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アイドル

”国民的アイドル”と称された全盛期の頃のモーニング娘。
(前列左より矢口真里、後藤真希、安倍なつみ、
加護亜依、吉澤ひとみ、辻希美、保田圭、
石川梨華、中澤裕子、飯田圭織)


山口百恵

アイドル=偶像というどう考えてもあまり良いとは言えない呼称が特定の芸能人に冠せられる様になったのは、1970年代だという。それ以前に国民的人気を博した美空ひばりや吉永小百合らは”子役スター”と称されていた。美空ひばりと共に”3人娘”と称された江利チエミ、雪村いづみ、”スパーク3人娘”と称された中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりといった所が他にいる。尤も中には1959年にデビューした姉妹デュオ『ザ・ピーナッツ』をもってアイドルの源流とする向きもあるが。
さて、元祖子役スター時代を経て、次に元祖ジャリタレ時代が到来する。この時期の有名人としては南沙織、天地真理、小柳ルミ子、麻丘めぐみら。中には彼女らもアイドルに分類する向きもあるが、Wikipedia等では岩崎宏美、太田裕美らの頃からアイドルという呼称が定着する様になったという。そして、1970年代半ばから非常に高い人気を得ていたのが山口百恵、桜田淳子、森昌子である。キャラも三者三様で、映画やドラマで大活躍し、歌もやや暗く大人びた曲調の多かった百恵、演歌路線の昌子、ぶりっ子路線の淳子とされた。その中では活動に幅のあった百恵の存在感が矢張り大きく、また三浦友和とのロマンスが大いに話題となった。結婚後は主婦業に専念し、多くの芸能人が引退後に呆気なく芸能界に復帰するのに対し、良妻賢母の典型としてその生き様に共感し、尊敬する者も少なくない。

西城秀樹

女性では山口百恵や桜田淳子らが活躍していた時代、女の子達から圧倒的な黄色い声援を受けていたのが西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎である。その中で一番人気があったのが秀樹であろう。因みに彼らには未だに熱心なファンがいて、歌手として頑張っている。他で当時活躍していたのはフォーリーブスやフィンガー5等。

キャンディーズ

スクールメイツ出身のランこと伊藤蘭、スーこと田中好子、ミキこと藤村美樹の3人組。最初は特別に人気があるという感じではなかったが、センターをスーからランに換えた5枚目のシングル辺りから人気を得る様になった。アイドルには珍しく、全員作詞作曲にも手を染めている。何れにせよ、当時後輩のピンクレディー派とキャンディーズ派という熱烈な支持者を獲得していた。因みに小学生当時の私はキャンディーズ派で中でもスーちゃんが好きだったと記憶している。その彼女達、絶頂のさなかの1977年に突如「普通の女の子に戻りたい」と解散を発表、伝説となった解散コンサートでも「私達は幸せでした」とのコメントで多くのファンを感動させた。活動期間は僅かに4年程だったが、今尚伝説的存在として語り継がれている。

ピンクレディー

1970年代後半最大のアイドルと称される。ケイ(増田恵子)とミー(未唯)によるデュオ。アイドルといえば、清純で可憐でトイレにすら行かないと信じる者もいた(?)文字通り本人達にとっても着飾ったお人形さんみたいな偶像を演じていた時代に、セクシーな衣装と奇抜な踊り、歌自体も面白い歌詞が多く、そのインパクトは絶大なものがあった。最盛期は1978年頃とされ、サザンオールスターズのデビュー曲『勝手にシンドバット』は沢田研二の『勝手にしやがれ』とピンクレディーの『渚のシンドバット』のパロディーと言われている。しかし、そんなに幅がある訳ではなかったので、1979年頃から人気が下降し始め(当時圧倒的人気を誇ったNHKの『紅白歌合戦』を辞退するという”暴挙”も影響したと見なす向きもある)、1981年に解散。しかし、一つの時代の頂点に君臨したカリスマ的存在として、今尚懐かしむ者もいる。

