脳卒中 体験記・闘病記

 

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2007年の春に左脳出血した50代男性です。
歩行は可能ですが、右足の感覚はほとんどありません。
頭も体もガタガタですが、病院からは半年余りで見放されました。

脳卒中の症状・後遺症というのは人によって千差万別であることがわかってきました。
自分と同じような症状の方と情報交換したいのですが、今のところ、インターネットで探すしか方法がありません。
私と似た症状の方がいらっしゃいましたら、もしよろしければこちらにご連絡ください。(今のところどなたからも連絡はありません)


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不具に慣れる
【一年後】 一年経ち、ずいぶん身体が動くようになったとか、少し感覚がもどってきたとか、言いたいところだが、正直言って何も変化はない。あるとすれば、不具に慣れてきたということくらいだろう。
【二年半後】 初めのころは、脳卒中になる前の正常なときの身体の動きの記憶が残っており、今が異常でいずれ元通り治るのだという(期待的)考えがあったので、身体の動きは正常の状態に近かったかもしれない。
しかし不具の状態が長引き、回復が期待薄になり、正常だったころの記憶も次第に薄れ、不具に慣れてくると、自然と無理に正常な動きをしようとする努力をしないようになってきたような気がする。多少びっこを引いた方がこの状態では普通の動作ではないのかという気がする。(09.8)

体がきしむ
私の体は一度死にかけた。とくに右半身からは多くの神経が失われた。その結果、身体的にも精神的にも、生体と死体をくっつけた合成人間という感じになっている。サイボーグといったしゃれた感じではなく、手足をひきずるフランケンシュタインのイメージである。何をするにも体がきしむ。(09.7)

車の運転
入院中、医者から、目の視野が欠けていることや精神的に安定しないことを理由に運転はしない方がいいとアドバイスされた。当初は助手席に乗っただけで、自分が運転できる精神状態でないことはすぐにわかった。
【半年後】 家の前でちょっと車を動かそうとしただけで、運転方法がすんなりと思い出せず、パニックになった。
【一年後】 普通に運転ができた。精神的には脳卒中の前とほとんど同じ感じがする。右足の感覚がないため、足先でアクセルとブレーキの踏み分けることができないことがわかったが、(オートマチックの場合は)右足を大きく左右に動かすことにより、いちおう踏みわけはできるようだ。しかし、短時間のテストだったので、長時間になるとわからない。精神的にも完全ではないのだから、やはり不安はある。
【二年半後】 自分で判断して運転しないようにしている。車がないと生活できない人は、この状態でも運転しているのだろう。よくニュースに出る「アクセルとブレーキを踏み間違えた」といった事故には、私のような症状の人のケースも含まれているのではないだろうか。(09.6)

細胞たちにとっての脳卒中
人間の体は約60兆個の細胞から成り立っている。私の場合、2年ほど前に全滅する恐れがあったが、そのカタストロフはなんとか免れることができた。脳細胞をはじめとしていくらかの細胞は死んだが、ほとんどの細胞は生き残ったようだ。右半身マヒは彼らにとってどういう意味を持つのだろう?脳や神経のトラブルは一生治らないかもしれないが、その影響を受けた右半身の細胞は生きている。「必死で生きている」などといったありきたりの言葉は使いたくないが。

季節の変わり目
健康な時は、季節の変わり目になるといつも、神経は新たな環境への適応という複雑な作業をフル活動でしてくれていたようだ。脳のその部分に障害を受けてしまった今、新たな季節にうまく適応できない身体が受けるダメージは想像するに余りある。
【一年後】 病後初めて迎えた春は厳しかった。3月には、一日おきくらいに頭痛を中心とした体調不良に襲われ、夜は早く寝るしかなかった。
【二年後】 全般的に去年よりましだが、言語は去年よりダメになっている気がする。ゆっくりしか話せないし、滑舌が悪い。季節のせいだろうか?人とあまり話さないからだろうか?(医者に言わせれば)老化なのだろうか?(09.3)
顔の表情に力がないようだ。目の下にクマができている。(これは関係ないかもしれないが)歯槽膿漏が痛み始めた。マヒした右足が丸太のように重い。(食道裂孔ヘルニアおよび逆流性食道炎のせいか)胃が痛む。(09.3)
季節の変わり目といっても、とくに「寒さのぶり返し」がまずいようだ。寒さがぶり返したときにめまいに襲われた。(09.3)
昨年の日記を見ても、この季節に人名や固有名詞が思い出しにくくなっているようだ。(09.4)

ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』への疑問
脳動静脈奇形(AVM)という特殊性のためか、身体のマヒがないらしいためか、左脳側頭葉のダメージによる「宗教性」のせいか、わざとらしいオプティミスティックのせいか、違和感を感じてしまい、すんなり読めなかった。
ラマチャンドラン『脳の中の幽霊』(p.43)には、「左脳に卒中を起こした患者は、不安や抑うつに陥ったり、回復の見込みについて気をもむことが多い。これは左脳が損傷を受けたために右脳が優勢になり、あらゆることに悩むようになったからだと思われる。」とあるが、著者の状態はまったく逆のようである。右脳が優勢になったにもかかわらず、そのダメージをまったく受けていない書きっぷりである。
彼女が右脳から学んだと主張していることは、科学者であった彼女らしくなく、悪く言えば、証明もなにもできない想像の世界である。もともと脳卒中の患者の症状は人それぞれで、体験記や闘病記が役に立たないことが多い。彼女の経験は、健常者や心理学者にとっては興味ある記録かもしれないが、他の患者にはあまり役に立たないのではないか。
著者の母親の役割にも胡散臭さを感じる。息子に続き娘を失いかけた母親が、娘の完全な回復を祈り、そのためなら何でも信じたとしてもやむを得ないのかもしれない。娘である著者が母親に圧倒的な信頼感・依存感を持っているらしいことも文面から感じられる。たしか途中からリハビリは病院から離れて、すべて母親がやったというようなことが書いてあったが、ちょっとやりすぎではないか?
右脳の新しい世界を開拓したというのは、医者というエリート職を失った著者が母親と作り上げ、すがりつかざるを得なかった幻想であるようだ。脳卒中によって脳や神経にダメージを受け、様々な能力を失ったにもかかわらず、それを補って余りある素晴らしい新しい能力を身につけたと言いたいのであろう。
(09.3)

回復と慣れ
リハビリや訓練により体の動きは滑らかに自然になる。しかしそれを「回復」と呼べるかどうかは疑問である。病気により隠されていた能力が目覚めたと言えないこともないが、それには間違いなく限界がある。せめて「限界がある能力を知り、それを目いっぱい使えるようになる」というのが正しい言い方ではないだろうか?「回復」というよりは「慣れ」という言葉の方がふさわしいような気がする。
ただし、脳の神経の接続に関する部分には、ありがたいことに「回復」があるようだ。(09.3)

コーヒー
基本的にコーヒーは好きだし、体に悪影響はないと考えている。 とくに体が欲しているときのコーヒーは最高だ。脂っこいものを食べた後とか、血圧が低いときには効果があるようだ。血圧が高めの時に濃いコーヒーを飲んだことがあったが、それは失敗だったようだ。(08.12)
コーヒーの利尿効果も頻尿と重なるとトラブルとなる。(09.3)

強気な人
世の中には強気の人と弱気な人がいる。病気に対する態度・対応も、それによって大きく異なるようだ。強気の人は他人に不自由な体を見せるのをいやがるから、リハビリに積極的に励み、見た目もわからないようにしようと必死の努力をする。あれもできない、これもできないといった言葉を口にすることはなく、あれもできる、これもできるという話ばかりする。車の運転や激しい運動など、普通は避けるのだが、無理をしてでもそういうことをやり、やれたら自慢する。要するに自分が脳卒中前と同じ能力を持ち、同じことができるのだということを、自分にも他人にも見せたいということらしい。(08.10)

「脳出血」か「脳卒中」か
最初の半年くらい、とくに病院では「脳出血」という言葉ばかり使っていたが、メールやHPに書くようになってから、「脳卒中」という言葉も使うようになった。初めて話をする相手の場合、「脳出血」という言葉のインパクトがけっこう強いようなので、あえて「脳卒中」という言葉を使う場合もあった。
逆に言えば、相手に自分の病気が重病であって死にかけたということを強調してビビらせたいときには、「脳出血」を意図的に使用することもある。(08.10)

私の中の他人
右半身、とくに右足はほとんど感覚がなく、足の存在感があいまいだ。コミュニケーションがとれない身体というのは、はたして「私」なのだろうか?
これに関する最高の教科書はラマチャンドラン『脳の中の幽霊』だろう。たぶんオリヴァー・サックスなども。◇「自分の脳に単一の「私」あるいは「自己」が存在するというあなたの概念は単なる幻想かもしれない」(『脳の中の幽霊』p.123)(08.9)

エネルギー
【一年半後】
やはり重要なのはエネルギー(気)らしい。
快活さは、まさにエネルギーの表れだろう。エネルギーがないと、明るくふるまえない。
それはある程度自分でコントロールできるのだろうか?
エネルギーの有無感は肉体的な現実なのか、それとも精神的な認知の問題(考え方次第)なのか?

左右の統合
【一年半後】 ずっと、体の左右のアンバランス(右のマヒ)は病気のせいであって、どうしようもないものなのだと、あきらめていた。しかし、もしかするとそう簡単にあきらめる必要はないのではないか、あるいはあきらめてはいけないのではないかと考えるようになった。(08.8)

不具の神々
『古事記』の水蛭子(ヒルコ)をはじめ、探せば不具の神々がいるようだ。水蛭子は「(イザナキとイザナミとの間に)最初に生まれた子は水蛭子という子で育たないので、葦の舟に乗せて流し捨てた」とある。ギリシャ神話のヘファイストスも、ゼウスとヘーラーの息子で、両足の曲がった醜い奇形児である。これに怒ったヘーラーに、天から海に投げ落とされたところまで、そっくりである。しかし、ヘファイストスは、その後、海神テティスとエウリュノメに拾われ、9年の間育てられた後、天に帰ったという。火と鍛冶の神として、さらにヴィーナスの夫として有名である。

なれの果て
いったいこれからどうなるのだろう?再発するのか?早死にするのか?ボケるのか?話ができなくなるのか?歩けなくなるのか?・・・これが80歳くらいなら「まあいいか」で済むかもしれない。しかし、まだ老年にも達していないというのに、放ったらかしとは・・・。確率でもいい、将来の予想を、誰か教えてほしい。

鼻歌
【一年後】 気がついたら歩きながら鼻歌を歌っていた。そういえば、倒れてから一年、鼻歌は全然出なかった。天気が良かったのもあるのだろうが、調子がいいのだろうか?

