Milano ミラノ


 ミラノはイタリア第二の都。北部ロンバルディア州の首都です。商業都市であり、ファッションでも「ミラノ・ファッション」という言葉まで生まれたという世界最先端の流行発信地です。また水・陸・空の交通の要所でもあります。残念なことに遺跡は残っておりません。第二次大戦で大きな被害を受け、ムッソリニーが作ったミラノ駅付近は特に爆撃が激しかったため、いまだに空き地がたくさんあります。
 ミラノに行く途中、のどかな田園風景が続きました。ところどころに丈高い糸杉をみかけました。これが植えてあるところは教会だそうで、天に向かってまっすぐに伸びる様が宗教観とマッチするために植えられるのだそうです。
 ミラノの街の中はさすが大都会、メイン道路は車の洪水と言っていいほど連なっていました。以前は、車は前に走るのでサイドミラーは必要がないと言われていましたが、法律が変わってミラーを付けることになったとか、これだけ車が増えると左右に注意をしなければ危険だから必需品になったのだろうと思いました。
 私たちの泊まるレオナルド・ダ・ヴィンチホテルは郊外にあるため近くには建物がありませんでした。ウィングがコの字型で三つに分かれている大きなホテルでした。

コモ湖観光・湖上遊覧
 ミラノの北50km。車で約1時間10分のところにあるコモは落ち着いた感じの小さな山あいの町で、ここから真っ直ぐ車で5分くらい行くとスイスとの国境です。コモ湖は長さ46km、最大幅4.3km、深さ420m。湖畔にはイタリアだけでなく、ヨーロッパの貴族や芸術家、実業家などの別荘が立ち並び、エステ家の所有だった建物は現在ヴィラ・デステという5つ星のホテルになっています。
 コモの人口は8万3千人だそうですが、夏にはその10倍くらいにもなるとか避暑地としてとても人気のある場所です。
 大場さんの説明を聞きながら40分ほどの湖上遊覧を楽しみました。
 コモ湖の右手には高さ750mのブルナーテ山があり、登山電車が出ています。頂上までは約7分ほどで湖を見渡すことができるそうです。湖畔には数え切れないほどの建物。世の中には大富豪と呼ばれる人がなんと多いことか!と、しばし感嘆させられました。有名な別荘としてはメジチ家のもの、ビットリオ・エマヌエレ2世の王妃マリアの別荘、ジノリの別荘、歌手ミルバの別荘、教会はスカラ座のもとバレリーナだった人の所有でアメリカ人に人気があるとか、もとソプラノ歌手の別荘には顔(悲劇)のモチーフが描かれていました。元イギリス首相チャーチルの別荘、ベルサーチファミリーの別荘、ソフィアローレンの別荘、シルクの見本市が開かれるというビスコンテの別荘もあるそうです。また現在修復中のもの、廃墟になって放置されているものなど、湖に面しているところ(ここが一番価格が高いそうですが)だけでなく山の中腹にも立派な別荘がぎっしりと立ち並んでいました。(いくつかをご紹介します。間違っていたら教えてください)
メジチ家の別荘 王妃マリアの別荘 ジノリの別荘
ミルバの別荘? 元バレリーナの別荘 元ソプラノ歌手の別荘の壁画
ヴィラ・デステ 修復中の別荘 廃墟と化した別荘

 船が船着場近くまで戻ったとき、北西方向に白いモダンな建物が見えました。ネオ・クラシック様式のヴィラ・オルモです。電池の発明者ヴォルタの発明品を展示した博物館もあります。またビルのような 白い四角の建物は第一次世界大戦の記念碑だそうです。限られた時間では船から眺めただけ。下船後コモの町散策が組まれていましたがドゥオーモの前でトイレに行くことになり、シルクのお店まで戻ったら、何故かお土産を買うのに気をとられて無駄に時間を過ごしてしまいました。
 ドゥオーモは完成までに長い年月を要するのでロマネスク、ビザンチンなど建物の右と左で様式が異なる場合が多く、コモのドゥオーモもロンバルディアとルネサンス様式とが調和していて内部は一部バロック様式とかフランスのシャルトルで見た世界遺産のノートルダム寺院の尖塔が左右異なる理由が納得できました。
ヴィラ・オルモ 第1次世界大戦の記念碑 コモのドゥオーモ

