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| 倭錦は、アメリカ原産のりんご。起源は1800(寛政12)年代初めと思われます。因みに、1800年は、アメリカでは第2代大統領ジョン・アダムスの時代。日本では、第11代将軍徳川家斉の治世です。紅玉同様の古い品種です。 1871(明治4)年に開拓使 (明治2〜15年の間、北海道開拓を任務として設置された官庁) によってアメリカから導入されました。明治初期に欧米から導入された品種には、勿論欧米での名前がついていました。しかし、現在のように横文字やカタカナに馴染んだ時代ではありませんでしたので、横文字名前のままでの普及は難しかったようで、最初は産地ごとに勝手に名前をつけていたため、かなりの混乱があったようで、この品種も、46号、蝦夷錦、阿部7、58号、貴妃笑、樋口晩、ノ印、出羽錦など、各地でいろいろな名前で呼ばれていましたが、1900(明治33年)の第6回名称選定会までに倭錦という名前に統一されました。 日本では1970(昭和45)年頃まで、晩生種として栽培された、11月に収穫するりんごです。特に長野県では善光寺りんごとして知られています。 津軽では、樋口徳太郎氏が、苗木から結実にいたるまで尽力したことから、呼び名が 樋口→樋ノ口→ひのぐち→しのぐち → しのぐぢ or しのぐじ と変化しました。 大きさ中。円〜円錐形で暗濃紅縞のりんご。果肉は硬く粗で酸甘適和で芳香があります。「無神経」といわれるほど豊産で、インドのカルカッタまで輸送してもボケない貯蔵力があり、広く栽培されましたが、味に今ひとつ物足りなさがあり、昭和10年あたりから急速に衰退した品種です。倭錦は明治時代における青森県のりんご7大品種の一つです。弘前りんご公園よりいただきました。 2003年いいりんごの日 りんごのメッセージ集(21世紀青森りんご行動計画推進協議会発行)に、昔のりんごと題して小笠原辰一氏の次のような記事があります。 『当時のりんごで私達の知っているのは「せんなり(紅玉)、雪の下(国光)」、不味いもので「しのぐじ」(方言と思う)形は大きいが、はりとおし(虫食い)が多いりんごでむしむしする味で、あまりおいしくなかったりんごである。』 |