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2004年01月01日 あけまして、おめでとう。 僕は今年の抱負なんかを書く気はありません。 でもね、いかに負け続けていても、いや、負け続けているからこそ、理不尽な世界との戦いをやめちゃいけないはずですよね。 いまは、近所の鐘のある寺の除夜の鐘がまだ聞こえています。 抱負は書く気がないと言ったけど、ひとことだけ。 僕は気に入らないことは、気に入らない。 食うための妥協はしても、このサイトでは嘘は書かない……。 そういうつもりで、ほぼ毎日更新しますから、これからも、偶にはのぞいてみてくださいネ。 2004年01月02日 昨夜、久しぶりに買った吟醸酒を四号瓶丸々一本飲んでしまい、午前11時ころから、この日記を書き始める。 その直前には、ビデオに録画しておいたNHKの年越しトーク『心に灯をともす』(犬養道子と養老孟司の対談)とNHKスペシャル『日本再生ひとりからの出発〜村上龍とリーダーたちの対話』を続けて見ていた。 82歳になる今も世界中の難民キャンプをたった一人で訪ね歩き、「現代の悪とは、救いとは?」と問い続けている犬養道子さん、うーん、迫力ありすぎ。養老さんが口が出せないほどの独演会でおそれいった。いや、本物の悲惨を直視し続けている犬養さんのような方がいらっしゃることこそ、この世の希望だと、はなはだ深い感銘を受けたのだけど。 まぁ、養老さんは養老さんで、お話しになるところをうまくつくってもらっていらっしゃったが……。 村上龍の番組のほうは、軍縮会議日本政府代表部全権大使の猪口邦子さんとの話のなかで出てきた、軍事費に金をかけず、経済発展を遂げた日本は、ある意味では、ひとつの理想的な国家 モデルだという話に興味を持った。そこで、思い出したのだけれど、僕がむかし読んだ本に『鉄砲を捨てた日本人』(ノエル・ペリ ン著・1984年に紀伊國屋書店より単行本が出て、91年に中公文庫におさめられた本。訳者は川勝平太)というものがある。著者はニューヨーク生れの環境科学を教えているアメリカの学者。いま、物置から同書を引っ張り出してきたので、その前書きを転記 してみよう。
二十年も前の本だけど、いまでも文庫は買えるようだ。
文庫版のカバー裏の紹介文は以下の通り。
村上龍と猪口邦子の対談に話を戻すと、軍縮というのは、甘い平和主義ではなく、極めてシビアーな利害調整と戦略を要するもののはずだと彼らは言っていた。
僕もそう思うが、同書はいまでも古びていないのではないだろう か。
アマゾンでも買えるようだが、ウェブ上の古本屋サイト、日本の古本屋やスーパー源氏で検索してみたら、200円で売られているものがあった。興味のある方には、ご一読をオススメしたい。
なお、松岡正剛の千夜千冊に川勝平太氏を紹介したものも見つけたので、リンクを貼っておく。
ここまで書いて、昼からBS2の小津安二郎特集を見ることに。
今日の映画は小津が唯一大映で撮った『浮草』。
見終わった後、その感想を書くことにしたい。
うーん、『浮草』、素晴らしかったぞ。
色っぽいというか、画面が全編、艶っぽくて……。
小津といえば、原節子と笠智衆の映画ばかりが有名だが、僕、 この大映作品のほうが好きだなぁ。先代の中村鴈治郎が素晴ら しく、その上、撮影が宮川一夫。若い若尾文子が魅力的だし、川口浩も市川崑が撮った幸田文原作の『おとうと』(岸恵子がお姉さん役)と、これがいちばんみずみずしくて、いいんじゃないだろう か。
それにしても先代の中村鴈治郎って、いいなぁ。
市川崑の『炎上』、『鍵』、『ぼんち』とか、川島雄三が撮った『雁の寺』に出ていた彼の演技なんかも僕はよく覚えている……。
なんか常にスケベったらしくて、スタスタ歩いて……、僕はそこがなんともいえず好きなんだけど。
ところで、この『浮草』は、戦前の無声映画のリメイクなのだが、 BS2では14日に、無声映画版『浮草物語』も放映する。
次のリンクをクリックすれば、それぞれ、NHKの紹介サイトに飛 べるので、興味のある方はどうぞ……。
また、これからビデオでも借りてみようという方には、よけいな お世話だろうが、以下のgooのサイトで、ほぼ全ストーリーを要約したあらすじが読める(gooの映画サイト http://movie.goo.ne.jp/ は、俳優ごとの作品リストから、その作品のスタッフ・キャスト・ 解説・あらすじなども読めて、古い映画の記録を調べる時には重宝している)。
そういえば、『雁の寺』の鴈治郎のお妾役も若尾文子だった。 吉村公三郎・宮川一夫コンビの『越前竹人形』のヒロイン役も……(『越前竹人形』のいやらしい男の役は西村晃だったっけ。たしか殿山泰司も出ていたはずだ)。また増村保三の『赤い天使』 (有馬頼義原作の悲惨な従軍看護婦もの)なんて傑作もある。
こんなことばかり考えていると、また古い映画を見たくなった。
ここで、話をふたたび変えるが、せめて正月二日くらい、仕事をせずにいようと、今日はいつもより長くネットサーフィンに耽っていたのだが、いくつか、面白いサイトをみつけた。
ひとつは江戸川乱歩についての、どうういう方がつくっているのか、著作権がどうなっているのかはわからないが、名張人外境というサイト。
このサイト内の『乱歩百物語』では、以下のような文章が読めるのだ。
もうひとつは、ED関連のサイトを探しているうちにみつけた(株)メディカルトリビューンが公開しているサイト。
こちらは性をめぐる問題を多面的に扱っているところで、上野千鶴子の対談なども読める。まぁ、上野千鶴子なんかはどうでもいいが、面白い読み物もいろいろありそうので、ちょっとオススメかも 。
さぁ、これから久世さんの『向田邦子の恋文』でも見よう。
あぁ、今日はお正月のサービスで、いっぱい書いた。
明日からは仕事をする気なので、毎日少しずつしか書けないだ ろうけど、ご勘弁を。