パソコン
【一年後】 パソコンと脳卒中との関係がいまひとつわかっていない。同じ姿勢を続けることや、運動不足になることから、身体に悪そうではあるものの、致命的とも言えない難しさがある。とても便利な道具であることは間違いないが、相当のめりこんでいるので恐ろしい感じもしないではない。確かに、倒れる前には朝から晩まで、夜中までやっていた。

パソコン・ブラインドタッチによるリハビリ
病院で意識が戻ってしばらくすると、無性にパソコンがやりたくなったので、すぐに持ってきてもらった。予想と違ってブラインドタッチは思うようにできなかったが、日記などを打てるだけでよかった。病院のリハビリにもパソコン入力を採り入れてもらった。ずいぶん文章入力をやったが、結構いいリハビリになったのではないだろうか。ブラインドタッチは両手を使わねばならないため、マヒした手も使わねばならないのがいいのではないか。

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マヒは最初から
脳卒中で倒れた時、夜中、座ったまま寝てしまい、眼が覚めて最初に気づいたのが右腕のしびれだった。その後、口がもつれ、右足が思うどおり動かず、からまって転んだところで気を失った。
もしかすると、その時の体のマヒの状態は、すでに現在のマヒの内容・程度とほとんど同じだったのではないか。
その後、今まで何の変化もない、つまり悪化も回復もしていないのではないか。
(09.10)

顔のトラブル
最初のうちは顔がゆがんでいた。右の顔の表皮を触ると痛みがあった。それらは次第に回復した。特別のリハビリをしたわけではない。食事中口内を噛んで口内炎になることはあったが、頻度は減っていった。
【二年後】 写真を見て、顔の右半分のマヒが続いていることに気づいた。具体的に言うと、笑い方によっては、右半分がまったく笑っていないことがあることがわかった。写真の顔を半分ずつ隠してみるとわかるのだが、日常生活でどれほど他人がこれに気づいているか、あるいはコミュニケーションに影響がでているかはわからない。(09.6)

視野の欠落
視野の一部に欠落があることに、退院して街を歩いているときに気づいた。逆に言えばそれまでは気づかなかった。
夜寝るとき、欠けた部分にゴッホの星空のような渦巻き模様が見える。
【一年後】 ゴッホの星空は消えかけている。スポーツジムで走るとき、振っている右手がまったく見えない。
【二年半後】 街を歩くときなど、後ろをこまめに注意するのが習慣化した。しかし、若くても他人によくぶつかる人はいるから、あまり病気のせいにしない方がいいのかもしれないが。(09.6)

肛門の感覚
身体の右半分の感覚が鈍いのは肛門あたりも同じだ。ウォシュレットを使う際には、肛門の右半分に水が当たっている感覚がないので、ついつい感覚のある左部分を中心に持ってこようと体を動かしてしまう。(08.12)

空腹による症状
疲れや不快感、体調や気分の不調の中には、単なる空腹によるものもあるようだ。もしそれが正しいとすれば、脳卒中で倒れる前には空腹程度で不調になるなどということは考えられないので、初めての感覚の経験だ。

寝返り
右半身がマヒしているせいで、右を下にして寝ることができない。入院中から右を下にすることはできたが、大きなサンドバッグの上に乗っている感じで、そのまま寝ることはできない。
【半年後】 右を下にして寝ることができるようになった。しかし右を下にして寝ると変な痛みで目が覚めることがあり、気味が悪い。やめた方がいいのだろうか?
【一年後】 右を下にして寝た場合、ときどき体を動かしてうっ血をふせぐような、マヒしていなければ自然に行うような動きができないため、しびれてしまうようだ。今のところしびれて少し経つと自分で気づいて寝返りを打つようだが(痛みはしびれがとれるときのもの)、いつでもちゃんと気づいてくれるだろうか?しびれた時に血栓ができることはないだろうか?寒くなってからこの症状は止まっていたが、春になってまた始まったようだ。掛け布団の重さなどと関係があるのだろうか?
【一年半後】 右を下にして寝たときの違和感が少なくなった。様々な症状に関しほとんど改善が見られない中、これだけは改善しているようだ。膨張してサンドバッグのように感じていた右半身が縮んだ感じだ。しびれた足が元に戻りつつあるときの感じと似ている。(08.9)

右半身は汗をかかない
まったくというわけではないが、右半身はあまり汗をかかない。流れるように汗をかいていていも、とりあえず左だけ拭いていれば十分のようだ。しばらく気がつかなかったが、帽子の汗のシミが左半分にしかついていないのでわかった。

字が書けない
入院しているとき、字を書く機会がなかったので、自分が字が書けないことに気づかなかった。初めて気づいたのは、書類に自分の名前を書かねばならない時だった。なんとか読めるように書くのが精いっぱいだった。それまでまさか自分が字が書けないとは思っていなかったのでショックだった。(08.7)
これは脳の問題ではなく、右手の不自由な筋肉のせいである。字を忘れたわけではない。(08.10)

痛み
右半身はしびれたように感覚が鈍い。痛みに関してもそうである。痛みはしばらく間をおいて伝わってくる。最初はそれがどのような感覚なのか、そしてどの程度なのかわからない。
【一年半後】
顔や体にあったチリチリするような痛みが、気がつけばずいぶん軽くなっているようだ。最初のころは痛くて触れないくらいのこともあった。慣れもあるのだろうか。(08.9)
はだしで歩いているときに右足で電気のコードを踏むと、飛び上がるほど痛かったが、痛みは少し弱くなっているようだ。(08.11)
【二年後】
頭の右半分のピリピリ感がほとんどなくなった。普通の感覚が少しずつ戻っているような気がする。顔はやはり一番刺激を受けるので、それがリハビリの機能を果たしているのかもしれない。(09.3)

腹部の痛み
腹部に筋肉痛のような鈍い痛みを感じている。脳卒中前からあった食道裂孔ヘルニアの影響による不快感だろうとは思うが、感覚が変わってしまったので確信はなく、とまどう。右半身の体表の感覚は弱いが、まったく感覚がないわけではなく、屈折した形で感じるようだ。原因が体表なのか筋肉なのか内臓なのか、区別が難しい。
【二年半後】 腹部の痛みはほとんどなくなった。(09.9)

変な痛み
腹部にいつもと違う痛みを感じた。しばらく原因が分からなかったが、どうも腹をダニにかまれたせいらしい。ダニにかまれたら普通はかゆみがあるはずだが、かゆみを感じずに、代わりに痛みの形で伝わっていたようだ。その部分はさわるとピリピリする。シャワーを当てても痛いくらいだ。この影響で腹部全体、さらには右半身に不快な、あるいは引きつるような感覚が広がっている。

半死体
神経の死んだ身体は死体のように重い。
【半年後】 慣れてみると、ちょうど正座した後のしびれのような感じだ。いつまで待っても治らないが、そのかわりチクチクする痛みもない。
【二年半後】 半死体に変わりはないが、その状態に諦めはついてきた。他のところに書いたかもしれないが、頭と身体が切り離されたような気がする。おかげで頭はすっきりしたようだ。(09.9)

食欲なし
味覚が衰えたせいか食欲がないので、ダイエットで悩む必要がない。いざというとき断食で死ぬのも簡単かもしれない。
【半年後】 食欲は回復しているような気がする。猫舌も治まってきた。コーヒー、カレー、ラーメンなどが飲食できるようになった。食欲も情報だから、多量の情報を処理できなかったということだろう。

朝食コントロール
朝は空腹でのども渇いているはずなのにそういう感覚がない。そのまま放っておくわけにもいかないので、無理やり飲み物と食べ物をかきこむと、朝の不調も薄らぐので、やはり身体はそれらを必要としているのだ。
【半年後】 朝の不調は次第に消えつつある。

歯のトラブル
右半身マヒの影響は歯や歯茎にも及んでいるようだ。入院しているときから右歯茎の痛みや出血はあった。しかし歯医者に行ったところ、歯や歯茎の問題ではなく、歯を磨いている右手に問題があったようだ。磨き方が強すぎたようだ。

症状の謎解き
毎日次から次へと新たな症状におそわれるが、何が原因なのか、どうすれば楽になるのか、その都度自分で推理しなければならない。もちろん医者という謎解きのプロがいるが、いつも聞くわけにはいかないから、素人推理をしなければならない。

寒い
【半年後】 初めての冬を体験してみると、自分が寒がりになっているのに気づく。今までだったら嫌がっていた暑い湯船がぬるくしか感じない。

時間感覚がおかしい
寝ていて「まだ起きるには早いな」と思って瞬きをして時計を見ると30分経っているということがよくある。それから、最近の身辺のできごとがいつ起こったのかがあいまい。例えばどこかに出かけたのが先週だったのか先月だったのかわからないことがある。これらは単なる老化現象なのだろうか?

障害ではなく衰退
記憶も言語も以前の状態には戻らない。意欲も衰えているような気がする。しかし、これらのことは医学で「障害」と認められるかどうかわからない。「歳相応の衰え・変化」とみなされてしまうのではないか。ようするにボケの早い人でしかないのだ。

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現実を認める
悲惨な現実を嘆くのではなく、変えようのない現実をそのまま認め、一刻も早くそこから第一歩を踏みださなければならない。

丹田に力を入れる
足が重く感じる場合、丹田(腹筋)に力を入れることにより足を楽に動かすことができるような気がする。体の動きに関してリーダーシップを握っているのは、頭脳ではなく丹田ではないだろうか。
【一年半後】
丹田に力を入れると全身に力が入るような気がする。全身に力を入れられる程度に体調がいいから丹田にも力を入れられるということかもしれないが。全然運動をしていない時でも、丹田に力を入れるだけで多少の運動にはなるのではないか。(08.9)
丹田の重要性は、身体が不自由になってなおさら感じる。健康な若者には必要ないことかもしれない。(08.10)

自分の身体を触る
身体のマヒした部分を触ってあげたい。突然神経回路が切れてしまったかわいそうな右半身の細胞たちを慰めてあげよう。身体の刺激にもなっているのだろうか?
残念ながら病院では誰も右半身の感覚マヒにちゃんと気づかなかったので、リハビリやアドバイスを受けられなかった。自分で何とかするしか仕方がない。
【一年半後】
フロや洗顔の時に触れるくらいで、意図的にリハビリのようなことはしなかったが、それでも最初の頃のピリピリする感覚は薄らいできている。

ダイエットが命取り?
脳卒中になる直前にダイエットを始めていたのを思い出す。無理に断食するのではなく、本当に空腹で何かを食べたくならない限り、何も口にしないようにした。少なくとも身体にいいことをやろうとしたはずなのに、結果は悲惨なものだった。

他人との接触の必要性
他人との接触は、表情を変化させ、口を動かして、もちろん頭を使って会話をする機会を与えてくれる。さらに、他人が与えてくれる適度の緊張感は、精神的のみならず肉体的にも好影響を与えてくれるようだ。

不快感と空腹
気分が悪い原因が、単なる空腹であることがある。病気で体重が10kg減ったせいかもしれないが、空腹に弱い体質になってしまったようだ。空腹もめまいもエネルギー不足という意味で近いようだ。毎朝の不快感も、もしかするとほとんど空腹が原因かもしれない。

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老化の前倒し
大病をして、突然、老化が一斉に始まった感じがする。
人生の下り坂を慎重に下っていたのに、大病に足元をすくわれ、10歳か20歳分転げ落ちてしまったようだ。
(09.10)

情報処理能力の低下
最近、TVを見ていたり、人と話をしていて、聞きとれないことが増えたような気がする。脳卒中で聴覚が衰えているのが原因だろうと思っていたが、どうもそれだけではないようだ。内容が理解できていないのも原因であるようだ。要するに、情報処理能力全般が低下しているようなのだ。老人でも、本人は聞こえないと思っていても、実際には聞こえているのにそれを理解できないだけであるというケースが多いのではないか。(09.3)

