<序章>この論文の目的
<第一章>人類と個人における意識の誕生について(あるいは、人類補完計画の終着点について)
<第二章>コアの発生
<第三章>父との戦い
<第四章>魂のルフラン
<終章>
<序章>
エヴァンゲリオンにおけるストーリー展開は二つのものから成り立っています。すなわち
1.ゲンドウやゼーレによって進められている人類補完計画という、人類史における通過儀礼
2.主人公であるシンジを中心として展開する、登場人物の心の問題。
これらをバラバラに、無関係なものとして扱うのではなく、統一的視野のもとに分析することがこの論文の目的です。分析のための基本理論はユング心理学によります。部分的には、ユング以外の理論家によるほうが素直な部分もあるますが、それは第2論文以降にまわし、この論文はあくまでもユング自身およびユング派の理論のみに従ってみます。
ユング心理学を採用する理由は、それを使えばエヴァンゲリオンがきれいにまとまるからです。ユング心理学そのものを認めない立場の人には、この論文は拒否されるでしょう。
この論文は、エヴァンゲリオンを、どこまでリアルに論じられるかという、私なりの挑戦でもあります。リリスの卵も、人類補完計画も、ユング心理学をもとに現実の可能性として真剣に考察します。
この論文では、ユング書籍の関連部分をいちいち引用することで、できるだけわかりやすくしようと思います。本来なら最後に注でまとめるべき内容も、本文で引用します。また、当然ながら引用には出典を明記しているので、興味ある方は読まれるといいでしょう。ただし、引用は膨大になる(論文数にして数十)と思われるので、読みづらい部分が出てくるかもしれないです。わかりづらい部分は指摘してもらえれば書き直すので、遠慮しないで言ってください。
なお、ユングの書籍になじんでいる方のために、一言でこの論文を説明してしまうと、ユングが聖書と人類の精神史を統一的に分析した「ヨブへの答え」、ユング派のノイマンが神話を題材に個人の心と人類の精神史を統一的に分析した「意識の起源史」、以上2冊と同様に、シンジ達の精神と人類補完計画へと至る人類の精神史を統一的に分析しようとするものです。
<第1章>人類における意識の発生と個人における意識の発生
1.人類と個人における意識発達史概説
以下においては、人類補完計画の意義を理解するために、まずは人類の意識の発達史を、次に、シンジ達の心を理解するために、個人の意識の発達史を概観します。
[人類の意識の発達]
人類はいつ、動物からヒトになったのか。この問題を精神分析の観点から考えると、それまでの半本能的に動く状態から脱却し、自我がある程度確立された時点から、ということになるだろう。原初においては、自我は無意識と未分化であり、混然としていた。その状態から、意識が強化され、無意識を抑圧し、意志をもった、自己責任の上に行動する個人として変化していくのが、人類における意識の発達史である。
原初に近い状態では、意識は弱く、無意識のしめる割合が大きい。いわゆる、呪法が幅をきかせている、民族心理の段階である。現在の、いわゆる先進国民においても発達途上であり、戦争・殺人に代表される争いが絶えないことからもわかるように、意識は不十分な発達しか遂げていない。つまり、心の中の憎しみ、怒り、恐怖、などの衝動を制御できるほどには意識は発達していない。
一言でいうと、人類の精神史は、原始時代の無意識と意識の混沌から、意識が高まっていく過程である。
[個人の意識の発達]
個人の精神の発展にしても同じである。生後しばらくは、まだ意識と無意識が未分化であり、自我は確立されていない。この段階では、意識的な記憶もほとんどない。幼年期において自我がある程度できあがり、14、15においてある程度確立する。現在の日本では20歳をもって社会的責任をもつものとみなされる。しかし、この年になったからといって、自己感情を制御できるわけになったのでないことは、言うまでもないであろう。大抵の人の場合、意識は無意識を制御できない。
一言でいうと、個人の精神史は、赤ん坊の頃の無意識と意識の混沌から、意識が高まっていく過程である。
[人類の意識史と個人の意識]
人類と個人の精神史が並行しているのが上記よりわかる。人類の意識は大きく強化されているが、個人が成長するには、無意識と意識の段階より、時間をかけて成長しなおさなくてはならない。つまり、個体発生は系統発生を繰り返しているのである。人類の精神史における発展は、そのまま個人の精神史における発展において繰り返されている。人間が母の胎内において、生物史を繰り返しているのと同様である。
「意識がいくつかの段階をへて発達していくことは、人類の発達にとっては集合的な出来事であり、個人の発達にとっては個別的な出来事である。その際、個体発生的な発達は、系統発生的な発達の、形を変えた繰り返しである。(1)」。そして、人類の意識の発達史は、神話の中にその軌跡をとどめている。
また、個人の意識の発達も、ひとりひとりが、神話的成長を行うことになる。「これらの発達諸段階がある法則性をもった諸段階で配置されており、「こころ」のそれぞれの発達を決定しているということである。同様に本書が主張するのは、これらの段階が元型的に、つまり集合的・無意識的に決定されており、人類の神話の中に見出されること、また、人類の集合的な発達層と意識の個人的な発達層とを一緒に眺めてみて初めて、人類全体の「こころ」の発達も個人の個別的な発達も理解できるということである。(1)」
つまり、個人の心の発達を考えるにせよ、人類の心の発達を考えるにせよ、片方だけではダメであり、双方を同時に見る必要があるということである。では、人類の心にせよ、個人の心にせよ、はじめはどんなものだったのか?