たのきんトリオ

1980年代には物凄い人気を博した男性アイドル・グループ。トシちゃんこと田原俊彦、マッチこと近藤真彦、ヨッちゃんこと野村義男がそのメンバーで、特にトシちゃんとマッチは歌にドラマに大活躍。ヨッちゃんは地味ながらやがて本格的な音楽活動に専念する。当時は他にひかる一平、沖田浩之、竹本孝之、吉川晃司、シブガキ隊(薬丸裕英、本木雅弘、布川敏和)、少年隊(東山紀之、植草克秀、錦織一清)、渡辺徹、光GENJI(諸星和己、内海光司、大沢樹生、赤坂晃他)などが次々と登場。当時の女の子達の熱視線を集めた。

松田聖子

1980年代最大のアイドルと称される。お人形さん的衣装、ぶりっ子丸出しの喋りを特徴とするが、24曲連続シングルNo.1ヒットを送り出す等、”アイドル全盛”と言われる時代に桁違いの人気を誇った。幾度も結婚と離婚騒動を繰り返す一方で、現在では”ママドル”として特に女性からの共感を得ている。当時他に活躍していたのは河合奈保子、小泉今日子、早見優、松本伊代、堀ちえみ、伊藤つかさ、石野真子、倉田まり子、石原真理子、藤谷美和子、川島直美、三原順子、三田寛子といったところ。

中森明菜

松田聖子の後に出て、松田聖子とは異なる魅力で当時並び称され、21曲のシングルがチャート首位に輝いている。健康的で清純路線の松田聖子とは異なり、当時の流行だった”ツッパリ”的イメージの象徴とも見なされる。しかし、1990年代に入ると、自殺騒動等を引き起こし、歌も嘗ての様には売れなくなった。とはいえ、松田聖子同様歌を武器とした文字通り”伝説的アイドル歌手”として、1980年代の彼女を崇拝する者は未だにおり、芸能人の中にもそうした明菜信者がいるらしい。

おニャン子クラブ

1980年代、萩本欽一の番組からアイドルとなったわらべがヴァラエティー出身の先鞭をつけたが、1980年代半ばから後半にかけて文字通り時代を席巻したのがおニャン子クラブである。とんねるずが司会を務める『夕やけニャンニャン』で結成された素人女子高生ユニットで、同じくとんねるずが司会を務める深夜番組の『オールナイト・フジ』のオールナイターズが女子大生のユニットだったのに対し、高校生というコンセプトで作られた。番組内でオーディションが行われ、メンバーに選ばれた者には当時流行りの『モモコクラブ』を真似て会員番号を付与。次から次へと加入と脱退(卒業)を繰り返す手法はモーニング娘。を筆頭に、桜っ子クラブ、ミニスカポリス、制服向上委員会、乙女塾、チェキッ娘等幾多のヴァラエティー番組のユニットに影響を与えた。言わばメディアによって創造された新しいアイドルの形が示されたのである。主なメンバーは新田恵利、中島美春、樹原亜紀、国生さゆり、名越美香、福永恵規、河合その子、内海和子、富川春美、立見里歌、高井麻巳子、城之内早苗、永田ルリ子、岩井由紀子、白石麻子、吉沢秋絵、横田睦美、渡辺美奈代、山本スーザン久美子、布川智子、弓岡真美、岡本貴子、渡辺満里奈、工藤静香、高岡真紀、生稲晃子、貝瀬典子、杉浦美雪、我妻佳代、山森由里子、山崎真由美等々。各々ファンがいて、当時は本当に凄い人気だったが、1987年には解散。1985年の結成から2年程の事だった。しかし、ユニットの中に更にニャンギラスやうしろゆびさされ組、うしろ髪ひかれ隊、おニャン子クラブB組といった小ユニットが編成されるといった手法も含めて、このグループが日本のアイドル史に刻んだものは途方もなく大きい。偶像的アイドル歌手の時代から、等身大の普通の女の子がユニットを組み、歌い、ヴァラエティーでも素顔を曝け出す。それが親しみ易さを生み、アイドルの潮流に一大変革を齎したのだから。尚、現在は多くのメンバーが結婚、引退しているが、国生さゆりの様にドラマなどで活躍し続ける人もいる。

