アニメ史におけるエヴァンゲリオン
<序>
簡単にこの論文の目的を説明します。これは、全アニメ史におけるエヴァを語ろうとしているのではありません(だったら題名変えろと言われればまあそうなのですが)。多くの雑誌で取り上げられたエヴァでしたが、一つのテーマとして「アニメ史におけるエヴァ」という切り口があります。私が知っているこのテーマを扱った特集では、
「エヴァは様々なアニメ(もしくは映画・特撮)の壮大なリミックス」
「ガンダム世代にはこたえられないアニメ」又は「80年代アニメの総決算」
「ヤマト・ガンダム・アキラ・デビルマン・宮崎アニメ・ウルトラマン(など)の強い影響」
「オリジナルなき世代の、引用とコピー(リミックス)にあふれた作品」
というように、エヴァのリミックス性、もしくはガンダム以降のロボットアニメの総決算というように常に描かれていました。また、制作者達の世代性(オリジナルなきコピーの世代)も含めて語られることが多いようです。
以上のような一般的な見解は、ただ単にブームになったアニメを羅列して誌面を華やかに飾るためだけのものであり、エヴァが何を表現しようとしたのか、何が他のアニメと違っていたのか、何のためにあのような引用をすることになったのかを考える上では全く意味がないのではないでしょうか。
本当にエヴァの表現・設定・引用の意味を理解するには、そのような観点では役にたたず、別な視点が必要なのではないか、という発想で書かれたのがこの論文です。あくまでも、いろいろ一般に書かれている内容に対しての異論として作りました。そのため、全アニメを対象とした内容ではなく、直接的には、「リミックス」「ガンダムの強い影響」という解釈2点についての批判及び、あのような構造・演出になったことの必然性ということについてしぼって書きたいと思います。
一言で言うならば日本ではまともにアニメを論じる出版的環境はない、ということでしょうか。それともライターの勘違い?それとも私の勘違いか?全ての記事を見ているわけではないので、このテーマについてのすばらしい記事があれば教えてください。

<第一章 巨大ロボットアニメ史・・ガンダムが神を兵器にするまで>
ロボットものはいろいろありますが、巨大ロボットアニメというジャンルを確立したのは「マジンガーZ」といってよいでしょう。では、「マジンガーZ」とは何だったのでしょうか。おおまかに言いますと、祖父がマジンガーZというマシンを作り、子がそれにのり、1話ごとに異なるデザインの敵が現れては主人公のいる基地を襲う謎(というほどでもないが)の敵と戦う話です。さて、マジンガーという名前は「魔神」と「マシン」をかけたものだと思われます。そして、敵はブロッケン伯爵やらアシュラ男爵やらで、全て神話的な引用により名前がつけられていました。
主要キャラは全て日本人、キャラデザインとしては、敵は妖怪変化、味方は人型の顔をした、まさに魔神と言うべき風貌です。搭乗員ももちろん日本の少年。
つまり、このアニメの目指したものは、平凡な(?)日本の一少年が、祖父の思いを感じながら、無敵の力を駆使する神(巨人)に合一し、人類の命運をかけた神話的な戦いの鍵を握ることにより、視聴者の、現実的弱者である子供達が最大限感情移入して興奮できるようにすることでした。
この後も、巨大ロボットアニメは、ほぼ同じものを目指していきます。例えば、勇者ライディーン、鋼鉄ジーグ、闘将ダイモス…と、多くの名前は神話からとられ、無敵の巨大ロボット=神にのる少年が人類のために戦います。
どこまでこの流れが続くかは、省きますが、そのようなワンパターンは飽きられていき、いつのまにかSF設定はつみあげられ、日本人が主役・日本で決戦という嘘ぽい設定はなくなり(そういうのは見てて恥ずかしく感じるようになります)、ガンダムへと到ります。
ガンダムについては何も言う必要はないでしょう。と言いたいところですが、最近の雑誌記事しかみてない人は、ガンダムとはエヴァみたいな話かと思ってる人もいるかもしれないので、少し説明します。
まず、主人公はいわゆる日本人ではなく、舞台は日本ではない。1話ごとに新敵が現れるのではなく、基本的に全てのマシンは量産が前提である。コストを考えればあたりまえでしょう。敵は謎でも、異種でもなく、同じ人間であり、戦うだけの政治的理由をもっている。そして、敵側ひとりひとりにもその人なりの悩みや背景がある。父はガンダムを作ったが、世界の命運を握っているわけではなく、単なる技術者にすぎない。SF的な考証に基づいて作られた兵器及び宇宙観。何よりも、ガンダムは神ではなく、RX-78という型番をもった兵器にすぎない・・。
