富野監督のガンダム・デザイン論/ガンプラ論
じつは、ガンプラ展開がはじまったころに言いたいことはいっぱいあったんです。
でも、そのときのバンダイにはぼくのところに話を聞きに来るマメさもなければ、勇気もなかったと思います。
あのとき、無視されてさびしかったというのがホントのところですね。
でも、そうは言いながらも「アニメのオリジナルモデルがプラモデルになる」っていうことはとてもうれしかったんです。
だからこそ、とにかくいちばんはじめに、つまり「ヨーイ、ドン」のところに立てなかったのが、ぼく自身ものすごく悔しかったんです。現場の気分、それを聞いてもらえなかったのはとてもつらかったし、くやしかった。
ですから正直、ちょっとおかんむりでした。
で、その「怒っている」という部分だけが伝わっていって、ますますバンダイに嫌われた。
そして、ぼくがミニチュアモデルをとても嫌いな人間だというふうに思われたというのも大きいですね。
そもそもそれがボタンのかけ違いでしてね。というのは、とにかくガンダムを製品化するにあたって、オモチャとしてのモビルスーツなんていうのはぼくはいっさい考えていなかったわけです。
つまりタミヤかハセガワにプラモにしてほしいという想いがあったので、「なんでバンダイがやるんだ!?」って(笑)、正直、そっちのショックのほうが強かった。でも、バンダイサイドにしてみればそういうのは偏見以外の何ものでもないし、逆に言えば、タミヤやハセガワのような老舗の人たちがそんなオモチャをプラモデルにするわけないじゃないですか、って話で。
ですから、バンダイがコンプリートモデルを出せるようになってきたときに、ほっとした反面、「時間がかかりすぎたなぁ」って、くやしい意識のほうが強かったですね。でも、バンダイがそこまできちんと成型ができるようになったとき、じつは、「もうしわけないことをした」とも思いました。
つまりどういうことかというと、「大河原さんに対してきちんとディレクション」をしてなかったな」っていう問題に気付いて。
大河原さんとそういう話を何度かした覚えはあるんですが、けっきょく、ガンダムにしても、ザクにしても、決定的な欠点があるわけです。腰が曲がらないとか足が開かないっていうのを、みんな我慢してミニチュア化していくっていうあたりがすごくくやしかった。
永野くんなんかにしても、「ファイブスター物語」になって独り立ちして、好きで自分でやるようになったときに、ああいうところまで造形物に気をつけるようになった。だけど、じゃあ、そういう永野レベルでやってくれるメカニックデザイナーと言われる人がどれだけいるのかというと、ご存知のとおりですね。
だから、ひさしぶりにターンエーで帰って来て、それこそボルジャーノンっていう名前でザクをもう一度出してみたときに、ぼくはすごく悲しい言葉を聞いたのね。「富野さん、ザクのスカートっていうのはナントカっていう材質でできてるんで、アレはもう、大変なフレキシビリティがあるんで少し開いてもいいんです」って。
「あ、まだそういうところで我慢しているのか!」って思ったし、ホントはボルジャーノンを出すときにも全面的に改定したかったんです。
だけど今回のボルジャーノンでそれをやらなかった理由はただひとつです。そして、「やれ」という指令を出す気もなかった。
デザイナーがいないんです。つまり、シド・ミードレベルのデザイナーが皆無だったんですね。
だからね、シド・ミードのやった仕事をパッと見て、「うわぁ、オレたちはコレをやっていなかったんだ!」って、ゴメンナサイするヤツがひとりぐらいいてほしかったのね。でも、誰もいなかった!