岡田由希子

1980年代は本当に次から次へとアイドルが登場した。菊池桃子、森尾由美、斎藤由貴、中山美穂、北原佐和子、酒井法子、佐野量子、設楽りさ子、西村友美、南野陽子、本田美奈子、芳本美代子、畠田理恵、大西結花、浅香唯、中村由真、Wink、松本典子、西田ひかる、島崎和歌子……。しかし、1980年代終盤頃からアイドルとアーティスト人気の逆転が始まり、90年代に入ると、めっきりその数が減る様になってくる。より歌や踊りがプロフェッショナル化したアイドルや、ヴァラエティーやドラマなど多方面で個性を発揮出来る様な人でないと続かなくなった。偶像の時代の終焉と称された。そして、この時期のアイドルの内面の葛藤をまざまざと世間に見せ付けたのが岡田由希子である。昔風の清純派美少女アイドルで、巨乳。頭も良く、特に個性はないがファンの多かった彼女。しかし、恋愛問題で悩み、アイドルとしての自分と普通の女性としての自分との狭間で揺れ動き、自殺という道を選ぶ。これ迄にも芸能人が自殺するという例はあったが、若くて可愛いアイドルが飛び降り自殺を図り、その遺体の写真が生々しく写真週刊誌に掲載されるという出来事は、正に日本中に衝撃を与えた。アイドルだって人間なんだという事を大々的に示した。そして華やかに見える世界の裏側を垣間見せた。アイドルを夢見る人達に冷や水を浴びせた。アイドルとしては決してズバ抜けた存在ではなかったけれど、そうした意味において岡田由希子の名はアイドル史から決して消え去る事はないだろう。因みにこの時期の私のお気に入りは斎藤由貴だった。菊池桃子みたいにぶりぶりではなかったし、一寸変な感じの天然系だったけど、本当に光り輝いていた。特に瞳が魅力的だった。因みに、菊池桃子や森尾由美は今でも年齢からすると信じられない位若い。コラーゲン云々というより、気持ちが若いのだろう。

後藤久美子

日本のアイドル史上初めて”国民的美少女”という呼称が用いられた。歌や演技というよりは文字通り”美少女”ぶりを売りにしている様な感じだが、そのあまりの影響の大きさ故に、彼女に続く存在を発掘しようと国民的美少女コンテストが開催されるに至った。因みにコンテストのグランプリ受賞者としては藤谷美紀、細川直美、小田茜、佐藤藍子等がおり、出身者としても石川亜沙美、米倉涼子、上戸彩等がいる。

バラドル

おニャン子クラブの出現が契機となったからかどうかは良く知らないが、1980年代後半になると、ヴァラエティー番組を主戦場にするアイドルが次々と出現する様になった。松本明子、森口博子、山瀬まみ、井森美幸等がそれである。

グラビア・アイドル

歌や演技云々ではなく、美貌やスタイルを売りにするアイドル。中には女優に転身する者もいる。その元祖と目されるのが1970年代のアグネス・ラムである。以降も宮崎美子、山口智子、羽田美智子、紺野美沙子、鷲尾いさ子、堀江しのぶらが登場。特にイエロー・キャブ所属第一号の23歳で急逝した堀江しのぶは巨乳を売りにしており、以降のこの事務所の原点である。尚、イエロー・キャブにはかとうれいこ、細川ふみえ、山田まりや、雛形あきこ、小池栄子、佐藤江梨子、MEGUMI、川村ひかる、胡桃沢ひろ子、根本はるみ等がいる。他では鈴木京香、国分佐智子、本上まなみ、眞鍋かおり、釈由美子、酒井若菜、酒井彩名、優香、中條かな子、吉岡美穂、吉井怜、乙葉、森下千里、熊田曜子、若槻千夏、磯山さやか、井上和香、安めぐみ、安田美沙子、岩佐真悠子、夏川純、市川由依、ほしのあきらがいる。女優業に転身する者とヴァラエティーを中心に活動する者に大別される気がする。