ガンダムとはいろいろな意味ですごい作品であり、巨大ロボットアニメのお約束ごとを完全に破壊しきった上に、全く異なる世界を作り上げました。しかし、では、巨大ロボットアニメである意味はあるのでしょうか。例えば、ガンダムに人型の顔がついている意味はあるのでしょうか。優秀な兵器であれば、顔などどうでもいいでしょう。敵のロボットの多くは人型の顔をもっていません。そもそも、人型ロボットである意味はあるのでしょうか。ないでしょう。途中からモビルアーマーという兵器がモビルスーツ(人型ロボット)を越える兵器として出始めますが、ガンダムの世界感から言えば、その方が自然でしょう。頭があり、2本の手、2本の足をもつ意味はありません。人の成長を描くにしろ、ニュータイプというテーマにしろ、マシンが人型ロボットである事とは何の必然性もありません。
つまり、ガンダムという作品は、そのあまりの世界観のために、ロボット物である意味を自ら失っていったといってよいでしょう。そのジャンルならではの特徴を引きずり、父が作ったマシンではありますが、操縦者は有能なら誰でもいいわけです。小説版では主人公は死にますが、それは、あの戦争においては一人の戦死者でしょう。世界は全く影響されません。
一言でまとめましょう。少年が神話になる物語であった巨大ロボット物を、戦争と少年兵士の物語としたのがガンダムだったのです。
<第二章 ガンダム以降>
ガンダム以降の物語は、その決定的な影響を受けています。その流れの一つの到達点がボトムズでしょう。もはや、正義も、守るべき国家もない世界、ロボットは使い捨ての道具であり、優秀な兵士は遺伝子工学により作られ、主人公が専属するほどの別格なマシンもなく、多数の中の一機にすぎません。主人公も少年ではなく、親の登場など問題外です。主人公に外向性はなく、笑うことも、しゃべることもほとんどありません。もっとも、それでも神話的構造をもつ所がボトムズなのですが、その話は、機会があれば書くかもしれないボトムズ論にゆずるとしましましょう。
そもそも巨大ロボットアニメが指向していた物とは、全く別なジャンルと言った方がわかりやすい世界です。そういえば、ロボット(アーマード・トルーパー)は、もはや巨大ではありませんでした。
さて、その後にも多くのロボットアニメがあり、適度に先祖帰り的展開をみせたり、別方向を目指したり、パロディになったり、いろいろありますが、ここでは省きます。いろいろなパターンが出てきたことは、逆に言えば、制作側にもどういうものを作ればよいのかわからなくなってきていたのではないでしょうか。優れた物が多くあるにも関わらず、巨大ロボットアニメというジャンル自体は下火になったとだけ言ってしまいます。
ここではアニメをはなれ、「マジンサーガ」を取り上げます。これは漫画ですが、「マジンガーZ」の作者である永井豪が、いい加減なものだったにも関わらず自分の代表作と呼ばれている「マジンガーZ」を、真に自分の代表作とすべくリメイクしたものです。
今の時代、単純な機械ロボットを描いても仕方ないという認識から、設定は大きく変わります。しかし、基本的な展開は同じです。
滅亡に向かう破局後の人類、その中でも生き続けられるように、父が命を懸けて作った、神にも悪魔にもなるロボットマジンガーZ(正確にはロボットではありません。精神と物質をつなぐ超精神物質Zにより作られたもので、精神により力を発揮します。さらに、父がとけ込んでいます)、学園に通う日本人の主人公少年、シリアスのりとラブコメのりの混在、ピラミッド型(富士山型?)の基地、地下に広がる都市、地獄門の向こうから襲いかかる、生命の秘密を握る巨大な謎の敵、主要キャラは日本名、(LCLと神経パルスで?)共に戦う美少女キャラ、最後の敵(?)は怪物ではなく包み込んでくれるような美少年(もちろん、人ではない)・・
文脈を無視すれば、このようなキーワードが出てきます。これは、まさに、リメイクされた巨大ロボットアニメの原点です。今あげた設定は、どれも魔神としての巨大ロボを描くさいに、非常に効果を発揮する素材なのです。
なお、永井豪作品とエヴァとの関連についてもどっかでまとめたい気はします(デビルマン・凄の王伝説・バイオレンスジャック・マジンサーガ)
一言でまとめましょう。アニメにおいては巨大ロボット=神ではなくなったが、永井豪が再度描いた世界では、巨大ロボット=神であることが印象に残りました。
<第三章 エヴァンゲリオン>
