人類補完計画の全容

 

第一部  E計画の全容

 

[背景]

20世紀終わりから、遺伝子などの生物工学の発展により、かつては神の領域と考えられていた生命の秘密が解明されはじめました。また、精神分析学の発展により、人間の精神がいかに不安定であるか、たとえ、人間が肉体的な面で科学により補強されようと、つまり、より強力な肉体と長寿を入手しようと、それが人類の幸福にはかならずしもなりえないという認識に到達しました。

二つの世界大戦、核兵器、さまざまな貧困や差別、エネルギー問題、これらの事情を考慮すると、人類はいずれ自らの手で自分の首をしめることになるのではないかというのが一般的な見解となります。外敵があるわけでもないのに自ら滅ぼうとしている人類を見て、生物としての致命的欠陥を感じない人はいませんでした。このような人類をどうにかできないのか、現在の社会システムのあり方や人のあり方自身に問題があるのではないか、これがE計画の元となった発想です。

この発想が、決定的な力をもつに至った過程では、ゲンドウとなのる人物が重要な意義を持ちます。ゲンドウは、自分でその名を名乗るさいには、旧約ヨハネ伝からの、「初めに言葉ありき」から言動という名を用いました。自分の子が生まれるさいには、男なら神児、女なら霊と考え、みずからキリスト教の最もよく知られたテーゼであり、奥義でもある、三位一体の教義を具現化し、人間こそが神となるべきだという思想を表明しました(このことの意義については後述)。そして、自分が指揮をとる部隊の紋章に、人間が神に逆らい、知恵を手に入れた象徴である、イチジクの葉をモチーフにします。さらに、執務室の天井には全面に生命の木の象徴をえがきます。また、もっと後の時期の話ですが、神にはむかうものとしてのモチーフは他にも多数現れます(シンジの誕生日、エヴァの12枚の羽根、リリスの子リリン(悪魔))。

 

[肉体面での補完]

人間の、生命体としての補完をはかるには、遺伝子レベルでの操作が不可欠である。具体的にはまずは、人間に非常に似た遺伝子を持ちながらもはるかに強力な生命サンプルが必要である。そんなサンプルは見つかっていない。しかし、本当にないのか?

20世紀は科学の発達とともに、、死海文書がやナグ・ハマディ文書(グノーシス主義の聖典)が発見されたことでも重要です。聖書というのは、基本的に歴史書です。その解釈こそ、神学者か歴史学者かなどの立場の違いにより大きく揺れますが、基本的には実際の事件がもとになっております(ユダヤ人のエジプトでの奴隷化、火山の噴火、王達の故事など)。そのなかで以前から多くの人を悩ませてきたのが、古代の人々の異様な長寿でした。旧約創世記では800年は生きていますが、ヨブ記では現在とほぼ同年齢となっております。これは、かつての人間は強い生命力をもっていたのか、それとも別の種族なのか、または、しょせん昔話なのかと、問題になっていました。一方では、旧約創世記には、人間が不老不死になることができる生命の木が記載され、人間がそれを手に入れると神と同等になるため、神が化け物をおき、エデンから人を追放して、それにちかづくのを禁じたとあります。ということは、記述されている長命の人々は、知恵の実を食べて追放されたわれわれと異なり、生命の木を食べたのではないか?

聖書などがある程度過去の歴史をおぼろげながらに伝えている以上、太古の強力な人類にもモデルはいたのではないか?ここで、裏死海文書の分析により、南極にその凍結体のある可能性が注目されます。ゲンドウの方では裏死海文書の発見・解読がなくとも、基本的に南極に問題があることはわかっていたと思われます。死海文書発見以前から、多くの文書がそれを暗示しているからです。

さて、彼らは国連の協力のもと、予想通り南極に生命体を発見します。そして、これをアダムと名付けます。そして、遺伝子工作その他を行った結果、予想された大爆発が起き、いわゆるセカンドインパクトとなります。さて、人類がこの段階に入ると、旧約創世記通り、神の使いである生命体(生命の実を食べたヒト=使徒)が人類の計画を妨害するためにあらわれることが予想されます。

さまざまな計画を勧めるため、マギシステムというものが作られます。これは、一般人には政治支援を行うためのものと説明されましたが、実際には新約の4福音書にのっとった名前であり、あらたな神の到来を準備するものとして築かれました。

[精神面での補完]

基本的に人間の性質は遺伝子からもたらされます。しかしながら、母胎からの出生時におけるショックというものは、人間の社会的生活を営む上での致命的な亀裂を精神にきざみます。それまで母胎に守られ、安定した環境にあったのが、突然何の保護もない、世界へと投げ出されるわけです。胎内にいたときは、外の世界に出ることを自分で望んでいたにも関わらず、ものすごい恐怖やショックを覚えます。これは意識の確立期には忘れられますが、無意識レベルでは消えることなく、成長過程で刻まれる対人関係によるコンプレックスのどんなものより決定的なものです。一般に精神分析では、ある人の過去にうけた精神的外傷をとりのぞく(もしくは受け入れさせる)ことにより、意識と無意識の乖離を縮小し、精神的安定をもたらそうとするのですが、根本的には出生のメカニズム自体に検討の余地があることになります。

