年代 | 人名 | 事項 |
一八六八年 (慶応四) 二月十五日 | 堺事件。(陽暦三月八日)夕刻、堺港内でフランス水兵 の殺傷事件勃発。 | |
一八九三年 (明治二六) | 佐々木甲象 | 『泉州 堺烈挙始末』刊 鴎外蔵書(初版)。鴎外の『堺事件』の典拠となった。 |
一九一四年 (大正三) 一月 | 森 鴎外 | 『大塩平八郎』を「中央公論」に発表。 その後、鴎外は「三田文学」に評論として『大塩平八郎 』を発表し、<あまり暴力的な切盛や、人を馬鹿にした 捏造はしなかった>と書いた。現在「附録」という形に なっている。この点大岡論難。 |
同 二月 | 森 鴎外 | 『堺事件』を「新小説」に発表。 |
一九一五年 (大正四) 一月 | 森 鴎外 | 『歴史其儘と歴史離れ』を「心の花」に発表。 |
一九四一年 (昭和十六) 三月 | 小林 秀雄 | <歴史と文学>を「改造」に発表。 小林は唯物史観を批判し、「子供に死なれた母親」のど んな条件の死かという確認よりも、かけがえのない命を 失った悲しみ、それが歴史だとする。 |
一九四二年 (昭和十七) | 岩上 順一 | 『歴史文学論』 大岡援用。鴎外に庶民の視点が無いことを言及。 |
一九四四年 (昭和十九) 十月 | 稲垣 達郎 | <鴎外と「歴史其儘」−『堺事件』について>「五十嵐 博士記念論集日本古典新攷」早稲田大学文学部編に発表 竹盛天雄氏の解説によると「大岡の批判的姿勢に同感す る点があるごとく」であったという。 『森鴎外の歴史小説』(岩波書店 平成元年四月 刊) の解説より。 |
一九四七年 (昭和二二) 八月 | 中野 重治 | <鴎外位置づけのために>を「展望」に発表。 戦後の鴎外像を啓発する<日本の古い支配勢力のための 一番高いイデオローグ>の指摘がある。 |
一九六一年 (昭和三六) 一月 | 大岡 昇平 | <常識的文学論(一) −『蒼き狼』は歴史小説か> を「群像」に発表。 その後井上靖と論争になる。 |
同 七月 | 大岡 昇平 | <歴史其儘と歴史離れ>を「文学界」に発表。 <鴎外自身もその歴史小説において、口でいうほど史料 に忠実でなかったことは、作品と素材との比較研究によ って明らかにされている>と指摘。 |
一九六四年 (昭和三九) 十一月 | 大岡 昇平 | <歴史小説と批評>(単行本所収の際<現代史としての 歴史小説>となる)を「文学界」に発表。 <一民族が母親の感情だけで生きていたら、確実に亡び てしまうだろう>と小林秀雄を否定。 |
一九六五年 (昭和四十) 五月 | 中山 義秀 | 『土佐兵の勇敢な話』を「群像」に発表。 大岡と中山は、共に鎌倉在住の縁から文学仲間として接 し、福島の棚倉出身の中山は当時の土佐兵の暴徒ぶりを 聞いて育ち『堺事件』の感想に「砂をかむ」ような感情 だったとする。フランス兵の死者が十一人だったことや 土佐兵の至近距離からの発砲の残虐性への指摘がある。 |
一九六七年 (昭和四二) 一月 | 大岡 昇平 | 『レイテ戦記』を「中央公論」に連載開始。二年後の昭 和四四年まで連載。 一九七一年(昭和四六)中央公論社から単行本刊行 |
同 一月 | 大佛 次郎 | 『天皇の世紀』を「朝日新聞」に連載開始(一日)。昭 和四八年まで続く。堺事件について、大佛は鴎外に振れ ているが、大岡は、大佛もその影響下にあり公平な歴史 ではないと指摘。堺事件は「内乱」の章で叙述。 「内乱」の章所収単行本『天皇の世紀 八 江戸攻め』 は、昭和四六年十一月 朝日新聞社 刊 |
同 二月 | 大岡 昇平 | <森鴎外> 中央公論社刊 日本の文学3『森鴎外(二)』解説 大岡は、<『堺事件』では土佐藩兵の集団切腹を見、 狼狽して立ち去るフランス士官を書いた。事件はいくぶ ん国粋的に美化され、事実の認定が不公平である>と指 摘している。 |
