日本へのテニスの紹介者と推測されている。少なくとも普及に尽力したことは間違いない。東京高等師範学校(後に東京教育大→筑波大)。1886年に設立された高等師範学校体操専修科の教師に赴任し、テニスを教えた。その卒業生が全国に教師として赴任しテニスは急速に普及していくのである。坪井はまさに日本のテニスの父といえよう。このころはローンテニスと呼ばれていたが、使用球はゴムボール(ドイツからの輸入品)であり実質はソフトテニスである。