<今月の言葉:2006年3月>

善く戦う者は、勝易きに勝つ者なり
             『孫子』


<意味も無く(^^;)今月の画像:マーガレット>


このページは当HPの管理者が
月々徒然なるままに他愛も無いことを
書き連ねるページです。とはいっても、
どーしようもないことは普段掲示板に
書き散らしているので、
古(いにしえ)の識者・賢人の
お言葉を借用しながら、
少しはもっともらしいことを書くことに
なっとります。

さて、今月は全国各地の会場で開催される
日本マスターズ短水路大会の申込シーズン。

この大会、会場によってレベルに雲泥の差が
あるので、どの会場でどの種目を泳ぐかで
メダルを取れるか取れないかも違ってきます。
なにしろレースによっては完泳するだけで
「金メダル〜♪」ということすら
あったりします。

つまり、泳力以前にエントリ段階での
作戦立案が重要。というわけで、
今回はかの有名な兵法書『孫子』の言葉をもとに
「日本マスターズ短水路大会での戦略戦術」
を考えて見ましょう。



1.孫子の兵法



さて、いつもどおりまずは言葉の出典の説明から。

『孫子』といえば、武田信玄の有名な旗印「風林火山」の引用元なので
名前ぐらいは皆さんご存知でしょう。

クラウゼヴィッツの『戦争論』と古代中国の『孫子』は
世界的な兵法書の双璧とされています。


孔子や孟子が具体的な人物名なので「孫子」もきっと天才戦術家なんだろう、と
思っている人もいらっしゃるかもしれませんが、
実は明確に「孫子とはこの人」といえません。

『孫子』の筆者はざっくり言えば二説あり、
春秋時代(紀元前500年ごろ)の呉国の軍師・孫武(そんぶ)だという説と
ちょっとあとの戦国時代の斉の軍師・孫ひん(漢字が表示できん・・・)
だという説にわかれます。

でも、現在では、孫武の説は否定され、孫ひんの言葉にいろんな軍略家の言葉が
少しずつ重なっていき、今日に至った、というのが通説となっているようです。
実際、全文を通して読むと、章と章の間でけっこう書いてあることがずれていたり
文体が違ったりしているらしいんだな。

まあ、それはともかく、『孫子』は大きく以下の章で構成されています。

計篇、作戦篇、謀攻篇、形篇、勢篇、虚実篇、軍争篇、九変篇、行軍篇、
地形篇、九地篇、火攻篇、用間篇



このうち計篇から謀攻篇までの3篇がほぼ総説というところで、
続く形篇から虚実篇の3篇が戦略レベルのお話。

つまりどういう条件が整ったら戦争してよいか、
戦争する場合はどのような戦略をとるべきか、というあたりが書いてあります。

そして軍争篇からは戦術レベルの各論。ここは実際の戦場でのノウハウです。

ちなみに「風林火山」で有名な

   疾(はや)きことは風の如く、其の徐(しずが)なることは林の如く、
   侵掠することは火の如く、知り難きことは陰の如く、
   動かざることは山の如く、動くことは雷の震(ふる)うが如くして、・・・・・・


は軍争篇に出てくる言葉。
武田信玄が陰と雷をオミットした理由はよくわかんないけどね。


さて、『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』のような兵法書は
「どうやったら敵をやっつけることができるか」をたっぷり書いてあるのではと
思われるかもしれませんが、
実はこれらの書物はもっと深いところから戦争というものを説いています。

つまり、「そもそも戦争とはなにか」あるいは「どういうときに戦争してよいか」から
スタートしています。
このへんが、これらの書籍が「世界の名著」に名を連ねている理由でもあります。

たとえば、クラウゼヴィッツは書いています。
戦争とは外交の延長線上の行為である、と。

一方、『孫子』はどうか?

意外に思うかもしれませんが、『孫子』の基本姿勢は「不戦」です。

つまり、しないですむ戦争は極力すべきでない、というのがベースとなっています。
『孫子』は春秋戦国時代の膨大な戦争経験をベースに、
結局のところ「戦わずにすませるのが一番良し」、と主張しているのです。


第1篇(計篇)の冒頭の一文、これが『孫子』の基本姿勢です。

  孫子曰く、兵とは国の大事なり。
  死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。


  (孫子はいう、戦争とは国家の大事である。
   国民の死生がきまるところであり、国家の存亡のわかれ道であるから
   よくよく熟慮せねばならぬ)

というわけですね。

また、こういう言葉もあります。

  百戦百勝は善の善なるものに非ず、
  戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり (謀攻篇)


戦ってやっつけるのは最善ではないよ、
本当の最善は、
戦わずに外交のテーブル上で相手に「参りました」と言わせることなんだよ、と。

こうした基本姿勢のもとで、どうしても不可避で、どうやったら勝てるか見えているとき、
はじめて戦端をひらいて良し、ということになっているわけですね。


それから、日本で有名なのは以下の言葉。

  敵を知り、己を知れば、百戦危うからず


日本人はどうも景気の良いフレーズが好きなので「百戦危うからず」のここの部分を
よく引用しますが、これは少々浅はかではないかと小生は思っています。

本当に大事なのは、実はこのあとに続くフレーズなのです。

以下、『孫子』謀攻篇の原文

  彼を知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。
  彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。
  彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に殆うし。