一九六八年 (昭和四三) 八月 | 大岡 昇平 | <歴史小説論> 『全集・現代文学の発見 第十二巻 歴史への視点』(大岡、平野謙、佐々木基一、埴谷雄高 、花田清輝の編集) 学芸書院刊 解説。 大岡は『堺事件』と中山義秀との関連を言及。 |
一九六九年 (昭和四四) 十二月 | 小泉浩一郎 | <『堺事件』論 −一つの素描>を大東文化大学「日本 文学研究」に発表。後、単行本『森鴎外論 実証と批評 』所収の際に改稿、<献身と官僚主義>の副題になる。 |
一九七一年 (昭和四六) 六月 | 尾形 功 | 筑摩書房版『森鴎外全集3』語注 大岡はその注に「皇室」への叙述がないこと等を指摘。 |
同 十一月 | 大岡 昇平 | 『中山義秀全集』第四巻(『土佐兵の勇敢な話』所収) 解説。大岡は編集委員の筆頭。 |
一九七三年 (昭和四八) 二月 | 藤本千鶴子 | <歴史上の「阿部一族事件」 −殉死事件の真相と鴎外 の「阿部一族」>を「日本文学」に発表。 この時期の一連の藤本論が大岡に影響との指摘は多い。 |
同 四月 九日 | 大岡 昇平 | <歴史小説の方法>を「朝日新聞(朝刊)」に発表。 大岡は、読者が<歴史的情報の処理自身に興味を持って いる>と指摘。 |
一九七四年 (昭和四九) 二、三、四月 | 菊池 昌典 | <歴史小説とは何か>を「展望」に連続発表。 「『蒼き狼』論争」や、史実の尊重などについて、大岡 側ととれる論を発表。 |
同 六月 | 大岡 昇平 | <歴史小説の問題>を「文学界」に発表。 大岡は、鴎外に<戦意高揚小説の走りともいうべき『堺 事件』を書くべき理由があった>と指摘。 |
同 十月 | 大岡 昇平 菊池 昌典 | 対談<歴史・人間・文学>「月刊エコノミスト」発表。 |
一九七五年 (昭和五0) 三月 | 大岡 昇平 | <『堺事件』疑異>を「オール讀物」に発表。 大岡は<中間報告>として、鴎外が「朝命」を省いたこ とと、フランス兵の無法の追加をを具体的に指摘。 |
同 三月 | 山崎 一穎 | <『堺事件』試論>を「跡見学園女子大学紀要」に発表 |
同 三月 | 尾崎 秀樹 菊池 昌典 | 対談<人間学としての歴史学> 「季刊 歴史と文学」に連載開始。昭和五四年まで。 |
同 六月 七月 | 大岡 昇平 | <森鴎外における切盛と捏造 −『堺事件』をめぐって >、<『堺事件』の構造 −森鴎外における切盛と捏造 (続)>を「世界」に発表。 大岡は鴎外の「イデオローグ」を指摘 |
同 十月 | 山崎 一穎 | <大正三年の鴎外>を「評言と構想」に発表。 |
同 十月 | 川嶋 至 | <事実は復讐する>を「季刊藝術」に発表。 小堀桂一郎氏は、対談(後出)の中で、<大岡が鴎外を 標的にしたきっかけの論文>と指摘しているが、それで は発表順序のつじつまは合わない。 |
同 十二月 | 吉田 精一 | <森鴎外は体制イデオローグか>を「本の本」に発表。 |
一九七六年 (昭和五一) 四月 | 蒲生 芳郎 | <『堺事件』論覚え書 −大岡昇平氏の『堺事件』論を めぐって>を「評言と構想」に発表。 |
同 六月 | 菊池 昌典 | <歴史小説とは何か>を再び「展望」に発表。 大岡の論難を評価。 |
同 十月 | 前田 愛 | <歴史と文学のあいだ −大岡昇平『文学における虚と 実』を読む>を「海」に発表。 |
一九七七年 (昭和五二) 一月 | 小泉浩一郎 | <最近における鴎外歴史小説研究への一視点 −大岡・ 菊地・藤本・蒲生氏等の諸論をめぐり> 「東海大学紀要」 |
同 三月 | 谷沢 永一 | <鴎外・漱石への視角 −大岡昇平・方法の確立と変奏 >を「国文学 解釈と教材の研究」に発表。 |