(追記)
年賀状がわりに、アメリカの小出さんにメールを出したら、すぐに返信のメールが。お元気に頑張っておられるようで、僕も嬉しい。
2004年01月03日
友人と電話で話したのだが、僕がつくった佐野洋子さんの著作リスト、「スゴクない?」と言われた。
ハハハ、佐野さんにバレたら、「やっぱり、アナタ、ヘンな人ね」って言われるかもなどと思う。
でもね、このホームページをのぞいてくれている編集者諸君、あのなかには、まだまだ沢山文庫化できるものがあるはずだが、どうだろう。
どこかで誰かが、そんなことをしてくれたら、嬉しいんだけどな。
今は、まだ三日の10時過ぎ。だが、今夜は早くも、これから横になって、グウェン・エイデルマンの『夜を抱いて』を読むつもり だ。ネットで注文した大宅壮一『実録・天皇記』も暮れに届いたし、去年から読み残している本も山積している。まぁ、仕事を優先 させなきゃならないのは当たり前だから、仕方がないのだけれど。
2004年01月04日
年末年始のテレビ番組には、ほとんど見るに値するものがないと言いながら、今年の正月はけっこうテレビばかり見ていた。と言っても、いわゆる正月特番のバラエティ番組は、まったく見ていない。すでに書いた犬養道子と養老孟司の対談、村上龍の対談、小津安二郎の映画『浮草』のほかに見たのは、『向田邦子の恋文』、NHKドラマ『老いてこそなお』など(これは好きだった『ケイゾク』のシナリオライター・西荻弓絵が書いた作品だから見た)。それに、今日見たのは、BS1の『世界潮流「国連」・イラクをめぐる米国との攻防』(緒方貞子が出ていた)、『詩のボクシング・高校生大会』の再放送(高橋源一郎や佐々木幹郎が解説で出ていた)。
『詩のボクシング・高校生大会』には驚いた。高橋源一郎も言っていたが、僕も見る前は、見ているこちらのほうか気恥ずかしくなってしまうのではないかと心配していたのだが、出てきた高校生諸君の水準が、予想をはるかに超えて高かったのだ。
自分がプロの物書きだなどと思っている人たちは、こういうものこそ見るべきだろう……。
素人もガキも侮っちゃいけない……。
『夜を抱いて』の感想については、日をあらためて、コラムのほうに書くことにする。ところで、昼間、書店に『クロワッサン』を立ち読みに行った。同誌で『夜を抱いて』の訳者が、この著書について語っている記事があると、ある人が教えてくれたからだ。
僕は図書館やコンビニの立ち読みで、いろんな雑誌をチェックしているが、『クロワッサン』までみていない。このホームページを 読んでくださっている方たちが、僕が知らない情報をメールでお知らせくださると嬉しいのだが。
六日に玄先生とお目にかかることになっているので、明日中には、先生に尋ねるべきことを整理しなければならない。
もうテレビなんて見られそうにないなぁ。
2004年01月05日
村上龍のメルマガjmmの今年に入って二度目の配信を読む。
村上自身が書いている『編集長より』が、自衛隊イラク派遣問題について触れていて、面白かった。
以下に一応、URLを貼っておくが、このサイトでは最新号しか読めないので、明日になれば、僕の読んだ文章がもう読めなくなっ ているかも。
何度も書いているが、このメルマガは無料で配信が受けられるから、登録したほうがいいよ。
それから晩飯を食いながら、NHK『クローズアップ現代』を見た。
東南アジアのイスラム原理主義過激派『ジェマ・イスラミア』について、取り上げていたからだ。
(このサイトは過去の放送記録も読めるようになっているので、 1月5日放送分が今日僕が見たものです)
話が変わるが、仕事をしていると、つい気分転換がしたくなり、 また少し、トップページをいじった。
今後トップを飾る絵を変えるために、高畠華肖とか、僕の好きなバルティスなんかの画像データも入手した。
あまり、こんなことばかりしていられないので、今日はこれだけ。
(追加)
正月、バラエティ番組をまったく見なかったと書いたが、一言だけ言っておきたい。
僕は基本的にお笑いの芸人さんたちを尊敬している。
人を笑わせるほど重要な仕事はないだろうと考えているからだ。
番組がつまらないのは、つくっている側の責任だ。テレビ局で働いている人たち自身が、そのことを最もよく知っているだろうが。
そうそう、またネットの『日本の古本屋』で本を注文した。
前から読もうと思っていた荒川洋治著 『忘れられる過去』。
早くも半額だったぞ。
2004年01月06日
午前0時を過ぎた6日の深夜、眠る前に、僕は花村萬月が、12月29日に更新した『独りだけのための小説教室』を読んだ。
花村萬月のことを、僕は小説家として高く評価している。
だから、もう彼をクサすような文章を書くことは止めようと思っていた。
しかし、僕もシツコいが、彼がウェブ上で書いている小説作法を、僕は認めることができない。
僕らが今日(こんにち)書いている現代口語文のルーツのひとつは、まちがいなく、明治の俳人・正岡子規が提唱した写生文の理論によって誕生したものだろう。
子規は病魔に侵されながら、誰にも書ける文章を目指し、35歳 という短い人生を生き抜いた。
すべての近・現代文学は、そういう視点から見れば、彼の偉業の末裔なのだ。芥川賞作家として世に認められた萬月くん、君の文章も。
プロとは何かという愚かな自己規制……。
それから自由にならなければ、どんな新しい言葉も生れないゾ。
自分で自分に厳しいつもりは、つもりにすぎない。
愚かな自己規制を振り切り、のびやかに自由であること。
さらに言うなら、自己のいい加減ささえ認めること……。
ともかく、素直に本当に思ったことを、たどたどしく言葉にする。
たとえドモリながらでも。
子規の写生文の理論は、少なくとも万人に開かれていた。
小説であれ、どんな文章であれ、自己を解き放つことこそ、最も困難な作業のはずではないだろうか?
