スペイン旅行

99年1月にスペインに1週間ほど行ってきました。

ここでは、その報告をします。

 

<旅行計画> 

そもそも、1週間という限られた期間の中で、どこをどう回るか考えるのが、最大の悩みであり、楽しみでもあります。

ツアーのように駆け足旅行はしたくないし、かといって見たいところも多いし、というのはいつでも悩みの種ですが、スペインの場合は各都市間の距離が遠いという問題もあります。スペイン国内といっても、飛行機を使って移動する展開もありうるわけです。

 

さて、私がヨーロッパに行くさいに、一応目を通している本に、澁澤龍彦の「ヨーロッパの乳房」があります。これは、ヨーロッパの中でもかなり極端なところ(著者曰くバロック的なところ)ばかり紹介している本ですが、なかなか面白いです。

スペイン関連で探してみると

 

 

 

 

 

といったところが紹介されていました。

あと、手持ちのスペイン関係の本の中から適当に探してみると

 

 

それから、スペイン・イスラム世界最大の遺跡がありました(名前は忘れた「イスラムの生活」より)。これも是非いってみたいところですが、いまでは残骸を発掘作業中というところのようです。

 

一方、妻は、ゆっくりとしたいという希望を持っており、1都市か、せいぜい2都市しか回りたくないとのことでした。マドリッド近郊に限定するとか、せいぜいグラナダにも行くとか。

 

私はスペイン語はしゃべれないため、旅行は全面的に妻に頼ることになります(彼女は英・西OK)。そのため、両者の希望が異なる場合には、妻の意思を優先せざるをえません。

 

最終的に、両者の妥協の産物として、以下のような決めました。

 

1日目 成田発でパリ経由マドリッド着

2日目 マドリッド観光

3日目 マドリッドから空路グラナダへ

4日目 グラナダ観光

5日目 グラナダから空路バルセロナへ

6日目 バルセロナ観光

7日目 バルセロナから、パリ経由で帰国

 

結局は、はじめてのスペインということで、誰でも行くような無難な選択をしました。最も有名な3大都市を、それぞれ2日ずつという構成です。多くの土地をあくせく動くのも嫌だし、かといって有名所はみておきたいし、という感じです。

セビリヤとか、コルトバとかは、残念ながらあきらめることにしました。

 

一応、最大の目標としては、

 

 

 

といったところです。

時間があれば、マドリッド近郊のエルエスコリアルやセゴビア、バルセロナ近郊のジローナにも足を伸ばそうと考えました。

 

特に、セゴビアにはローマの巨大な水道橋と、ディズニーランド(ロサンゼルス)のモデルになった城があり、魅力的に感じられました。私達夫婦は、何よりも古代ローマの遺跡が好きであり、かつ、ディズニーランド好きでもあるためです。マドリッドの滞在日数は少ないため、マドリッドそのものよりも、セゴビアやエルエスコリアルといった周辺都市をメインに見ようかと考えました。

そのため、マドリッドでは、プラド美術館の諸作品と、ソフィア王妃美術館にあるピカソの有名な「ゲルニカ」ぐらいに限定した観光(つまり、美術作品のみ)をしようかと考えました。これには、マドリッドはかなり危険だという話をあちこちで聞いていたせいもあります。

 

さて、このような計画に基づき、飛行機とホテルの予約を行いました。

ホテルは、・・

いよいよ出発直前となって、いろいろスペインのことを調べているうちに、私は、どうしても、セビリヤとコルトバの2ヶ所には行きたくなってしまいました。セビリヤには、何と言っても「セビリヤを見ずしてスペインを語る無かれ」という格言がありますし、コルドバにはイスラムのメスキータがあります。

 

数日間にわたりさんざん悩み、嫌がる妻を拝み倒した末、3日目の旅程を変更することを検討してみました。予定だと、マドリッドで半日過ごしたあと(できればここでエルエスコリアルかセゴビアに行く)、飛行機でバルセロナに行く予定です。

しかし、思いきってここで飛行機を使わず、電車でセビリヤ、コルドバを経由してからバルセロナに行くことが可能かどうか考えました。つまり、1日でマドリッドから、コルトバへ、コルトバからセビリヤへ、セビリヤからバルセロナへと4都市をまわるわけです。

もっとも、これでは、ゆったりまわるどころか、どんなツアーでもやらないくらいの強行軍です。バスを使うわけではないので、電車を使うタイミングが重要となります。しかも、ホテルの代金は既に払っているので、遅れるわけにはいきません。

 

インターネットを使って、電車の発着時間をチェックし、なんとかスケジュールを組みました(これについては後述)。

 

最終的に以下のような計画を立てました。

 

