菜根譚愛好会

 

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『菜根譚』とは
明(1368〜1644)末の洪自誠(応明)(1600ころ)により書かれた清言集。中国では注目されなかったが、日本・韓国・台湾で普及した。日本では文政5年(1822)に刊行。中国で清代(1644〜1911)に出版され、その後普及している版は、日本に伝わったものとは内容が異なっている。
日本に伝わる版は、処世術的(社会的)「前集」(222)と、人生論的(個人的)「後集」(135)からなる。

『菜根譚』の特徴
『菜根譚』の「前集」と「後集」は、儒教的なものと、老荘・仏教的なものに分かれている。中国にはこの手の本が多いようだ。「昼は儒教、夜は老荘」が中国人の体にしみ込んでいるのかもしれない。
どちらが人気があるのか知らないが、少なくとも私が惹かれたのは「後集」の方であり、「前集」には何の興味も感じない。
「前集」は教訓的であり、押しつけがましいが、「後集」には説教するようなところはない。
「後集」は社会から落ちこぼれた人間が自分を慰めるようであり、静かな身辺を描写するものが多い。

『菜根譚』の印象
例えば、春秋戦国時代の作と言われる『老子』などと比較すると、時代が全然違うにも関わらず、短い言葉に処世訓のようなものを読み込む形式は共通している。
中国詩として韻を楽しむという目的もあるようだ。残念ながら日本人にはわかりにくいが。
『老子』が抽象的でいくつも異なった解釈ができるために、想像力をかきたてられ、魅力的に見えるのに対して、『菜根譚』はシンプルであるだけ、物足りなさを感じることがある。
『老子』の著者が不明で、時代を越えて多くの手が加わっていると考えられるの対し、『菜根譚』のほうが、まだましと思われるが、それでも多くの版があるのだから、驚かされる。他人の著作に勝手に手を加えるのは、昔から許されていたようだ。
多くの手が加わるということには、内容が充実する、文章が洗練されるといったメリットはあるだろうが、著者の個性が薄まり、表現が凡庸になり、つまらなくなるといったデメリットもあるようだ。
「前集」「後集」というだけで、それ以上の分類がないので、雑然としている。それが良さだ、くらいに考えているのかもしれないが、同じような内容の文章を何度も読まされているような気がする。
似た内容が続くのは、もともとこれが引用の寄せ集めだからではないか。となると、一つ一つありがたがって読む必要はないのかもしれない。人生論・処世術のデータベースと考えれば、その中に出来不出来の差があって当然だろう。この雑多な寄せ集めから自分の趣味で取捨選択するのが、本来の読み方なのかもしれない。それは『老子』『荘子』などの読み方も同じかもしれない。

後集の分類
・現実を離れる必要はない。(後集-1,17,18,41,79,86(作業中))
・とらわれない静かな心。(後集-42,45,49,63,70,81)
・自然の詩的描写。(後集-43,46,54)
・欲望を捨てる。(後集-9,14(捨て過ぎ),44,57,62,65,67,68,69,74,75)
・心が第一。(後集-8,19,47,48,52,66,84,85)
・天がすべてを貫く。(後集-11,50,51,61)
・無いほうがいい。(後集-2,3,20,53,60)
・自然賛歌。(後集-55,64,76)
・無我。(後集-56)
・醒めた目。(後集-59,71)
・身近な自然。(後集-5)
・夢。(後集-6)
・自然と真理。(後集-7)
・真実の姿。(後集-4,10)
・人間のはかなさ。(後集-12,13,78)
・早い出家(後集-15)
・静かな生活(後集-16)
・考え方次第(後集-21)
・自然・ありのまま(後集-82,83)

後集の中の駄作
◆儒教的、処世的、説教的
・社会分析。(後集-40,58,73,77,80)
◆仏教的、説教的
・悟り論議。(後集-72)

前集の中の佳作
前集-14,21,33,56,58,67,69,123,167,170,172,181,216

 


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