明治の七大品種が栽植展示されている
弘前市りんご公園

弘前市大字清水富田字寺沢125番地


 りんご生産量日本一、りんご王国弘前市が、季節ごとにりんごと親しみ、味わい、触れ合うことを目的に作った公園です。 1965(昭和40)年、弘前市が青森放送株式会社から摺鉢山中心の土地832.61uの寄贈をうけて開設したものです。その後、随時拡張し、現在は広さは4.8ヘクタール、うち、りんご園は約2.3ヘクタール(1ヘクタールは100m×100mの広さ)です。

 開設期間は1月4日〜12月28日(ただし3月29日〜31日休館)の9時〜17時、開設期間中は無休で、入園料はいりません。

 弘前バスターミナル(JR弘前駅経由)から川原平行か相馬行のバスに乗り、りんご公園前で下車して下さい。
 自家用車の方はアップルロードに入ってしばらく走れば右のような案内標識があります。市内見物をしてからおいでの方は五重塔から県立弘前高校正門の前を通ってやや進むとやはり案内標識があります。
 公園には立派な無料駐車場があります。


 公園に入ると、左図のような摺鉢山(すりばちやま)がまず目に入ります。
 この山は江戸時代に鉄砲、大砲の練習の的にするために築いた人工の山で、りんご公園の全景と、近隣のりんご園約1,500ヘクタールを眺めることができます。また、南に久渡寺、南西に白神山地、西に岩木山、北に津軽山地と梵珠山、東に八甲田連峰、南東に阿闍羅山など津軽の有名な山々を眺望できます。
 この山の標高は83mあり、東屋が頂上に1棟、西側山裾に1棟設置されています。


 周囲には、りんご園、りんご見本園などがあり、8月中旬〜11月中旬に収穫される45品種が植栽されています。この他に、りんご属鑑賞樹22種類44本、サクランボ、プルーンなどの一般果樹53本があります。
 もぎとりを体験(有料)ができる品種はつがる、ふじをはじめ22品種で、現在の主要品種が揃っています。



 主要施設である下写真のりんごの家には、りんご関係資料展示室、りんご直売所、りんごグッズ販売所、軽飲食堂、りんご相談所、無料集会所などがあります。
 これとは別に独立した展示施設として、1863年に建てられた旧津軽農家住宅などがあります。また、農機具展示場では、スピードスプレーヤー(薬剤散布機)などの農作業機械を身近で見ることができます。
 
 昔ながらのかすりやもんぺ姿で、人工授粉、実すぐり、もぎとりなどの作業体験ができるほか、園路を自由に散策することができます。


 このほか、遊具を備えたふれあい広場やピクニック広場なども整備されています。
 何よりも、たわわに実をつけたりんご樹の間を自由に散策し、りんごを観察できるのが魅力です。りんご樹には品種名と簡単な説明があり、親切です。
 園地散策ガイドの制度もありますが、予約が必要なようです。生産者の方々を対象にしたりんご相談所もあります。詳しくはりんご公園のホームページでご覧下さい。

 なお、忘れてならないことは、弘前市りんご公園には、りんごの歴史を語る次のような貴重なりんごを観察できる場所があることです。摺鉢山の南側を通る道路に沿って植えられている矮化栽培のりんご樹がそうです。一度ご覧下さい。
 @ 青森県りんご関係者の苦闘の歴史を象徴する明治の7大品種
 A 西洋りんごが入ってくる前から日本で栽培されていた和りんご
 B ニュートンの万有引力の法則発見の逸話に登場するりんご。品種名ケント花
        (ケントの花は、りんご試験場、板柳町ふるさとセンターにもあります)

左のボタンをくりっくすると弘前市
りんご公園付近の地図が出ます。


   明治時代における青森県りんごの大品種

 
明治の初め、明治政府によって日本にたくさんの品種が移入されました。青森県でも1875(明治8)年に初めて西洋りんごが、県庁構内に3本移植されました。それから続々といろいろな品種が移入され、青森県の風土に適しているか、経済品種としての価値があるのかなども不明のまま、県内の多くの場所に栽植されていきます。
 
明治10年代後半以降に開園した栽培者は、多くの品種を栽培していることを誇りにしていました。
 例えば、1886(明治19)年に開園した藤崎の敬業社(7.5ヘクタール)には30余品種が、黒石の西谷東果園では明治26年の植栽で33品種273本の記録があります。

 しかし、栽培家たちはこれでよしとしていたのではありません。例えば津軽果樹研究会では何年にもわたり、品評会や試食会を開き、品種別に採点をしてその結果を公表しています。年を追うごとに推薦すべき品種が絞られていきました。多品種経営の時代にも、優良品種主体の経営に移り変わるはっきりしたうねりがあったわけです。
 このような状態のりんご園経営が大打撃を受けたのは、1898(明治31)年から始まった病害虫の激発にありました。害虫では各種ケムシ類、スムシ、ハマキムシ、シンクイムシ、ゾウムシ、カイガラムシ、アリマキなどで、白衣を着て樹下を通っただけで真っ黒くなるというほどだったそうです。病害ではアカホシ病、腐らん病、モニリア病などが連年大発生しました。
 当時の統計によると、1897(明治30)年に29万2098本あった青森県のりんご樹が翌年までに、約30%に相当する約9万本が切り倒されています。
 この頃は青森県だけでなくて秋田、岩手、山形をはじめ、りんご栽培県のすべてが病害虫の激発に手こずり栽培が衰退しました。
 しかし、ひとり青森県だけは切り倒したあとに、もう一回苗木を植えました。「生産危機」を機会に「品種の更新」を行ったわけです。
 どのような品種がいいのかということを決めるのは難しいことですが、長年実施されてきた、品評会や試食会を含む研究会の結果を踏まえ、次のような7つの品種が推奨されました。 これが明治時代における青森県りんごの7大品種です。
品 種
日本名 国 光 紅 玉 柳 玉 倭 錦 紅 魁 紅 絞
画像をクリックすると大きい図と説明が出ます。

 病害禍を機会に、青森県のりんご品種の組成は、多品種の時代から有能品種主体の経営に移り変わります。これも長年の研究成果のおかげです。りんご園経営の大変革でした。

 青森県のりんご統計で品種別統計が最初に出たのが、1911(明治44)年です。それによると青森県の品種構成は、多品種栽培から、次のように変わっていました。 
品種名 国 光 紅 玉 柳 玉    倭 錦 紅 魁 その他 合 計
構成% 47.6 30.3 7.6 5.9 3.6 1.5 3.2 100.0
 その後、柳玉倭錦紅魁紅絞などが淘汰され、国光紅玉の2大品種の時代に移ります。
 これは長期間続きますが、この2大品種も時代の推移には逆らえず、戦後には、デリシャス系を経てつがる、ふじなどに移り変わっていきます。

〈文献〉 青森県におけるりんご品種の変遷 波多江久吉 
       りんご100万トン時代の品種と課題 青森県りんご育種同好会発行