1日目 成田発でパリ経由マドリッド着

2日目 午前中はプラド美術館を見、余裕があればエルエスコリアル。午後はトレド。

3日目 AVE(電車)でセビリヤ、コルトバを周り、グラナダへ。

4日目 グラナダでアルハンブラ宮殿観光

5日目 グラナダから空路バルセロナへ。バルセロナではとりあえずガウディ。

6日目 バルセロナ及びモンセラ観光

7日目 気分によりジローナもしくはタラゴナ観光。午後は空路パリ経由、成田へ。

 

かなり無理があるような気もしましたが、後は実際に行ってみて、動ける範囲で動けばいい、という感じでした。しかし、少なくともセゴビアはあきらめざるをえません。また、2日目の、プラド美術館→エルエスコリアル→トレドというのは、ほとんど不可能な気もしました。なぜなら、ホテルやプラド美術館のあるマドリッドを挟んで,エルエスコリアルとトレドは正反対の位置にあり、しかも片道2時間かかるからです。この難行を実現するために、数パターン作って研究しました。

(1)マドリッド→エルエスコリアル→マドリッド見学→トレド

(2)マドリッド見学→トレド→マドリッドを経由→エルエスコリアル

(3)マドリッド見学→エルエスコリアル→トレド

 

  • 最終的に、少しでも余裕がありそうな第三案を推奨することにしました。

    つまり、

    ・朝から早起きしてマドリッドを見学(9時開館のプラド美術館及び10時開館のソフィア王妃センターのゲルニカ)

    マドリッド10時33分発

    エルエスコリアル11時39分着

    ・エルエスコリアルを1時間くらい見学

    エルエスコリアル13時17分発

    マドリッド14時22分着

    ・たった3分での乗り換えにチャレンジ!

    マドリッド14時25分発

    トレド15時40分着

    ・トレドを2時間くらい見学

    トレド18時35分発でマドリッドのホテルへ

    まずは朝からマドリッドのプラド美術館を1時間くらい見学します。その後、10時からはゲルニカを見て、10時30分には駅を出発してエルエスコリアルに行き、1時間見学します。それからマドリッドに戻って、トレド行きの電車に乗り換えます。これなら、最後がトレドなので、夜遅くまでトレドを楽しめる可能性があります。もっとも、トレドを出る時間が遅くなると、マドリッドのホテルに帰れなくなるかもしれませんので、実質的には電車に合わせて帰る必要があります。電車は18時35分にはなくなりそうでした。さらに、日曜日なので、トレドでは午前中しかやっていないところも多いのです。それが見られなくなってしまいます。

    この計画表を妻に見せたところ、不可能との烙印を押されました。

    仮に可能であっても、ツアーのようにあわただしく動きまわるだけになってしまうという意見でした。

    よって、とりあえず、マドリッドではプラド美術館とトレドだけをまわることとし、エルエスコリアルはあきらめました。もっとも、私は心の中では、最後まであきらめてはおらず、すきあらば一気に3ヶ所まわってしまおうとひそかに計画していたのでした。

    さて、飛行機に乗りました。エールフランスです。これにのると、マドリッドには夜到着することになります。

    ドイツ/フランス旅行の際に、水をフランス語で注文したところ、ビールを出されたという、文字どおり苦い経験があるにも関わらず、私はエールフランスが好きです。

    ヨーロッパに行く際には常にエールフランスを利用することで、マイレージをためてサイパンに行ったほどです。

    エールフランスの魅力といえば、何となくフランスっぽい雰囲気と(乗組員が単にフランス人だからか?)、すぐに電気を消して暗くし、人々を眠らせようというスタンスと、食べ物がおいしいことでしょうか。

    しかし、最近でた、飛行機の安全度を問題にした本では、エールフランスは安全性にやや問題があるという指摘があり、びっくりしました。

    さて、夜のマドリッドに到着です。ここからが問題です。何といっても、マドリッドはスペインの中では最も危険といわれています。実際、被害に遭った話はガイドブックでもインターネットでもさんざん目にしてきました。また、マドリッドのタクシーはぼったくりでも有名です。少し前に行った知人は、3000pstの距離を5000pst払わせられたといっていました。いくら運転手に言っても、怒ったような雰囲気で絶対に譲らなかったそうです。

    不安を感じながらもタクシー乗り場にいき、乗車しました。運転手はかなり高齢のおじいさんで、人は良さそうな感じでしたが、目が良くないらしく、一生懸命道路に目を凝らしながら走ってくれ、そっちの意味でちょっと不安でした。顔付は、なんとなく頑固で実直といった感じで、ああ、これがスペイン人か、とか考えながら見ていました。