SMAP

日本史上最大の成功を収めたアイドル・グループであり、”国民的アイドル”の呼称が捧げられた第一号となったSMAP。これ迄幾多の男性アイドルを輩出してきたジャニーズ事務所所属だが、売り出し方がこれ迄の先輩達と異なっていた。1988年に結成されたにも関わらず、CDデビューは1991年。それ迄地道にドラマに出たり、ヴァラエティーに出たり、ラジオに出演したりといった活動を続け、一部のファン達からCDデビューをさんざん待たれていた。しかし、この”修行期間”こそが後のSMAPの多様性獲得に繋がっていくと見なす向きが少なくない。メンバーは中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、草g剛、香取慎吾の5人。1996年迄は森且行を入れた6人で活動していた。SMAPの特徴、それは普段はヴァラエティーやドラマ等単独行動を取る事が多く、各々のキャラクターを明確に打ち出しつつ、歌手として行動を共にし続けているという点にあるだろう。彼らの先輩格、たのきんトリオやシブガキ隊はソロとしての活動が増えてくると、歌手としてもソロが多くなり、結果長続きしなかった。しかし、SMAPは間もなく結成から20年の歳月が経過しようとしているにも関わらず、別格的アイドルとしての存在を保持し続けている。但し、彼ら一人一人のマルチな才能やキャラクターが魅力になっている事は間違いないが、”本業”である歌手としてもアイドル・グループとしては稀有の成功を収めている点もSMAPの凄いところだ。尤も、”アイドル路線”の歌を歌っていた頃は世間の誰もが認める存在というよりは一部の女の子達がキャーキャーいうだけのごくありきたりのアイドルに過ぎず、アーティスト系の歌を歌う様になってからミリオン・セラーを幾つも生み出し、歌手としての大成功を手にしたと言われている。何れにせよ、SMAPの成功で、ジャニーズはこのグループの遣り方を他のグループにも応用。TOKIOやV6、KinkiKids、嵐、タッキー&翼、NEWS、関ジャニ、KAT−TUNなどに影響を与えている。その中でSMAPに次ぐ活躍を見せているのがTOKIO。但し、各メンバーの多様な活動という点においても、歌の実績においても、SMAPが男性アイドル・グループの中ではズバ抜けた存在である事は疑い様がない。若しかすると、此処迄のグループは二度と出現しないかも知れない。

安室奈美恵

小室哲哉がプロデュースした安室奈美恵、華原朋美、鈴木あみらはそれ迄のアイドルとは異なる音楽性の高さを武器に、一世を風靡した。特に安室はファッション等でも女子中高生等に絶大な影響を与え、”アムラー”なる言葉も生まれた。また、小室ファミリーではないが、SPEEDが歌と踊りで一時代を築いている。

ジュニア・アイドル

古くは高峰秀子、美空ひばり、松島トモ子、島田歌穂、杉田かおる、仙道敦子、中島朋子、小林綾子、宮沢りえ、小川範子、観月ありさ、尾羽智加子、田畑智子、星野真里、安達祐実などの様に子役として注目を集めた人はいたが、近年ではグラビアなどでも活躍する例が増え、ジュニア・アイドルと称される。その典型とされるのが前田愛辺り。彼女の妹・亜季も含め、子供の頃から写真集を発売していた。後は野村佑香、栗山千明、大沢あかね、宮崎あおい、三倉茉奈・佳奈姉妹、井上真央、黒川芽以、戸田恵梨香、飯田里穂、加地千尋等々。他にもWikipediaには大量に子役の名前が列記してあるが、私にはさっぱり分からないので、たまに耳にする名を挙げておいた。その中で大ブレイクしたのは『キッズ・ウォー』や『花より男子』の井上真央。因みに彼女は明大に進学したので、私の後輩に該当する。