同 七月 | 尾形 功 | <堺事件 −もう一つの構図>を「文学」に発表。 |
同 七月 | 小泉浩一郎 | <『堺事件』再論 −鴎外は体制イデオローグか>を「 鴎外」に発表。 |
同 九月 | 大岡 昇平 | <『堺事件』批判その後>を「群像」に発表。 |
同 十二月 | 高橋 正 | <森鴎外「堺事件」論ノート −大岡論文をめぐって> を「日本文学研究」(高知日本文学研究会)に発表。 |
一九七八年 (昭和五三) 六月 | 山崎 一穎 | <一連の『堺事件』論に思う>を「国文学 解釈と鑑賞 」に発表。 |
同 七月 | 大谷 晃一 | <鴎外、屈辱に死す>を「文藝」に発表。 大岡は、『成城だより』(筑摩全集二二巻四四頁) の中で、際どい内容に対して鴎外研究者の反論のないこ とを不満としている。 |
一九七九年 (昭和五四) 十二月 | 山崎 一穎 | <『堺事件』論争の位相>を「日本文学」に発表。 |
一九八0年 (昭和五五) 一月 | 大岡 昇平 | <成城だより>を「文学界」に連載開始(十二回)。 以後、論争への回答や、『堺港攘夷始末』執筆の経過の 発表の場となる。 <成城だより U> 八二年(昭和五七)十二回 <成城だより V> 八五年(昭和五九)十二回 |
同 一月 | 蒲生 芳郎 | <『堺事件』私見 −『堺事件』は”反”権力的な小説 か>を「文学」に発表。 |
同 四月 | 菊池 昌典 綱淵 謙錠 | 対談<敗者雪冤 歴史を組みかえる視座> 「図書新聞」 |
同 七月 | 菊池 昌典 平岡 敏夫 | 対談<小説家・鴎外をめぐって> 「国文学 解釈と鑑賞」 |
一九八二年 (昭和五七) 二月 | 高橋 英夫 大岡 昇平 | 大岡昇平集 岩波書店 十四巻(鴎外関連文所収巻) 解説 <歴史の中の人間探究>を発表。 巻末に大岡の<作者の言葉>。<森鴎外『堺事件』につ いては、目下国文学者と慢性的に論争中>としている。 大岡は論争自体に結論を出さないつもりでいたらしい。 |
一九八四年 (昭和五九) 一月 | 福本 彰 | <堺事件論 詳細な検討を通して>を「鴎外」に発表開 始。 |
同 十月 | 大岡 昇平 | 『堺港攘夷始末』を「中央公論文芸特集」に連載開始。 八九年(平成元年六月)中央公論社刊 |
一九八五年 (昭和六十) 一月 | 大岡 昇平 | <土佐日記>を「文学界」に発表。 大岡が、高知県へ取材した模様について。 |
同 三月 | 岡林 清水 | <森鴎外「堺事件」 −その歴史性・文学性をめぐって >を「高知大学学術研究報告 人文科学」に発表。 |
一九八八年 (昭和六三) 五月 | 福本 彰 | <森鴎外作『堺事件』の位相(一) −大岡昇平著『堺 港攘夷始末』への道>を「森鴎外研究」に発表。 |
同 十二月 | 大岡 昇平 | 二十五日、没。 |
一九八九年 (昭和六四、 平成元) 三月 | 菅野 昭正 | <博捜と明視 −大岡昇平『堺港攘夷始末』をめぐって >を「中央公論文芸特集」に発表。 |
同 六月 | 菅野 昭正 | 大岡昇平 中央公論社刊『堺港攘夷始末』解説 <歴史が小説になるとき> |
一九九0年 (平成二) 二月 | 蓮實 重彦 | <文芸時評>を「文芸」に発表 『堺港攘夷始末』を評価。 |
同 二月 | 山崎 一穎 | <研究史及び作品論 堺事件>を『別冊國文學 森鴎外 必携』に発表。 |
同 春 | 亀井 秀雄 | <「歴史」と歴史と小説の間>を「文学」に発表。 |
同 十一月 | 蓮實 重彦 | 大岡昇平 岩波同時代ライブラリー『歴史小説の問題』 解説。<露呈する歴史のために> |
一九九一年 (平成三) 六月 | 蒲生 芳郎 | <鴎外『堺事件』論 −<堺事件>をめぐる四つの作品 ・その(一)> 「宮城学院女子大学 研究論文集」 |
