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浅草ロック座[現存]

劇場画像
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2004年4月10日 撮影 by 白石

【活字情報】
東京 328 浅草ロック座@ 裸の立志伝
 こけら落としの祝辞は、浅草寺の大僧正が述べた。
1947年8月15日。ストリップ劇場「浅草ロック座」の開館日である。
 現会長の斎藤智恵子さん(77)は日本舞踊の先生をへて36歳で舞台に立った。
芸名「東八千代」。やがて興行主としての商才が花開き、小屋を手にした。
 左肩には、寝込みをヤクザに襲われた時の刀傷がある。
今でこそ円くなったが小屋の約束事を守らなかったりすると「てめえ何やってるんだ」と一喝する。
 裸一貫、女の細腕で築いた劇場。さあ幕が上がるよ。
 (写真:ロック座をバックにした斎藤会長)
[朝日新聞] 関東版夕刊の連載コラム「東京」2004年5月17日(月)より
[情報提供:H-Bach](2005.02.16)

東京 329 浅草ロック座A 目指せパリ
 極彩色の光線が四方から降り注いだ。
コンピューターを駆使し、数億円かけた舞台装置が均整のとれた踊り子たちの白い肌を彩る。
 米国のラスベガスに自前のダンス教室を持ち、踊り子たちにレッスンを受けさせている。
「目標はパリのクレージーホースです」。
斎藤恒久社長(56)は、フランスの有名な娯楽施設の名を挙げる。
 見えるようで見えない。と言うより、わざとゆっくりじらしながら見せる。
それでいて品が良く、洗練された踊りを演じなければ、この浅草の舞台には立てない。
 (写真:ステージ風景)
[朝日新聞] 関東版夕刊の連載コラム「東京」2004年5月18日(火)より
[情報提供:H-Bach](2005.02.16)

東京 330 浅草ロック座B 看板スター
 休憩時間。喫煙ロビーに雅麗華(みやび・れいか)さんの姿があった。
劇場の会長、斎藤智恵子さんのまな娘で、ロック座の秘蔵っ子だ。
 3歳から始めた日舞とラスベガスの学校で磨き上げた洋舞。
身長150aと小柄だが、舞台に立つと大輪の花を咲かせる。「ただ脱ぐだけでは駄目です」。
AV女優が幅を利かす業界の中で、数少ない踊り手だ。
 浅草出身。6月29日が誕生日。
客席から花束を渡され、場内で「ハッピーバースデー」を大合唱したこともある。
客席にはたまに、ご近所の幼なじみも来る。
 (写真:雅麗華さん)
[朝日新聞] 関東版夕刊の連載コラム「東京」2004年5月19日(水)より
[情報提供:H-Bach](2005.02.16)

 東京 331 浅草ロック座C 時代と共に
 入場料6千円。学割4千円。140席の場内は、毎日熱気に包まれている。
 「ポルノの女王」と称された愛染恭子さんがデビューしたのは80年代。
ブルネイ王子とのロマンスで話題を呼んだAV女優が出た時も、長蛇の列ができた。
「反権力の象徴」として文化人や学生の圧倒的な支持を集めた踊り子もいた。
 「いつの時代もスターがいた」と写真集「浅草ロック座昭和末年」を著した勝山基弘さん(42)。
これまでに100人近く撮った。
 時代は今アイドル路線。曲に合わせて手拍子がわき上がる。
 (写真:ステージ風景)
[朝日新聞] 関東版夕刊の連載コラム「東京」2004年5月20日(木)より
[情報提供:H-Bach](2005.02.16)

東京 332 浅草ロック座D ニフウ先生
 昭和20年代。よれよれの背広に帽子をかぶり、ストリップ小屋に通い詰めた老人が
いた。作家永井荷風である。江戸情緒を描き、「奇人」を貫いた79歳の生涯。
面と向かって「ニフウさん」と呼ばれてもニコニコし、踊り子と連れ添ってなじみの店に出かけた。
 女優の玉川みどりさん(72)も一緒に食事をした。
「でも、お気に入りは私じゃなかったのよ」。
目当ての踊り子は後に、大コメディアンと結婚し、幸せになったという。
 等身大の写真をロック座の前に置いてみた。若い踊り子たちが集まってきた。
 (写真:六区ブロードウェイに置いた永井荷風の等身大写真)
[朝日新聞] 関東版夕刊の連載コラム「東京」2004年5月21日(金)より
[情報提供:H-Bach](2005.02.16)