    スペイン人というと、明るく、いい加減な感じを受けるものですが、実際のスペイン人はそうではないという話を聞いたことがあります。まじめで頑固で実直(時に残酷)、というのが、確かに、スペイン人のある種の人々の特徴であることは、いろいろな本にも出ています。

    そのイメージに近い顔だなー、これなら、ぼったくりをするなんてことはないだろうとか考えていると、ホテルにつきました。

    無事、予定通りの額でした。2800pstぐらい。

    チップをあげるとうれしそうでした。この後も、スペインではチップをあげるたびにうれしそうな顔をされたため、本来チップはあまり必要ない国なのかなーと考えさせられました。

    ちなみに、スペイン人のイメージの話ですが、日本におけるスペイン・イメージの象徴的な例の一つが,有名な対戦格闘ゲーム「ストリートファイター2」におけるバルログでしょう。バルログとは、四天王の一人で、異常なスピードを誇り、初めのうちはかなり強敵です。彼は、なぜか面をつけて顔を隠しています。そして、金髪の美青年であり、美しいもの以外は認めないというナルシストでもあります(大金もちでもある)。

    彼のような、どう見てもスペイン系ではない容姿と性格を持つ人物が、日本ではスペインというイメージで通用するのはなぜでしょうか(ちなみに、このゲームでは他に本田:出身地日本=相撲取り、春麗:出身地中国=カンフー、ブランカ:出身地アマゾン=獣人、など、なかなか適切(?)な配役となっております)。

  • このことは長年私にとって不思議だったのですが、やはり有名な格闘ゲーム「飢狼伝説2」をやって、理由がわかりました。このゲームでは、やはりボスの一人がスペイン人なのですが、格闘場やシチュエーションが闘牛士からきているのです。

    つまり、闘牛士やフラメンコ=動きがキザ、というところから、スペイン人=ナルシストでかつ、かっこよい、さらに大金持ち、という連想となり、ゲームの世界ではスペイン人となるとそのような造型が用いられるのでしょう。

     

     

  • さて、話は変りますが、何故私がエルエスコリアルにこだわったのかというと、当時、世界の覇者であったハプスブルク家のフェリペ2世(有名な「無敵艦隊」の人です)が、その財力を傾けて築き上げたのが、豪華な宮殿ではなく、巨大な修道院エルエスコリアルだったことです。

    巨万の富と、最高の権力を握った人間が、ヴェルサイユのような宮殿ではなく大修道院をつくり、そこで生活していたということにとても興味を持ちました。妻にも、王妃としての優雅な生活ではなく、修道女のような質素な生活をさせていたようです。

    ちなみに、時は大航海時代ですので、フェリペ2世の名前は、彼の軍隊が発見した島の名前ともなり、現在はフィリピンとして知られています。

    後に、無敵艦隊はイギリスに敗れ、あんまりぱっとしませんし、最後は全身から蛆の湧く業病に苦しめられながら死んでいきました。

    しかし、彼の人生は、まさに西欧史における特権的な、王様だけが味わうことのできる生涯のひとつでしょう。

    そこで、直接エルエスコリアルに行けば、何か、彼の心情みたいなものが多少は理解できるのではないかと思って、行ってみたかったのです。

    明日は、時間があれば、妻を説得して、エルエスコリアルにも行こう、と思いながら飛行機疲れの身体を休めて眠りました。

    2日目 マドリッド

    さて、朝起きてみると、飛行機疲れのせいもあり、予定よりもやや遅い時間でした。本来ならば9時にはプラド美術館につかなければ、私がひそかに計画していたマドリッド→エルエスコリアル→トレドという3ヶ所周遊パターンは無理です。

    かといって、せっかくの英国風ビュッフェのホテルの朝食を無視するわけにも行かず(ホテルの料金に含まれている)、ゆっくりと食べました。とても、おいしかったです。

    時間はもう9時近くなっています。3ヶ所回るという計画を妻に悟られないように、急ぎすぎないようにしながらホテルを出て、まずはプラド美術館に向かいました。地図だとすぐ近くにあるはずですので、さっさとついて、9時〜10時までの1時間で見る必要があります。

    ところが、地図通り歩いてもつきません。駅のすぐそばにあるはずなのですが・・

    さては道を間違ったか、と思い、駅の方に引き返し、別の道を歩きました。しかし、この道も、いくら歩いても何もありません。道を間違えたことを妻にとがめられながらも、もう1度駅に戻り、さっきの道をまた進みなおしました。すると、なんと、さっきあきらめて引き返した地点からわずか1分くらい進んだ地点に、プラド美術館はあったのでした。この時点で時刻は10時30分を過ぎており、数週間にわたって心に秘めていたエルエスコリアルへの計画は、残念ながら挫折したことを感ぜずにはいられませんでした・・(道を間違えたために。結構ショックでした)