病気か老衰か
【一年半後】 顔の表情や言語など、さまざまな異常はすべて脳卒中の症状だと考えてきた。それに対し、病院の対応は、脳卒中は治っているのだから、今後の症状は病気ではなく老衰の現れであるというものだった。これは、仕事を減らそうという病院のたくらみだろうと考え、反発していたが、最近、だんだんどちらが正しいのかわからなくなってきた。(08.9)
【二年後】 2年経って、病気の後遺症か、老化か、ますますわからないことばかりになってきた。滑舌・記憶・歩行の悪化、膀胱のトラブル・・・などなど。(09.3)

生のエネルギー枯渇
誰でも歳をとるとともに経験することなのだろうが、やはりこういう病気をするとそれが急激にくるようだ。生のエネルギー枯渇は、要するに「老化」ということなのだろう。
生のエネルギー枯渇は、自分の体や精神の認知能力を悪化させるようだ。これがうつ病につながるのだろう。(08.8)

脳の老化
言語が緩慢になり記憶が悪化したのを、単なる脳卒中の症状と考え、あわよくば回復するのではないかと期待してきた。しかし現状、回復はおぼつかないようだ。
そうこうするうちに、今の自分の症状が、ただの老化と同じではないかと気付いた。70、80の老人も、みな体が動かなくなり、口が回らなくなり、記憶があいまいになっている。しかし彼らは、私のように自分の症状を気にしてはいない。それは、その状態が今まで何十年もかけて少しずつ変化してきたものであるからだろう。それに対して私には同じ変化が数か月で起こったため、ショックであり、すぐには受け入れることができず、あたふたしているのだろう。(08.7)

老化
肉体のマヒや精神の衰えは、簡単に言えば「エネルギーの減少」という感じである。それにもっとも近い現象は「老化」だろう。何をするにも10歳老けたように疲れる。

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運動  トップへ戻る

運動嫌悪
脳卒中の大きな原因が運動不足だったようだ。ところが、これは喫煙と同じくらい逃れられない、修正できない生活習慣であるようだ。人によっては一日一回散歩しないと落ち着かないような人もいるらしいのだが・・・。その反対に私は何日も家からでなくとも生きていける人間らしい。もちろんこれでいいはずはない。ずっと家にいると体調があまり良くないことを見ても、このままではヤバイのは間違いない。それまでわかってていても生活を改善しないということは、これは一種の「自殺」衝動なのか?死にたくなんかないはずなのに・・・。(08.6)

運動不足
とくに高血圧というわけでもなく、脳卒中の原因が特定できないが、強いて言えば運動不足だったのかも知れない。最近ジムに通うようになり、運動が精神的にもいいことがわかってきた。
【一年後】 私は脳を使うのに喜びを感じるが、体を動かすことにはあまり喜びを感じない人間であった。体を動かさず、いつまでもじっと座って本を読んだりパソコンを使ったりすることが究極の至福であった。これはやはりどう見ても異常だろう。最後には体とのアンバランスが極限まで拡大し、体に仕返しをされたようだ。
天気が悪くて家から一歩も出ないでいたら、肉体だけでなく精神もおかしくなってきた。久しぶりに着替えをして外出の準備を始めただけで気分がすっきりしてくるのがわかった。運動選手もトレーニングを休むとすぐに体が鈍って動かなくなってしまうという。普通の人間だって毎日少しでも体を動かす必要があるのだろう。(08.7)

身体を動かすことの重要性
体調や気分が悪いとき、安静にして回復を待つということも必要だろう。しかしこんなとき、反対に身体を動かしたり外出したりする方がいい場合がある。身体は動かさないことによって病むこともあるのである。もちろん、なかには本当に休息した方がいいケースもあるから、これらを区別するのは難しい。

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表情  トップへ戻る

アンバランスな微笑み
【一年半後】
他人から指摘されたり、写真を見て気づいたのだが、自分では普通に微笑んでいるつもりでも、微笑んでいるのは顔の左半分だけであり、右半分の筋肉は無表情のままのようだ。鏡を見て(意識して)いれば左右対称の微笑みができるのだが、鏡を見ていないと(意識しないと)、だめだ。意識的に顔の右側を動かさないといけないようだ。(08.9)


【一年後】 精神的に楽になった影響は表情に大きく現れるようだ。とくに目が表情豊かに動くようになったようだ。全体的に顔にしまりがでたようだ。姿見に映る姿が10歳くらい若く見えることもある。◆目の表情の変化を言葉で語るのは難しい。例えば、ある人がうつ病になったとき、目が変わったことはわかるのだが、どこがどう変わったのか的確に言葉で表現するのは難しい。「生命力がない」「動きが少ない」「焦点が合っていない」・・・などだろうか(08.8)

表情
【半年後】 入院しているときから、周りの人の対応が冷たいのでおかしいと感じることがあった。鏡や写真を見ると、自分の表情や目つき、つまり人相が悪くなっていることに気づいた。たぶん恐ろしい病人顔をしているらしい。しかし、自分の顔つきを細かく知ることも、その他人への影響を確認することも難しい。

あご
【一年後】 ボケるとあごの力が抜け、あごが下にさがると、いかにも痴呆のようになり老けて見えることがわかった。

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走ることへのこだわり
病院で自分が歩けることがわかってから、走ることへのこだわりが始まった。
走れることが、足が、そして自分が脳卒中前と同じまでに回復したことを証明するシンボルになったようだ。
病院のリハビリでは走る機会はほとんどなかったが、退院してから通い始めたスポーツジムにおける最大の目標は走ることだった。
しかし最近になって、走ることはマヒした右足に負担になっているのではないかと思うようになってきた。
そして、今までジムでがむしゃらに走り続けてきた理由が、リハビリ専門家のアドバイスなどだったのではなく、病後の自分のこだわりでしかなかったことに、改めて気づいた。
(09.11)

座ること
パソコンや読書やTVを見ることが多いため、椅子に座る時間が長い。
長く座っていると、どうも足、とくにマヒした右足の調子が悪いようだ。
マヒのせいでうっ血しやすい状態であるので、「エコノミークラス症候群」と同じ症状が出ているのではないか。
長く座り続けない、できるだけ座らない、といった対応が必要かもしれない。
(09.10)

筋トレ
リハビリのつもりで足の筋肉を鍛えたところ、かえって歩きづらくなったような気もする。鍛えないほうがいい筋肉もあるのだろうか?
【半年後】
やはり、筋肉は鍛えた方がいいようだ。歩き方もより自然になったようだ。
【一年半後】
宮本省三『脳のなかの身体』に、「脳卒中片麻痺患者の麻痺肢の関節運動に対して物理的な抵抗を加える筋力トレーニングは、過度な努力を要求するため痙性麻痺はさらに増悪する」(p.131)とあった。(08.8)
今までも何度か試みて中途半端に終わってきたが、不自由な右足を集中的に鍛える必要があるのかもしれない。
右足だけで立つこと、その状態で片足屈伸をすることがいいのではないか。
しかし、もしかすると不自由な足の筋トレは必要ないののかもしれない。あるいはやるべきではないのかもしれない。筋トレをやってもやらなくても、所詮右足の感覚がない以上、左右の足のバランスはとれないのだから。(08.10)
【二年半後】
マヒしているのは足ではなく脳である。これをちゃんと意識する必要がありそうだ。
マヒした足を動かすことは、リハビリとして、あるいは運動不足解消の精神的効果からは必要なのだろうが、無意味に過剰に動かしても効果はないだろう。
必要なのは足の運動ではなく、脳の運動なのだから。
宮本省三『脳のなかの身体』『リハビリテーション・ルネサンス』を読んでも、残念ながら具体的なリハビリの話がないので、それ以上はわからない。
バランスをとるとか、物をつかむとか、頭を少しは使いそうなリハビリをやるべきなのだろうが。
(09.10)

足指骨折の危険
浴室の敷居に右足の親指をぶつけた。その瞬間の激しい痛みは少し遅れて感じたが、その後は血膿が出たりしていても、痛みは例によってあまり感じない、というか屈折した感じ方をするので、自分で自分の状態を知るのが難しかった。結果として、何日かうまく歩けず、スポーツジムでも通常のランニングができないことがあった。
足がうまく上がらなくなった年寄りと同じ状況のようだ。
(09.8)

足の重さ
マヒした右足の調子は、日によって猫の目のように変化する。重くなったり軽くなったり、縮んだり膨れたりする。感覚の調子も変わる。調子が最悪の時には太くて重い丸太を引きずっているようだ。
1年のうちでもっとも調子の悪い2〜3月ころには、あまりにも具合が悪くてびっこを引くようになることもある。
【半年後】 右足のマヒの状態は日によって異なる。重さも異なる。ある日は軽く、別の日は重い。痛みも疲れもわからないが、すべてを重さで感じるのかもしれない。
【一年後】 天気が悪いと足が重いような気がする(気分が重いからかもしれないが)。
【二年後】 相変わらず、体の調子が悪いときには右足が重く、ギプスのように膨張して、義足のように感じる。退院してからジムで鍛えて筋肉がついた影響もあるのかもしれない。(09.3)
長時間椅子に座っていたりすると、それだけで右足がこわばって重く感じるようだ。定期的に運動というか、身体を動かすことが必要なようだ。(09.4)
残念ながら、この二年間には足の状態の改善は無かったような気がする。(09.5)
調子の良いときは脳と右足が切り離されているような気がする。マヒした右足を客観的に見ることができる感じで、なぜかとても気分が良い。

義足
【半年後】 マヒした足はいちおう動いてくれる。しかし感覚がないので、出来のいい義足以上のものではない。
【一年後】 今までの「義足」という発想は、マヒした足をモノのように考えて、何も期待をしない、良くない考え方だったようだ。「しびれた足」のほうがまだマシかもしれない。少なくとも足が生きていて動こうとしていること、役に立とうとしていることを忘れないでいたい。「身体を自動的に動く解剖標本として理解してはならない」(宮本省三『脳のなかの身体』p.130)。
【二年後】 「ハリー・ポッター:炎のゴブレット」と「スターウォーズ 3」を見た。不思議にどちらにも義手・義足などがよく登場する。(09.3)
二年経って、「義足」の使い方にはずいぶん慣れてきたような気がする。「義足」にほとんど改善が見られないのに対し、脳の改善の方がましなようだ。(09.3)

筋肉
【二年半後】 歩けるということは、少なくとも、右足を持ち上げ、膝や足首など要所を動かすメインの筋肉は動くということだ。しかし、ふくらはぎや太ももの筋肉になると、ほとんど動かないようだ。(09.7)
ちょっと油断をすると右足をひきずるようになってきたような気がする。そろそろ健常であったときの右足の感覚の記憶が薄れてきたので、できるだけ健常に近い状態を維持しようとすることが難しくなってきたのかもしれない。右足の現状を見れば、ひきずる方が正常な反応なのかもしれないのだから。(09.8)