敵の実力を知らず、自分自身の相対的な実力もわかっていない場合は、
戦うごとに毎回ヤバいんだよー!、と『孫子』は強く主張しているのです。
本当はここのフレーズが大事ではないでしょうか。


   ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 


1941年12月8日、日本は真珠湾のアメリカ海軍基地に奇襲攻撃を行い、
米英中蘭を相手にした太平洋戦争の火蓋をきりました。

昭和初年の段階で、
日本陸軍の仮想敵国はソ連であって米国ではありませんでした(つまり研究も準備もしていない)。
また、日本海軍は世界3大海軍国の一角を占めていましたが、
残る2強(米・英)を相手に戦争できるようには建造されていませんでした。

つまり、そもそも対米戦争なんて予定も計画も無かったのです。

ところが、陸軍の中国派遣部隊(関東軍)の名誉欲の強い好戦的な指揮官・参謀たちが
日本政府の不戦指示を無視して勝手に戦いを始めて日中戦争の泥沼となってしまい、
中国に泣きつかれた米国が日本への石油輸出禁止という経済制裁。

そんで、
「石油が滞ってジリ貧になるぐらいなら、手持ちの燃料がある間に一発勝負して
 南方の油田地帯をとってしまえ!」と
ほとんど「勢い」だけで始めてしまったのが太平洋戦争でした。

つまり、対米開戦に関して実は誰も「ちゃんと勝てるのか」を真面目に考えていなかったのです。


いや、考えていたのかもしれませんが「勝てる」と思い込んでいました。

でも、「思い込んでいる方々」は、米国の工業生産力が日本の10倍以上であること、
米国の科学技術が日本を凌駕していることを理解していませんでした。

戦争後半では米国は航空母艦も駆逐艦や潜水艦も、戦闘機や爆撃機も戦車も
日本の10倍ぐらいの戦力で攻めてきました。
もはや小手先の戦術でどうこうできるギャップではなく、
日本軍はまったく一方的に叩き潰されてしまいました。

一方、

敵(米国)の実力を知らなかった日本軍は、実は自身の相対的な実力も知りませんでした。

米英の兵隊達に自動小銃(マシンガン)が普及している時期に
「世界に冠たる無敵皇軍」を名乗る日本陸軍の兵たちの主力銃は有名な「三八式歩兵銃」。
これは「”明治”38年制式化の装弾数5発の銃」でした。

日米開戦の少し前に、
モンゴルのノモンハンというところで日本陸軍の部隊がソ連軍に戦いを挑み、
ソ連の雲霞の如き戦車の大群に踏み潰されてほとんど壊滅状態の大敗北を喫しました。

このとき、現地でこの馬鹿馬鹿しいほどの負け戦を指揮させられた隊長が
自分たちの装備を自嘲して言いました「われわれは元亀天正の装備で戦った」。
元亀天正とは織田信長・豊臣秀吉の時代のことです。



この「ノモンハン事件」の情報は握りつぶされ、
日本国内ではほとんど知られることはありませんでした。

それどころか、この大失態の元凶ともいうべき関東軍作戦参謀の辻政信少佐は、
一旦左遷されたあと、しばらくして陸軍中央の参謀本部作戦課の参謀として復帰し
対米戦争への道を推し進めます。

会議の席で若い参謀から「米英を相手に戦って、勝算があるのですか」と問われて
辻参謀は断乎として答えています。

  「戦争というものは勝ち目があるからやる、ないから止めるというものではない。
   今や石油が絶対だ。油をとり不敗の態勢を布(し)くためには、
   勝敗を度外視してでも開戦にふみきらなければならぬ。
   いや、勝利を信じて開戦を決断するのみだ」

なんなんですかね、これは・・・。


昭和前半の日本政府や日本陸海軍の指導者たちは
政治や軍事のプロフェッショナルであるにもかかわらず、
『孫子』すら読んでいなかったのかと思ってしまいます。
それとも、読んでいたけど理解していなかったのか。


いずれにせよ、敵も知らず己も知らないまま、
国家の大事である戦争を「勢い」だけで始めてしまい、
数年で日本全国ほとんどすべての都市は焼け野原となり、
本土はもちろん、北はシベリアから南は赤道直下の島々まで
至るところに悲惨きわまりない地獄をつくって、
国を破滅させてしまいました。


春秋戦国の『孫子』からずいぶん飛びましたが、
上記はほんの70年ほど前、
つまりわれわれの祖父・祖母の時代に実際にあったこの国のお話です。

さらに余談ですが、上記の辻政信参謀は敗戦後も生き残り、
戦後は選挙に立候補して当選、「良識の府」参議院の議員となり
昭和35年に南方で消息を絶つまで
国会で憲法改正や日本的自衛軍の創設を吼えていたようです。