だから、なんでもあり。見たまま、感じたままを言葉にする……。
僕は、これこそ文章作法の原点だと思っている。
自己に客観的であるということは、他者の価値観で自分を振り返ることだよね。それは、もちろん必要なことだ。
だけど、他者の普通が狂っていないと、誰に言えよう。
だったら、他者のフツウって、何だ?
僕が先日見た『詩のボクシング・高校生大会』に出てたガキだって、真摯にそれについて考えてたゾ。
僕は小説を書くなんて、ちっとも特権的なことではないと考えている。
萬月くん、君は、こういうことを、どう思っている?
君だって、ちゃんと分っているだろう。
だから、君の小説は、人の心を打つものたりえているのだから。
バカな説教臭いジイさんみたいな物言いは、もう止めな。
この閉塞した現代を突き破る言葉は、説教からは生れないゾ!
君の書いている『独りだけのための小説教室』を読んだら、僕は君が自分自身がやっていることに反して、とんでもない固定観念に囚われているようにしか読めないんだけど……。
いまは、僕はシラフだ。
酔っ払って、ケンカを売るつもりじゃないんだけどなぁ。
今日、起きてから僕が取り組んでいた仕事は、録音しながら、 玄先生の話を聞くことだった。
このサイトは、自分の仕事の報告だけではないので、それについては、かたちになった本で評価してもらおう。
やれやれ、僕には荷が重いのだけれど……。
2004年01月07日
半日玄先生とお話ししたテープをおこしながら、原稿を書く。
正直、余りはかどっていない。
昨日の話は、ある意味では哲学的というか、かなり突っ込んだ 内容だったのだが、文章化するためには、お喋りと違って、相当言葉を書き加えなければ、読者に通じないだろうからだ。
仕事の合間に、ネットで、次の記事を見て、先日天野先生と会 った時、啄木の詩の話をしたことを思い出す。
天野先生と話したのは、例の「われは知る、テロリストのかなしき心を」というヤツだ。
これは『呼子と口笛』に収められた『ココアのひと匙』の冒頭の部分。
そのあとも記憶をさぐったが、数節で次が わからなくなった。
もちろん啄木は没後50年以上経っているから著作権が消滅。 青空文庫にあるはずだと考えて、アクセス。
だが、残念ながら、なかったのである。そこで、『呼子と口笛』でググッて以下のサイトを見つけた。
詩が好きな一般の方が個人でつくっていらっしゃるサイトだった。
僕も好きな近代詩人の詩が集められていて、なかなか充実している。その上、『梁塵秘抄』や『閑吟集』からも、いくつか選ばれている。あの『一期は夢よ、ただ狂え』は『閑吟集』にあるものだ。
その解説のあるURLは以下のとおり。
話が横道に逸れたが、『ココアのひと匙』を再録しておこう。
ところで、現在普通の本屋にある啄木作品は、新潮文庫の『一握の砂・悲しき玩具』だけである場合が多い。これでは上記の詩は読めない。
この新潮文庫を買うくらいなら、角川文庫の俵万智が解説を書いているヤツのほうがオススメかもしれない。まぁ、啄木の作品だったら、図書館に行けば、いくらでも読めるだろうが。
今日も、なかにし礼の訳した『ラディゲ詩集』を開く。1973年、彌生書房から刊行された絶版の本だ。
同書のカバーは、ピカソが書いたラディゲの肖像なのである。 気まぐれに、海外サイトまでググッてみたら、画像データが見つかった。あまり鮮明ではないが、その画像データも、一応保存した。
気分転換は、ここまで。仕事に戻る。
(追加)
青空文庫の石川啄木詩集に『ココアのひと匙』が入っていない というのは僕の間違いでした。
ちゃんと入っています。ごめんなさい。
2004年01月08日
ときどき更新した場合に、画像の表示がおかしくなることがある。その度、なんとか直しているのだが、どうして、そんなことが起きるのか、まだわかっていない。お気づきのことがあれば、メー ルをください。
今日は仕事だけ。
これに新しい情報を書き加える余力がないので、ご勘弁を。
(追加)
原稿を書いていて、結局、普通の人間なんて、どこにもいないと思い始め、つい佐野洋子の『ふつうはえらい』(単行本も持っているが、新潮文庫版のほう)を本棚から引っ張り出した。
河合隼雄が書いている解説を読む。
むかし、一度読んでいるはずだが、この解説が河合隼雄だったことを忘れていた。彼は、この文章で小学生の書いた詩を引用している。
まいったなぁ。僕は一応やさしいと言われることはあるが、金はないけど、よくいきているかというと、はなはだ疑問だからなぁ。
ちょっと、書き足したけど、つまらないことを考えるのは止めにして、仕事に戻る(本当はちっともつまらないことじゃないけどね)。
(さらなる追記)
実は夕刻30分ほど散歩をした。
いいのか悪いのか、自宅からいちばん近い公園を抜け、5分ほど歩いたところにブックオフがある。
近ごろは、そう頻繁に行っていないし、行ってもべつに掘り出し物がないか眼をサラのようにしているわけではないが……。
しかし、行けば行ったで、目にとまる本というものがある。
