紅魁Red Astrachanの両親は不明ですが、ロシア・ボルガ河口アストラカン村原産のリンゴで、ロシアでは、Alexsander(歴山王)、 Duchess of Oldenburg(初笑)、Tetofsky(春霞)と共に4大品種の一つに数えられています。
 この品種が日本に輸入されたのは1871(明治4)年のことです。開拓使(
明治2〜15年の間、北海道開拓を任務として設置された官庁)がアメリカから導入しました。明治初期に欧米から導入された品種には、勿論欧米での名前がついていました。しかし、現在のように横文字やカタカナに馴染んだ時代ではありませんでしたので、横文字名前のままでの普及は難しかったようで、最初は産地ごとに勝手に名前をつけていたため、かなりの混乱があったようです。この品種も、五八号山野早生旭紅イ印初笑いの甲はど、いろいろな名前で呼ばれていましたが、1900(明治33年)の第6回名称選定会までに、紅魁という名前に統一されました。
 大きさが150〜200gほどで、緑黄色の地色に全面縞状に赤く着色し、光沢がある円形のきれいな果実です。大きさも手ごろ、形も色もよいリンゴです。しかも甘酸適和です。
 果梗側を見ると、こうあ(梗窪:
果梗側の窪み)から 8〜10条の緑褐色の縞が放射状に出ています。果肉は粗で、緑白色。日持ちはやや不良です。収穫期は8月中旬。早生品種として、とともにかなり栽培されました。紅魁は明治時代における「青森県のりんご7大品種」の一つでしたが、現在では栽培されていません。

 青森県には1875(明治8)年に78本の西洋りんごが、はじめて持ち込まれ、その内の一本が弘前市相良町の山野茂樹氏邸に植えられ、1877(明治10)年に初めて、3個だけ結実・収穫します。それがこのRed Astrachan (日本名紅魁)です。その果実の重さは、58匁(約218g)、49匁2分(約185g)、39匁(約145g)と記録されています。そのうち39匁の一番小さいものが青森勧業二課に差し出されています。当時、まだ日本の品種名が付けられていなかったので、津軽地方では、山野早生と呼ばれるようになったそうです。

 北斗新聞・青森(明治10年8月19日)は、このことについて、次のように報じています。
 一昨年明治八年下付アリシ洋木数種各大区ノ樹芸者ヘ下渡セシガ第三大区弘前町山野治三郎ガ受ケシ苹果本年初メテ実ヲ結ヒシヲ以テ一箇本県第ニ課ヘ差出セシニ「目形三十九匁」「周囲七寸四分」程実に管内未曾見ノ大ナルモノニシテ味ヒ殊ニ美ニ日本種類トハ比較シカタシ

 果実は弘前市りんご公園からいただきました。