    気を取りなおしてプラド美術館に並んだのですが、なぜか、料金をとっています。日曜日はマドリッドの美術館は無料解放していたはずなんだけどなー、と思いながら並んでいると、順番がきました。チケットを妻が買おうとすると、販売員が、プラドがみたいんじゃないか?それなら、ここではない、と、聞きもしないのに教えてくれました(ちなみに、特に断わらない限り、会話は全て妻がやっています)。

    よくみると、プラド美術館の一部を利用してフェリペ2世展を臨時でやっていて、そのために別料金だったのでした。

    エルエスコリアルの展示品も、フェリペ2世展にきているようだったので、まあ、わざわざエルエスコリアルに今日行ってもしょうがなかったかもしれない、と心を慰めながら、別な門からプラド美術館に入りました。

    さて、プラド美術館は、エル・グレコとゴヤの多くの作品群が所蔵されていることで有名です。私は、それらにもまして、ボッシュ(ボス)の絵が見たかったのでした。

    一体、ボッシュは、何を考えて奇妙な悪魔絵を書きつづけていたのか、実物はどんなものなのか、を確かめたいという気持ちもありました。

    そんな気持ちで、楽しみにしながらボッシュの絵を探したのですが、代表作である「悦楽の園」は、なんとフェリペ2世展に持ってかれていてありませんでした!

    今日は無料解放日だし、仕方ないかー、と思いながら(お金を払って別な門に行けばフェリペ2世展がやってるので、見ようと思えば見れたのですが)他のボッシュの作品や、別な作家の作品を見て回りました。

    ちくま文庫に「プラド美術館の3時間」という本があり、スペインの美術史家が、わずか3時間で美術館を案内してくれるものです。

    プラドを1時間で見学しようとする私達にとって、3時間での案内というのも、長いのですが、この本では最後に「プラドは3時間では見終わらない。この本の目的は、実は、また何度もプラドを訪れてもらおうという点にある。」というオチもついています。なかなか面白い本なのですが、この本では「侍女」などを、プラド美術館の最高の作品群として紹介してます。

    しかし、私としては、スペイン系の絵画(特に、グレコやゴヤの作品群)に圧倒されました。

    実物を見るまでは、どちらも好きな画家ではなかったのですが。

    ゴヤの作品群は、初期のころのものから、有名な傑作群、晩年の作品群と展示してありましたが、一般の人気は、やはり「着衣のマハ」と「裸のマハ」の並列展示に集中しておりました。プラド美術館の中でも、観光客がフラッシュをたきまくっているのはここだけでした。これは、モデルのマハ(美女)が、同じポーズで、服を着ているものと裸のものとを描いたものです。

    ゴヤは、スペイン王家につかえ、多くの貴族の女性達をモデルとし、次々と自分のものにしていったといいます。このマハも、その一人といわれています。

    しかし、ゴヤの晩年は悲惨なものだったようで、晩年期の作品群は別室にあったのですが、黒一色で、墨絵で描いた骸骨のように、人々が殴り書きされたものばかりです。かなり衝撃を覚えました。

    ゴヤにはまた、複数の、虐げられた人々を描いた作品があります。特に、有名なナポレオン軍による虐殺を描いたものや、「異端審問」が有名です。どちらも処刑される直前の弱者を描いたものですが、特に後者は、モデルが、いわゆる通常なら絵画のモデルにはなりえないような容姿であるにも関わらず、沈黙の中に様々な精神を想像させ、正義である大衆に対して、孤高の気高さまでも感じさせる、素晴らしい作品です。

    グレコの絵は、強烈な、まさに、うねるような色彩感覚と、構図の大胆さに圧倒されました。めくるめくような感じです。

    さて、こんな感じでプラド美術館を見学したあとは、ソフィア王妃国立センターに行きました。ここでは、もちろん、教科書にも載っているピカソのゲルニカが目的です。日曜のため、ここも無料でした。

    しかし、ゲルニカは、巨大なわりには、なぜかあまり感銘を受けませんでした。なぜなのかは、いまでもよくわかりません。パリでもバルセロナでも、ピカソ美術館は楽しかったにも関わらず、なぜかゲルニカは、よさが感じられませんでした。

    それはともかく、考えてみると、虐殺される人々を描くというのは、スペイン絵画の伝統といえるかもしれません。ゲルニカといい、ゴヤといい、後にカタルーニャ美術館で見た数多くの宗教画といい、スペインの美術館では、どこに行っても拷問/銃殺などの光景を痛烈に訴える作品がありました。