まず、百円の単行本の棚にあった村瀬幸浩と渥美雅子の往復書簡『性愛対話』(柏書房刊)。エゴン・シーレの絡み合った男女の絵を使ったカバーデザインにピンときて、装幀者の名を見れば、毛利一枝さんだった。
毛利さんとは天野哲夫先生にご紹介していただいてより、何度もお喋りをしている。それで、彼女の装幀が、どれほど、一つ一つ 考え尽くされているかを、よく存じ上げているのである。
まぁ、いま書きつつある自分の原稿と関係がないこともないので購入。
以下より、アマゾンの『性愛対話』のページに
本の写真の部分をクリックすれば、エゴン・シーレの絵も装幀の感じもよくわかります。
ほかには、なかにし礼『翔べ!わが想いよ』(文春文庫版・来月から公開される映画『赤い月』の原作本のさらに元になったといえる自伝的エッセイ。最初の単行本が出たのは平成元年。東京新聞夕刊の連載をまとめたものだった。最近、『赤い月』の映画化に当て込んだのか、新潮文庫でも新版が刊行されている)。
次に、犬養道子『フリブール日記 世界の痛苦を見つめる』(中公文庫、現在、版元品切れ。スイスの古都・フリブールに滞在した著者が、飢餓難民問題をはじめとする世界の諸問題を考察しつつ、フリブールの魅力にも触れた1981年に単行本が出たものの文庫化版。元は中央公論の連載だった)。この二つの文庫を 百円の棚で見つけてカウンターへ。
これ以上、ウロウロ、棚に何があるか見ていれば、どうせまた 僕の目にとまる未読の本が見つかってしまう。
この三冊で300円に消費税がついて315円。
煙草を270円で買って、予定通り約半時間で、帰宅。
読書の時間を確保するためにも、仕事に対する集中力をもっとアップしなければ……。
2004年01月09日
今日は、仕事の合間にするお喋りのように、数分で書いた佐野洋子さんについての次の一文をアップすることに。
僕はこれまで常に自己申告しているように、活字中毒者だ。
大長編小説の世界にドップリと耽るのも悪くないが、そんな時間がとれない時は、短いエッセイなどを摘み食いするように読んでいる。口さびしいから、オヤツを食うような活字の読み方……。
ところで、いまの僕には、残念ながら、ゆっくりと読書の快楽に身を任せている時間はない。
そこで、このところ、佐野さんの短いエッセイを、昔のものも、最近のものも、チョロッと、毎日、ほんの少しずつ、再読している。
当たり前のことなんだけど、こういうことをしていると、佐野さんは一生佐野洋子さんだなぁ、と思う時と、十年前の佐野さんといまの佐野さんは、やっぱり違うなと思うことがある。成長かどうかは即断したくないが、あきらかに思考の深みは増している。
変節とか、転向とか、そんな話じゃないよ。
言い方を変えよう。
当然だけど、65歳の佐野さんは、やはり65歳でしか到達できない文章を書いておられる気がする。
このあいだのBS2で、関川夏央が佐野さんの本を取り上げた時、ちょっと気づいたことがある。
若い時から、佐野さんは、雑誌のグラビアなんかの取材にも応じていらっしゃったから、けっこう魅力的な笑顔で、可愛い彼女の表情を、僕は沢山見ている。
だけど、先日のBS2で、一瞬、放映された佐野さんの顔写真は、真正面を不機嫌に睨み付けているぶーたれた写真だった。
おそらく本人以外の番組制作者が彼女の風貌を視聴者に見せようとしたら、あんな写真を選ばないはずだと思った。
それで、きっと顔写真を求められて、佐野さんご自身が、そんなふうにぶーたれた顔写真を選ばれたのではないかと思ったわけだ。
これは、僕の勝手な想像だから、佐野さんに対して、ずいぶん失礼な言い草かもしれない。
だが、いくらでも魅力的に撮れるだろうに、彼女ご自身が、あんなぶーたれた写真を番組制作者にわたされたのだったら、それもまた、いかにも佐野さんらしいなと僕は思う。
佐野さんの若いころのエッセイと今のエッセイとの差は、雑誌の求めに応じて、笑顔の写真を撮られていらっしゃったころの彼女の顔写真と、あのぶーたれた顔写真の差と見合っているのではないだろうか?
自然体とは、当たり前に、今の時代に対する違和感と抗議をあらわにすることとも関係している。
半端な老人(?)でも、笑顔を見せようと思えば、いくらでも見せられる。
なのに、ぶーたれた顔写真をおわたしになる……。
半ば以上、勝手な想像で申し訳ないが、僕が好きな佐野さんは、そういう方のなのだ。
僕の大好きな佐野さんは正直なひねくれ者のはずだから……。
以上の文章は、先日アップしたコラムの末尾にも、追加しました。
2004年01月10日
朝から何故か鼻血が……。
ティッシュを千切って丸めて鼻の穴に突っ込んで、これを書いている。
さっき、内田樹先生の日記を一週間分読み直した。
今年も絶好調のようだ。一月七日の分を少し引用してみよう。
僕は数年前に小沢雅子の『新・階層消費の時代』(1985年・日経新聞社より刊行。のちに朝日文庫で文庫化されてもいる)という本を読んだことがある。その頃から、もう一億総中流なんて大嘘だと思っていたわけだ。
だが、先生のおっしゃっていることは、そんなことではない。
僕は、「バカ組」か「利口組」か、どちらだろう?
ハハハ、やっぱり「バカ組」かな?