モーニング娘。

テレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』で1997年4月から行われていた「シャ乱Qロックヴォーカリスト・オーディション」。この時優勝したのは平家みちよだったが、最終選考で落選したメンバー達から安倍なつみ、飯田圭織、中澤裕子、福田明日香、石黒彩の五人が選出され、9月(諸説ある)に結成されたのが「モーニング娘。」である。最初はプロデューサーであるつんくも面白半分に作ったユニットであり、後のブレイクなど全く考えていなかったらしい。兎に角、デビュー当時の彼女達は非常に泥臭かった。公式デビューを果たす為に手売で「愛の種」を5万枚売り捌くという苦労も体験している。1998年に追加オーディション発表が行われた時も、メンバー達の中にはこの発表を事前に解散宣言ではないかと考える者がいたという。何れにせよ、1998年5月には矢口真里、保田圭、市井紗耶香が加入する。翌1999年4月、福田脱退。そして、その年の8月、後藤真希、加入。「LOVEマシーン」が195万枚の大ヒットを記録。2000年1月、石黒脱退。4月、石川梨華、吉澤ひとみ、加護亜依、辻希美加入。5月、市井脱退。この年、「恋のダンスサイト」「ハッピーサマーウエディング」「恋愛レボリューション21」が立て続けにミリオン級のヒットを記録。黄金期を迎える。その為この時期のメンバーを”黄金の10人”と称する向きもある。翌2001年、リーダーの中澤、卒業。8月、高橋愛、新垣里沙、紺野あさ美、小川麻琴加入。翌2002年9月、モーニング娘。人気を支えたとされる後藤真希、卒業。これによって、CD売上が下降し始めたと言われている。2003年1月、藤本美貴、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいな加入。同年5月保田圭、卒業。翌2004年1月。結成時からのメンバーであり、本当の意味でグループの”顔”と称された安倍なつみ、卒業。同年8月には加護亜依・辻希美も卒業し、更に翌年1月には中澤卒業後リーダーとして振舞ってきた飯田圭織も卒業。遂に結成時のメンバーが総ていなくなったばかりでなく、5月にはスキャンダルで新リーダーとなったばかりの矢口真里が脱退、そして石川梨華が卒業……と、人気者が次々と去り、危機説が囁かれる様になる。同年5月久住小春、加入。2006年7月紺野あさ美、卒業。8月小川麻琴、卒業。2007年1月光井愛佳、加入予定。5月、”黄金の10人”の最後の一人で、矢口真里脱退後のリーダーを務めてきた吉澤ひとみ、卒業予定。
以上の様に、モーニング娘。は加入と卒業(脱退)を繰り返して活動するグループである。同じく”国民的アイドル”と称されたSMAPの様に鉄壁のメンバーという訳ではない。しかし、歌だけでなく、ヴァラエティーやドラマで活躍するメンバーもいて、結構多彩な活躍を見せている。近年は嘗て程ではないとはいえ、何となく続いている。面白いグループだ。尚、加入と卒業を繰り返す遣り方は宝塚歌劇団がモデルともおニャン子クラブがモデルとも言われている。タンポポ、プッチモニ、ミニモニ等の小ユニットがあるのも「〜組」がある宝塚やおニャン子が原型とされる。尚、モーニング娘。が在籍するハロー!プロジェクトにはココナッツ娘。やカントリー娘。、メロン記念日、Berrys工房、美勇伝、キュートなどのユニットが存在する。また、娘。の卒業生や松浦亜弥などがソロ活動を行っている。何れにせよ、今のモーニング娘。はもはや嘗ての様な”国民的アイドル”というよりは、一部のファンによって支えられているアイドルといった感じになっている。ただ、歌も踊りも非常に厳しい訓練を課せられるという点では或る意味本格派であり、おニャン子クラブとは一線を画すアイドルである事は間違いない。

松浦亜弥

ハロー!プロジェクトの看板娘。今や数少ない”歌うアイドル”の一人として歌手としては勿論、ヴァラエティーやドラマ、CM等多方面で奮闘している。歌っている時にはぶりっ子にもなるけれど、基本は関西系らしいさっぱりとした明るいキャラクターが武器。

小倉優子

グラビア出身なんだけれど、ヴァラエティー等で変なキャラクターを演じるアイドル。さとう珠緒などと共に独特の喋り方をするので、万人向けというよりは、一部の熱狂的なマニア向けという感じがする。私はこの手のキャラにはついていけない。

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