序 文

 歯科医療では比較的重篤な事故は少ないとはいえ、年に何例かの死亡事故が報告されています。一つの大きな事故には、それに類するものが数多く存在するといわれていますが、これは歯科医療でもあてはまることでしょう。技工物や小さな歯科器材を誤飲させたり、薬剤のアレルギーや軽いショック、あるいは治療後の患者の体調不良などは、ほとんどの歯科医師が経験していることです。さらに、私たち歯科医師はともすると忘れがちになりますが、実は歯科治療は患者さんに心身とも想像以上の負担を強いているものなのです。患者さんは、ちょっとしたコンディションの変化が原因で、不安や軽い痛みから不穏状態に陥ることもあります。これらの事態への対応として、さまざまな形での救急蘇生の研修が行われていますが、事後的な対応にのみウェイトが置かれ過ぎているきらいがあります。実際に必要なのは、こうした事態を招かないためのにはどのようにすればよいか、の予防的な観点からの対策なのです。

 このような予防的な事故対策は、「リスクマネジメント」として、多くの分野で導入されています。しかし、残念なことに、医療事故は当事者である医療関係者の関心が乏しい傾向にあり、一つの病院が同一の事故を再び起こしている場合が珍しくありません。昨今では、薬剤投与ミスや手術患者のとり違いなどの事件が相次いで報道され、医療機関もようやくこうした医療事故対策に真剣に取り組もうとしているのが現状です。ただし、これらの「リスクマネジメント」は、組織を自己中心的に防御するいう意味合いが強い言葉です。医療事故を予防するという意味では、かねてより「Quality Assurance」という言葉が推奨されていますが、日本ではいまだ一般的とはいえません。そのために、この本では、セイフティマネジメント(造語)という書名を使用することにしました。

 疾病を持つ患者(いわゆる有病者)や寝たきり老人の在宅歯科治療など、従来の一般開業医の診療対象になかった患者にまで、社会的要請が高まってきている現在、歯科治療を、どのように安全に、事故なく遂行するか、そのために歯科医師はどのようなことを考えねばならないのか。歯科臨床を実際に行う上で知っておくべき知識とはなど、歯科治療の現場に根ざした予防対策がぜひとも必要となってきております。

 この本では、大学の臨床教育と開業臨床経験とを豊富に併せ持つ歯科医師の知識を集積しています。これは、インターネットを利用した電子メールを媒体にすることにより、日本全国の歯科医師と情報交換を行えたことにより実現しました。すなわち、臨床歯科麻酔メーリングリスト(cda-ML)という機能を用いて、各地の開業医、病院勤務医、大学勤務医、あわせて約100人が、主に歯科臨床上の実務的な安全対策について、メールによる議論を交わした、その内容を編集したものが、この本なのです。

示された内容は高度な医学知識を含んでいますが、メールを基にした対談の形式をとっていることにより、気軽に読むことができます。もちろん、メールをもとに編集するというこれまでにない方法による書籍のため、エピソードを積み重ねたもので体系的にまとめたものではありません。しかし、この歯科医療事故に関する予防医学は、今まさにその取り組みが始まったばかりであり、その原点を示せたのではないかと思っています。

 このような今までに例のない発想とスタイルの書籍は、cda-MLの参加者が寄せた真摯なメールなしには、出版はありえませんでした。そして、メールの編集にあたって、参加者のうち十数人の先生方に、膨大なメールの山の整理をお願いたところ、多忙にもかかわらず快く承諾していただきました。改めて、メールを寄せた多くの先生方、さらに編集協力までしていただいた先生方に、また、粘り強くおつき合い頂いた医歯薬出版の水島、鈴木両氏に、感謝いたします。

 

加藤仁資・望月 亮

 

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