蹴る・つま先立つ
ふくらはぎを観察すると、左右の筋肉の動きや形が違うのがわかる。正常な左の筋肉は運動に伴い、ふくらんだりへこんだり、活発に動くのだが、感覚のない右には動きがなくほっそりしたままである。右足を動かすときにも、ふくらはぎの筋肉は使っていないようだ。
スポーツジムの指導員に相談したところ、「蹴る力」がないことがわかった。走るということは、単純に足を持ち上げて前に出しているだけではなく、地面を蹴っているのだ。私の場合、一見普通に走れているように見えていたが、右足はけり上げる動作を行っていないことがわかった。その時使う筋肉がまさにふくらはぎについていない筋肉だったようだ。
歩く際の足の動きは想像以上に複雑であり、蹴りあげる前につま先立っていることがわかる。今のところ、その筋肉がないので、右足だけでつま先立つことはできない。日常、歩くときに、足を上げる前に、まずかかとを上げるように努力してみたい。
最近、正常な左足の靴ヒモばかりがほどけるので、「なんで正常な方だけ・・・」と不審に思っていたのだが、もしかしたらその理由はここにあったのかもしれない。「蹴っていない」右足は、歩くときに「義足」のようにまったく動いていないので、靴ひもが緩むこともないということらしい。(08.12)
右足の「つま先立つ」筋肉を鍛えたところ、つま先立つ必要のない、例えば靴下やズボンをはくために右足だけで立つときに、不要にこの筋肉が働いてしまい、かえって不安定になることもあるようだ。(09.2)

リハビリ器具としての靴
私がデコボコ道を歩けるのは靴のおかげである。もし裸足だったら、すぐに足をくじくか、足指を捻挫していることだろう。さらに怖いのは、感覚がないので、怪我をしてもしばらくは気がつかないことである。私のような障害者にとっては、普通の靴であっても、履くだけで足が固定され歩行が容易になるのだから、立派なリハビリ器具である。
(09.7)

ロボットの操縦
経験があるわけではないが、ロボットの操縦には恐らく相当コツがいるだろう。初歩的なロボットには感覚もバランス保持能力もないから、想像して勘を働かせながらゆっくり操作しないと、すぐにコケてしまうだろう。
私の右足もそれに近い状態である。平らなところをまっすぐゆっくり歩くようなところしかなければいいだろうが、現実にはそんなことはあり得ない。街や地下鉄を歩き回るためには、足を常に意識して動かさないと危ない。
感覚がまったく無いわけではないから、今のところ転びはしないが、今後、慣れて気を抜くようになったら危ないし、老衰により注意や感覚が鈍くなれば、普通の人より早く歩けなくなるかもしれない。
(09.6)

うっ血
足は下半身にあるから、立ったり座ったりした状態では重力の影響で血液がうっ血してしまう。しかし、普通の健康な足は自然にうっ血(鬱血)した血液を押し上げる「運動」を行っている。私は足がマヒした時点でその機能が働かなくなってしまったため、右足は常にむくんだ(浮腫んだ)状態である。
この「うっ血」し「むくんだ」状態の足が、足の不調・不快の究極の原因であるようだ。
退院する時、右足の靴ひもを緩めなければ履けないことに初めて気づいたが、その状態は今も続いている。
普通の人が仕事などで足がむくむトラブルはTVなどでも紹介されているが、私の場合それとは原因が違うだろうから、たとえば足を締め付ける靴下などを履くのは見当違いなのだろう。
ファッションモデルがやっているように、足を高く上げるのはいいかもしれない。寝るときにも足をあげたらどうだろうか?
(09.6)

けが
シャワーを浴びていて、マヒした右足のけがを見つけた。膝の近くの擦り傷だが、出血もしていた。傷はカサブタ状態なので、1週間くらい前の傷らしいが、けがをしたのも、出血したのも、カサブタができたのも、今まで何一つ気がつかなかった。もしかすると、最近右足が重かったのは、このせいだったのかもしれない。(09.3)

どろろ百鬼丸の手足に神経は通っているのか?
百鬼丸の義手・義足あるいは取り戻した手足が、あまりにも簡単に体に付いてしまい、すぐに自分の身体のように動くのが、あまりにも非現実的だ。ちゃんと自分の手足が付いているのに自分の思う通りには動かないマヒを抱える人間にとっては、(実現してほしい夢物語という言い方もあるかもしれないが・・・)まったく現実味がないとしか言いようがない。ブラック・ジャックだってこんな神業のような手術はできまい(こちらもまた手塚ではあるが・・・)。(09.3)

ガンダムは痛みを感じるか?
痛みに限らず、ガンダムに感覚はあるのだろうか、つまり操縦者に感覚は伝わるのであろうか。
ガンダムを操縦する際に感覚機能があるかどうかは大きな問題であろう。地面が固いのか柔らかいのか、あるいは傾いているか、揺れているのかなどを感じずに戦うことはできないだろう。
痛みはどうだろう?たとえばつかみ合いになったときに、肉体の感覚がなければまず戦えないだろう。感覚がないと、相手の力のかけ方がわからないから、相手のかけている技が何であるのかわからないので、それに対応することもできないだろう。
操縦者がガンダムの痛みを感じるべきかどうかは難しいところかもしれない。ガンダムの関節が人間と同じようにできているとすると、ガンダムには関節技が効いてしまうのだろうか?
大きなダメージを受けた時も問題だ。ガンダムがあまりの痛みにしゃがみ込んでしまっても意味がないので、痛みを感じるセンサーがあるにしても、感じる痛みの上限を作っておくべきだろう。(08.6)

胃がん検診のレントゲン台がダメ
満員電車でバランスがとれないのと同じように、実生活の想像しない場面で困難に遭遇することがある。胃がん検診のレントゲンがその一つだ。バリウムを飲み、動く台の上で指示通りに体勢を変えながら撮影するレントゲンである。台が傾き頭が下になることが多少不安だったが、とくに問題はないだろうと思っていた。ところが、実際にやってみると、右足を駆使するアクロバティックな作業であることがわかった。右足を使わずに台の上で回転するのは難しかった。足の悪いお年寄りはみな苦労しているのだろう。
(09.3)

新しいメカニズム
左右のバランスを取るためには、不自由な足を今まで通り動かそうとしてはいけないようだ。不自由な足を義足と呼ぶのは大げさだが、以前の足とは全く別のものであると考えるべきであろう。いわば「新しいメカニズム」で動く初めて出会うものであるとみなすべきだろう。力の入れ方、抜き方など、使い方が当然今までとは違っているはずである。それを早くマスターしなければいけない。・・・と書いていても自分でもよくわからないのだが。(08.10)
「今まで通り動かそうとしてはいけない」とは書いたものの、もし自己流リハビリなどの効果があって右足がより自然に動かせるようになった場合は、「今まで通り動かせる」のだったら当然そうしようとするだろう。(08.12)

左右の共同作業
バランスをとるとき忘れてはいけないのは、その作業が左右の共同作業だということだろう。能力やメカニズムが異なる左右の足が、歩行という一つの作業を同時にやらねばならないのだ。いわば一人“二人三脚”という感じかもしれない。劣った右足がリハビリをして正常な左足に近づければいいというだけの問題ではない。いくらリハビリをしても正常な足と同じにはならないだから、やはりいつになっても正常な足が劣った足を助ける必要があるだろう。しかし、劣った方も常に正常な足に助けられていることを忘れてはいけない。正常な足に過剰な負担がかからないように努力するといった気持が必要だろう。(08.10)

左右のバランス
退院のころに気づいたが、不自由な右足が正常な足に比べてむくんでいた。むくんでいるといっても、血液循環などとは関係なく、筋肉が鍛えられていないだけのようだ。歩くようになれば治るかと思ったが、1年以上経っても、まだ右足の方がむくんでいる。ジムで左右同じように鍛えているはずだったが、結果的に左右均等ではなかったようだ。
右足が不自由なので、どうしても無意識に、右足をかばいながら、左足を中心に使うようになってしまっている。しかしそれは左足のためにも右足のためにも良くないだろう。右足は確かに感覚がほとんどないが、ほぼ正常に動かすことができている。不自由といっても義足とは違う。意識的に右足のみを使ってみると、いかにいつも左足ばかり使っているかがわかる。これではまずいだろう。意図的に右足を積極的に使用するようにした方がいいだろう。(08.9)
不自由な右足をかばうあまり、正常な左足に被害が出た。これまで以上に踏ん張っているせいか、爪が内出血してしまった。不自由な足の方は、新しい靴を買ったときに靴ずれになったくらいで、今のところ大きなトラブルがないのは皮肉なものだ。(08.10)

目によるフィードバック
マヒした右足だけで立とうとするとき、右足を目で見ているかどうかによって安定性が全く違ってくる。足の裏は、地面に着いた部分を駆使してバランスをとろうとする。体が傾く方向と反対の方向の足の裏に力を入れて踏ん張る。私の右足の場合、その動きを自然にすることはできない。ただ、目で見ることによりチェックすることは可能である。

スキー靴
マヒした足をたとえるのにピッタリなのがスキー靴を履いている感覚だ。クッション材で保護された重いスキー靴を履いているようだ。隔靴掻痒というか、感覚が鈍いところが合っている。「正座してしびれた足」というのもいいが、歩いているときにはスキー靴のたとえの方がほうがいいかもしれない。スキー靴も履きなれると結構歩けるものだ。

正座してしびれた足
長い間正座をしてしびれた足と同じ感覚だ。症状は、普通のしびれと同じく、象の足のように腫れあがった感じと、ほとんど感覚がないことだ。ただ、いくら待っても元には戻らない。
むかしから、畳が嫌いというわけではないが、生活に和室は必要ないくらいに思っていた。ところが、脳卒中の結果、正座やあぐらができなくなり、和室の生活は不可能になってしまった。まったく座れないわけではないのだが、座るのはきついし、座った後は足が痛くなり起きられなくなってしまう。その結果、和風旅館や日本料理や宴会などはちょっと無理だ。
試しに正座して両足をしびれさせてみたら面白いかもしれない。たぶん正常な左足はしばらくすると元に戻るが、右足のしびれはいつもどおり元には戻らないということだろうが。正常な左足に右足の「気持ち」を味あわせてみたい気がする。(08.9)
【一年半後】 右足が腫れあがった感じはずいぶん改善された。右を下にして寝た時によくわかる。ただ感覚はほとんど戻らないようだ。(08.9)

満員電車には乗れない
右足でバランスをとったり踏ん張ったりすることができないので、必然的に周りの人にぶつかったり、足を踏んだりする可能性が高い。さらに右足の感覚がないので、他人に迷惑をかけていることに気づかず、トラブルの原因になる恐れがある。吊皮や手すりにつかまることができたとしても、周りの人に押されるので安心はできない。◇ラッシュアワーの狭いホームを器用に歩き回ることはできない。(08.8)

足のゲシュタルト・リハビリテーション
感覚がないので、ヴァーチャル・リハビリテーションという感じになる。
足の感覚がないのを、目で観察することによりカバーする。
左足という正常な見本がすぐ隣にあるのだから、それを手本・先生にする。
右足の感覚は鈍いかもしれないが、決して「義足」ではない。
歩くときの左足の筋肉の動きを観察し、右足でもその動きを真似る。例えば、「地面を踏みしめる」という言葉のように、足は歩くときに手で地面を握るような動きをするようである。
左足を見本にしてマネするだけでなく、右足にリードさせてみる。つまりいつも左足が主で右足が従なのではなく、その順を意識的に入れ替えてみる。