2.精神の起源=ウロボロス
「始源は二つの「地点」に、すなわち人類史の原初に、個人においては幼児期の原初に認めることができる。人類史の原初の自己表現は、儀礼や神話の中に表されているものから読みとることができる。幼児期の原初も、人類史の原初同様、すでに個体化するに至った自我に現れる・無意識の深みから浮かび上がってきた・イメージの中に見てとることができる(1)。」
人類の精神の歴史的発展は神話が教えてくれる。人類と、個人の、精神の始原。それは、ウロボロス(自分の尾をかむ蛇)により象徴される。「原初の完全性を表すシンボルの一つが円である。この同類が球、卵、および<円環>・錬金術の円である。」「丸いものとは卵・哲学者の世界卵・始原の胚芽の状態であり、いたるところで説かれているように、この状態から世界が生成する。丸いものはまた、対立物を包含している完全なものであり、始源であり終末である。」「同時に他方では、創造的なものが生まれ、芽生えるところとなりうる(1)」。
さまざまな神話で現れる始源の円・卵。リリスの卵もそのひとつである。この中においては、まだ人の自我は胚芽の状態でしかない。自分と他者との区別もあいまいであり、融合している。つまり、ATフィールドがない状態である。映画26話を思い出して欲しい。もちろん、ふつうの人間にこの状態の記憶はない。ただし、神話や、夢の中で出会うだけである。
聖書では、エデンとして描かれる。他者は存在するものの、アダムの体からエヴァが生まれるように、自分と他者の境界線もあいまいである。映画26話において、レイが、カヲルに変化したように。また、レイとシンジの体が融合していたように。ATフィールドがなくなった場においては、自我はかたちを失い、波のなかでもまれるように、ときどき浮き上がるにすぎない。
「世界は周りを取り囲んでいるものとして体験され、人間はその中でとぎれとぎれに、瞬間的にのみ自らを自らとして体験する。この段階でやっと生きている・発達していない・疲れやすい・幼児の自我が、ほんの一瞬無意識の薄明の中から小島のように浮かび上がったかと思うと再び無意識の中へ沈み込んでしまうように、原初の人間も世界をそのように体験する。」「ここでは母なる世界であるウロボロスが同時に生命でもこころでもあり、養分と心地よさを与え、守り暖め、慰め許す。それは、悩める者すべての逃げ場であり、求める者すべての憧れである。なぜなら、この母はいつでも満たす者、与える者、助ける者だからである。」
自我が不安定になったシンジが望んだのがこの世界である。「これが、あなたの望んだ世界なのよ」論点の先取りになるが、シンジとレイ(リリス)の結合状態について、ここでは簡単に以下の言葉をあげておく。
「ウロボロス近親相姦は、母の中へ入り込み母と一体化するひとつの形態であり、近親相姦のその他の後期の形態とは異なる。ウロボロス近親相姦における一体化は心地よさと愛を特徴とするが、これは能動的なものではなく、むしろとけ込み吸い込まれようとする試みである。」「しかし、幼児的・胎児的自我は、ウロボロス近親相姦において深淵のウロボロスを、その溶解と死の性質にもかかわらず、たとえその中でわが身が消滅してしまおうが、敵対的なものとは感じない。」「自我には自らが深淵の原母に守られていると思われるが、それは自我が溶解し、自我自身についての意識がもはやなくなるところでさえ変わらない。人間の意識が自らをこの原深淵の子とみなすのは正しい。というのは、意識が人類史の中では最近になって無意識というこの母胎から誕生したためばかりでなく、個々人の意識もまたおのおのの人生において、幼年期の成長過程の中で無意識からの発生を体験するからである。」
シンジの個人史について言えば、ウロボロスは誕生前におけるユイの母胎であり、エヴァである。20話においてはエヴァの中で完全に一体化している。「私と一つになりたい?心も身体も一つになりたい?それは、とてもとても気持ちいいことなのよ。」エヴァはいわゆるグレートマザーではない。子どもを取り込み、支配しようとするグレートマザーにエヴァがなったことは一度もないのである。融合したときでも、あくまでもシンジを守り暖め、助け、シンジが望めば、いつでも元に戻す。「もういいの。そう、よかったわね。」
3.生命の木、永遠の命、永遠の母について
「我々の意識についてさえ、数千年にわたる歴史を否定することはできない。自我意識だけが繰り返し新しく始まり、すぐに終わりとなる。しかし無意識の心は無限に古いだけでなく、同じように遠い未来にまで成長しつづける可能性をも持っているのである。それは「人類種」を形成しており、「人類種」の構成要素をなしている。それはちょうど身体が個々のものは束の間の命だが類としては測りしれない年輪を経てきているのと同じである。(2)」。