    ここまでで時間はお昼近くになっていましたので、美術館めぐりをやめ、いよいよトレドに行くことにしました。

    しかし、気付いてみるとちょうどいい電車がありません。

    バスで行くことにしました。

    しかし、ガイドブックで見る限り、プラド美術館やソフィア王妃国立センターがある地域から、近いほうの遠距離バス発着所まででも結構距離があります(ちなみにマドリッドには遠距離バス発着所は南北2ヶ所あるのですが)。

    仕方なく、ソフィア王妃国立センター前から、短距離ながらタクシーにのりました。

    そして、バス発着所に着いたのですが、運転手に「トレド行きはここでいいんですよね?」ということを聞くと、「トレドまでなら、このまま連れっててやる」という提案を受けました。しかしながら、いくらタクシーが安いスペインとはいえ、バスに比べるとずいぶん値段が高かったので、断わりました(彼は残念そうでしたが)。

    バスの発着所はずいぶん大きく、様々なところへの出発/到着点となっておりました。

    2階にある窓口で券を買い、それぞれの発着所で待つのですが、あまりにいっぱいあって迷いました(確か、3階建て)。屋上まで行ってトレド行きの発着所を探したのですが、実は1階にあったのでした。2階に窓口があったがゆえの盲点でした。

    なんとか無事バスに乗り、トレドに到着したのは1時近かったと思います。

    実は、今更言うのもなんですが、今回のスペイン旅行のテーマは「ユダヤ教/イスラム教/キリスト教の3宗教融合の地としてのスペイン」というものに個人的には決めていました。10世紀の王アルフォンソ10世は、自分のことを「3宗教の王」と呼ばせていました。ヨーロッパの王というと、十字軍など、他宗教排斥のイメージが強いのですが、スペインでは中世までユダヤ/イスラム/キリスト教の3宗教が、見事に並存していた時期があったのです。その結果、スペインにはユダヤ系の資産や、イスラム系の科学などが流入し、ヨーロッパで最も先進的な国家となりました。

    ところが、後にはイスラム追放運動(レコンキスタ)が盛り上がりイスラム系を完全に追放します。さらにはユダヤ人も追放し、反宗教改革の総本山となって、キリスト教徒以外は拷問にあいながら追放されました。

    その結果、中世以後、スペインはヨーロッパで最も遅れた国となっていきます。

    大航海時代では、世界中に支配権を広めながら、多くの異宗教を根絶していきます。滅ぼされた文明も数多くです(マヤ/アステカなど)。

    中世以降、ヨーロッパ中で魔女裁判が猛威をふるったことを思うにつけ、12世紀スペインにおける、キリスト/ユダヤ/イスラム文明の並存というものは驚異に感じられます。私にとって、歴史的にもっとも魅力的なスペインなのです。

    そのようなスペインを感じることが目的である以上、イスラム系/ユダヤ系建築物は、絶対に訪れるべき場所です。しかしながら、500年以上前に追放された民族の建物など、当然ながら、ほとんど残っていません。

    例えば、ユダヤ系の教会堂(シナゴーグ)などは、500年前にはスペイン全部で500ヶ所以上あったにも関わらず、今では3ヶ所しかのこっていません。

    3宗教融合の地としてのスペインを味わうため、できるだけ多くのシナゴーグに訪れたいと思いました。

    さて、話しをトレドに戻します。

    シナゴーグが二つトレドにあるのですが、ユダヤ人が追放された関係で、どちらもキリスト教教会に変更されているのですが。

    ところが、そのうちのひとつは、日曜日は午前中しか開放されていないのです。マドリッドでは日曜日の特権で無料で美術館に入れたのですが、ここでは日曜が裏目にでました。

    トレドにバスがついたのは、1時近かったので、今から探しても無理です。とりあえず、シナゴーグの一つはあきらめることにしました。

    さて、トレドは小高い山のような土地にあります。

    しかし、バスから降りた人々はまっすぐ街にのぼろうとせず、迂回するように歩いていきます。我々夫婦は、そんな悠長なことはせず、直接高みを目指して坂をのぼりはじめました。我々の力強い歩みを見てか、同じバスに乗っていた日本人の女の子のペアもついてきました。

    しかし、いくらのぼっても、街には近づけません。高さ的には十分上ったあたりになって、認めたくはないものの、道を間違えたことを理解せずにはいられませんでした。先ほどの女の子達は、我々の後をついてくることに限界を感じたようで、スペイン人に道を聞いて、別方向に歩き始めました。

