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| ケントの花は、アイザック・ニュートンIsaac Newton (1643〜1727)が、万有引力を発見(1665年)した際の「りんごの逸話」に登場する「りんご」ですが、フランス起源ではないかと言われている古い品種です。 ニュートンは、イギリスのリンカン州ウルスソープに生まれ、1661年に、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学し、1965年に卒業しましたが、そのまま大学に残り研究を続けました。しかし、その年にペストの大流行があり、大学は一時閉鎖されます。ニュートンも郷里に戻り、大学が再開されるまでの一年半を、静かな環境で研究と思索に費やしたといわれています。 この間、庭のりんごの実が落ちるのを見て、「万有引力の法則」を発見するきっかけになったという話はあまりにも有名ですが、このリンゴの品種が、イギリスでケントの花といわれるものです。その当時の樹は枯れてしまいましたが、枯れる前に接ぎ木で殖やした子孫が、今でもニュートンの生家の庭に植えられているとのことです。 ニュートンのりんごの木は、接ぎ木繁殖され、英国の国立物理学研究所をはじめ、世界各地に贈られ、科学に関係ある場所に記念樹として植えられています。 日本でも、日本学士院長柴田雄次博士に、イギリス国立物理学研究所長ゴートン・サザランド卿から1964年に寄贈されました。いろいろ経緯がありましたが、そのりんごの枝が各地に分けられて現在に至っています。
当時は、熟して落果したものを順に利用したのでしょうか。現在のりんごのように、まとめて収穫し、市場に出せるようなものではありません。 しかし、庭に植えられている樹上の数百個のりんごが、比較的短期間内に次々と熟して落果するのですから、当時の英国では、りんごの果実が、風もないのに樹から落ちるのを見た人が多数いたものと思われます。 万有引力の説明に、りんごの落下を引用した理由がよく理解できます。 果実は200〜250g、熟すと濃赤色縞状に着色します。樹上のものは色が着いていても渋くて食べられません。しかし、落下後ややしばらく熟させたものを食べると、甘く、酸の効いたいい味です。熟したものは、あまり保存が効きません。やがて、果肉がボゾボゾと柔らかになります。このりんごは、まずくて食べられないという人がたくさんいますが、熟した果実を食べたことが無いのだろうと思っています。うまいりんごです。やや未熟なものは料理用・加工用にもなると思いますが、現在の流通市場には適応しない品種です。 しかし、このりんごをニュートンも味わったのかなと思えば面白いですね。 Newtown Pippin (ニュータウン・ピピン) というリンゴが外国で市販されている場合があります。これは、18世紀初めに米国のニューヨーク州で育成された料理用にも向く万能用途の品種です。ニュートンNewton のりんご、つまりケントの花とは別物です。 ケントの花、つまりニュートンのりんごが日本に紹介された経緯は次の通りです。 日本学士院長柴田雄次博士( 院長任期は1962〜1970) は、イギリスの国立物理学研究所長ゴートン・サザランド卿と親しい仲でした。 柴田博士はサザランド博士に、同研究所内に植えてあるニュートンのりんごの木に実がなったら 1 個欲しいと頼んでおいたところ、1962(昭和37)年秋に万国化学協会の実行委員会が日本で開かれた際に、サザランド博士はその木に初めて成ったというリンゴの実を一個持参し、柴田博士との約束を果たしました。 柴田博士とその仲間たちが、この実の種子を播いてニュートンのりんごの木を育成しようと考えていたようですが、1963 (昭和38)年、その話を聞いたサザランド博士から「種子を播いてできた木は、ニュートンのりんごの子孫であるが、ニュートンのりんごでないので、本物の接ぎ木苗を送る」という手紙がとどきました。 その翌年の1964 (昭和39)年2月20日、柴田博士宛てのリンゴ苗木1本が航空便で羽田国際空港に到着しました。ところが、この苗はリンゴ特有のウイルスに感染している疑いがあるとして、条件付の輸入許可になりました。 植物防疫所では輸入元の柴田博士にこのことを連絡したところ、このリンゴの木は、「万有引力の法則」を発見するきっかけになった由緒あるもので、日本に導入できるようご協力願いたいとの返事で、横浜植物防疫所大和隔離圃場で、1年間隔離栽培のうえ検査することになりました。 検査の結果、残念なことに、この木は高接病ウイルス(Apple chlorotic leafspot virus)に感染しており、本当なら、すぐにも焼却処分にしなければならない状態でした。しかし、このウイルスが接ぎ木以外の方法では伝染しないこと、そして何よりニュートンのりんごの木という貴重な文化遺産であったこと、将来ウイルスの無毒化についての技術が確立される可能性があることなどを考慮し、関係者が協議のうえ、ウイルスが無毒化されるまで、特別に焼却処分から逃れ、東京都文京区小石川にある東京大学理学部付属植物園で、1965年4月10日から、隔離生活を送ることになります。 この由緒ある木を引き継ぐには、接ぎ木しか方法がなく、接ぎ木をすると新しい木にもウイルスが伝染してしまうため増殖はできませんでした。 