終章
終章
生への欲動(ユイ的世界)と死への欲動(ゼーレ的世界)という2項対立の世界観と、そのなかで揺れる登場人物達をえがき、同じ話を何度も繰り返すことで表現したかったもの。
生きることとは、何度も裏切られて、傷つき、後悔するものであるということ。それは、乗り越えたからといって問題がなくなるわけではなく、(特にコンプレックスと結びついた場合)おそらく永遠に繰り返される困難であるということ。それでも前向きに、現実から逃げずに生きるべきだということ。
そして、何よりも大事なことは、閉塞された世界で安定するのではなく、世界が常に変化しているように、自分の殻を破り、変化していくべきだということ。
そうすれば、生きているということは、いつだって幸せになるチャンスのある、すばらしいものであるということ。
このようなメッセージを伝え、視聴者に(そして、製作者自身にも)勇気を与えることこそが目的だったのでしょう。
だからこそ、テレビ版の最後に、「そして、全ての子供達(チルドレン)に、おめでとう」という表示があったのだと思います。一部には、なぜチルドレンというように、一人一人の登場人物が複数形で呼ばれるのかという指摘がありました。これは、ひとえに、最後に、「全ての子供達」という言い方で、視聴者全員に語り掛けるための工夫だったわけです。これはアニメの登場人物の問題ではなくて、視聴者それぞれへのメッセージなんだよということの。
また、なぜパイロットが14歳かということも、同じ意図の表れです。14歳という年齢は、社会を意識しつつも、まだ、少年からは完全には脱しきれていない不安定な年です。社会を意識することと、少年時代(自分の周りしか見ないでいい時代)に逃げることの、ちょうど中間であることの象徴として、14歳が選ばれたのでしょう。
「主人公を14歳にした理由は、”子供以上、大人未満”だから。ひとりでも生きられるし、他人にすがっても生きられるんですよ。〜14歳は精神的には独立可能な年齢として、この作品のテーマに適当だと思います。」(ニュータイプ96年6月号)
つまりは、逃げるか、進むかという2者の間で揺れ動く全ての視聴者(例え何歳であろうと)に対して呼びかける工夫です。
人類補完計画というのも、結局は、生まれる前に帰ろうとしたり(ゼーレ)、他人を拒否したり(ゲンドウ)というように変化を怖がるのか、それとも、どんな状況であれ常に前向きに変化してくのか(ユイ)、という選択の機会を示すものです。
同様な、メッセージ伝達のための工夫が別な形で現れたのが、逃げようかと悩んでは、前向きに進むことを選ぶという同じ話や演出の繰り返しです。
また、映画ラストにおいて不安定な終息をさせたのも、映画が終わってからも、いや、映画が終わってからこそ本当の問題は始まるんだということを示す演出です。アニメ作品にも関わらず、観客およびコスプレ声優をあえて実写でうつしたのも同じことです。
アニメとしての表現からずれた部分(実写、絵コンテ、非一般的エンディングなど)があるのも、既存観念にとらわれずに変化していくことを体現しているのです。
つまり、アニメのキャラの問題なのではなくて、作品終了後も現実に生きていく視聴者への問題としてメッセージを送っているんだということを、あらゆるレベルで一貫して表明していたのです。
そもそも製作者は何を目指していたのかを、もう一度確認してみましょう。
「時は、2015年。過半数の人間が15年前に死んでしまった世界。コンビニの棚が埋まるくらいまでの、奇跡的な復興を遂げ、生産、流通、消費、経済が戻っている世界。その光景を見慣れたものとし、閉じた終息を当たり前の事としている人々の住む世界。
〜そこにいる14歳の少年は、他人との接触をこわがっています。その行為を無駄だとし、自分を理解してもらおうという努力を放棄し、閉じた世界で生きようとしています。
〜そこにいる29歳の女性は、他人との接触を可能な限り軽くしています。表層的なつきあいの中に逃げることで、自分を守ってきています。
二人とも、傷つくことが極端にこわいのです。二人とも、いわゆる、物語の主人公としては積極さに欠け、不適当だと思われます。だが、あえて彼らを主人公としました。