誰がコントロール?
スポーツジムで走っているときなど特にそうだが、普通に歩いているときも、マヒした足の感覚はほとんどないのに、まるで感覚があって自分でコントロールしているかのように、見事に動いているのを知って、改めて感心する。まるで誰かがコントロールしている精巧なロボットの足のようだ。
【一年後】 右足はある程度思うとおりに動かすことができる。しかしそれを確認しようとすると、通常は足自体の感覚によって(見なくても)できるのだが、それができないので、目で見る必要がある。要するに暗いところでは自分でもわからないということだ。(08.5)

スリッパ
足の感覚がほとんどないので、スリッパやサンダルがいつのまにか脱げてしまい履けない。カカトのない履物をはく時に無意識に使っている足の高度なテクニックに初めて気づく。◇どうしてもスリッパに履き替えねばならない病院などが問題だ。
【一年後】
スリッパやサンダルも形状によっては履けるものがあるようだ。慣れもあるのかもしれないが。◇病院のスリッパ用に、洗濯バサミとひもで、持ち運べる器具を作成した。
【二年後】
慣れのおかげで、病院のスリッパがなんとか履けるようになった。上の器具を使った方が楽なのだが、いちいち持ち運ぶのも面倒なので、もし注意すれば履けるのであれば、道具なしで履く方法を上達させた方がいいようだ。
健康な時には気づきもしないのだが、スリッパを履いているとき、人は無意識に、足の指を閉じたり開いたりしながら、つま先に余裕をつくったり、脱げそうな時に足の指を突っ張って止めたりしていることがわかる。


足の感覚がないので、靴のなかで足がどうなっているのかわからない。脱げている可能性もあるし、かかとを踏んでいる可能性もあるし、マメができている可能性もあるし、それがつぶれて血まみれになっている可能性もある。問題は、靴を脱いで足を見るまで状態がわからないということだ。何かおかしい場合は若干の不快感を感じるものなので、それに注意するしかない。

靴下
【半年後】 靴下は、手で足に履かせるものであり、脱がせない限り脱げないだろうと思っていた。しかし実際には、足が靴下が履きやすいように形を変えたり、脱げないようにも四六時中注意していることがわかった。それがないため、靴下がスムーズに履けなかったり、ズボンを脱ぐときに一緒にスルッと脱げてしまうことがある。

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くしゃみと血圧
ちょっと身体を動かしたり尿意があったりすると高くなる血圧なのに、なぜか連続で大きなくしゃみをしても、まったく上昇しない。不思議だ。
かえって深呼吸した時と同じような効果があるようだ。
(09.9)

血圧降下薬利用中止の理由
たいして高くない血圧(130-80程度)のもとで脳出血になった理由は、それまで頻繁に起こっていた頭痛の原因とみられる脳の血管のトラブルが、スーパーの惣菜ばかりの偏った食事、深夜にシフトした生活、運動不足、うつ的精神状態、といった不健康な生活のパンチを受けたことであったと想像される。
頭痛が消えた現在、血管のトラブルはなくなったと考えられる。あとは不健康な生活を改めれば十分であると考えられるので、これ以上血圧を下げる意味はないのではないか?
すでに、血圧降下薬のメリットのなさやデメリットについてはいろいろ言われている。
血圧降下薬を服用し始めてから、血圧の低さと不快感が連動しているような感じがする。血圧降下薬は精神的抑圧の原因になっているようだ。
(09.9)

血圧と興奮
年寄りに「興奮すると血圧が上がるよ」と言うシーンがドラマなどでよくあるが、半ば冗談のように思っていた。ところが、電話やメールで真剣に話をしたときはもちろんだが、ちょっと根をつめて作業をしただけで、血圧は上がるようだ。文字どおり、精神的な安静は馬鹿にできないようだ。(09.3)

血圧と気分
【二年後】 血圧がある程度高い方が気分がいい。気分が明るくなるし、頭の回転も速くなるようだ。しかし、脳卒中再発のリスクを下げるためには、血圧降下薬を飲み続けざるを得ない。脳卒中にはならないかもしれないが、このまま鬱々とした人生を送ってもいいのか・・・難しいところだ。(09.3)

血圧と気候
血圧は体調を示すバロメーターであるが、その日の気温や気圧などの自然環境をも反映している。 血圧には、体調を記録しているという面と同時に、気候や季節を記録しているという面がある。残念ながら、その計測結果がどこまで体調を表しており、どこまでが自然環境の影響であるか知ることはできない。血圧の測定結果に一喜一憂することはできない。(08.10)

夜中が一番高い
血圧のパターンには個人差があるようだ。一般的には朝が一番高いようだが、私は夜のほうが高いようだ。(08.9)

血圧降圧薬
【一年後】 3月、医者のアドバイスにより血圧降圧薬「ディオバン(アンジオテンシンU受容体拮抗薬)80mg」を飲み始めた。血圧が20mmHg程度下がった。その結果、頭の重さというか不快感が軽くなったような気がするが、同時に「エネルギー」低下のような副作用も感じる。◆4月、医者が変わったので薬も「ブロプレス 4mg」に変わった。効果は同じとのこと。◆5月、気候のせいか血圧が下がりすぎのようなので(最高圧が100mmHgを切りかけた)薬を半分にした。(08.5)

血圧は計測しにくい
【半年後】 血圧を測ると、まず、とてつもなく高い値が出て驚く、続けて測ると、測る度に少しずつ下がり、そのうち安定した値が出るようになる。そうなるためには3回〜5回程度測定しなければならない。正確な値を得るためには、3分〜5分くらい安静にしなければいけないということかもしれないが、何もせずにじっと待つというのは結構難しいものである。
【一年後】 血圧を測っていて不思議に思うことがある。安静にするために目を閉じると、きまって血圧が上がることだ。禅のとき必ずしも目を閉じないのと通じるものがあるのかもしれない。
【一年半後】 血圧を何度も計ると、その度に値が変わる。普通、計測直後は高く、低下を続け、数分たつと安定するようだ。安定するのに時間がかかるし、それでも安定値を知るのは難しいので、あきらめて1回目の測定値を記録することにした。(08.8)
【二年後】 気分が悪く、たぶん血圧が高くなっているのだろうと思って(期待して)計ると、逆に低血圧であることが多い。「高血圧感」は全く当てにならない。(09.4)

原因は血圧くらいしかない
体重も増えていた。高血圧になりつつあった。運動不足だった。食生活も不規則だった。一日中パソコンに向かっていた。人間関係も希薄だった。うつ気味だった。よくないことばかりである。だからと言ってどれも致命的とは考えにくい。そこでとりあえずは(薬などがそろっている)血圧を原因にするしかなかったという感じだろう。
血圧が原因ではなかった可能性もあるだろう。よくなっていた頭痛が、脳卒中以降まったくなくなっている。よくわからないが、脳の血管に問題があったのかもしれない。

血圧の判断の難しさ
血圧は日中大きく変動する。測る度に変化する。季節的な変動もある。軽率に高血圧と判断して薬を飲むのはよくないのではないだろうか。少なくとも2〜3年以上の継続した計測が必要だろう。

理想血圧の難しさ
極端な話、血圧には個性もあるようだ。こんなものを一律平均値で高血圧・低血圧、良い・悪いなどといえるのだろうか?(現実の体調ではなく)血圧という値だけに一喜一憂して、気分も浮き沈みするのでは、いったい何の意味があるのだろう。

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ブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)
脳波により機械を動かすことをブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)という。
脳波を読み取り、その意味を解読する技術はめざましく進歩しているようだ。
しかし脳波では上下左右を示す程度が限界であり、細かい要求をダイレクトに伝えるようなことは不可能である。
さらに感覚を脳に伝えるのも難しいようだ。その感覚を受けるべき脳の的確な場所を知ることはできないし、感覚をどのように伝えればよいかもわからないからだ。
とりあえず脳に刺激を伝えることはできるが、今の段階では刺激を受けた人間が、受けた刺激と正しい刺激とを自分で結びつけなければならないようだ。
(09.11)

わからない
私は、自分が脳動静脈奇形(AVM)であるかどうかわからない。
病院ではAVMの検査をしていない。その理由は、出血した場所が、通常の高血圧による脳出血が発生する可能性の高い場所である(それゆえAVMという特殊な症状ではなかろう)ということだった。(09.3)

頭痛
それまで日常的であった頭痛が、脳卒中になって以降、きれいに消えた。当然、脳出血と関係があったのだろう。
頭痛は大学生のころから毎月のようにあった。季節の変わり目などには毎日のこともあった。頭痛薬や風邪薬は常備薬で、カバンの中にも入れて持ち歩いていた。頭痛薬のない生活など考えられないくらいだった。それを考えれば脳卒中によって頭痛が消えたことは喜ばなければいけないのだろう。良くなったことはすぐに忘れてしまうものだが・・・。(08.12)
【一年後】 
春になって、消えたと思っていた頭痛が始まったようだ。病後初めて頭痛薬を飲んだ。ガンガン痛むわけではないが、体を動かすたびに痛むので、ちょっとひどいと外出も運動もできない。医者によると脳卒中とは関係ないだろうとのこと。
頭痛薬は「バファリン」は避けるようにとのこと。
頭痛は春の2〜3ヶ月だけで、その後はなかった。
【二年後】 
3月に入るとカレンダーで決まったかのように頭痛というか頭が重くなる。(09.3)
「私は、全然痛み止めが効かない偏頭痛を持っていたのですが、事態が明らかになるにつれ、医師たちは私が偏頭痛を持っていたわけでなく、長年にわたって小さな出血があったのだと予測しました」ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』p.98(09.3)

高次脳機能障害
NHKの「きょうの健康」で高次脳機能障害をやっていた。前頭葉から側頭葉にかけてのダメージにより発生するので、主に外傷やクモ膜下出血による場合が多く、身体的なマヒが多い脳出血や脳こうそくには少ないとのこと。最近は、側頭葉の失語症や後頭葉の失認症などは高次脳機能障害に入れないそうだ。(08.9)
「(「半側無視」は)当初は神経系の比較的低いレベルの障害ではないかといわれていましたが、最近ではむしろより高次の認知機能、特に注意機能の障害とする見方が支配的となってきました。」下條信輔『サブリミナル・マインド』(p.98)

前兆
脳卒中の約一年前に、立てないほどの激しいめまいに襲われ、生まれて初めて救急車を呼んだ。意識ははっきりしていた。結局原因がわからず、数日入院しただけで何の治療もなく退院した。しかし、脳外科の医師が脳の画像を見ながら「あれ?・・・まあ大丈夫でしょう」と言っていたのが、今では気になる。(08.9)

教えてくれない
脳卒中であるから、もちろん脳の病気なのだが、隔靴掻痒なのが、自分で自分の脳がどうなっているか知らないということだ。場所が場所だから病院でも調べるのは大変だということはわかっているが、しかし、本人が自分の脳の画像を一度も見たことがないというのは、どうだろう?何か都合が悪いことがあるので隠しているのではと勘繰りたくもなる。
今まで何度か質問して教えてもらったのは、脳出血は一応治っているということ、出血は多かったがその後の状態はいい方だということくらいだ。

