ガンダムのおもちゃ・プラモデル産業の問題1
「逆襲のシャア」のコンセプト変更


まずは、小説「逆襲のシャア ベルトーチカチルドレン」の後書きより、富野監督が語るガンダムのおもちゃ産業についてのコメント部分を抜粋します。



「映画版『逆襲のシャア』のシナリオは、当然、小生が書きました。
その提出第一稿が、このストーリーだったのですが、『ガンダム映画化委員会』とも言うべきインベスターの審査にかけられた時に、このシナリオについて各種の意見と批判が出ました。

その中で、もっとも重要な意見は、この小説になっているテーマは、モビルスーツ否定であるという指摘でした。

当然、それは小生の目論みでありました。



しかし、ガンダムは、モビルスーツの玩具が売れ、それによって厚い市場が形成され、映画を製作する資金が提供されているのです。
その現実的な基盤を、作品そのものが否定するのであれば、出資者たちが映画製作を拒否して当然です。
これは、立場が違うから仕方がない、という性格の問題ではありません。
小生が、夢を追いすぎたのは、認めざるをえませんでした。」




このほかにも同じ審査で、「ベルトーチカチルドレン」にあったアムロの結婚とベルトーチカの妊娠についても、ヒーローっぽくないという批判があり、映画版は大きく話が変わりました。

結局、ベルトーチカの登場自体がなくなり、Zガンダムとの継続性がなくなりました。

また、アムロの結婚や、ベルトーチカの妊娠話がなくなったために、なぜアムロが、シャアよりもある意味精神年齢が高くなったかも描かれずじまいでした。

そのため、映画「逆襲のシャア」では、あのアムロがとうとつに、「大人」になっておりました。

その点でも、ガンダムやZガンダムとの継続性がとれてなかったと思います。

私が思うに、ガンダムがウルトラマンと違う点のひとつは、単に戦って敵を倒すスーパーヒーロー物語ではない点だと思います。

また、ヤマトと違う点のひとつは、登場人物が年齢を積み重ねていくことを含め、「世界」の構築と「時代」の変化が描かれている点であり、これこそ、20年以上に渡り商業的にもガンダム市場を続かせてきた決定的要因のひとつだと思っています。(毎回10代のアムロが主人公ではこんなに持たなかったでしょう)


富野監督の全作品の中で、本当に決定的な唯一のミスは、「逆襲のシャア」の映画化時において、「ベルトーチカチルドレン」の構想をあきらめたことだけだと、私は今でも思っています。

もっとも、出資者である玩具メーカーからお金が出なかった・・といわれれば、たしかにどうしようもないのですが・・


ちなみに、サンライズでスポンサーとの折衝も行なっていた山浦氏は、玩具メーカーと製作側との力関係について、こう語っています。

「作品というのは、やっぱり商品が売れるということによってスポンサーがつくわけです。視聴率も大事ですけど、おもちゃが売れなければ長続きしないんです。」

『ザンボット3』『ダイターン3』という作品は、かなり商品が売れたんです。

それで、その実績を背負って次をやる時に、クローバーの社長に「絶対損させないから、やりたいことをやらせてくれ」と言ったんです。

そのくらいの自信を僕も富野監督をはじめとしたスタッフたちもこの作品(ガンダム)には持っていたんです。」

『ガンダム』という、ひとつの原型ができてしまえば、サンライズとしても、また富野さんとしても、もう流れに乗ったようなところがありました。

そんな中で、富野さんの監督作品としてもやりすぎかな?と思えるのが
「伝説巨神イデオン」でしたね。
富野さんは常にスポンサーを大事にしているはずなのに、結果としてああいう作品になってしまった。

あの作品は、スポンサーを騙したと言われても反論ができない部分があります。」
(富野由悠季全仕事より抜粋)

「逆襲のシャア ベルトーチカチルドレン」はスポンサー意向でボツになったわけですが、「伝説巨神イデオン」はスポンサーを騙して作った作品ということのようです。



アニメ関連作品で泣いたのは、イデオンの発動編と、小説「逆襲のシャア ベルトーチカチルドレン」だけである私としては複雑な心境です。


ターンエーガンダムなんかに至っては、ロボットが出てくる話を半分以下に抑えた方が、いい話だったような気もします。

ただし、一方で忘れてはならないことは、富野作品のような独自の作品群が生まれたのは、商品が売れれば内容には口出ししないという、おもちゃ・プラモデルメーカーの意向がプラスに働いた面もあるという点です。(以下、続く)






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