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欧州の名匠達

エフゲニー・ムラヴィンスキー
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ムラヴィンスキー ロシアの音楽家は、ロシア革命の影響でソヴィエト体制に移行した時、ストコフスキーやクーセヴィッキー等その多くが活躍の場をアメリカに移した。共産主義体制では活動が制限されるからである。そうした旧ソヴィエトにあって、世界的な名声を獲得した巨匠がエフゲニー・ムラヴィンスキーである。彼は手兵のレニングラード・フィル(現サンクト・ペテルベルク・フィル)を率い、ショスタコーヴィッチの多くの作品の初演を指揮してその権威と成っただけでなく、チャイコフスキー等ロシア時代の大家の演奏にも定評があった。更にベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス等西欧音楽でも高い評価を得ていた。私は残念ながら、彼の指揮したドイツ・オーストリア物は聴いた事がないが、ショスタコーヴィッチやチャイコフスキーは聴いた事がある。引き締まった造型、緊迫感溢れる響きは力に物を言わせるソ連型の”重戦車”とは一味違う格調の高さを感じさせた。ソヴィエト最大の指揮者と呼んで過言はあるまい。クリュイタンス ベルギーで生まれ、フランスで大活躍した名匠。ミュンシュの情熱的なスタイルともアンセルメの色彩豊なスタイルとも違うが、整った響きやテンポの正確性は独自の格調を持ち、高い説得力を持つものであった。ドビュッシー、ラヴェル、フォーレ等がその中心だが、ベートーヴェンやブラームス等ドイツ・オーストリア系の作品にも定評があったという点ではミュンシュと共通性がある。但し、ミュンシュがフルトヴェングラーの強い影響から生み出された自由奔放なスタイルであるのに対し、クリュイタンスは”ドイツ正統派”の流れを汲む確固たる造型と立派な響きを特徴としていた。強烈な個性やスケールの大きさという点では今一つ地味ながら、往年の名匠の一人として忘れる事は出来ない。ベイヌム オランダを代表する名匠、エドゥワルト・ヴァン・ベイヌムはメンゲルベルクが戦後演奏活動を禁止された為、名門アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の副指揮者から首席指揮者に昇進。以後、1959年に亡くなる迄その地位にあった。20世紀生まれながらステレオ録音初期に世を去ってしまった事もあり、録音は決して多くないが、端正で魅力溢れる指揮ぶりは、今尚一部のファンから懐かしがられている。アンチェル チェコの名指揮者。カラヤンと同じ年に生まれた。ターリッヒの後継としてチェコ・フィルを長らく指揮。殆ど東欧を中心に活躍した為、世界的名声という点では今一つインパクトに欠け、録音機会にもあまり恵まれなかったが、ドボルザークやスメタナ等”お国物”は今尚名盤として懐かしがられている。中庸のスタイルが特徴だが、過不足のない点が魅力であった。チェリビダッケ ルーマニアの鬼才。指揮者版グレン・グールドと呼ぶ物もいる。フルトヴェングラーが演奏活動停止を食らっている時にベルリンで活躍して注目され、フルトヴェングラーの死後、カラヤンとベルリン・フィルの常任のポストを争った事でも知られる。この時期のチェリビダッケは、晩年とは異なりひたすら音楽的本質を追求する”正統派”だったらしい。しかし、練習があまりに厳格で、ベルリン・フィルから猛反発を喰らい、それがカラヤンに敗れる一因となったとされる。そして、カラヤンにベルリンのポストを奪われて以降、隠遁と言える程の地味な活動をしていた。グレン・グールドが実演ではなく録音で完璧さを求めてコンサート活動を停止したのに対し、チェリビダッケは極度に録音を嫌い、実演に総てをかけた。面白いのは映像の録画には許可を与えている点だが、音楽の映像があまり普及していなかった1970年代辺り迄は録音嫌いや裏街道的活動が”謎のヴェール”を作り出し、世界的にはあまり注目されているとは言えなかった。彼が徐々に注目される様に成ったのは、ケンペの後任としてミュンヘン・フィルの常任に就任してからであろう。