「生きていくことは、変化していくことだ」と云われます。わたしはこの物語が終局を迎えた時、世界も、彼らも、変わっていて欲しい、という願いを込めて、この作品を始めました。
それが、わたしの正直な気分だったからです。「新世紀エヴァンゲリオン」には、4年間壊れたまま何も出来なかった自分の、全てが込められています。4年間逃げ出したまま、ただ死んでいないだけだった自分が、ただひとつ「逃げちゃダメだ」の思いから再び始めた世界です。」(コミック1巻後書き「我々は何を作ろうとしているのか」より抜粋)
企画当初より、問題になっていたのは、閉塞された状況を打ち破って変化していくことだったのです。
<残酷な天使のテーゼ>
ここまできて、ようやく、残酷な天使のテーゼが理解できるような気がします。
「残酷な天使のテーゼ」は、一方では過去への退行に魅力を感じながらも、最終的には生への意思を訴えているのがわかります。
そして、この歌で問題になっているのは、シンジのみならず視聴者であることも、明白でしょう。
過去への退行、自閉、維持、安定
「あおい、風が今、胸のドアをたたいても、私だけを、ただ見つめて、微笑んでるあなた」
「そっと触れるもの、求めることに夢中で、運命さえ、まだ知らない、いたいけなひとみ」
「ずっと眠ってる、私の愛のゆりかご」
「世界中の、時を止めて、閉じ込めたいけど」
生への、外部への、変化への意思
「だけどいつか気づくでしょう。その背中には。はるか未来目指すための羽根があること。」
「窓辺からやがて飛び立つ」
「ほとばしる熱いパトスで、思いでを裏切るなら、このそらを抱いて輝く、少年よ神話になれ」
「あなただけが、夢の使者に、呼ばれる朝がくる。」
「女神なんてなれないまま私は生きる」
「私は、そう、自由を知るためのバイブル」
さまざまな詩的象徴を使ってきれいな対立が作られているのがわかります。
睡眠の比喩:
ずっと眠ってる その夢に目覚めたとき・
月あかりが映してる 使者に呼ばれる朝がくる
空間的比喩:
窓辺/愛のゆりかご 宇宙(そら)
閉じ込めたいけど やがて飛び立つ/自由を知るためのバイブル
時間的比喩:
世界中の時を止めて 思い出を裏切るなら/愛を紡ぎながら歴史を作る
感情的比喩:
微笑んでいるあなた ほとばしる熱いパトス/悲しみがやがて始まる
光熱的比喩:
月あかり 熱いパトス
このそらを抱いて輝く/誰よりも光を放つ
このような比較を通して歌われる、「残酷な天使のテーゼ」とは、何なのでしょうか。
この歌では、自閉してはいるけれど快適な状態(幼年時代、さらには胎内回帰願望含む)と、そこから出た、厳しくつらいけれども自由な未来が対比させられています。
おそらく、これこそが残酷な天使の「テーゼ(命題)」なのでしょう。
いつまでも楽しく自閉してるわけにはいかず、情熱や悲しみを伴いながらも可能性にあふれた未来に飛び立たねばならない時がやってくるということが。
24話「色々あったんだ。ここに来て。来る前は先生のところにいたんだ。穏やかで何もない日々だった。ただそこにいるだけの。でも、それでもよかったんだ。」
シンジで言えば、先生のもとでの何も無かった生活と、第三新東京に来てからの生活との対比を示します。
それを打ち破ったのは、シトとエヴァの登場によります。シトが「天使(Angel)」であることに注意してください。何もない平穏なシンジの日常は、残酷な天使の登場によって、無理やり打ち破られ、戦いに巻き込まれていったのです。
もちろん、誰にでも、閉塞した環境で安定していたい気持ちと、変化しなくてはいけないという気持ちが共存しているでしょう。
リツコ「今を維持しようとする力と変えようとする力、その矛盾するふたつの性質を一緒に共有しているのが生き物なのよ」
安定と変化の対立とは、別な観点で言えば、生まれる前と生まれた後、幼年時代と自我がめばえてからとの対比とも、子供時代と社会に出てからの対比とも言えそうです。
14話アスカ「どう、シンちゃん、ママのおっぱいは。それともおなかの中かな?」