オマエら、不勉強もいいとこだって言いたいです。
このまま行ったらもう、フェードアウトしていくな、っていうふうにしか見えないというのがありますね。
オリジナルプラモデルっていうものが、けっきょくはこれ以上先には進んで行かないかもしれないな、って思ってます。
ミードさんのデザインを否定するのは構いません。趣味の話でなら、あんなの大嫌いでいいんです。
ただね、本来メカニックなモデルを作るんだったら、あれぐらいの基礎学力であれぐらいのラインを引けてからオマエら文句を言えよ、と言いたいんです。
それができないのに、20年前の、つまり動きもしないガンダムやザクのモデルだけを「よい」って言ってるのはおかしいぜ、っていうことをはっきり自覚してほしい。
・・・だけどこれ、あのー、活字にしてくれていいいんですけど、そうするときっとまたブー垂れられて、石が飛んでくるんだろうなぁ(笑)。
こういった状況を容認してしまう、模型業界をも含めたオタクマーケット全体が「うーん、いかがなものか?」って思うんですよ。
それは基本的にこういうことなんです。
ウソ八百の、絵空ごとのロボットモデルであっても、なんていうのかな、”フィギアとしてのリアリティ”がほしいんです。
そして、本来ミニチュアモデルっていうのはそういう機能美を持ったものだろうと思うわけですよ。小学5年生のときから薪の木を削りだしてソリッドモデルを作っていた人間としては・・薪の木からプラモデルに近い精度のものを作ろうとして、だからたとえばキャノピーを作るのに、セルロイド版を切り出して成型するっていうことをやってた人間なんです、中一のときに。
でね、そういうモデルにする価値のあるものっていうのは、ステルス機じゃないんですよ。モデルっていうのはやっぱり、基本的にファンタジーでもあるし、ロマンティックなものであるべきだと思います。
だからぼくにとっての究極的なモデルっていうのは、メルクリンのモデルなんです。
だから、ああいう質感なり、逆にいうとあれだけ玩具としてもタフなものであってほしい。そう思ったときに、プラモデルの精度や耐久力みたいなものを考えてみると、「ちょっとなぁ」って。
あのメルクリンを作ったようなクラフトマンの気分を、どうして日本のモデラーは目指すことをしないんだろうか、っていう。
それがぼくのプラモデルに対しての想いなんです。
あのね、今度ミードさんの画集がひさしぶりに講談社から出るっていうんで、一週間くらい前に、あらためてこの1年を振り返りつつ、ミードさんの仕事を見返してつくづく思ったの。
(ターンエー以前の)ガンダムって、もう零戦になったね。
つまり、そういう過去の機体になったと。
F91っていうのは、零戦でいえば五十二型なんですよ、しょせんは。
いや、ひょっとしたらVガンまでそうなのかもしれないし、Xとかウイングも含めて、全部あれは零戦の改良型なんですよ。で、一年近く接して目が慣れてきて、あらためてミードさんの仕事ぶり、デザインワークとかをひっくり返して見たときに、「うわぁ、そうか、大河原ブロックガンダムっていうのは今年(’99年)でまちがいなく終わって、つまり過去の機体、零戦になった」と。
それがどういうことかっていうと、さっき出た「メルクリン的なモデルを獲得したい」という立場で考えたときに、まちがいなくこの(ターンエー的な)構造がなければそうはならない。
「あ、これからようやくマジでメカニックに触れるかもしれない」と思えてきたんで、正直、そのミードさんのための原稿を書いていたときうれしかった。
で、大河原ガンダムが零戦になったことは、怖かったと同時にうれしかったんですよ。つまり、過去機として、厳然として、そう、残っていくんだからすごいですよ。
だけどこんな言い方したら大河原さんには失礼なんだけど、腰は動かない股は開かない、手だってちゃんと上にあがるかどうかわからない、本来のロボットとしての造形を何ひとつ満たしていないブロック作りのロボットがね、零戦になるとは思ってなかったんですよ。
しょせん玩具だと思っていました。
でも違うんだよね、やっぱり20年生き延びたデザインはすごいんだよねって、改めて評価があった。
それと同時に、だけど、もうしわけないけれどもこれは零戦だと。
つまりこれ以後はどこへいくかっていうと、「ターンエー改でいくしかないな」って思いました。
で、この次ね(笑)、もし需要が許すならば、メカ物としてターンエーをもう一回やりたいと思っています。
それこそホンダかソニーかわからないですけれど、そういう技術を持ってきたときに、ミードさんのデザインだったら歩かせることもできるし、劇中のアクションもできるかもしれないっていう、そういう可能性が内包されている。
だから、メカニックとしての、電気機器としてのターンエーっていうモデルはとても大事にしたいな、と思いはじめたんです。
Zガンダムをはじめるっていう話を聞いた瞬間に、「あっ、この瞬間からはじまるんだな。うわっ、10年間これで走るな」って思ったんですよ。
もちろん「やっぱりガンダムしかないのか?」とも思ったし。
で、それでもじつは、それが15年目になって正直切れそうになったっていうのがあって。
そして、もうあと半歩踏み込んでいたらぼくは宮崎勤になってましたね。
それこそ、サンライズなのか創通エージェンシーなのかバンダイなのかわからないけれども、刀持って切り込む寸前までいきました。
これは比喩じゃないですよ。
うん、バカなヤツに対して。ガンダムに関わっている人間全体に対してね。だけどそれは、ぼくは刑事事件を起こすようなことがなくここまでこれたっていう意味では、やっぱり我慢したんでしょう。
その我慢が成立した理由はひとつしかなかったんです。病気をしたんですよ。
で、最近、たとえば『MSエンサイクロペディア』っていうこーんなブ厚い本があって、それを頭からずっと見ていったんです。
そのときに、さっき言った、”バカなヤツら”という言い方がホントに正しいんだなっていうことがわかってとても切なかったですね。
