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| 紅玉(Jonathan appl)は、1826(天保10)年に、アメリカ・ニューヨーク州・Ulster
County のPhilip Rick の農場で見つけられた Esopus Spitzenburg の実生に由来すると考えられているりんごです。 最初はRick appleといわれていましたが、Jonathan Hasbrouck氏 が、このりんごの素晴らしさを、Albany Horticultural Society のJudge Buel 社長に紹介し、Judge Buel 社長よってJonathan ジョナサンと改名されました〈文献〉。 このりんごは、日本へは1871(明治4)年に開拓使(明治2〜15年の間、北海道開拓を任務として設置された官庁)によって導入されましたが、各地で六号、三五号、千生、チ印、盾無、満紅、千成などいろいろな名前で呼ばれるようになり、混乱をきたしたので、1900(明治33)年に、紅玉という名に統一されました。しかしその後も、青森県の県南地方では満紅(まんこう)と呼び、津軽地方では千成(せんなり)といって親しんできました。今でもお年よりはそのように当時の呼び名を使って懐かしがります。 収穫期は10月上旬〜中旬です。栽培なさっている農家の方は、「本当にうまくなるのは10月下旬なんだが、それまで樹に付けておくと、軟らかくなって、売り物にならないものな」と苦笑いしていました。 酸の効いた甘味、さわやかな芳香、多汁な口当たりが忘れられません。鮮やかな濃紅色で光沢があり、肥沃な土地でなくてもよく生育し、豊産生ですので、県内のいたるところに植栽され、特に南部地方でたくさん生産されました。
しかし、米国から導入直後の紅玉は写真のような全面濃紅色の果実ではありませんでした。今市販されている紅玉の多くは、最初に導入されたものの枝変りで、全面輝濃紅色になりました。 昔の主力品種で、りんごといえば、紅玉と国光以外は思い浮かばなかった時代があります。しかし、1963(昭和38)年のバナナ自由化と国内りんごの豊作にによって、紅玉を中心に価格が暴落。1968(昭和43)年のみかんの大豊作と価格の下落に連動するように、国光、紅玉が暴落を続けました。そのため、国光、紅玉からデリシャス系へ、ついでふじへの品種の更新が行われ始めました。
このように新品種の登場や嗜好の変化などにより、減産の一途をたどりましたが、調理用、加工用には、この品種にまさるものがなく、最近は人気再上昇中で、どこの農産物直売所でも姿を見かけるようになりました。 優れた外観および個性的品質から、生食および加工に適した全面着色型のリンゴの王様というべき世界的品種。今後とも貴重な品種として栽培され続けることでしょう。 あかぎ、紅の夢、 あかね、いわき、紅月、ジョナゴールド、つがる、はつあき、恵、太陽5号、あおり14などの交配親です。
味は紅玉そのものですが、いま市販されている紅玉ほどは色が鮮やかではありません。参考までに、農業技術研究機構果樹研究所りんご研究部(盛岡市)よりいただいた「明治初期に導入された系統の果実」を載せておきました。
七戸町道の駅には、この昔紅玉と名札のついたものの他に、別の生産者のもので、ただ紅玉という名前がついたりんごが売られています。翌年の6月頃まで大量に市販されているので、両者とも容易に入手できます。いろいろ比較してみましたが、色、形、大きさ、味で、私には区別できませんでした。 紅玉は、明治はじめに米国から導入されましたが、その後に優良な着色系枝変りが各地で発見されています。例えば、米国で発見されたジョナレッド、ブラックジョン、およびわが国で発見された西谷紅玉、阿部紅玉、遠野紅玉、内山紅玉などがあります。長い間に、市場価格の高いこれら優良系への更新が行われたのでしょう。 青森県の太平洋側は古くからの紅玉の大産地でしたから、この昔紅玉は最初に米国から導入された系統の子孫で、それが現在もたくさん残っているのかもしれません。そして、生産者によっては、古いタイプの紅玉でも昔紅玉といわず、ただ単に紅玉として扱っている場合もあるのかなと考えています。 |
| 〈文献〉 | http://en.wikipedia.org/wiki/Jonathan_(apple) |