同 八月 | 蒲生 芳郎 | <『堺港攘夷始末』論覚え書>を「日本近代文学」に発 表。 |
同 九月 | 山崎 國紀 | <大岡昇平「切盛と捏造」考 −蓮實重彦説への疑問> を「文学・語学」に発表。 |
同 九月 | 石田 仁志 | <物語言説(ディスコース)に仕組まれたもの −森鴎 外「堺事件」>を「論樹」に発表。 |
一九九二年 (平成四) 三月 | 蒲生 芳郎 | <鴎外『堺事件』論・続 −<堺事件>をめぐる四つの 作品・その二>を「宮城学院女子大学 人文社会科学論 叢」に発表。 |
同 四月 | 松元 寛 | <「昭和末」の大岡昇平 −自伝二部作から『堺港攘夷 始末』へ>を「三田文学」に発表。 |
同 六月 | 蒲生 芳郎 | <鴎外『堺事件』論(その三)>を「宮城学院女子大学 研究論文集」に発表。 |
同 十月 | 柴口 順一 | <大岡における歴史(一)>を「北海道大学文学部紀要 」に発表。 同題(二)同紀要 平成五年十一月 発表 同題(三)同紀要 平成六年 三月 発表 |
一九九四年 (平成六) 二月 | 小堀桂一郎 山崎 國紀 | 対談<森鴎外を考える> 『森鴎外を学ぶ人のために』 世界思想社 |
同 十一月 | 野口 武彦 | <忠実の肉声 −『堺港攘夷始末』をめぐって>を「ユ リイカ」に発表。 |
一九九五年 (平成七) 二月 | 柴口 順一 | <大岡昇平における歴史(四)>を「帯広畜産大学術 研究報告人文社会科学論集」に発表。 同題(五)同紀要 平成八年二月 発表 同題(六)同紀要 平成十年三月 発表 |
同 五月 | 井田 進也 | <『堺港攘夷始末』疑異 −歴史の<時間>は消せるか >を「思想」に発表。 |
同 十月 | 大谷 晃一 | <大岡さんの手紙> 大岡昇平全集 筑摩書房 月報4 |
一九九六年 (平成八) 一月 | 大江健三郎 | 大岡昇平全集 筑摩書房 第十三巻(『堺港攘夷始末』 所収巻)解説 <多面的なエクリチュール> |
同 一月 | 久留島 浩 宮崎 勝美 | <大岡さんの「最後の戦争小説」> 月報13 |
同 五月 | 清水 徹 | 全集第十六巻(鴎外関連文章所収巻)解説 <評論から小説へと遡行する> |
同 五月 | 井出 孫六 | <『堺港攘夷始末』の背景> 月報16 |
同 七月 | 金井美恵子 | 全集第二二巻(『成城だより』所収巻)解説 <「小説家」であること −あるいは「ひたすらな現在 」> |
同 八月 | 菊池 昌典 | <大岡さんの歴史小説観> 月報23 |
一九九七年 (平成九) 夏 | 山崎 一穎 高橋 英夫 井田 進也 | 鼎談<森鴎外という存在> 「文学」に発表。 井田氏は、大岡を指して「イデオローグ」と指摘。 |
一九九八年 (平成十) 一月 | 井田 進也 | <鴎外と大岡昇平 −「堺事件」との格闘> 「國文學 解釈と教材の研究」 |
大岡昇平 | 井田進也 | |
PM.3:00 | フランス兵を乗せた二艘のボートが堺港に入港。うちひとつは着岸。パ リスの乗ったボートは測量開始。 | |
3:40前後 (七つ時) | 通報後直ちに出動。測量監視のため 旭茶屋二階に舞台配置。PM4:00には 完了。 | 当日縁日で付近は賑わっていた。 伝達がうまく行かず出動が手間取 る。 |
4:50まで | パリス測量隊が砲台場に上陸するの を発見。 | 狭い大小路ゆえに行軍が手間取り PM5:00前後港にようやく到着。 |
4:50 | 着岸組のうちのふたり、デュレルとルムールが八番隊の尋問中に突然逃 亡をはかる。 | |
5:00頃 | 逃亡者やパリス測量船に向け発砲 照準はあらかじめつけてあった。 | なだれ込むようにして次々と発砲 する。 |