ミラノ市内観光
 ミラノの町を車で通っていると、きれいに手入れされた公園のように広いロータリーがありました。かと思うと車がところ狭しと道路に並んでいるビルの谷間のようなところがあったり、何処の国も車社会になって駐車場に苦慮しているのかなという印象をうけました。
美しいロータリー 道路に駐車している車
ドゥオーモ広場 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア スカラ座
 町のシンボルと言われるドゥオーモは修復中で正面は白い覆いで保護されていて全貌を見ることが出来ませんでした。内部を見学する前に町を自由に散策することになり、大場さんがスカラ座に案内してくださいました。その途中で通ったのが有名なヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアです。天井はガラスでできているためとても明るく左右には喫茶店、レストラン書店などがあり、大勢の人でに賑わっていました。

ドゥオーモ
 ドゥオーモはゴシック様式の大傑作といわれ、尖塔が135本。その上に聖人や有名な人の彫像が立っています。1400年代に作られたステンドグラスは1000℃以上の高温で色づけしてあるので色が褪せることはありません。
ドゥオモの内部
 この大きなステンドグラスは三枚あり、それぞれ旧約聖書、新約聖書、黙示録の物語をあらわしている貴重なものです。戦争のときはベルガモに移して地中に埋めておいたのだそうです。
 また、床には面白い仕掛けがあり真鍮の直径1cmほどの棒が南北方向(子午線)に埋められていました。これに対して窓から細い光が差し込むようになっていて、ちょうど正午に日が当ります。ガイドさんの説明が無ければ全く気がつかないこんなところにもこのドゥオーモを設計した人の卓越した技能が隠されているのかと感心させられました。

 次に、スフォルツァ家の居城だったスフォルツァ城を見学しました。
スフォルツァはミラノのルネサンス君主といわれ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ブラマンテ、他の芸術家のパトロンとして有名です。このお城の建築にはレオナルド・ダ・ヴィンチが加わりました。円形の櫓は彼の設計によるものです。正面の時計塔の入り口から中に入るとそこは中庭で、内堀があり、現在は水が無く昔砲弾に使ったといわれる丸い石が5〜60個何箇所にも積まれていました。建物は市立博物館になっていました。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたといわれる天井画はすっかり剥げ落ちてかすかに色の残っているところがあるだけでした。メインはミケランジェロの第四作目(最後)のピエタ像で「ロンダニーニのピエタ」と言う名の未完成の彫像です。
 見学を終えて外に出るとお城の裏はセンピオーネ公園になっていてベルリンにある凱旋門と同じ形の門が見えました。ルイジ・カニョーラの設計で、最初ナポレオンに捧げるために作られたものですが、ナポレオンの失脚後はオーストリア皇帝に、最後はイタリア独立に捧げられ、平和の門と呼ばれるようになりました。
スフォルツァ城の櫓 ロンダニーニのピエタ 平和の門

 ミラノ最後のスケジュールはレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」の鑑賞でした。
 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 (左の写真は友人の撮影したものです)とドメニコ会修道院がユネスコの世界遺産に登録されたのは1980年と早い時期でした。そのためか教会の入り口の扉に今まで見たことがないほど立派な表示プレートがありました。『最後の晩餐』の絵はミラノ公から制作を依頼され、修道院の食堂の壁に描かれたものです。食堂の前でガイドさんから聞いた説明は次のようなものでした。
ユネスコ世界遺産のプレート サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会
 当時、教会の絵はフレスコ画でしたが、ダ・ヴィンチは色々研究して一種のテンペラ絵の具を用いました。そのため壁画は完成から20年後に破損し始め、ひび割れや剥落が始まりました。これを1726年から6回も修復を行ったため色彩が暗くなり人物の表情も変わりました。戦争によっても被害を受け、ナポレオンの軍隊が侵入したときは食堂は倉庫や厩として使われたそうです。私たちが訪れたのは徹底的な修復作業が行われた後でした。以前はお皿の上に載っているのが何かわからない状態だったのですが、修復のため上に塗られた塗料を洗い落としたところお魚であることがわかり、ペテロが漁師だったことからも魚であることに納得がいったそうです。
 ダ・ヴィンチは晩年フランス国王に招かれ、フランスのアンボワーズで生涯を終えました。
          


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