    結局、我々も方向転換し、街を目指して水平に歩き始めます。しばらくすると、大きな門が見えてきました。門ぞいに道路があり、バス停で素直にみんなの後にくっついていれば、この坂をあがって簡単に到着できたはずであることがわかりました。

    まあ、いい散歩代わりになったと気をとりなおして門にはいります。この門には、上部のアーケード状のところに、女の人が二人で、男の生首を掲げた絵があります。これには伝説があり、かつて女の人が警官に襲われ、その復讐らしいです(ミシュランによる)。

    どういう展開なのか、詳細はわかりません。

    トレドという街は、数多くの美しい物語(昔話や伝説)があるらしいです(現地で買ったガイドブックは誇らしげにそう語っている)。しかしながら、そのような物語は、日本では全く知ることができません。

    たとえば「スペイン民話集(岩波文庫)」には、トレドで採集された物語がいくつか紹介されていますが、ロマンチックな旅の思い出の友とするには、どれも今1歩なものばかりです。

    ひとつ紹介しますと・・

    「昔、トレドにある夫婦がいた。妻は、夫の食事がないので、墓に行って死体の内臓をとって、夫に食べさせた。やがて、寝ると、遠くから「俺の内臓を返せ」という声が聞こえた。妻は、聞こえないように耳をおおったが、もっと近くから、「俺の内蔵を返せ」という言葉が聞こえた。妻は布団にくるまって聞こえないようにしようとしたが、自分のすぐ上から、「俺の内臓を返せ」という声が聞こえたかと思うと、墓から来た死人に無理やりひっぱられ、墓まで連れて行かれて殺された。死人は、妻の内蔵を奪って自分の腹につめ、また墓に眠った・・」

    さて、しばらくのぼると、あるガイドブックに美味しい店として紹介されていたレストランがありました。ここで昼を食べようかと思ったのですが、残念ながら日曜は休日でした。

    もう午後ですので、お腹もすいてきます。

    門を超えてから、街に至るまでも結構長く、まるで山道のような坂の道路です。結構車で上る人が多くて歩きにくいのですが、景色はとてもすばらしいものでした。

    ようやく上りきったあたりに、小さな広場があり、キリスト生誕劇の人形が飾ってあります。昨年のイタリア旅行でもそうでしたが、正月にヨーロッパに行くと、本当に至るところに生誕劇の人形がおいてあります。

    かなり疲れましたが、とうとうトレドに無事到着しました。

    早速見物したいところですが、まずは昼食が先です。とりあえず街の中心を目指して歩きましたが、街の構造といったら、細い道や坂に縦横に入り組み、まさに迷路かくもの巣のようでした。

    中世の街そのままです。

    トレドという街は、かつてはイスラム王国の首都でもありました。その中で、キリスト教もユダヤ教も存在していました。東方の科学や進んだ知識が流れてきているため、当時のヨーロッパの意欲的な学者達はここに来て、一生懸命学び、文献をラテン語に翻訳しました。今では彼らをトレド翻訳学派と呼ぶ人もいます。

    おそらくこのためでしょう。中世においてはトレドは一般人からは魔術の学校としても有名でした。例えばミシュレの「魔女」にはこんな一節があります。「あいつはトレドで魔術を学んだ〜」

    科学を拒絶していたキリスト教徒達には、イスラムの知識は魔法のように思えたのでしょうか。もっとも、当時の科学というものは、今から考えるとどっちにしろ魔術のようなものなのですが。

    どこかに、当時のヨーロッパ人が畏怖を感じていたような、魔術都市の痕跡がないかなー、など考えながら、歩いていると、トレドの中心である大聖堂につきました。

    見学をする前に、とりあえず腹ごしらいのため、近場にあった店に入ります。

    早速、トレド名物であるうずら料理を注文します。

    まあ、おいしかったです。

    また、トレド名物は金細工ということもあり、近くには、ナイフや皿などを揃えた店が目立ちました。

    ようやく観光にとりかかることにします。

    まずは、大聖堂です。正面ではなく、右側の壁沿いに、チケットを売っているお店がありました。ここは有料なのかなーと思いながら、わけもわからず他の外人に混じってチケットを買います。

    しかし、中に入ると、チケットのチェックはありません。どうみても無料です。このチケットは何の為にあるんだろうかと思いましたが、実は様々な部屋があり、そこに入るためのチケットだったのです。私は、教会に行った時には必ず宝物室や聖具室には入るようにしているので、丁度良かったです(教会は無料だが、それらは有料な場合が多い)。興味がある人なら、絶対に損はありません。

