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近代テニスの日本への伝来については諸説あり、はっきりしない。「テニスの源流をもとめて」の編者である表孟宏神戸松蔭大教授によると18説あるそうだ。同書にとりあげられている主な説を下にあげてみた。広く知られているのは6だろうか。
- 横浜の山手公園 明治三年(1870)--説
- 横浜の山手公園 明治十一年(1878)--説
- 神戸東遊園地 明治三年(1870)--説
- 長崎グラバー邸付近--説
- 東京築地外人居留地--説
- リーランドが体操伝習所へ 明治十一年(1878)--説
- 高楠順次郎、南岩倉具威男等がやった 明治六、七年--説
- 外国にまなんだ日本人がもちかえった--説
- 三井守之助、磯村豊太郎等が駿河町辺にコートをつくってテニスをやった--説
このなかではリ−ランド説がもっともポピュラーだが、実はこれも伝説の域をでない。というのもリーランドが日本に持ち込んだもののリストにテニスの道具がふくまれていないことがはっきりしているからだ。
ただリーランドの教え子である坪井玄道がテニスを紹介していたことは間違いない。
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