東京 333 浅草ロック座E フィナーレ
 所属の踊り子チームが舞台に出てきた。
肢体を躍らせる群舞場面は淫靡(いんび)な雰囲気とはほど遠い。
 「このライブ感覚、いつまでも大切にしてほしい」と
戦後日本の風俗史に詳しいルポライター伊藤裕作さん(54)は言う。
昭和20年代後半には20軒近くあった浅草ストリップ。ロック座だけが今も奮闘している。
 約2時間半のステージが1日4回。39度の熱でも体が痛くても決められた時間に出なければならない。
 夜11時。幕が下りる。「ありがとう」と客席から声が聞こえた。
 (写真:ステージ風景)
[朝日新聞] 関東版夕刊の連載コラム「東京」2004年5月22日(土)より
[情報提供:H-Bach](2005.02.16)

 観客の長期的減少と既成の演出の行き詰まりを打開しようと、
大胆な方針転換を試みて成功したのが、浅草にある「ロック座」だ。
84年に数億円を投じて内装や照明、音響設備を全面改装。93年にコントも演目から外した。
同劇場を経営する東興行で企画を担当する古川恒徳氏は
「目指したのは脱ストリップ。パリのクレージーホースなどの劇場を視察して、音楽と照明、
ダンスを組み合わせた総合的な演出を取り入れた」と説明する。
 東洋一という音響設備からは音のシャワーが客席に降り注ぎ、
四方から注がれる極彩色の光線が舞台上で交錯する。
十人前後の均整の取れた肢体を躍らせる群舞場面は隠微な雰囲気とは縁遠い。
入場料が6千円と、都内他劇場より高めにもかかわらず、145席がほぼ満席になる日もある。
[日経新聞 話題探検「魅惑の芸、過去を脱ぎ捨てる」1995.06.18]より
[情報提供:Tim](2002.06.19)

(1947年の)「八月十五日には、浅草にロック座がオープンした。
浅草寺が地主でコケラ落としに神主の大森大僧正が祝辞を述べた。
入場料は七十円であった。」
[ヌードさん] 橋本与志夫、筑摩書房より

「伝統のストリップ劇場。特出しはしないが踊り子は抜群」
[週刊大衆:52年3月3日号]より

「東八千代がストリップの世界に入ったのは、三十六歳の夏であった。
”女にはやりすたりはない”というし、
五十歳すぎてまだ裸一貫で稼いでいるストリッパーもいるから、
驚くことはないかもしれないが、それにしても三十六歳でストリップの世界へ。
ま、特筆に価するスロー・スターターだったことはたしかだ。
 十年が過ぎた現在の彼女は、西の島田興業、東の東興業と称される、
ストリップ業界の横綱格で東興業株式会社社長。
 浅草の『ロック座』をはじめ、船橋の『淀君』、
長野県上山田温泉の『信州ミカド』など六店のストリップ劇場と、
三桁のストリッパーをかかえる女社長として業界に君臨している。
 裸一貫、女の細腕で築きあげた堂々たる”性商”。
 本拠のロック座へは、フランスからヌードショウのチームを招いて公演。
 四十八年の春の初公演のときなど、ロック座の前にはえんえんと観客が行列をつくり、
隣の映画館から苦情がでたほど。」
[週刊大衆:昭和49年1月10日号]より(1996.12.31)

「東八千代は昭和四十七年十一月、浅草の『ロック座』を買った。」
[週刊大衆:昭和49年1月10日号]より(96.12.31)

【コメント&生情報】
tel(03)3844−0693
〒111−0023 東京都台東区浅草2−10−12
地下鉄銀座線・都営線浅草駅歩5分
豪華な照明、舞台装置、観劇席等、日本最高レベルの劇場
[weekly](1996.11.15)

開場 AM11:00 開演 PM12:30 料金6000円
[weekly](1997.01.11)


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