特に1980年代に入ると、ベームに代わる新たな”神”を創り出そうという気運が生まれ、この”幻の指揮者”が急激に世界的名声を確立するのである。勿論何某かの要素がなければ”神”には成れない。チェリビダッケの場合、常識を遥かに超えた遅いテンポ、過激さ強烈さを排した”静”の魅力が多くの信者を生んだ。要するに彼の音楽は”構築”ではなく、細部迄徹底的に”解体”する事によって音楽を成立させるのである。私も幾つか彼の指揮を聴いた(観た)が、その途方もない音楽に驚嘆したものである。半面、曲が盛り上がって来ると割と”ノーマル”に成り、クレンペラーやクナのスケールはなく、フルトヴェングラーの凄絶さもない少しガッカリさせられる内容であった。弱音部にしても、その途方もないテンポがピッタリはまった時にはそのスケールに感心させられるが、フレーズが完全にぼやけて音楽として成立しているのか怪しげな部分もあった。しかし、見事な点もある。特にブルックナーの交響曲。こんなに遅いテンポで息を持続してクレッシェンドの行える指揮者は他にはいない。彼の練習が厳格であった事を裏付ける証だ。それに普通はこんなテンポで演奏するとオケが同意してくれなくなるものだが、説明上手なのか、オケが納得ずくで演奏しているのがはっきり判る。多くの指揮者は年齢的な衰え等からテンポが遅くなり、結果リズムの硬直やアインザッツの狂いが見られるが、チェリビダッケの場合には水も漏らさぬ指揮ぶりで、その点は稀有の存在であったといえよう。というより、彼のテンポがあまりに遅くてリズムが消滅しているとも言える。何れにせよ、セルジウ・チェリビダッケは独特の個性を放つ指揮者として語り継がれるであろう。ジュリーニ カルロ・マリア・ジュリーニはイタリア出身には珍しい”ドイツの巨匠風”スタイルの指揮者である。但し、テンポは何処となくクレンペラーを思わせるスケールを感じさせるのに対し、響きに対する感覚は矢張りイタリアンである。メロディーを重視し、響きの洗練を求めたからである。その為、ドイツ・オーストリア系の重厚な響きとは異なるスタイルを確立させる事が出来たのである。コンサートではベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス、マーラー等に定評があるが、それ以上に高い評価を得ているのは歌劇や宗教曲等声楽を含んだ作品の処理の仕方である。此処で彼の真価は最大限に発揮される。元々コーラスの指揮をしていたというだけに、アンサンブルを磨き上げる手腕は瞠目すべきものがあるからである。特に近年は1950年代60年代に録音した幾つかの歌劇が高い評価を得ており、以前は演奏会用の録音に注目が集まっていたこの指揮者への再評価のきっかけと成っている。マルケヴィッチ ロシアに生まれ、イタリアやフランスで活躍した名匠。シェルヒェンに師事し、やがてラムルー管弦楽団との活動で世界的名声を確立する。今尚一部に熱心なファンを持っている。ケルテス イシュトヴァン・ケルテスは鋭敏な指揮で知られた悲劇の天才である。20世紀半ばはフリッチャイ、ケルテス、カンテルリという将来を大いに嘱望されていた天才達が世を去り、ファンを大いに落胆させた。彼らが存命だったら音楽界の勢力図もかなり今とは異なるものに成っていたかも知れない。特にフリッチャイとケルテスは活動期間が短い割に録音が多く、いかにレコード会社やファンが重視していたかが伺い知れる。尚、フリッチャイが晩年フルトヴェングラーばりの深遠なスタイルを確立させたのに対し、ケルテスは抜群の歯切れの好さを貫いた。特にモーツァルトやシューベルトに定評がある。ドラティ ドラティは今一つ地味な指揮者だが、歴史的偉業を達成している。それはハイドンの交響曲全集を完成させたという点だ。40数曲のモーツァルトの交響曲全集を完成させるのでさえ相当に大変な作業なのに、100曲を超えるハイドンの交響曲に挑んだのだから、その功績は計り知れない。演奏内容への評価はともかく、この偉業だけでドラティの名は残ると思う。ブーレーズ フランスの天才作曲家にして指揮者。同じ作曲家であり指揮者としても高い名声を誇るバーンスタインとは正反対のスタイルで知られる。