生産・販売した石油温風機の欠陥を みずからテレビCMで大々的に公表し、購入者からの連絡を呼びかけました。 そういった昨今の事ごとをふまえて読むと、とても考えさせられる文章です。 眼前(がんぜん)の小利 一匹狂えば千匹狂うというが、これは何も、馬だけにかぎったことではない。 人間でも、一人がちょっとした心得ちがいをしたならば、 それに引きずられてまた多くの人が道を誤る。 ことに、それが利欲にかかわった問題となると、とかく人の判断は狂いやすい。 そして眼前の小利にとらわれる。 眼前の小利にとらわれるな、とは昔からのことわざであるが、 小利にとらわれていては、結局は損をする。 その損も、単に自分だけで終わるならまだ罪は軽いが、 今日の世の中のように、人と人と、仕事と仕事とがたがいに密接につながっているときは、 一人の損がみんなの損となり、その心得ちがいは大へんな結果を生む。 こんなことは、いまさら事新しくいう必要もないのだが、 この世の中、やっぱり一部の人のちょっとした心得ちがいからいろいろの問題が 引き起こされていることを思えば、眼前の小利にとらわれるなと、 何度も何度もくりかえしていいたくもなってくる。 別にむつかしいことをいうつもりはない。 またいっても詮(せん)ないことだと考えてもいない。 こんなことは結局、人の良識に訴えるのが根本で、 だから何度も何度もあきずにいいたいのである。 2.途中であきらめてしまえばそれで失敗である さて、じゃ、今月取り上げた言葉の方に話題を移しましょうか。 この言葉、たしかPHP出版の本の”しおり”に書いてありました。 きっと、幸之助翁の語録のどれかにあるんでしょうね。 この言葉で特に大事なのは「成功するまで」の部分ではなく、むしろそのうしろの 「途中であきらめてしまえばそれで失敗である」 のところでしょう。 同じように日本を代表する起業家・本田宗一郎氏も 一旦始めたらとにかく最後までやれ、ってことをどこかで言っていたはずです。 名を残す一流の経営者ってどこかそういう高所からの見識があるようですね。 マスターズの大会も、 ・とにかく棄権せずに出場する ・スタートしたらとにかくゴールまでたどり着く これが大事です。 これさえ確実に果たせば、あとはその種目のエントリー状況次第では メダルが転がり込んできたりします。 (いわゆる「完泳すればメダル〜♪」というお気楽パターン。でもメダルはメダルだ!) まあ、普通はそうそう簡単にそういう「おいしい」状況は生まれませんが、 メダルに手が届かなくても完泳した実績は次以降の大会に生きます。 あとは「数撃てば当たる」というところかと・・・(笑) というわけで、町田や神奈川短水路で100mを泳ぐ皆さん、 数日前から肩が痛くなるかもしれません、前日は吐き気がするかもしれません、 でも、それがメンタルの問題ならガマンしてスタート台に立ちましょう。 よーい、ポン、で飛び込んじゃったらあとは身体が本能で岸まで向かいますって!(笑) では、武運長久(?)をお祈りして今月の言葉は以上です。 がんばってね〜(^_^;;)/。 P.S... 実は400フリーに出るワタシ自身が一番アブナイのだが・・・・・大丈夫かなぁ〜。。。。 ■補遺■ 今回参考にした松下電器産業ホームページの「松下幸之助物語」は 以下のURLで見ることができます。 なかなか面白いので一読をお勧めします。 http://panasonic.co.jp/cgi-bin/person/index.cgi |
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