その後、農林省果樹試験場などで、高接病の無毒化の研究が行われており、その資料をもとに植物園の伊藤義治技術官が熱処理法によって、ウイルス無毒化の実験を行い、その結果育成できた苗木5本を、1980年1月に大和隔離圃場に搬入し、検査を依頼したところ、再度にわたる検査の結果、同年秋までに無毒化されていることが判明し、5本とも輸入が正式に許可になりました。 無毒化されたリンゴ苗木は、日本学士院より改めて小石川植物園に寄贈されました。このように、ケントの花が、晴れて自由の身になったのは、サザランド博士から寄贈されてから約17年後の1981(昭和56)年1月20日のことです。しかし、この朗報を待つことなく、柴田博士は、前年の1980年1月28日、88歳のご高齢で他界されました〈文献2〉。 この熱処理法というのは、高温下で木の生長を早めると、ウイルスの増殖が追いつけなくなるのを利用して、高温・高湿条件下で伸ばした枝の先端部を切り取って接ぎ木するというものです。 小石川植物園のケントの花は、1981(昭和56)年からは一般公開され、これらの木から増やされたニュートンのりんごの木の分身が、今では日本の各地に存在するようになりました。 青森県内で、この品種を植栽し、公開しているのは、県りんご研究所(旧県りんご試験場)、板柳町ふるさとセンター、弘前市りんご公園です。もちろん、果実は市販されてはいません。青森県内で公開されている、あるいは公開されていたケントの花は次の通りです。 (1) 板柳町ふるさとセンター(枯死) 青森県で初めて実を成らせたのが、下図の写真の樹です。板柳町にありましたが、枯死してしまいました。 竹浪春夫氏は板柳町の町長を、1967(昭和42)年から連続5期にわたり勤められた、りんご栽培家です。竹浪氏の親類の方が、1985(昭和60)年に横浜市の種苗業者からケントの花の苗を贈られました。貴重なものなので、ぜひ「りんご栽培に詳しい人」に育ててもらいたいと、その栽培を氏に託しました。竹浪氏は喜んで自宅圃場で栽培することにしました。 1989(平成元)年に5個の果実がなりましたが、次々と落下し、たった1個を収穫することができたということです。これが、青森県におけるケントの花の最初の収穫です〈文献1〉。 竹浪氏は、1992(平成4)年に再び町長となり、連続2期務めましたが、1993(平成5)年に板柳町ふるさとセンター青柳館裏の整備事業に際して、ご自分のケントの花を町に寄贈しました。業者に委託して、竹浪氏圃場からふるさとセンター構内の青柳館後ろに移植してもらったとのことです。白い柵に囲まれ、長い間元気で、毎年たくさんの果実をつけていましたが、2006(平成18)年夏から次第に衰弱し枯死してしまいました。
(2) 板柳町ふるさとセンター
早速NHKに問い合わせ、このりんごは小石川植物園にあることがわかりました。 植物園に電話で問い合わせたところ、公文書をもってくれば、分けてくれるとのこと。当時の町長木村章一氏の依頼文(公文書)をもって上京。1989(平成元)年1月19日に小石川植物園から、穂木(リンゴの枝)2本を分譲してもらいました。 板柳町に帰ってから、三上氏の手でマルバカイドウ台木に接ぎ木され、ふるさとセンター品種見本園で2007年4月まで栽培され、順調に生育し、毎年たくさんの実をならせていました〈文献3〉。 しかし、前述のように、竹浪氏がセンターに寄贈した樹が枯れてしまいましたので、2007年4月に品種見本園から現在地(2007年4月まで、竹浪氏が寄贈したケントの花が植えられていいた場所)に移植されました。 (3) 青森県りんご研究所(旧青森県りんご試験場) 隣県の秋田県果樹試験場が、改築記念樹として小石川植物園から分けてもらったものを基に、青森県りんご試験場(現・地方独立行政法人青森県産業技術センターりんご研究所)が、1986(昭和61)年春、秋田県果樹試験場から穂木を譲り受けました〈文献4〉。 試験場正門を入って、すぐ左側の圃場で順調に生育していたのですが、フラン病のため、生育が停滞し、まだ、小さい状態でしたが、病気は完全に治癒し、元気に成長しつつあります。 (4) 弘前市りんご公園 1989(平成元)年に小石川植物園から穂木が分譲されたもの。元気に生育しています。矮性台木に接ぎ木されたらしく、大きくなりません。
青森県では、ケントの花が公開されているのは、3 箇所ですが、長野県では少し事情が違います。 長野県には、1982(昭和57)年、大町市の大町エネルギー博物館に、小石川植物園より穂木で分けられましたが、1991(平成3)年、長野県農業経営者協会20周年記念事業として、「農業に接する機会が減少している中で、子供たちが農業に関心を持ち、農業を理解できるように育ってほしい」ということで、県内の小・中学校等に希望を募り、希望先に配布しました(配布先:小学校154、中学校3、高校10、農業大学校2、役場等109、県機関7、その他3)。 この時に、同協会に加入している民間業者にも「ケントの花」が配られました。 インターネットで調べると、今では、一般の種苗業者をはじめ、いろいろなところから通信販売で購入できるようです。 ケントの花は、現在の経済品種としては価値がありません。しかし、人間が歩んできた軌跡の記念として、適当な場所で十分管理し、鑑賞し、人間の歴史を反芻したいものです。 |
| 〈文献〉 1. 歴史からの贈り物 ニュートンのりんご実る 東奥日報 1989(平成元)年11月25日 2. 伊藤義治 各地の古木・名木@ ニュートンのリンゴの木 果実日本70〜72ページ 3. 板柳町 三上富士江氏談 4. どんな実がつく? ニュートンのリンゴの木 陸奥新報 昭和62年5月15日 |