バーンスタインも高い知性は感じさせるが、それ以上に彼の場合は”先ずは感情ありき”なのであり、理論的・図式的なブーレーズとは全然違うのである。そのせいか、ブーレーズは人気という点ではバーンスタインに比べると遥かに落ちる気がする。見事だが、クール。そうしたイメージが定着している。私自身も彼の演奏を幾つか聴いたが、ロマン派の音楽等には新鮮ではあるが、不満を覚えた。しかし、ドビュッシーやその他印象派はミュンシュやクリュイタンスとは異なる水準の高さを示していると思う。それ以上にシェーンベルクやアルバン・ベルクら現代音楽でその手腕は最高に発揮される。尤も、感心はさせられるものの、感動は出来ない。コリン・デイヴィス イギリスの名指揮者。地味だが堅実な演奏を特徴とする。モーツァルトとベルリオーズ、シベリウスで特に高い評価を得ている。歌劇もソツがなく、以前来日した歌手の何人かは”1番歌い易いのはデイヴィス”と語っていた。その理由として”多くの指揮者は自分のテンポを歌手に強要するが、デイヴィスは歌手が1番歌い易いテンポに合わせてくれる”からだそうである。それは協奏曲にも言えるが、逆にデイヴィスの個性があまり感じられなくなるのは致し方あるまい。そのせいか、実力の割にあまり語られる事の少ない名指揮者である。グッドール 知る人ぞ知るイギリスの大指揮者。フルトヴェングラーやクナの影響を強く受け、ワーグナーの楽劇を得意にしていた。録音が少ない為、知名度は今一つだが、何れ聴いてみたい指揮者だ。コブラ 私は聴いた事がないが、チェリビダッケ以上に遅いテンポをとる事で一部のファンの間で話題になっている人。但し、実際にオーケストラを指揮するのではなく、コンピュータによって音楽を作り出しているとか。そういう意味では指揮者とは言えないが、変り種という事で記載しておく。パイヤール パイヤール室内管弦楽団の指揮者として知られるフランスの人。特にバッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディ等のバロック作品で評価を得ている。中庸のテンポと上品な響きは傑出した印象は受けないものの、好感が持てる。ハイティンク 大指揮者メンゲルベルクの後任として着実に巨匠への道を歩んでいたベイヌムの急逝により、混迷を極めていたアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任に選ばれたオランダの名指揮者。スタイルは今一つ地味だが、オケから上質の響きを抽出する手腕には長けており、レパートリーも広い。ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィッチ等の交響曲全集を次々と完成させている。本当にこれといった特色はないが、”安心して聴ける”事は間違いなく、20世紀後半の名脇役と言える。マルティノン フランスの名指揮者。ミュンシュやクリュイタンスら大物が世を去った後のフランス音楽界を支えた。偉大なる先達には及ばないが、”これぞフランス”といった指揮が出来る点が魅力であった。当然聴くべきはフランス物という事に成る。マリナー 映画「アマデウス」でかなり有名に成った指揮者。手兵アカデミー室内管弦楽団を指揮してのモーツァルトは往年の巨匠達とは異なる若々しさ瑞々しさを持ち、抜群の爽快感。スケールには欠けるが、”等身大のモーツァルト”を聴かせてくれる。コンドラシン ロシアがソヴィエトだった頃の名指揮者。録音は少ないが、名盤が多い。スケールの大きさには欠けるが、立派な指揮者である。インバル 1980年代半ばに手兵のフランクフルト放送響とのマーラー、ブルックナーの交響曲全集で一躍有名に成ったのがイスラエル出身のエリアフ・インバルである。最近は今一つ地味な印象だが、バーンスタインやチェリビダッケと縁があり、その影響を少なからず受けているだけに、実力と個性は相当なもので、一部に熱烈なファンを持つ。ロジェストヴェンスキー ロシアの指揮者。重戦車を思わせる”旧ソ連型”の代表格。大味だが強引に力で押し切るスタイルは熱狂的なファンを獲得する一方、専門家達から今一つの評価を下される要因と成った。しかし、この人やスヴェトラーノフらの指揮するチャイコフスキーやショスタコーヴィチに”ロシア”を感じる人も少なくない。 |