どういうことかというと、その本にはモビルスーツのデザイン変遷が克明に掲載されてるんだけど、「ガンダムは零戦になっちゃったかもしれない」という目線になって見たときに、ファーストガンダム以後のもので採用できる、つまり、また復刻していい機体っていうのがどれだけあったのかというと、ほとんどないということです。
そういう事実に直面したときに、「これはやっぱりみんなでバカやってたんだよね」って、ホントは誰かがもっと早く気付いて、整理整頓する人が必要だったんじゃないかと思ったわけです。
「それをここまで放置しておいて20年続いたっていうことに、とにかくみんな、神に感謝しましょうよ」っていうレベルだということを、どれだけの人が気付いていらっしゃるか。
だからこそ、そういう仕事をやったバカ、その二人〜三人に切り付けただけで自分が刑務所に入るようなマネをしなくてよかったなって、いま、つくづく思ってます。
ぼくがエスハチが好きだろうと2000GTが好きだろうと、そんなのは他人に文句言われる筋合いはない、趣味の領域でぼくはこれが命なんだと思ってるんだから。
つまりそれと同じで、プラモデルっていうレベルでのガンダム、つまり零戦になりつつあるガンダムにこだわっている人たちがいっぱいいてくれるのは構わない。でも、ただひとつだけはっきりと言いたいのは、「オマエらそれで食ってくわけじゃあねえだろ!だったら、少なくともこっちの仕事の邪魔だけはしてくれるな!!」ってことなんです。
ターンエーを否定するのもいいんです、趣味で、ホビーでならね。ただね、じつを言うとその、ストーカーに近い感覚で仕事を邪魔する気配がちょっとあってね。
そうではない、ごく一般的な意味でいうユーザーっていうのはしょせんコンシューマー(消費者)だし、そういう部分でこれまでのガンダムがお好きならみなさんどうぞお好きに、って言わせていただきたいんですよ。
さっきからずっと言っているとおり、大河原ガンダムが根本的に足らない部分、フレームの創造・・・つまりクルマでいうシャシーを創造してデザインするってことが根本的にできていないから、で、その部分は、1960年代にウソでもなんでもちょっとだけでもフォードにいてホンマもんをやっていたデザイナーになら、それはできるだろうと。それだけに賭けたんです。
でも、実作業的にターンエーを1年やってきて、つくづくいま何に困っているかというと、要するに「ネクストのスタッフが見えてこない」ことなんです。
ミードさんというご老体にこれ以上やらせるわけにはいかなし、やらせていいものだとも思っていない。それこそ、「国籍を問わずに探せ!」っていう指令はもう半年前から出しています。
つまりこれ以後、こういうガンダム的なものがまちがいなくインターナショナルなマーケットになっていくと思うんです。そうしたときのデザイナーっていうのは、ひょっとしたら「ポルシェグループのなかに入っている若手デザイナーたちに協力してもらって新しいデザインを起こせないか」とかいうレベルであって、「アニメのメカデザインちょっとできる」というレベルではないような気がしています。
それで、せっかくミードさんのおかげで開かれた回路があるならば、そういったところでやっぱりネクスト、もうひとつ次を絶対見てみたいな、と思うんです。
これは欲ですね。で、CGまでがこれだけ自由に使えるようになってきたときに、もう「スターウォーズ エピソードT」じゃあねぇだろう、てところはみせたい。
「この部分に乗っけてもうひとつ見たいな」と思っているバカジジイなんですよ。
だからそれが必ずや人型の兵器かどうかはわからないんだけれども、でも、メカ物を通してエンターテイメントを作ってみたいなっていうのがありますね。
(参考)ターンエーガンダムを作るヒント
だったらもうヒントを言ってるじゃない。・・好きにお作り、って!
その「好きにお作り」っていうときにもうひとつ言えるのは、塗装例としてカラーの指定がついていますよね、あんなの見るな!それだけです。
(かつてのガンプラの方法論を)持ち込むようなやり方もあるでしょう。だけどそれがおもしろいかっていったときに、それはもう、零戦の塗装を最新現用戦闘機に持ってくるみたいなもんなんだからそれはおやめよ、って(笑)。
これはほんとうに悲しいんだけどね、「自分たちが自由に作る」ということ、これはやっぱり訓練されていなければできません。
だから、それは自己訓練していく必要があるんですよ。
じゃあ、「ターンエーが目指しているのはどういうふうなものなんですか?」って言われたときに、「いまバンダイが提示しているシルエットがホントに正しいのか?」というと、ぼくはちょっと違うと思っている部分があるわけです。
で、それは、ミードの原画に近づけることなのかっていうと、それも違うでしょう。
もう、みんなが好きに作っていいんです。
ただ、ひとつ目指してほしいことがあるのは、「みなさん、もうソニーのアイボを見てるでしょ?」というのが前提なんです。ロボットとか人型とのああいうものを、自分なりの”メカ”として作るっていう表現を、もう一度見つけ出してほしいんです。
でも、ここで”メタリック”っていう言い方をあんまりしたくはないんですけれどね。
ターンエーガンダムの装甲が何でできているかに関して言うと、じつはよくわからないんです。どうしてかっていうと、2000年後だか1万年後だかの材質なんだから、これは決定的に我々の持っているものと違うものかもしれないんです。
その「”違うもの”としてのメタル感覚なりメカ感覚を表現するっていうことをそろそろはじめたら?」、っていう。いや、はじめてほしい!
その解答はぼくにもわからない。でも、「オレの方向性がひょっとしてアタリかも」っていう、そういうのを見つけるようなモデリングの仕方っていうのがあるんじゃないでしょうか?
なお、この続編として、昨年、以下の素晴らしい特集が組まれました。