脳内圧
脳の中の圧力のようなものをずっと感じている。めまいの前兆のような感じ。
【半年後】 脳内圧が次第に減ってきた。風船やチューブ満タンの空気が少しずつもれることにより緊張がなくなる感じ。頭や目を動かすのが楽になった。血圧と直接関係があるわけではないようだ。
【一年後】 3月になって、頭痛と連動するように、脳内圧も上昇しているのを感じる。怖くて頭が動かせない。
4月に入って症状は改善した。3月の不調は花粉症とも時期を一にする春の病だったようだ。
【二年後】 脳内圧はだいぶ気にならなくなった。下を向くのがだいぶ楽になった。

再発の恐怖
【一年後】 安静にすべきなのか、体を動かした方がいいのか、対処法がわからない。運動が体にとっていいのか悪いのかわからない。

オブラート
オブラートの薄膜をとおして世界を見ているような感じだ。とくに最初の2ヶ月くらいはひどかった。
【半年後】 何度か「膜が剥がれた」と感じることがあり、その度に圧迫感が少なくなっているようだ。
【一年後】 『潜水服は蝶の夢を見る』というフランス映画が公開された。脳梗塞に倒れた主人公は左目以外体が動かない。彼の「潜水服」の閉塞感はよくわかる。
【二年半後】 概して頭はすっきりしつつあり、肉体的に不具な右半身とも切り離されつつあるようだ。(09.9)

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認知  トップへ戻る

不具感
最初は自分が不具であるという意識はなかった。自分の状態を冷静にチェックすることができなかった。半身がおかしいこと、片足が思うどおり動かないことなど、すぐに気づくはずなのだが。
1〜2ヶ月も経つと、さすがに自分の不具合がわかってくるが、それも正座した時の足のしびれのように、少しすれば消えてなくなると思っているところもあった。
4ヶ月経って退院すると、実生活に戻り、不具状態は一つ一つ明らかになった。最初のころ「こんなことができないのか」と気づく驚きであったのに対し、次第に「これはできるんだ」と安心するというふうに変化した。
自分が不具になり、そして不幸であるといった一連の認知および感情は、高度なレベルのものであるようだ。動物は自分が不具になっても、それを気にはしているようには見えない。人間でも知能が低かったりすればそれが不幸とは思わないだろう。子どももそうかもしれない。(09.5)

障害感
【一年後】 頭の障害(「脳圧」のような)が少なくなると同時に、足の障害がクローズアップされた感じがする。それを「足が重くなった」「足の動きが悪くなった」と理解してしまうから不思議だ。「おいおい、昨日までずっとこんな障害はあったじゃないか」と言いたくなる。「障害感」といったものは、主観的なものであり、信用できないようだ。
現在の自分の足の動きや言語発声の経過を評価しようとすると、過去の自分の状態がきちんと認知されている必要があるが、それが危うい。記憶の中の自分の能力は、脳卒中直後の方が高かったりするのだ。そのころの方が今より足は自由に動いていたし、流れるように話していたように記憶しているのだ。周りの人に確認すると、一番多い答えは「以前から変わっていない」である。
これは一種の記憶障害なのかもしれない。
【一年半後】 自分の症状について、何を、誰を信じればいいのか?自分のことなのだから自分が一番わかっている、と言いたいところだが、それが怪しいとしたらどうするか?脳卒中直後、自分で自分のことがわからなかったのは仕方がないとしても、いったいいつになったら自分のことを客観的に正確に見ることができるようになるのだろうか?(08.8)
【二年半後】 これまでずっと猫の目のように変化する自分の症状に一喜一憂してきた。しかしもしかすると、症状はそれほど変化していないのではないか?というのは、自分で自分の障害を認識することは実は難しいし、とくに障害の変化を認識することはさらに難しいからだ。2年半前から今までの変化が自分でもよくわかっていないというのが実状だ。(09.8)

右耳の聞こえが悪い
入院しているころから右耳の聞こえが悪いことに気づいていた。とくに街に出たり、うるさいレストランに入ったりすると右の音が聞こえなくなる。ところが、病院で聴覚検査をしてもらうと正常という結果が出る。ちゃんと聞こえているはずなのに聞こえないということらしい。医者も不思議がっていた。パーティなどうるさい場所でも話し相手の声が聞きとれるという、いわゆる「カクテルパーティ効果」が効かなくなったようだ。
ラマチャンドラン『脳の中の幽霊』を読むと、脳の問題によって、見えるのに見えない、聞こえるのに聞こえないということがあるようだ(「脳の中のゾンビ」)。私の場合も、聞こえないのではなく、聞こえてはいるのだが、脳が認知できないだけかもしれない。
左脳側頭葉ウェルニッケ野の損傷による症状であるらしい。(09.3)

人の話がわからない
人の言っていることがわからないとき、いくつかの理由が考えられる。
まず、単純に、耳が聞こえないということが考えられる。
脳が影響するカクテルパーティー効果というものもある。カクテルパーティーのようにうるさい場所でも話している相手の声だけが聞こえ話がわかるという現象である。
音が聞こえていても話がわからないということもある。残念ながら、これが現実には一番多いのかもしれない。
例えば、会話には主語などの省略が多い。省略が多くともそれまでのつながりで普通はわかるものであるが、それも脳の認知能力であるので、それが衰えれば通常の省略についていけなくなる。
認知障害には記憶が大きく影響している。会話が続いているとき、それまでの会話を理解して記憶している必要がある。そうでないとそれ以降の話にはついていけないことになる。
(09.10)

病識の失認
08年11月にNHK教育の福祉ネットワーク「なるほど!なっとく介護」で、脳卒中の「病識の失認」が(わずかではあったが)とりあげられた。今までTVでこのテーマを見ることはなかった。まさかすべて認知症で片づけられていたわけではなかろうが・・・。マヒがあるにもかかわらず、病識がないまま自動車の運転をしている人もいるとのこと。
ラマチャンドラン『脳の中の幽霊』の世界が(当然ながら)日本にも広がっているようだ。
(08.12)

うつ状態
生きる意味を認知できなくなった状態を「うつ(鬱)」というのだろう。しかし、生きる意味などというものは元々ないのだ、という反論はあるだろう。(08.8)

血圧降圧薬の効果の認知
【一年後】 血圧降圧薬を飲んだ日は、脳がすっきりする印象があっただけでなく、視野もクリアになり、足のマヒも心なしか軽くなり、目に生命感が戻り、表情もすっかり変わったように感じた。鏡に映っている人が別人のように見えた。しかし、気分的に楽になったのは事実だろうが、それ以外の効果を(それらが認知のトリックでないかどうかを)客観的に証明することはできない。

自分ではちゃんと話しているつもり
最初のころ自分ではちゃんと話しているつもりだった。家族などとの会話はちょっと危ないことは自覚していたが、少なくとも来客や看護婦など他人との会話はけっこうしっかりしているつもりだった。病気前よりちょっとスピードが遅いなどと言われると、そんなことはあるはずがない、何かの間違いだろうと思っていた。
【半年後】 自分がちゃんと発音できないことがあるのに気づくようになった。しかしまわりの人からは「(病後)ずっとそうだ」あるいは「良くなっている」などと言われる。もしかすると、過去の自分の認知能力が劣っていたので、自分がまともに話せていないことを認知できていなかっただけかもしれない。
【一年後】 自分では意識していなかったが、友人から、病院で会ったときより話の早さが速くなったと言われた。自分自身の認知がいかにあてにならないものかということに気づいた。

アルジャーノン
いったん回復したようにみえたかつての知能の働きも滑舌も、このところ日に日に衰えているように感じる。まるで自分が「アルジャーノンに花束を」の主人公になったみたいだ。
【半年後】 自分のスローモーな動きにも慣れてきた。以前回復したという自分の認知が怪しいこともわかってきた。
【1年後】 半年前くらいには、時々は病気の前と同じように話すことができるように感じることがあったが、最近はほとんどない。自分の記憶・論理にも口の動きにも、常に衰えや変化を感じる。

時計が読めない
最初の2ヶ月くらいは時計の文字盤がなかなか読めなかった。24時間制もわからず、15時とか言われるとまったくわからなかった。時間の計算も無理だった。リハビリが何時何分から何時何分までと言われても何分あるのかわからずにやっていた。小学1年生の苦労がわかるようだ。

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記憶喪失と酒
私は、自分が経験した脳出血後1〜2週間の記憶喪失を、珍しい体験のように思ってきた。しかし、私は酒を飲まないが、酒を飲んで記憶を失う人はよくいるようだ。飲酒による記憶喪失と脳卒中による症状は似ている、あるいは同じものなのではないか?酒を飲んで記憶喪失を経験したことのある人は、脳卒中による同じような症状に簡単に適応できるかもしれない。(09.4)

脳卒中が原因?
そういえば、脳卒中になる前から、記憶の衰えを感じることがあったことを思いだした。重要な人名や本の題名などが出てこないことがあったが、当時は、自然のなりゆきさ、くらいにあっさりと考えて、気にしていなかった。もちろん程度は違うかもしれないが、脳卒中後の記憶の衰えのすべてが病気のせいではないかもしれない。脳卒中前の記憶の衰えは、加齢によるものだけでなく、脳卒中の前兆だったのかもしれない。(08.10)

インターネットは記憶障害の助け
忘れた言葉は自分で思い出すのが第一だが、どうしても思い出せない場合、インターネットの検索は素晴らしい手助けとなる。辞書をはじめとした本が役に立つことは間違いない。そういう意味で、本好きは記憶障害に対する武器をもっていることになる。インターネットは今後、さらに強力な威力を発揮するだろう。しかし、もちろんこれは記憶障害自体の治療にとってはマイナスになるかもしれないので、両刃の剣である。(08.7)

障害の程度がわからない
何が思い出せて何が思い出せないかを全体的に確認することはできない。ある言葉を思い出さねばならない状況になって、初めてその言葉を記憶していたかどうかがわかるだけである。今、それに関する本を読んでいたからといって、その直後に本に登場した言葉をすべて思い出せるわけではない。今まで覚えている言葉の80%くらいは思い出せるのか、20%くらいしか思い出せないのか、それはテストでもしてみないとわからない。

記憶の障害
人の名前が覚えられない。もちろん思い出すことも難しい。人名などの記憶が弱い。名前を思い出すメカニズムがわからなくなっているという感じ。かつてあった「のどまででている」とかヒントをもらってすぐにわかるといったことがなくなった。たぶんこれは老化に伴う症状と同じなのだろう。それが脳卒中によって早く発生しているだけということで、医者にも相手にしてもらえないかもしれない。

短期記憶障害
入院しているときショックだったのは映画「タイタニック」のタイトルが思い出せないことだった。なぜ思い出せないかがわからない。人に聞いて確認するのだが、ひどいときはその直後に忘れる。退院するころには一応直っていたが。
理学療法(トレーニング)の最中、回数が数えられないことに気づいた。同じ数を何回も数えていつまでたっても10回にならないことがよくあった。これも退院するころにはだいぶ改善された。
今も何分か前に話題にした人名などがでてこないことがある。(09.7)