そんなことを思いながら、次に新聞を見る。
トップに石破防衛庁長官の写真が……。
見出しは『陸自先遣隊に派遣命令』。
僕、石破の顔を見るたびに、コイツ、正気なのだろうか、目つきがアブナイゼって感じるんだけど、もともとアブナイ男である僕がそんなことを言っても、説得力がないかなぁ。
話を変える。
僕が、なかにし礼の自伝的エッセイ『翔べ!わが想いよ』を読む気になったのは、これと、同じ素材を基にした『赤い月』とのあいだに、「どんな違いがあるか」というか、それを比べることで、小説とは何かについて考えてみたいと思ったからだ。
以下の二つの文章も、それについて僕が考えていることと関係しているので、書き写しておきたい。
まず、ひとつめ。
次は関川夏央さんの文章。
実は、僕は仕事をしていないとき、小説ではなく、少しずつ、自伝ふうに過去の思い出話を書いている。
とても公開できるものではない。そこには、僕の恥ずべき過去の女性関係のすべてが書かれているのだから。でも、僕が何故そんなものを書こうと思ったかといえば、そんなバカな体験談からだって、小説を書くことに飛翔できるかもしれないと考えたからだ。
ともあれ、金になる仕事以外でも、文章を書くことを習慣化すること。今年の僕は、こんなことを考えている。
2004年01月11日
おぉっと、小田嶋隆さんのページが久々に更新されていた。
昨年の3月末から更新されていなかったにもかかわらず、僕は定期的に彼のサイトが更新されていないか、チェックし続けていたのだ。
9ヶ月間も、毎週かならず。
まったく我ながら奇特なことである。
僕は、このサイトを開いたとき、彼の話から書きはじめている。
彼の次のような言葉を見習いたいと思って。
『噂の真相』が廃刊になっちゃって、彼のコラムが読めないことが残念でならなかった僕だ。彼の健闘を祈りたい。
トップページ上のdiary をクリックするか、下の偉愚庵亭日乗をクリックすれば、「1月1日」新年の挨拶が、「1月4日〜」に7日までの日記が追加されています。
2004年01月13日
実は昨日は、朝日の日曜書評欄にある『亀和田武のマガジンウォッチ』について書く気だった。この連載は、僕が毎週楽しみに しているコラムのひとつなのである。
今回取り上げられていたのは『諸君!』2月号に坪内祐三が書いた『いま何故、四十年前の洗脳テロリスト物語か?』。
いま、図書館で仕事の合間に、同記事を読んだので、取り急ぎ、ちょっと紹介文を書いておこう。
坪内祐三は『ミステリー・トレイン』の著者として知られるグリー ル・マーカスというアメリカの文化史家のファンだそうだ。
これだけ書いただけでは、どんな学者だろうと思われるだろうが、彼は80年代まで、あのロック・マガジン『ローリング・ストーンズ』で活躍していた、いわばサブカルと政治状況を結びつけるような書き手だった。まぁ文化が政治や経済とどう結びついているかを研究する「カルチュラル・スタディーズ」の先駆者ってわけだ。
まず坪内さんはアマゾンでグリール・マーカスの『The Manchurian Candidate』(満州の候補者?)なる本を買って読む。
語学が苦手な僕が上にリンクを貼ったページの英文のレビューを漫然と目で追い、分らない単語も俳優の名前さえすっ飛ばし、辞書もひかずに、いい加減に、こういうことが書いてあるのだろうと思った「意訳」とも言えない恥ずべき理解は、以下のような感じかな?
この著作は、まさにそういう試みなのである。
これがジョン・フランケンハイマーの映画、『影なき狙撃者』について書かれたものだったのである。坪内さんの記事の大半は、この映画と原作の紹介なので、代わりに以下にgoo とアマゾンのリンクを貼っておこう。
gooのあらすじ全文を読めば、どういう映画か、わかるだろう。
あらすじを読んだりしない方のために、簡単に言っておくと、朝鮮戦争時に中国で洗脳を受け、自国に帰ってから暗殺者になる男の悲劇を描いた作品なのである。さらに、ケネディ暗殺を予見 したような内容であることも有名らしい。そして、このリメイク版が、今秋、公開されることになっている。監督は、『羊たちの沈黙』のジョナサン・デミ、出演者は、ディン ゼル・ワシントン、リーヴ・シュライバー、メリル・ストリープ……。
こちらは舞台を10年前の湾岸戦争時に移したリメイク版らしい。
戦争をめぐる、人がいかに洗脳されやすいものかを描いたテー マが、ヤバイくらいに今日的で、今度の戦争とのからみで、公開が延期されたという話もあるようだ。
坪内さんも優秀だが、チェックしている亀和田さんもスゴイ!
このところ、頑張って毎日更新しているので、前日の日記を読んでない方は、過去の日記も読んでね。
(追加)
映画のデータについて調べるときに goo の映画のサイトで検索すると便利だと何度か書いたが、わが恩師が若松考二のインタビューをまとめる仕事をなさっていることを思い出し、いろいろググッているうちに、次のようなサイトを発見。
若松考二の作品データが見られるだけでなく、彼の著書『俺は手を汚す』まで読めることを知り、お気に入りに追加。
さらにキネマ旬報全映画作品データベースなるサイトも知った。
こちらは、どんな作品でも調べられそうだ。うーん、スゴイ!