自我の命は数十年だが、無意識(フロイトのいう意味ではなくユングのいう集合的無意識)の命ははかりしれない。これが、「アダムと同じ、リリスと呼ばれる生命体の源」の正体であり、永遠の命をもたらす生命の木の秘密である。物質的基盤としては遺伝子によっている。なお、後に詳しく説明するが、知恵の実を食べたと聖書で言われていることは、精神史的にいうと、結局、人間の自我が発達したことであり、人間が動物と異なり、自我を支えとして生きていくことになったことを表している。これが、知恵の実を食べて有限の命となった人間(個人の自我)と、生命の実がもたらす永遠の命(遺伝による集合的無意識)の違いである。
一応、集合的無意識についての説明を行うと「集合的無意識とは「こころ」全体の中で個人的体験に由来するものではなく、したがって個人的に獲得されたものではないという否定法によって個人的無意識から区別されうる部分のことである。個人的無意識が、一度は意識されながら、忘れられたり抑圧されたために意識から消え去った内容から成り立っているのに対して、集合的無意識の内容は一度も意識されたことがなく、それゆえ決して個人的に獲得されたものではなく、もっぱら遺伝によって存在している。(3)」。
集合的無意識は不死であり、意識を生み出す永遠の母、つまり生命体の源である。ここから全てのものが流出する。カバラにおける、エイン・ソフであり、その流出過程を一枚の絵にまとめたのが、生命の木とよばれる絵(セフィロトの木)である。つまり、オープニングに出てくる絵であり、映画版26話において、シンジをよりしろとして出現したものである。神秘主義の目的は、流派を問わず、結局のところ、この永遠の命の源と一体化することである。
「ヨーガ行者が到達するサマーディの完成、恍惚の状態は、われわれの知る限り無意識の状態にあたる。かれらがわれわれの無意識を「宇宙的意識」と呼んでいるからと言って事態は変わらない。じつはそれは彼らの場合、無意識が自我意識を呑み込んでしまったということなのである。」「なるほで「パーリ教典」や「ヨーガ・ストーラ」を厳格に適用すれば、意識の著しい拡大が生じることは確かである。しかし意識が拡大するにつれて、意識の個々の内容は明せきさを失っていく。最後には意識は包括的にはなるが、しかしぼんやりとしてくる。そうなると無数のものが茫然とした全体へと流れ込むが−以下略−(2)」。
カバラを含む神秘主義の行き着くところがこの状態であり、結局これは、全てを生み出したものに還ることである。つまり、第2節で説明した、ウロボロスの状態、自我が無意識と混然となった状態、生まれる前の状態への回帰である。この状態では、自分と他人の区別もない。一言で言えばゼーレの目指す人類補完計画であり、人類が意識をもった時(知恵の実を食べたとき)から膨大な数の神秘主義者によって追求されてきた道(生命の実も手にいれること)である。要するに、知恵の実(自我意識)を手に入れた人間が生命の実(集合的無意識)を手にいれること、ひとつになることこそが、神と一つになることであり、神秘主義の真髄である。このとき、自我は消え、世界との一体感だけが残る。意識(人間が人間であること)を生み出した母(無意識)への回帰である。
以上を踏まえるとTV版25話のセリフも味わい深い。
レイ1「自分だけ、の世界もなくなるの」
レイ1「怖いでしょ?」
レイ1「自分が消えるのよ」
レイ1「怖いでしょ?」
レイ3「いえ、うれしいわ」
レイ3「私は死にたいもの」
レイ3「欲しいものは絶望」
レイ3「無へと還りたいの」
レイ2「でも、だめ」
レイ2「無へは還れないの」
レイ2「あの人が帰してくれないの」
レイ3「まだ、帰してくれないの」
レイ2「あの人が必要だから私はいたの」
レイ3「でも、終わり」
レイ3「いらなくなるの、私」
レイ3「あの人に捨てられるの、私」
レイ3「その日を願っていたはずなのに、今は怖いの」
シンジ「なんだ、この感触。前に一度あったような。自分の身体の形が消えていくような」
シンジ「気持ちいい。自分が大きく、広がっていくみたいだ。どこまでも。どこまでも。」
テロップ「それは、人々の補完の始まりだった。」
テロップ「全てを虚無へと帰す」
テロップ「人々の補完が始まった」
ゲンドウ「違う。虚無へ還るわけではない。全てを始まりへと戻すにすぎない。」
ゲンドウ「この世界に失われている、母へと還るだけだ。」
ゲンドウ「全ての心が一つとなり、永遠のやすらぎを得る、ただそれだけのことにすぎない」
(以上、EVANGELION ORIGINAL 3巻より抜粋)
−以下、作成中−
参考文献(すいません、出版社、訳者などは今度書きます)
(1)E.ノイマン「意識の起源史」
(2)ユング「意識、無意識、および個性化」
(3)ユング「集合的無意識の概念」