    トレドの大聖堂といえば、かつてはスペイン・カトリックの総本山でもあります。かなり豪華でした。

    教会というものは、建物といい中身といい、やはりイタリアがすごいのですが、スペインはそれに並ぶものが多数あります。さすがに反宗教改革の砦にもなっただけのことはあります。

    トレドの大聖堂も、中は複数の小部屋(有料)に分かれており、歴代のトレド大司教の衣装を飾った部屋をはじめ、様々は宝物が展示されておりました。

    大聖堂を出たあと、ぶらぶらしながら、とりあえず、エル・グレコの最高傑作の呼び名も高い、サン・トメ教会の「オルガス伯の埋葬」を見に歩き出しました。ところが、さすがに中世そのものの状態だけあって、道が細く交差し、非常にわかりづらくなっています。他の観光客や、ツアー客の歩みを参考にしながら、ようやく辿り着きました。

    巨大な絵が、部屋の奥にかけられています。しかし、有名なだけあって複数のツアーが部屋に入り込み、声をあげながらガイドがそれぞれの国の言葉で説明していました。まるで、ダビンチの「最後の晩餐」のようです。

    ツアー客が出ていくタイミングを見計らってベストポジションを探したのですが、さすがに名作といわれるだけあり、グレコの作品群のなかでも一層すごみがありました。

    それから、いよいよ目的のユダヤ教シナゴーグ(現在はキリスト教教会)、サンタ・マリア・デ・ブランカを探しに行きました。実は、街の中心からはやや離れてしまうことになるのですが、そのことは、すでに疲れているため嫌がりそうな妻には言わず、どんどん下っていくと、やがて見つかりました(下りの道なので、行くのは簡単なのですが、逆に戻りは登り道になるのでつらい)。

    ここは、シナゴーグの中でもかなり古いもので、イスラム的な影響もあります。中はまるでイスラム教寺院の中のようです。残念ながら内部の撮影は禁止だったので、写真はありません。寺院の敷地内には、おみやげや(?)らしきものがあり、ユダヤ教関連アクセサリーがいろいろ売っていました(たしか、ダビデの星とか)。なんか買おうと思ったのですが、まだスペイン観光第1日目であることを考慮し、何も買いませんでした。また、どこかで売っているだろうと思ったのです。ところが、その後どこにいってもユダヤ教グッズなど売っている店はなく、あの時買っておけばよかった・・と大変残念でした。

    というのも、グラナダのアルハンブラ宮殿には、ソロモンの護符を持つことで、普通の人には見ることが出来ない人間を見られるようになる伝説があるからです。この人物は、100年に1日だけよみがえります。そして、イスラム軍が遺していった宝物庫のありかを教えてくれるのです!!

    私は、これを是非試したかったのでした・・

    ここを出てから、近くにあるトランシト教会の方に歩きます。ここも、もともとシナゴーグで、是非見学したかったのですが、本日は正午で終わっています。

    このあたりは、シナゴーグが多数存在することからもわかるように、もともとはユダヤ人地区なのです。追放される前までは、さぞにぎわったことでしょう。昔のままのたたずまいが今でも残っているかのようです。

    話によると、500年前に追放されたユダヤ人の子孫が、20世紀になってからトレドにもどると、かつての家がそのままあり、昔の鍵でそのままドアも開いた、という噂もあるほどです。

    本当かどうかはわかりませんが、納得してしまうような、街の古さです。生きている町というよりは、化石となりつつある街ですが・・

    さて、その通りに一軒の店がありました。あやしげなアクセサリーがいろいろ壁に貼ってあるので覗いて見ると、ユダヤ人アンティークショップでした。

    カバラ的な魔術の図式をモチーフとしたアクセサリーなどもあり、かなり興味をひかれたのですが、買いませんでした。

    ひとつには、高そうな気がしたことがあります(使用可能なクレジットカードの一覧がのってました)。もうひとつには、異端排斥の歴史があります。500年前から300年前くらいまで、スペインのユダヤ人は追放されるか、拷問により虐殺されるか、キリスト教に改宗してマラーノ(豚)と呼ばれて生きていくかのどれかの道を選ばねばならず、スペインカトリックの総本山であるトレドでも、もとろん例外ではなかったからです。

    拷問を恐れて改宗した後にも、密告の危機は常に存在しました。人々は、少し富裕なユダヤ人であれば、家を覗いたり、一挙一動を監視して、あることないことをネタに、宗教裁判にかけていきました。家族に密告されることを恐れて自分から告白した人もいます(自分から告白すれば、殺されることはないため。このへんの話は、ちくま文庫「スペインを追われたユダヤ人」参照)。