パソコンは便利だ。もう情報収集にパソコンは欠かせない。
そう思いながら、僕は時に、パソコンのなかった時代に戻りたいと思うことがある。こんなにも、コンピュータに依存している社会が異常にさえ感じられることがあるからだ。
ウチに帰って、すぐにパソコンの電源を入れると、奥さんの機嫌が悪いと言っていた友人の話を思い出す。帰ってきたばかりの時くらい、ちゃんと家族の会話をしろというわけだろう。
本当に、もっともだと思う。なんか、電車内で他人が携帯をかけているいるときのような不愉快な感じと似ている気もする。
こんなホームページをつくりながら、このような感想を漏らすの も滑稽かもしれないが……。
2004年01月14日
偶にだけど、自分のパソコンがうまく機能しくなって、電話で、どうすればいいか、尋ねられることがある。だけどね。他人のパソコ ンのことは、電話で聞かれたって、よくわからないのだよ。
どこの設定がどうなっているか、また、うまく作動しなくなったパソコンを直接さわっているのなら、ともかく、そうでないと、問題点を発見できる可能性は低い。だから、電話で尋ねられても困ってしまうんだよなぁ。
メーカーの、自社のパソコンについての問い合わせに応じる仕事をしている人たちには、同情を禁じえない。
僕だって、メーカーのお客様係に電話をしたことがある。
客である僕たちは、なかなか通じないだけで、イライラ。
相手の応対のドン臭さに、また、イライラ。
でも、客に応対する諸君だって大変だろうなとしか思えない。
僕は、パソコンは、まったくの独学だ。パソコン・スクールはボ ッタクリの詐欺同然の商売だと思っている。 年寄り相手の……。
たしかに、マニュアルは、デキの悪いものが多い……。
だけど、わからないことは、何でも人に聞けばいいってのも、僕は違うと思うなぁ。
自分が使っているパソコンは、自分が使い、自分がいじくりまわ している道具なんだから……。
(追加)
またしても玄先生におごっていただく。
今日はおいしい韓国料理。同席したのは、ウェブデザインを仕事してやっておられる方だった。
今後、いろいろとお教えいただけるかもしれない。インターネッ トに関しては、日本より韓国のほうが、ずっと進んでいるらしい。
玄先生は、いつも、物事をハッキリおっしゃる。
僕の欠点は、話がまだるっこしいところと、理屈っぽいとかろかもしれないと、あらためて思った。
話は関係ないが、デスクトップの壁紙の変え方を、ある人に尋ねられた。スヌーピーをデスクトップに貼り付けたいのだそうだ。
で、その女性にお教えしようと思ったのは、次のサイト。
スヌーピーの日本版オフィシャルサイトだ。
僕のこれまでのデスクトップは大好きな女優さん、エミリー・ワト ソンだったのだが、僕もデスクトップを変えてみた。 偶には、スヌーピーものもいいかもしれないと思って……。
2004年01月15日
内田先生のサイトをのぞいたら彼が指導した学生の卒論が公開されていた。少しずつ、暇を見つけ、読もうと思っている。 もちろん若い人達には未来がある。ときに僕は、すべての異端の若者たちにエールを送りたいと思う。昨日、玄先生とともに、 ご一緒した方が、掲示板に書き込みをしてくださっていた。有難いことだ。近ごろ、少しずつカウンタの増え方が多くなっている気がする。少しは、まともな情報発信をしたいとは、僕も思っているのだが、なかなか、これにかかりきる時間がとれない。あぁ、スポンサーが、欲しいなぁ。
2004年01月16日
昨日アップデータを転送中にわがパソコンがちょっとトラブって、 アクセスなさったときに、ちゃんと表示されなかった方があったのではないだろうか? 申し訳ありませんでした。
さて、僕がこのホームページをはじめたときに決めていたことは、内容を別にすれば、次の3点である。
まぁ、情報量はともかく、この3点だけはまもってきたつもりだ。
さて、そろそろ、トップの言葉を変えようかと思い、一案があるのだが、これは、ちょっと長い。開高健VS島地勝彦『水の上を歩く? 酒場でジョーク十番勝負』なる本がある。島地氏は週刊プレ ーボーイの編集長として開高と親交のあった人物。同書の集英社文庫版に開高が島地氏にわたしたという『編集者マグナカルタ』という言葉が載っている。
以下のようなものである。
島地氏は、これを額に入れて、「週プレ」の編集部の壁にかけていたそうである。「この卓越した警句がどれだけ週刊プレーボーイの編集偏差値を高めてくれたことか」と彼は開高を追悼する一文のなかで書いている。
ねっ、ちょっと、いいでしょう。
僕のホームページのタイトルは、なにせ「活字中毒者と編集者に贈る」とうたわれている。
そこで、これをトップの言葉にしようかと考えたわけだ。
でも、いまの、なかにし礼のインパクトのある言葉も僕は気に入っている。だから、今後も、これをトップページに残しておきたい気もするのだ。どうしようか?
次にトップページのデザインを変えるのは、まだしばらく先になるだろうが、僕がどう処理するか、期待していてください。
ホントはね、今日は、こんなに書く気はなかった。
わが敬愛する小田嶋隆さんの日記なんて、「蟄居。原稿に専念。苦戦。」、これだけだったりする日もあるんだからね。
僕も「蟄居。原稿に専念。苦戦。」で済まそうと思ったんだけど、 書き出したら、こんなに書いてしまった。
2004年01月17日
今日も午後、玄先生に会いに行った。玄先生の現在のクリニックは四谷三丁目にあり、僕が住んでいるのが練馬の光が丘だ。だから、僕は先生のところに行くとき、都営大江戸線から中野坂上で営団丸の内線に乗り換える。この中野坂上の駅に、中野坂上文庫なる本棚が設けてある。地下鉄の駅で、よく見かける、列車の利用者が勝手に持っていっていい本が並べられてある本棚 だ。一応、読み終わったら、お戻しくださいと書いてあるが、それを守っている人は少ないようだ。
僕も、ここで自分が読んでみようと思う本を持ち帰ることがある。欲しくなれば、返さないこともある。だが、そのままでは申し訳ないので、別の自