#日本の近・現代史を丁寧に読んでいくと
#わたしにはこの国がだんだんわからなくなってきます。。。。


以上。うーん、戦争ネタになるとやっぱり重く暗くなるなぁ・・・。
まあ、たまにはこういうお話も教養として大事なんだけどね。。。




2.善く戦う者は・・・



さて、今月取り上げた言葉そのものに話題を移しましょう。
今回の言葉は『孫子』形篇第四に出てくるものです。
該当部分をちゃんと引用すると以下のとおり。

  古(いにし)えの所謂(いわゆる)善く戦う者は、勝易きに勝つ者なり
  勝兵は先ず勝ちて而る後(のち)に戦いを求め、
  敗兵は先ず戦いて而る後(のち)に勝を求む。


  (古来より戦争の上手な人は、
   勝ちやすい相手をちゃんと選んで戦い勝ってきた人であった。
   よく勝つ軍隊は、戦いを始める前にまず勝てる準備をしてそれから戦いに入る。
   負けてばかりの軍隊は、戦いを始めてからどうやったら勝てるかを考える)

マスターズの大会でも、メダルをとりたてければ上記の『孫子』の教えは
そのまま適用可能です(さすが世界の名著)。
レベルの低い大会にエントリーして普通に泳げばメダルは転がり込んでくるわけで・・・。


もっとも、メダルを取ることが大事なことか?、といわれると一概にはいえません。

より良いタイム、自己ベストのタイムを目指す人もいます。
また、気が遠くなるような距離を”完泳”することに生きがいを感じている人もいます。

良いタイムを目指すなら、あえてレベルの高い大会・あえて速い組に挑んで
周りに引っ張ってもらうのも立派な戦い方です。

また、長距離完泳至上主義の方は、もうどこでも行って結構です、止めません(笑)。


大事なことは、何を目的にして、何を達成したらOKと判断するかきちんと決めて、
あとはそのための準備を着実にして当日に臨むことでしょう。

それだけやっても挫折はあるかもしれませんが、
マスターズ水泳は戦争ではないので、一生懸命やっての挫折は
それはそれで学ぶことの宝庫です。それはある意味「勝ち」といえるかもしれません。


というわけで、日本マスターズ短水路大会のチーム内締め切りも間近ですが、
各自それぞれに目標をたてて有意義な大会経験を積んでいただければ、と。

では、今月の言葉は以上です。最後は明るく終わってメデタシメデタシ(笑)。


■補遺

『孫子』はいまでも岩波文庫で出版されています。
厚さが薄い上に、漢文の原文と口語訳が併記されているので
実際に読む量は普通のほんの半分。
でも、内容は結構深いので、興味のある方は是非チャレンジしてみてください。



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<過去掲載分>

2006年2月掲載分:松下幸之助
2006年1月掲載分:ボビー・バレンタイン

2005年12月掲載分:聖書/ヨハネス・ブラームス
2005年11月掲載分:トーマス・アルバ・エジソン
※9月・10月はお休みしちゃいました。ごめんなさ〜い(_o_;;)。
2005年8月掲載分:ジェフリー・チョウサー
2005年7月掲載分:山本有三
2005年6月掲載分:ジョン・ポール・ジョーンズ
2005年5月掲載分:耶律楚材
2005年4月掲載分:フリードリヒ大王
2005年3月掲載分:フランクリン・D・ルーズベルト
2005年2月掲載分:蜂須賀家政
2005年1月掲載分:作者不詳(1960年代米国)

2004年12月掲載分:アントニオ猪木
2004年11月掲載分:戒厳司令部(ニ・ニ六事件の投降勧告)
2004年10月掲載分:ウィンストン・チャーチル
2004年9月掲載分:『東照公遺訓』
2004年8月掲載分:ジョージ・S・パットン
2004年7月掲載分:アルバート・アインシュタイン
2004年6月掲載分:大杉栄
2004年5月掲載分:ナポレオン・ボナパルト
2004年4月掲載分:伊達宗城
2004年3月掲載分:ビンス・ロンバルディ
2004年2月掲載分:エイブラハム・リンカーン
2004年1月掲載分:ビザンチン帝国皇帝マウリス

2003年12月掲載分:二宮尊徳
2003年11月掲載分:ジョン・スチュアート・ミル
2003年10月掲載分:ランドゥール・カニンガム
2003年9月掲載分:『マーフィーの法則』より
2003年8月掲載分:エルヴィン・ロンメル
2003年7月掲載分:ニイチェ/新渡戸稲造
2003年6月掲載分:ホレーショ・ネルソン
2003年5月掲載分:野茂英雄
2003年4月掲載分:相田みつを
2003年3月掲載分:東郷平八郎/秋山真之
2003年2月掲載分:エドワード・ヨードン
2003年1月掲載分:ヨアヒム・ミュンヘベルク

2002年12月掲載分:セネカ
2002年11月掲載分:J・F・ケネディ


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