    となると、もしかして、このユダヤ人アンティークの数々も、かつては、この地区のユダヤ人にとって血と涙の思いを込めた品々である可能性があります。

    そう考えると、さすがにおみやげ気分での購入はためらってしまったのでした(ちょっと、もったいなかったけど)。

    さて、こんな風に歩いているうちに、時間は進み、いつの間にか夕方になっていました。そろそろ戻らないと電車がなくなってしまいます。あわてて、駅への送迎バスが出ているソコドベール広場を探しました。この広場は、町の中央にあるはずなのに、いくら探しても見つかりません。ユダヤ人街が比較的低い位置にあるため、中心に行くにはかなりの上り坂になります。苦労して上りきり、最初に到達した小さな広場に来たのですが、目指すべきソコドベール広場は見つかりませんでした。今度は反対の方に下りてみたのですが、やはりありません。タクシーも通りかかってはいたのですが、うまくつかまえることができません。そんなこんなをしているうちに、終電の時間も過ぎ、やがて夕焼けの時間も過ぎて街は闇に包まれてきました。

    初日からきつい展開だなー、と嘆きながらも、さまよっているうちに、先ほどから見ていた、あの小さな広場(トレドに来て最初に到達した、キリスト生誕劇をやっていた広場)こそが、問題のソコドベール広場であることに気付きました。

    あんまり小さい広場なので、「広場」だとは思わなかったのです。

    時間が遅いためか、もう、駅へのバスもありませんでした。とりあえず、名物のマサパンを買って、とぼとぼと、バス停留所に向かいました。バスが何時まであるかわかりませんが、さすがにタクシーでマドリッドまで行く事態は避けたかったからです。

    ちなみに、この名物のマサパンというのは、アーモンドのお菓子です。トレド名物として、どのガイドブックにも載っています。ただし、「名物にうまいものなし」といわれる場合にある程度あてはまるようです。私達は用心して、あるガイドブックで、最もおいしいマサパン屋として紹介されていた「サントメ」という店で一箱購入しました(ちなみに、この店は問題のソコドベール広場の目の前にあります・・)。

    しかし、妻にも私にも、おいしくは感じられず、やはり失敗か、と思いました。

    ところが、せっかく買ったのだから捨てるのはもったいないと思い、私だけ食べつづけているうちに、いつしか、独特の味わいにとりつかれ、やみつきになっていきました。

    最後の一つは名残惜しかったものです。

    それはともかく、帰りは順路を通って(?)道に迷うことも無くバス停留所につきました。幸い、バスはかなり遅くまで出ているようで、こちらに到着したときと同じ発着所に、多数の人が、がやがやとバスを待っていました。窓口でマドリッド行きのバスチケットを買い、なんとか座りました。1日中歩いたせいで、かなり疲れがたまりました。そのうえ、乗っているうちに、気分が悪くなってきました。私は、ぐにゃぐにゃ曲る都内のバスではよく酔うのですが、ヨーロッパで酔ったことはありません。イタリアのバスツアーでさい、1度も酔わなかったのですが、今回は、疲れに加えて時差ぼけもあったのでしょうか、完全に酔いました。今から考えれば、疲れている妻を引きずりまわしたバチがあたったのでしょうか。

    なんとかマドリッドまで持ちましたが、ここからホテルまでタクシーを使う気にはとてもなれません。歩いて帰ることにしました。

    ところが、タクシーで1回通った道(車で5〜10分)とはいえ、初めての、しかも夜の街を歩いて帰るのは、なかなか大変です。最初は、歩いている人が周囲に数人いたのですが、やがてわかれ、いつしか、私達夫婦二人で、真っ暗なマドリッドを歩くはめになりました。

    そもそも、マドリッドをあまりうろつかず、トレドなど郊外をメインにした理由の一つは、かなり危険な街だと聞いていたからです。それが、誰も歩いてないような時間に、道もろくにわからずさまようとは・・

    さすがに不安に襲われ,妻の希望もあり、もう一度バス発着所まで戻ってタクシーを捜すことにしました。今まで歩いた10分以上の道をまた戻るのも、結構不安があったのですが、このまま進むよりはいいかと思い、そうしました。

    幸い、無事発着所までつくと、タクシーは多数待ち構えていました。

    散歩がわりになったせいか、気分もやや回復していましたので、ホテルまで無事たどりつけました。

    考えてみると、朝から数えて5回ほど道に迷ったことになります。初日からこれでは・・と思いつつ、非常に疲れていたのですぐ寝ました。

    明日は、今旅行最大のヤマである、マドリッド→セビリヤ→コルドバ→グラナダという1日での4都市周遊です。マドリッド→トレドだけでここまで迷ったにも関わらず、大丈夫でしょうか・・

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