分の本を置いてくることにしている。どちらかと言えば、エンターティメント系の車内で読むには相応しそうな本ばかりを……。もちろん、僕は、もう一度、読みはしないだろうような本だ。これでも良心的なつもりなのだが、やっぱり、いけないかなぁ。今日は、以下のような名著があった。
1.岩波同時代ライブラリー・今村太平(いまむらたいへい)著『漫画映画論』 今村太平氏は、わが国の映画評論家の草分けで、この『漫画映画論』も 元は戦前に出た本だ。花田清輝の推薦で戦後、今はなき真善美社より再刊。その愛読者が鶴見俊輔で、今村氏は、『思想の科学』にも映画論を寄稿なさったりしていた。
岩波の同時代ライブラリーは、残部が残っているものは、今でも取り寄せることができるが、すでにシリーズ自体は打ち切られたかっこうになっている。
名著が多く、岩波現代文庫のほうで出されているものもあるのだが、この 『漫画映画論』は、もう版元にない。
もっとも、ゆまに社という出版社が『今村太平映像評論 全10巻』という立派な全集を出していて(一冊=3592円)、こちらは新刊書店で注文できる し、東京の図書館なら、わりに置いてあるところが多い。
以下にゆまに書房の同全集紹介ページにリンクを貼っておくが、そこには こう紹介されている。
ちなみに第五巻が『漫画映画論』で、解説が鶴見俊輔。
いま東京都の図 書館の横断検索で調べたら、僕がいつも利用している図書館にあることがわかったので、明日でも仕事の合間にこの解説だけ読もうと思っている。
ところで同時代ライブラリー中、僕のイチオシは開高健『紙の中の戦争』。これは、まだ残部があるようなので、未読の方は以下のリンクに飛んで、 購入していただきたい。
戦争を知らない僕たちが、本をいくら読んだからといって、それで、何かを わかった気になるのは、おこがましいと僕は思っているが、わが国で戦後 に書かれた戦争を描いた文学のなかには、いまこそ読まれるべき名作が いくつもある。
僕は開高のこの本を読んで、毎日新聞社が昭和40年代に出した全7巻 の戦争文学全集を古本で買った。
2.水上勉著『古河力作の生涯』
こちらも名著。カバー裏の文章を再録する。
これは、むかし、水上氏自身によって戯曲化された舞台を見たことがあるが、同書は読んでいなかった。
3.中園英助著『架空スパイ実戦スパイ』
ジョセフ・コンラッド、グレアム・グリーン、エリック・アンブラーなどの影響下に、わが国のスパイ小説の草分けとなった中園氏が昭和40年代はじめ に出したスパイ論、スパイ小説論を集めたもの。もちろん、現在は古本で探 さなければ読めない本だ。
どうして、僕が、この中野坂上文庫に立ち寄ったときには、こんな僕好みな本ばかりあるのだろう。困るじゃないか、読む本が増 えて……。
活字中毒者って、本当に因果な性格かも……。
そう思いながら、二時過ぎから玄先生とお話しをする。
今日は、先生がむかし、NHK特集で紹介されたときのビデオなども貸していただいたので、これを書いたあと、それを見なければならない。
あと、玄先生に教えていただいたのだが、数年前『もう一つの万葉集』や『枕詞の秘密』で話題になった李寧煕よりも、はるかに古代韓国語で万葉集を読み解いてる韓国の学者さんがいるそう だ。李寧煕の本も、『たらちねの、たまほこの、にきたつに…。これらの枕詞は「意味が失われたまま伝承された和歌の修辞語」 とされてきた。しかし古代韓国語で読むと驚くべき意味がうかびあがってくる』(アマゾンのレビューよりの引用)というものだったが、おもしろそうなので、近く、この本の勉強会をしようという先生のご提案を有難く思った。
玄先生と別れたあと、四ツ谷に出て、久しぶりに傳魚坊のオヤジ、日和佐省二さんに、新年の挨拶をしに行った。お互い景気の悪い話をして、慰めあい、まぁコツコツやるしかないってネ。
2004年01月18日
図書館で仕事をする気だったのだが、家族が全員出かけたので、結局終日、家で原稿を書く。
合間に、溜まった新聞を処分。
だが、いつもは、そんなことをしているわけではないが、まとめて紐で縛る前に、読み逃した記事をしばらくチェック。
うちでとっているのは朝日新聞だ。
以下の読み逃していた記事を読む……。
こうしてみれば、いかに見逃している読み物が多いか、よくわかった。
まぁ、隅から隅まで新聞を読んでいるような人は、あんまり、いないだろうけどね……。
慶応大学の巽孝之さんは、『家畜人ヤプー』についても論じている。
同研究室で公開しているサイトのURLが載っていたので、とりあえず一度アクセスし、お気に入りに入れておく。
詳しく読んでないし、ざっと見た印象だが、充実したサイトのようだ。
巽さんの奥様、小谷真理さんのエッセイなんかも読めるようだし。
さて、以上のなかで、いちばん僕の心に残ったのは、わが国が現在どこに向かっているかについて触れている森達也の『私の視点』だった。けれども、最悪の事態が避けられるかどうかは、疑問だ。彼が言うように普通に考えることが、もうできない連中が多いためだ。うーむ、残念だが、いま、彼の文章を要約して論評する 余力はない。お読みになってない方は、ご一読のうえ、自分で考えてみてほしい。
デスクトップの背景をまた変えた。
やはり、スヌーピーものは、僕向きじゃないからね
今度は佐野洋子さんの画文集『あっちの女こっちの猫』の表紙。
こういう画像データを使うことが野放しになっているわけだが、考えてみれば、雑誌のお気に入りの1ページを切り抜き、壁に貼るのとかわらないといえば、かわらない。
個人で、こんなことをしているだけなら、許されるだろう。
2004年01月19日
どうも、このホームページを作成しているソフトの具合が悪い。
別に変わったことをしていないのに、妙な動きをするのだ。
サイト内に妙なところがあれば、メールをいただけると嬉しい。
ちゃんと、表示されない場合も……。原因がまだ掴めていないのだが、使用ソフトのバグである気がしている。知り合いのパソコ ンソフト開発者が、まったくバグのないソフトなんて、じつはないんだと言っていた。
うーむ、単に道具としてパソコンを使っているだけの僕にとっては、やはり、パソコンもパソコンソフトも、ブラックボックスみたいなところがあるんだよね。