さて、肉体面での補完計画として、遺伝子的な融合・改良実験が積み重ねられると共に、精神面での補完計画として、まずは出生時外傷をいかに克服するかが問題となります。出生時外傷を克服しなくては、その後の、一般的意味でのコンプレックス(ファザーコンプレックス、マザーコンプレックスなど)は十分には扱えないと考えられるからです。ゲンドウは、遺伝子操作を加えて作られたエヴァを疑似母胎となし、母親の意識をエヴァにとりこみ、母を失った子供をA10神経(大脳皮質にあり、親への感情などに関する部分も含む)で接続し、LCL液で取り込む、という形で胎内時を現実化させ、そこから、本人の意志による選択で新生する、という驚くほどラジカルな方法論で補完計画を確立しました。胎内ではなく、外の世界を自分の意志で選び取らせるのです。この点だけ見ても、ゲンドウがいかに天才的であるかがわかると思います。このような方法は過激すぎるとの批判は、当然、多くの学者からあります。暗示による母胎回帰でさえ、そこから現実に戻ることを拒否する者が多く、深刻な問題を引き起こした事を考えれば当然でしょう。エヴァからの新生を経験することにより、本人に意識されないうちに、出生時外傷は癒やされていきます。しかし、先程も述べましたように、これは非常に危険なかけです。

さて、出生時外傷を癒やしたとしても、精神は補完されません。いわゆる、ファザーコンプレックスやマザーコンプレックスは誰にでも起こります。特に、エヴァの胎内を経験したものにとって、そこからの自立は困難となります。ここでゲンドウが採用したのが、なんと、キリスト教の秘儀である三位一体です。

ゲンドウの三位一体の教義について説明します。聖書では、「父と子と精霊により〜」という三位一体が使われています。このテーゼそのものの起源は非常に古く、エジプトやメソポタミヤまでさかのぼります。普通に考えると「父と母と子」になるのですが、母は除外され、精霊(しかもこれは、父と子のあとにやってくるものです)が存在するところに決定的意義を持ちます。なぜ、母が存在してはいけないのか。古くは、女人禁制のイニシエーションにその由来があり、部族によっては父親が息子を、場合により非常に厳しい状況を課しながら高次元への成長をうながすもので、それを見た母親は死をも課せられるものです。つまり、子供を保護し、しばり、包み込んでしまう母が存在しては、自立が十分には行えないからです。一般的な説明をしますと、子供は、それまでの親と一体化した心理状況から自我を持ち、距離をおいて父に反抗します。父親も、子供に厳しい状況を課します(これは、成長を願っての甘いつきはなしではありません。場合によって文字通り死ぬことになります。ヤーウェから生まれた神の児キリストが十字架の上で処刑されたことがこれを表します。)この緊張を解き、子供に、自分が反抗している相手である父親の再認識及び自分が父親的ありかたを自分の存在のために取り込む状況をもたらし、より高次なレベルでの和解・再統合をもたらすものが、精霊です。つまり、精霊は生命をより高い次元に運ぶものです。精霊は母そのものではありませんが、親を拒絶した子供がより大きな次元で再び親と結ばれる状況をもたらす存在であり、グノーシス主義では知恵の女神として、母親と本質的に同一とみなされたこともあります。

さて、一度母から離れ、三位一体の教義をなしとげることはおおきな意義を持ちますが、これには大きな欠点もあります。このままでは、母なる存在が欠如したままであることです。母なる存在とは、精神の世界である父と異なり物質的・現世的存在です(Ex.精霊により孕み、神の子を生む生身の人間であるマリア)。物質的・現世的存在とは、言い換えれば、神ではなく悪魔的存在でもあります。人類は、そもそも現実世界の苦しみ、残酷さから逃れるため、その象徴である悪魔を嫌い、精神性の象徴である神を信仰したのです。しかし、この物質的存在(現実)を無視していくことは、現実との接点・バランスを失っていくことになります。現世を嫌悪したキリスト教が、母や悪魔を除外し、三位一体を打ち立て、西洋文明の基盤となったあげく二度の世界大戦及び環境破壊をおこなったことがその結果です。この流れと平行して、マリアが現れたのを見たという人たちが、20世紀に入って以来急増します。世界中のキリスト教圏でマリア、もしくは巨大な母親像を見たという現象が頻発します。これは、三位一体の不完全さを補完する現象です。我々人類は、三位一体により、混沌とした状態から高度に精神を発達させることはできた。しかし、現実との、接点を失ってしまった。それを取り戻さねば、というのがこの現象の背後にある意味です。この流れを受けて、1950年にカトリックはマリアの昇天を正式に認め、マリアを神と同格に扱うことを宣言します。その後も、この母性信仰は、エコロジー運動やガイア理論に形を変えて20世紀後半に広がっていきます。これが21世紀にはいると、E計画(人類の母としてのエヴァンゲリオン創生プロジェクト・・母胎(エデンの園)回帰の意味もある)の原動力となります。これが完成すれば、人類は三位一体に加え、失われていた第四の柱を入手することになります。これが、キリスト教において最大のシンボルであり、ミサトの胸についており、使徒の爆発でもあり、リリスが縛られている、十字架というもののもう一つの意味です。言い換えれば、父なる神がアダムとエヴァをエデンから追放したときに始まる物語は人類が自力で父を補完する母(母の面だけでなく、現実世界の象徴である悪魔をも兼ねる)エヴァンゲリオンを創造することによりその一つの段階を終えることになります。

 

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