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言語  トップへ戻る

滑舌の悪化
【二年後】
しゃべり方がスローモーになっているような気がする。
口が回らないのと頭が回らないのと、二つの問題がありそうである。
すでに脳卒中の前から始まっていた老化の進行と区別できないという問題もある。
(09.3)
【二年半後】
自分の話し方の良し悪しを自分で客観的に判断することができない。
入院中、自分では言語に異常はないと考えていたが、そのころ会った人たちからは、「入院したての頃は早口だったが、次第に落ち着いて話すようになった」「(病前に比べて入院時には)話すスピードが遅かった」「(考えながら話しているようで)退院時には話し方がゆっくりしていたが、今は普通になった」といった話を聞いた。
(09.8)
最近、なんとかコミュニケーションはとれているが、滑舌が悪くなっているようだし、自分の言いたいことがなかなかそのままスムーズに出てこない。
電話で聞きなおされることが多くなった
言語中枢(左脳)をやられている可能性は高いので、悪影響があったとしても不思議ではない。
医学的にはこの程度では障害とはみなさないのかもしれないが。
(09.10)

「さ行」と「ま行」の訓練
50音表を発音してみると、とくに「さ行」と「ま行」が発音しにくい。普通の人もそうなのだろうが、病気をするとなおさらだ。リハビリにもいいだろうから、毎日「さ行」と「ま行」の発音練習をやろう。口を大きく動かして、10回くらいだろうか。(09.3)

リハビリ
リハビリ病院では「(退院後は)日常生活をしていれば十分」と言われたが、日中ほとんど一人なので、一日中他人と話をしないこともある。これでは「十分」ではなかろう。
人と話す機会が少ないと、口が回らなくなり、うまく話せなくなる。本の音読など、発声のリハビリが必要なのだろう。
発声のリハビリ不足のせいか、しゃべり方がどんどん悪化しているような気がする。それとも、発声の状態は変わらないのに、頭の回復に伴い、自分の発声の状態を正確に認知できるようになったのだろうか?(08.11)

夕食後、記憶も言語も不調
【一年後】 夕食後、記憶も言語も調子が悪くなる。これは血圧と関係があるようだ。食後、消化器に血液が集中するので、脳は貧血状態になるようだ。今まで血圧が高かったときにはわからなかったが、薬で相当下げているので、その影響が大きいようだ。

過去に書いた文章がおかしい
【一年後】 倒れて1ヶ月ころからパソコンで日記を書くようになった。ブラインドタッチは難しかったが楽しかった。ところが、そのころ書いた文章を今読み直してみると、微妙におかしい。両親が車で来たのを「自家用車で来た」と書いたり(間違いではないのだが自分の文章ではない)、「リハビリテーション」がちゃんと書けていなかったり。

重労働
【一年後】 ことばを間違えずに相手に伝わるように話すということが、いかに重労働であるか、今ごろになってやっとわかってきた。話したあとではどっと疲れがでる。
今までそう感じなかったとしても、それは決して今よりスムーズに話せていたということではないのではないか?過去には自分の話し方を客観的にとらえることができなかっただけかもしれない。

ブラブラ喋り
【一年後】 (ちゃんと)話そうとするとあまりに疲れるので、試しに相手に伝わるか否かを一切気にせずに話してみたところ、とても楽になるが、相手には何を話しているのか伝わらなくなった。ブラブラ喋りというか、アワアワ喋りという感じになる。家族には「倒れた直後の話し方にそっくりだ」と言われた。

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睡眠  トップへ戻る

睡眠不足
睡眠不足が体調に与える悪影響は、健康な時より大きくなったようだ。
そのうちどの程度が、老化が原因のものであるかはわからないが。
「脳に傷をもつと慢性的な低酸素脳症を起こすので、いつも眠い、あくびが出る、すぐに疲れを感じ横になりたくなる」(山田規畝子『高次脳機能障害者の世界』p.42)
「私は睡眠、睡眠、睡眠、そして学習と認知の訓練の間をぬって、さらに睡眠をとることの利点を、声高に提唱し続けるつもりです」(ジル・テイラー『奇跡の脳』p.135)
(09.11)

居眠り
加齢のせいか、最近、食後椅子に座ったまま居眠りをしてしまう。
目覚めた後、快適ならいいのだが、軽い頭痛がしたりして不快なときもある。
もしかして椅子で居眠りをするのは脳に良くないのではないか。
居眠り自体が悪いというのではなく、座って寝ることにより、血流などに何らかの問題が発生する恐れがあるのではないか?
(09.1)
脳出血になったのも椅子に座って居眠りをした時だったので、気味が悪い。
私の脳出血の直接の原因は不明であるが、例えば、椅子で首を前に垂れて寝たことにより、頸動脈が圧迫されたことなどが、何らかの原因になったのかもしれない。
血栓ができて出血を起こしたのであれば、深夜バスや海外旅行のエコノミークラス症候群と、同じような症状かもしれない。
(09.9)


【一年後】 最近「まともな」夢を見るようになった気がする。入院中に「悪夢」が消えてからずっと「まともな夢」は見てこなかったようだ。いつも寝たらすぐに朝という感じだった。それはそれで悪くはなかったのだが。(08.7)

早寝早起き
倒れる前、早寝早起きは馬鹿にしていた。もともと自分は早寝できない人間だと思っていた。何か面白い本やパソコンの作業などがあると、眠たさなど吹き飛んでしまうのだ。とはいうものの、倒れてからは、医者の指導もあり、遅くとも12時前には寝るようになった。
【一年後】
 しばらくたてば夜中起きていても大丈夫だろうくらい思っていた。ところが、最近は12時ころになると頭痛がしたり気分が悪くなってしまい、起きていられなくなることがある。もしかすると、不規則な睡眠は脳卒中の無視できない原因なのかもしれないし、早寝早起きは、今後も必ず守らねばならないことなのかもしれない。
【二年後】
最近、就寝時刻は1時ころになってしまった。
体調が悪いことはないが、睡眠不足は昼寝・夕寝の原因になっているようだ。

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膀胱  トップへ戻る

抗コリン薬
【二年後】
頻尿は退院後少しずつ治ってきていたような気がしていたが、この冬はまたぶり返した。
頻尿・尿意切迫には精神的な理由もあるようだ。外出して緊張しているときには起きにくい。台所に立つと、冷えるからか水音がするからか、尿意を催すことが多い。
とりあえず医者で「ベシケア」という抗コリン薬をもらって楽になった。
(09.1)
【二年半後】
ベシケアを一旦4カ月でやめ、暖かい季節は問題なかったが、寒くなると、また頻尿・尿意切迫感・尿失禁が始まった。
当分べシケアを手放せないようだ。
(09.11)

頻尿・尿意切迫・過活動膀胱
最近の医学では頻尿・尿意切迫のことを「過活動膀胱」というらしい。2001年にパリで開催された「国際尿失禁会議」の統一見解として承認されたのだそうだ。加齢のほか、脳梗塞や脳出血の後遺症、パーキンソン病などで起こることもあるとのこと。

膀胱
最初の病院では、尿道にカテーテルを入れて尿を排泄していた。1か月後、次のリハビリ病院でカテーテルを抜いたが、膀胱炎になった。膀胱炎が治るのに2カ月くらいかかり、その後は頻尿ぎみになった。夜中にもトイレに行くようになった。間に合わないことを含めて失禁してしまうこともあった。
これから先は病気のせいなのか、老化現象なのかわからない。たぶん相乗効果なのだろう。いくら病気の前にはなかった症状だと言っても、そうなっても不思議ではない年齢であることも事実だ。少し早すぎるような気はするが。病院では「病気ではない」と言われるだけだろう。

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死ななければ生はわからない
自分が「病気」にならなければ「健康」についてはわからない。
自分が「死」ななければ「生」についてはわからない。
(09.7)

あのまま死んだほうが
運よく助かったとはいえ、その後一生抱えていかねばならぬ障害の重さを考えると、あのまますんなりと死んだほうが良かったのかもしれないと思うこともある。
そもそも、50代のポックリ死は不幸なのだろうか。助かって、これからの人生は楽しいものであろうか。何も保証はない。たぶん良いことなどないだろう。それでも生きているだけ幸せだと思わねばならないのだろうか?あの時、ポックリと死んでおいたほうが幸福だったのではないか。(08.9)

死にぞこないのゾンビ
医学の進歩のおかげで、「死にぞこないのゾンビ」が急増している。むかしであれば寿命でもうこの世にいないはずの化け物が、不自由な体をひきずりながらうろついているのだ(実際には寝たきりが多いだろうが・・・)。

一度死んだ
出血の量からして、死んでも不思議ではなかった。自分はあの時一度死んだようなものだ。まだ死ぬ年齢ではないし、やりたいこともあったが、あの時死んでいれば、簡潔でいい死に方だったのかもしれない。

死ぬべき
自分がまだ生きているのは医学のおかげである。ありがたいと言わねばならないが、現象だけみれば非常に不自然だ。死ぬべき人間が生きている。つらいのはそのせいだろうか。

残りの人生
これまでは80〜90歳くらいまで生きるかもしれないと思っていたが、こんな出来事にあうと、今後たいして生きられないのではないかと考えてしまう。人生設計ももう少し短かくてもいいかもしれないし、お金もそんなにいらないかもしれない。

べつに死ななくてもいいか
あれほどの激しいうつ症状や自殺願望も、しばらくすると少しずつ治まってくるようだ。これは、人はどんな悲惨な状況にも慣れる、ということだろうか?素晴らしいが、ちょっと情けなくもある。

一度死んだ強み
誰もがいずれ死を迎える。そうであっても、ある日突然死病の宣告を受けるのは辛いだろう。しかし、その点に関して、すでに一度死んだ人間は強い・・・かな?

脳卒中患者の生存率
脳卒中患者の平均生存率はどれくらいなのか?平均何年くらい生きられるのか?やはり普通の人間よりは早死になのか?

