金沢ひがし廓「志摩」

「志摩」は江戸時代(文政三年)に建てられ創立当時は「越中屋」 慶応の頃は「尾張屋」 明治二十年頃は「白尾屋」 大正・昭和の初期までは「竹琴」といくたびかのれんの変遷は記録されているが、いまなお典型的な「ひがし」のお茶屋造りをそのままにとどめ、学術的にも貴重な文化遺産として評価されている。
| 玄関の「大戸」や「吹抜」「いろり」「石室(いしむろ)」など現実には茶屋としては活動していないにも関わらずよく残されていたと思われる。 地理的にも別名「女川」といわれる「浅野川」のほとりにあり、金沢の中心部にも程近く、有名な小売り市場である「近江町市場」も徒歩圏内である。 文豪「泉鏡花」の生家などがあり、「鏡花のみち」といわれる対岸の通りにはマンションなどが建ち並んでいる。 ひがし茶屋街を一辻外れると極普通の町並みで、角を曲がったら江戸時代というタイムスリップ感覚を味わえる。 かつては非常に寒い土地という定評が立っていた北陸では入って直ぐにある囲炉裏は非常に有り難かったのではなかろうか。 |
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「くるわ(廓)」は江戸時代に町方に許された数少ない娯楽と高級社交の場でもあった。 客の側にも琴・三弦・舞・茶の湯・和歌・俳諧など幅広く高い技能と教養を要求される。 さすがは「芸どころ金沢」の歓楽街である。 |
| 石室は当時の冷蔵庫である。隣には厨房がある。 「遊興の場」としての機能を徹底的に追求し、押入などの生活の臭いがする場所を取り去った造りの中で厨房と並び生活の機能を感じさせる場所である。 しかし、客間からここへ至る階段は非常に狭く急で天井が低い造りになっており、表と裏の境界はこの階段にありと思わせる。 |
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