ようやくエヴァンゲリオンです。ここまで読まれた方なら、エヴァンゲリオンはヤマト+ガンダム+アキラではなく、それらの日本SFアニメ史の中で消えていった、ロボットアニメの原点に戻るというのが、一つのコンセプトであることがわかるでしょう。ガンダムの延長ではなく、ガンダムと最も反対の指向を持つ作品なのです。また、ウルトラマンの影響・引用という話もきかれますが、ウルトラマンに似ているのは、それがカラータイマー的であったり、姿勢が猫背だったり、基地があったりするからではなく、単なる兵器ではなくて、神に近い、人とは全く違うレベルでの個性を誇る存在であるからです。使徒やエヴァが発散する雰囲気が軍事兵器のそれではなく、巨大な化け物と魔神のそれであり、畏怖の感覚で視聴者が見つめられるようにという、コンセプトに基づいているからこそ、ウルトラマンなどの特撮物に似たカット・構図が多用されたわけです。イデオンのように叫ぶわけです。もし、ガンダムの後継作品を目指していれば、使われる構図は全く異なるものとなったでしょう(宇宙で戦闘する数百台・数千台のエヴァを想像してください。監督の世代がどうあろうと、非ウルトラマン的演出になるでしょう)。また、演出をひとつひとつ見ていっても、様々な引用のリミックスに一見感じられようとも、それらは総じて、基本的にエヴァの巨大ロボットとしての魔神性を高めるためであることがわかると思います。マジンサーガと共通の、学園の日常的生活から同級生(一応)を手で握りつぶすシーン、暴走して操縦者の意志とは無関係に徹底的に残酷になるシーン、全ての人が何の手助けもできず、ただ見つめるしかない魔神なのです。なお、誤解のないように一言付け加えますが、エヴァの元ネタのひとつとして、マジンサーガがある、と言いたいわけではありません。両方みれば、違いの方が目立つでしょう。母性や精神性がマジンサーガにはありません(もし描き続けられれば出てくる可能性はあるが)。ただし、どちらも、少年が神話になる物語であることは間違いなく、他のアニメを持ち出すよりも、血縁としては近いとはいえると思います。
そして、マジンガーがそうであったのとは桁違いのレベルで、エヴァはその名前・ストーリーからして神話に彩られています。
巨大ロボットアニメはそもそも神話であったと書きましたが、エヴァのストーリーの骨子は神話の中でも最も古い神話、つまりギルガメッシュ叙事詩と同じテーマである、不死への挑戦を扱っています。人類補完計画に明確なイメージは当初なかったといわれますが、オープニングを見れば、不死へと挑戦する人間、生命の木を護り人間と戦う天使、という大枠は一目瞭然でしょう。その見せ方にゆれはあったかもしれませんが、その大筋ははっきりしていたからこそ、あそこまで余裕をもって小出しにしたり、わざわざ謎めかしたりできたのです。巨大ロボットの原点ではなく、文字通り神話に戻ったといってもよいでしょう。
一言でまとめると、エヴァは巨大ロボット物の原点(巨大ロボット=神)に戻った作品であり、特撮物との共通性もその必然性からきており、ガンダムとは対極に位置する作品だということです。

<終章>ガンダムが破壊した巨大ロボットアニメの神話性を復活させることこそが、ストーリー・演出上の特徴であったことは、まず指摘されねばならないことだと思います。
ついでにもうちょっと、ガンダムとの比較をします。アムロとシンジの内面性がよく言われますが、少々まじめに比較すればすぐわかるように、あの2人は正反対の性格です。20年前のアニメの主役とのみ比べれば似たように見えるかもしれませんが。ここ10年のアニメでは非外交的主人公など全く珍しくありません。自分からマシンに乗り込み、自分が否定されればマシンごと持ち出してしまうアムロ、彼は自分に対する不安感は全くありません。トラブルが起きても、必ず周囲に問題があると考えます。アムロの性格は、自我への不安感のなさという点では20年前の主人公同様でしょう。性格が陽性ではないだけで。シンジは、驚くほど逆のタイプです。彼は自分に不安なタイプです。しかし、よく言われるように「超内向的」「自閉的」「分裂的」「病的」ではありません。大きく分ければ、ごく普通の、全く問題のない、いい性格です。細かく見れば、親が離婚した場合にみられやすい、自分を肯定しきれない、他者との関係に不安を持っているタイプです。しかし、そのようなタイプの人は現実にも大勢いますし、シンジの人との接し方を見る限り、全く問題ありません。なお、彼はファザーコンプレックスではありますが、特にエディプスコンプレックスではありません。精神分析系の話はまた別論します。
話を戻します。エヴァの中でJAというマシンがでてきました。、あのマシンについてのテレビ中の議論であった、巨大ロボットに対する認識のずれが、あのマシンとエヴァの、そのままガンダムとエヴァの比較となっています。高機能マシンとしての巨大ロボットか、魔神なのか。
時田 「制御不能に陥り、暴走を許す危険極まりない決戦兵器よりは、より安全だと思いますよ。制御できない兵器など、ヒステリーを起こした女性と同じですよ。手に負えません。」
リツコ 「その為のパイロットとテクノロジーです。」