皮肉な順番
半年前に、7年間飼っていたペットが死んだ。その翌月、父親が胃がんの手術をして、余命1年と言われた。次は父親かと思っていたら、自分だった。リハビリ病院では、がんから回復した父に車椅子を押された。
【一年半後】その父は一年半後に死んだ。(09.3)

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入院中  トップへ戻る

緊縛リハビリ
気がつけばひもで手足がベッドに縛り付けられていることがあり、いつも必死でほどいた。解くのに何十分もかかることもあった。今思うと、それが右手の良いリハビリになったようだ。
(09.4)

尿と便
気がついたらオムツのようなものをしていて、それが尿と便をすべて処理してくれるので、1ヶ月ほど自分でトイレに行くことはなかった。不思議なことにオムツがとれるまで、自分の排尿・排便の記憶がない。毎日、オムツを誰がいつ換えていたのか、まったく記憶にない。ちなみに、看護婦は私の身体を拭いてくれてもいたはずだが、これまた一切記憶にない。
詳しいことはわからないが、ひどい粗相をしたことがあったようで、6千円くらいの全身用オムツを買わされたらしい。実際には使われなかったようで、無駄になってしまったのでなんとかしてほしいところだが、看護婦がブチ切れるほど私の下の世話が大変だったことがあったということらしい。
オムツの記憶は不思議とほとんどないのだが、1ヶ月後くらい経って、初めてトイレで大便をした感覚は新鮮で覚えている。まるで生まれて初めて大便をしたような感覚だった。肛門の感覚もほとんどなく、自分からどうやってこんなものが出てくるのか不思議だった。

恐怖の世界
それまで、これほど自分の言っていることが通じず、説明しても聞いてもらえず、完全に無視されたことはなかった。ただの不条理の世界を通り抜けて、そこは恐怖の世界であった。
とくに記憶にあるのはナースセンターである。気がつけばナースセンターに座らされているということがあった。なぜここにいなければいけないのか、いつまでいなければいけないのか、何を聞いても相手にしてもらえなかった。あまりにひどい扱いに(車いすで)逃げ出そうとしたこともあった。車いすがうまく動かないので立とうとして転んだのを覚えているが、その後ベッドに縛られたかどうかは定かではない。
ベッドに縛られたこともよくあった。気がつけば自分が縛られていて、周りの人が一切自分の願いを聞いてくれずに無視するという状況は、恐ろしいものであった。何度も何度も、結ばれたヒモを時間をかけて解いたことを覚えている。周りに患者の家族らしき人がいたこともあったので、その人たちの注意を引こうと、「助けてください」と言い続けたこともあった。できるだけ正常に聞こえるように努力をしたのだが、もちろん無視された。彼らにとって私は狂って騒ぐ「キチガイ患者」でしかなかったのだろう。
もちろんこれは、私の一方的な見方でしかない。医者や看護婦から見れば、全く別の世界だったのかもしれない。たしかに私の記憶は部分的であり、なぜそういう扱いを受けるようになったかという部分の記憶がない。しかし私はその後説明を受けたわけではないので、恐らく死ぬまでこれを恐怖の世界として記憶するだろう。
(08.10)

他の患者
同じ病棟の患者と話をしていておかしな点に気づいた。ほとんどの人が自分が脳の病気であることに気づいていないらしいのだ。そういう自分も自分の右半身や言語の不自由さについては、今だによく理解できない点があるくらいである。(08.7)

感情の起伏の拡大
倒れてから1ヶ月くらいたった頃、感情の起伏が大きくなった。論理的なものではなく、気分が不安定になっている感じだ。雑誌に載っているきれいな女性が女神に見えた。看護婦が女神に見えることもあった。多くの死が、ペットの死や、TVに出てくる死が、圧倒的な迫力で襲ってきた。女性の美しさにも、死の悲しさにも涙を流した。

不条理な世界
最初、自分が誰だかわからなかった。ここがどこだかわからなかった。そのうちここが病院だということはわかった。でもなぜ自分が病院にいるのかわからなかった。夜、寝方がわからなかった。寝るたびに身の回りは変化した。病院ではなく倉庫や事務所や博物館になった。ときどきは正常になるようだが、また気がついたらハワイの王様になっていたりする。

痴呆
倒れてから何日間か、あるいは半月程度、意識がなかった。普通の人間のように動いていたらしいが、自分では何を考え何をしたかまったく記憶にない。多少の受け答えもしていたようだ。その時、自分は痴呆のようなものだったのだろう。貴重な経験だ。

悪夢のような日々
最初のころ、毎夜、点滴のチューブを抜いたり、起き上がったりしたようだ。ときどき縛られた。最悪なのは、時々記憶が残っていることだ。確かに意識はそれほどはっきりしているわけではないが、やはり縛られた自分に気づくのは悲しいものだ。助けを求める私を無視する看護婦や他の患者たちの冷たい目は忘れることができない。

悪魔
記憶の中にある看護婦たちは悪魔だった。幻覚の中で彼女たちは、理由を言わず私を押さえつけ、注射をしたり縛りつけたりして楽しんでいた。現実と夢の区別ができない。

ハワイの王様
私はハワイの王様で、娘の結婚式のために飛行機に乗ろうと飛行場の特別室のようなところで待っている。スケジュールを確認したり、娘の思い出などを話したりしていた。ハワイの歌を歌ったり、英語もしゃべったかもしれない。ハワイの明るい雰囲気が本当に伝わってきて、けっこう楽しかった。気がつけばそこは病院のナースセンターなのだが。自分のベッドで騒ぐので連れてこられたのだろうか。

ZARDの死
リハビリ病院に入院中、慶応大学病院でZARDの事故死があった。同じ日に同病院には自殺した松岡農相も搬送されたらしい。自殺と言えばZARDの死も自殺ではないかとも言われていた。なにはともあれ、テレビを見ながら自分が生きていられるのがありがたいと思った。

粗雑な扱い
急速に回復する精神状態の中で、自分が痴呆の患者として扱われていることに気づき、嫌な思いをした。看護婦たちは自分を人間というよりモノのように扱っていた。リハビリ病院に移る直前、最後にシャワーを浴びさせた看護婦はとても乱暴だった。もし私が精神的に回復していなかったら何の問題もなかっただろう。しかし私は目覚めていたのだ。

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醜い世界  トップへ戻る

話を聞いてほしい
このHPは、正直言って、自分の愚痴を他人に聞いてもらうために作ったものだ。
欲求不満が溢れそうになったとき、人はそれをこうやって他人にぶつけて解消するのだろう。
話は変わるが、世に出回っている本の多くも(もちろん必要な本もあるが)、目立ちたいという学者や作家の欲求不満解消の手段であるのは間違いないだろう。
(09.6)

「患者の会」の悲惨さ競争
患者やその家族は、病気と闘うだけでなく、社会の冷たい目を避けながら日陰の生活をしている。その彼らが自分たちのことを自由に話せる場が「患者の会」である。ところが、ここではまた新たな戦いが始まる。いつも人目を避けながら生きている反動か、今度は、自分たちが他の患者よりいかに悲惨であるかということでみなの関心を集め同情を獲得しようという競争になってくる。

障害の軽い人とは付き合いたくない
脳卒中の障害は人によって程度が違う。障害の重い人は軽い人を羨ましく思う。できれば付き合いたくない。

障害の重い人とは付き合いたい
その逆に、自分より障害が重い人とは付き合いたい。世の中に自分より障害が重い人がたくさんいるのを知るのは喜びであり救いでもある。

ただの慣れ
リハビリを続けていると、少しでも改善があるとうれしいが、傍から見ていると、ちっとも治っておらず、症状に慣れたので動作が少しスムーズになったので治ったように見えるだけのことが多い。

自慢
脳卒中の患者で自慢の種になるのが、自分がいかに病気に詳しいかということだ。専門的な正しい知識である必要はない。病院も医者も脳卒中の症状をすべてカバーすることはできないから、患者は、「物知り」の患者の知識に頼らねばならない。


命を救ってくれた神に感謝しなければいけないと言う。では脳や身体に障害を残して、今後の生涯を悲惨なものとしてくれたのは、誰なのだろう?

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医療・社会批判  トップへ戻る

歩けるのだからあとは自分でやれ
リハビリテーション病院に相談にのることすら拒否され、自分一人で今後の対応を模索せざるを得なくなった。
事前に電話で照会した時には、アドバイスできるかもしれないという雰囲気だったのだが、病院で対応した医者はけんもほろろだった。
近所の医者の対応を見ていても、現在の医療体制に問題があることは感じられる。現場を知らないままにいい顔をしようとする役人や議員たちのでたらめな政策のなれの果てだろう。
今後は自分で手探りでやっていかねばならないが、そんなことが可能だろうか?
(09.10)

悲惨な将来
病気になったりボケたりすれば、施設や病院では、邪魔な汚い荷物のように扱われるだろう。
財産は誰かにだまし取られるか、奪い取られるだろう。できれば自分が死んでからにしてほしい。
身寄りのない孤独死だろう。無縁仏として扱ってくれれば御の字だ。
(09.6)

年寄りは社会に必要?
その人が社会にとって必要かどうかは、その人が社会の役に立つか否かによって決まるのだろう。さて、そこで質問。はたして、年寄りは社会の役に立っているか?現在はいわゆる「年寄りの知恵」のようなものが活かせる時代ではない。できればてっとり早く死んでもらって、他の人の邪魔をしないでもらいたいというのが社会(政治)の本音ではないか。しかし、年寄りをあまりぞんざいに扱うと、若い人々が(明日は我が身と)不安をいだく可能性があるから、少なくとも表向きは「お年寄りを大事に」などと言っているのだろう。(08.8)

病院・医者のたらい回し・ぼったくり
療法士の紹介を求めて、リハビリテーション病院と地元の内科医を訪ねたが、何も得るところがなかった。両者とも、それは相手の仕事だと言って押し付け合うばかり。何の治療もアドバイスもしていないのに、どちらにもきちんと診療費だけはとられた。(08.8)

病院の非礼な対応
病院にとって、脳卒中の患者の多くは「ボケ老人」を意味するのだろう。すべての脳卒中患者の扱いが自然それを前提とするのは仕方がないのかもしれない。しかし、脳卒中の患者には、わたしのように、その扱いに驚き、憤りを感じる者もいる。確かに、あなたたちが接する患者には馬鹿が多いかもしれない。しかしだからと言ってみんなそうとは限らない。誰にでも最初からそういう対応をしないで欲しい。それは失礼なことである。(08.7)

医者の非礼な対応
医者に言われた言葉で、わすれられないものがいくつかある。例えば、「いずれ再発するだろうが・・・」という発言である。彼はどんなつもりでこんなことを言ったのだろう。確かに統計上は再発する人が多いのだろうが、だからと言って、最初から患者の努力を否定して、再発すると決めつける必要はないだろう。気をつけてくださいと言うならわかるが、これはあまりにもデリカシーがなさすぎる。どうも、この患者はボケているからこれくらい言っても大丈夫だろうという発言だったようだ。(08.7)

スポーツ・ジム
【半年後】 病院のリハビリから早々と見放されたので、近所のスポーツ・ジムに入会した。運動不足解消にはなるだろう。しかしそのジムに理学療法士はいない。相談できる人がいない。◆ジムで、なにもわからないまま、脳卒中にあまり良くない筋肉運動をやらされた。
【一年後】 自分で有酸素運動を中心にするようにした。

リハビリとマッサージ・温泉
リハビリは病院で行われるので医療だと思いがちであるが、街のマッサージや温泉と同じようなものと考えたほうがよさそうだ。なぜなら医学的根拠がはっきりしていないようだし、効果もマッサージや温泉と似たり寄ったりだからだ。効果がなくても体験者が文句を言わないところまで似ている。
「多くの病院やセンターでは運動療法を適応される患者は常にリハビリテーションだと解釈している。漠然としていることで救われており、意味が広いことでなぐさめになっているが、尊敬に価するほどの厳密さはない」(シドニー・リヒト『運動療法』)。

ネオ・ヒューマン
医学の進歩により脳卒中になった人の多くが日常生活に復帰するという現象は、人類の歴史において、それほど古いものではないだろう。医学的な記録だけでなく、思想や小説にもそのようなケースは登場していないから、それらから学ぶことはできない。ネオ・ヒューマンは自分の人生を自分で探っていかねばならない。

やはり都会のほうが
脳卒中は、倒れたときに治療を受けられるまでの時間が問題だそうだ。となると、やはり救急車がすぐに来てくれる、そして近所に病院が多い都会に住むに限るようだ。

情報不足
病院を退院してしまうと、その後一生つきあっていかざるを得ない脳卒中に関する情報が入ってこなくなる。それからは患者が自分一人で手探りで情報を集めざるを得なくなる。あまりに冷たい。

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