16話シンジ「楽しいこと見つけたんだ。楽しいことみつけて、そればっかりやってて何が悪いんだよ。」
しかし、いつまでも快適に閉じこもっていられるわけはなく、やがては必ず殻を突き破らなくてはいけない時がきます。
16話シンジ「楽しい事だけを数珠のように紡いで生きていられるわけがないんだよ。」
26話シンジ「自分だけの、夢をみてちゃいけないのか」
レイ「それは夢じゃないわ。現実の逃避よ」
シンジにとって、シトの登場が第三新東京へ来させる理由であったように、「残酷な天使」とは、自閉した空間にこもって安穏としているヒトを、絶え間無く変化する現実に引きずり出す存在のことを言うのでしょう。
逆に、人類補完計画が目指しているのは、この、「穏やかで何もない」状態であることがわかります。
25話「全てを始まりへ戻すにすぎない。この世界に失われている、母へとかえるだけだ。」
「全ての心が一つとなり、永遠の安らぎを得る。」
「それは、魂の平安でもある。」
人類として生きることを拒否し、母胎(リリス)の中にかえることを目指すのがゼーレの補完計画です。だからこそ、彼らは、邪魔をする残酷な天使達(シト)を殲滅したかったのです。
しかしながら、「残酷な天使のテーゼ」でも歌われているように、いまさら母に帰るわけには行かないのです。
「だけどいつか気づくでしょう。その背中には、はるか未来目指すための羽根があること」
「この宇宙(そら)を抱いて輝く少年よ神話になれ」
残酷な天使に平穏を破られたからといって、いつまでも後ろ向きに、快適な状況に戻ろうとするばかりではいけません。
この歌で最も重要なのは次のメッセージでしょう。
「残酷な天使のように、少年よ神話になれ」
残酷な天使(シト)により平穏から引きずり出されたシンジですが、最後には、みずからが残酷な天使のように、宇宙で羽根を開いたエヴァにより、母胎回帰を願うゼーレの人類補完計画を打ちこわします。
そして、自分自身も、母へ別れをつげます。
視聴者に対しては、自分自身で殻を打ち破るようにというメッセージを秘めているのでしょう。
「あおい、風が今、胸のドアをたたいても、私だけを、ただ見つめて、微笑んでるあなた」
「そっと、ふれるもの、求めることに夢中で」
ここで言う「あなた」とは、エヴァに夢中になっている視聴者のことです。
この歌詞は、そのまま、先ほどもあげました、
16話「たのしいこと見つけたんだ。たのしいことばかりして、何が悪いんだ」
26話シンジ「僕だけの夢をみてちゃいけないのか」
レイ「それは夢じゃない。現実の埋め合わせよ」
といった一連の言葉と響き合います。
「だけどいつか気づくでしょう。その背中には。はるか未来目指すための羽根があること」
これは、自分の可能性に気づかなくてはいけないということです。
「もしも二人会えたことに意味があるなら、私はそう自由を知るためのバイブル」
エヴァンゲリオンという単語はギリシャ語版のバイブルの名前であることにも注意すると、この歌詞の意味はこうなります。
もしも、あなたがエヴァンゲリオンという作品に会ったことに意味があるなら、それは、、自分の殻を打ち破って自由に生きろ、変化しろ、というメッセージを受け取った場合だけである、と。
<最後に>
作品に現れる、全ての2項対立は、視聴者にとっての現実の2項対立、つまり
自分の殻を打ち破り前向きに生きる(変化) 現実から逃げる(自閉的安定)
という対立に、全て集約されるものなのです。
全ての視聴者(製作者も含まれる)が、現実に生きていることを祝福し、何度つらい状況にあっても、力づけるような、そのようなメッセージを伝える作品とすることが、エヴァンゲリオンの目的だったのです。
ここにいたって、ようやく「エヴァンゲリオン」という題名の意味が理解できます。
これは、「良き知らせ」を意味するギリシャ語です。人々を人生の苦痛から救うメッセージが秘められているとして、聖書はこのように名づけられたのです。
同様に、この作品が「エヴァンゲリオン」という名を持つ理由は、全ての子供達(視聴者)に、前向きに生きるためのメッセージを伝えたいという願いからなのでしょう。