時田 「まさか、科学と人の心があの化け物(注:脚本では『悪魔』という案も見られる)を抑えるとでも・・。本気ですか?」
リツコ 「ええ、もちろんですわ。」
時田 「人の心などという、あいまいなものに頼っているから、ネルフは先の様な暴走を許すのですよ。」
以上 第7話『人の造りしもの』より
この議論は、時田にもそれなりの言い分があります。しかし、最後まで見られた方ならわかるように、根本的にJAとエヴァとは全く異なる目的のために存在するわけです。エヴァよりも、用途によってはJAの方が有用でしょう。しかし、同じ巨大ロボットといっても、最初から比較不能なものなのです。
以上の議論は、高機能マシンか、魔神か、という論点のみならず、なぜ、エヴァにおいて人の精神が重要な役割をはたす必然性があるのかということの、アニメ史的背景からの理由をも明かにしています。魔神は技術で動く物ではありません。大魔神やウルトラマンを持ち出すまでもなく明らかでしょう。魔神としての巨大ロボットを描く以上、心の問題は決定的な重要性を持ちます。
最後に、誤解のないようにいいますが、私はガンダムが悪いとか、エヴァはマジンサーガのまねだとか言いたいのではありません。私は初めて第一話を見たとき、マジンガーZという、巨大ロボの元祖設定をそっくり使いながら、どれほど異なる新しい話が作れるのか、そしてそれがガンダムに対して何を突きつけることになるのか、という制作者の2重の挑戦(そして愛情)の意図を感じました。もう一度繰り返しますが、いまどき、主要キャラは日本人、舞台も日本で、人類の命運をかけて戦うという設定は、幼児向けかパロディとしてしか使いようのない、恥ずかしくなる設定であるわけです。この設定に飛び込むということは、引用でもパクリでもオマージュでもなく、大胆な挑戦もしくは実験としか言い様がないでしょう。しかし、雑誌評論では、舞台が日本・キャラも日本人ばかりなどの点をあげ、物語の程度が低い、不自然、古い、とさえ言われることがあります。これでは評論以前の段階ではないでしょうか。また、ヤマト・ガンダム・エヴァと、なぞるのは、ただ単にヒットした作品を並べているだけではないでしょうか。
一言でまとめると、エヴァは巨大ロボット物の原点に戻った上で、その世界をどれほど変えて見せられるかを実験した作品という面があり、マジンガーZやガンダムなどの先行ビックネームに対する挑戦的意図から、様々な設定が形造られたわけです。
<最後にもう一度まとめ>
1.巨大ロボット物が本来もっていた神話性、それをガンダムは破壊し、エヴァは復活させました。
2.エヴァはその目的のために、特撮物などの使える演出は全て使いました。
3.昔に戻すだけでは意味がないので、意図的にマジンガーZと同じ設定を使い、どれほど異なった物語りを構築できるのかという実験的・挑戦的側面もありました。
4.要するに、無作為なよせ集めではなく、単なる引用・リミックスでもなく、基本的には一貫した演出意図に支えられていたのです。もちろん、単なる引用・リミックスもいっぱいあるのですが、作品の基本部分を支えるものは一貫しています。
5.以上の理由により、舞台は日本・主要キャラは日本人・神話的な名前が続々と登場・特撮物と同じ構図といった事の必然的関係が大体示せていると思います。
<参考>
1.エヴァのデザインについて
コミック版のあとがきによると、エヴァのキャラデザインは「鬼」のイメージだそうです。
2.企画内容について
企画書によると、「巨大ロボットアニメ」の原点へ、ということが説明されています。参考までに紹介します。この論文では触れなかった問題も含め、いろいろと興味深い内容だと思うのですが、どうでしょうか。
企画意図 巨大ロボットアニメの魅力とは?
「巨大ロボットアニメ」は、子供たちの潜在欲望の現れであります。つまり、「巨大ロボットアニメ」とは、子供達の持つ色々な抑圧やコンプレックスの補償、抵抗の手段、代償行為なのです。大人達は、「人が生きることのつらさ」を知っています、と、同時に「人が生きることのおもしろさ」をも知っています。生きるために、例え「嘘」だとわかっていても、「正義」と「愛」という<夢>や<希望>が必要なのだと知っています。私たちはアニメーションという表現手段の特色、つまり、全てが人の描いた「絵」であるという世界観を生かしたことにより、子供達に虚構と現実との違和感もなく、ピュアに伝えることができるのです。それが「巨大ロボットアニメーション」の持つ最大の魅力です。
本企画は、この原点にさかのぼって、本来の「巨大ロボットアニメ」の魅力を新に掘り起こす所にユニークさを発見したい、と思います。
「Newtype100%コレクション 新世紀エヴァンゲリオン」より引用