ところで、今日報告しようと思っているのは、版元在庫切れ、ウェブ上の古本屋でも見つからない本でも、入手できる可能性がある場合があるという話だ。
紀伊国屋のホームページで、書名なり著者名なりで検索すると、その商品はお取り扱いできませんと表示があっても、画面上に、その本の在庫がある店名が載っている。
版元に在庫がなくても、全国の新刊書店に売れ残って棚にある場合があるのは当然だろう。
今日、僕が仕事で必要な本で探していた本は、まさに版元品切れ、在庫なし、ウェブ上の古本屋でもなかった本だった。
で、紀伊国屋のホームページの在庫があるという神戸店に直接電話をかけ、在庫があるか確認し、早くほしかったので、宅急便代引きで送ってもらうことができたのだ。今日、注文し、明日の午後届くことになっている。むかしなら本屋に行って、版元でも品切れですと言われ、図書館ででも探していただろう。図書館の本は当たり前だが返さなければならない。手元に置いておく必要のある本が、一時代前には考えられないような方法で手に入る。僕は古本屋街で一軒一軒、どんな本があるか見て回るのも、好きなんだけれど。
ホントは、もっと書こうと思っていたことがあったのだが、ソフトの不具合の原因が掴めず、今日の日記はこれだけ。でも、けっこ う、役に立つ情報でしょ。紀伊国屋のホームページには、過去にリンクを貼ったこともあるけど、それくらいは自分で見つけてネ。
2004年01月20日
昨日、版元在庫切れで、紀伊国屋のサイトで在庫のある店舗を探して注文した本が、ゴゴイチにもう到着。当たり前のことだが、 こういうことが出来ると出来ないとでは編集者としても能力に差がついてしまうだろう。
終日、仕事。原稿を書く上で参考にしている文春新書の小林照幸『熟年性革命報告』を途中で、小一時間再読。書きたいことは、いろいろあるが時間がない。今日は、僕と同年代か、それ以 上の方たちに、この本をオススメするだけで、ご勘弁を。高齢者と セックスというテーマは、今後ますます重要になるだろう。
2004年01月22日
昨日は更新しないで、ゴメンネ。
じつは、引き受けている原稿を一気に仕上げるために郷里に戻った。
いかにパソコンの電源が自由に使える区立の図書館を仕事場代わりだといっても、真夜中にゴソゴソ起き出してパソコンの電源を入れ、小難しい顔をしている僕は、3LDKの我が家のなかでは、やはり、ほかの家族にとって有難くない男なのだ。と言っても、僕をホテルに缶詰めにしてくれるような出版社はない。それで、老いた母が独りで暮らしている実家に舞い戻ったわけだ。
原稿のハカドリ具合は、かんばしくない。まぁ、このホームページの更新は、しばらく雑なものになってしまうかもしれない。今日は仕事がらみで僕がアクセスしたサイトへのリンクを貼っておこう。
玄先生は、ED関係の一般書のなかでは、東邦大学の永尾光一さんがお書きになったものが、いちばんいいとおっしゃっている。
その永尾さんが参加なさっている座談会が読めるサイトがある。
『座談会 バイアグラをめぐる誤解や偏見「有効性が高く,心臓にもよい薬です」』
じつは、これは先日紹介したメディカル・トリビューンのサイトから飛べるものなのだが、僕も今日再読したので興味のある方はご覧ください。
あと、ひとつ。『急激に増加する,男性の性嫌悪症 変化しつつある「セックスレス」の原因 あべメンタルクリニック院長・阿部輝夫さんに聞く』という記事も読んだ。
女好きの僕だって、時々、どうしようもなく女嫌いになったりするんだからなぁと、つまらない感想を抱く。わが敬愛するアナタのことじゃないョって、知り合いの女性たちには予防線をはっておかないとマズイかも……、とか思いながら……。
ところで小田嶋隆さんの日記にはこんなことが書いてあった。
偶には、僕の、風俗ウォッチングのためのサイトも紹介しておこう。松沢呉一の風俗道場。それなりに読み応えがあるョ。
(追加)
ミジメって問題について書く。
国際的な問題だけじゃなく、理不尽に貧富の差が増大している社会。
僕は六本木ヒルズも見にいったけど、あんなの、嫌いだ。
僕のウチの近所に、異常に安い、着る物を売っている店がある。
僕は貧乏だ。
だから、そこで買ったものを着ていたからといって、みっともなくないと思うけど、ビジネスマンが着るコートが二百円で売られている。全て、中国製。紳士服の青山でも、アオキでも、太刀打ちできない。金儲けが大事だと、僕も思っている。だけど、日本は狂って いる。景気が悪いと、ミンナ、困るというのも分かる。だけど、だけど……。
今日、僕は昼間、メシを食う時、テレビをつけた。
僕の食事時間は不規則だから、国会中継を見てしまった。
小泉のドアホウ、偉そうに何か言ってたな。
ソ連が崩壊し、世は資本主義の全盛時代なのだろうか?
違う! 今、構想されなくてはならないのは、資本主義を超える社会システムのはずだ。哲学者なら、それが仕事だろう。
ホントは、USAの支配者に、もう未来はないのだ。
僕は安物の服を着て生きている。僕は、そんな自分をミジメだと思ったりする。だが、違うとも思っている。資本主義は、すでに死んでいる。『北斗の拳』に、「オマエは、死んでいる」って台詞があったよね。
じつは、アメリカ型の消費資本主義は、もう死んでいる。
そうじゃないだろうか?
2004年01月23日
ニューヨークの小出さんにお願いしてあった原稿が今朝届い た。
新連載の『ニューヨーク隠居日記』。それで、急遽、更新。前から、僕のサイト内に、いろんな方のページをつくりたかったんだ。
その第一弾が、小出さんだというのが嬉しい。
感謝、感謝!
2004年01月24日
小出さんの新連載、お読みいただけたろうか?
最初、僕は、800字程度、月2程度、原稿を送っていただけないかとお願いした。ざっと勘定してみたら、原稿用紙7枚くらいはあった。
なにせ、お世話になりっぱなしで、不義理を重ねたうえに勝手なお願いをして、タダで書いていただいているものだ。月2程度の更新をお願いしたいといっても、どうなるかはわからない。
ひょっとしたら、もっと頻度高く書いていただけるかもしれない し、そうでなくても、僕がとやかく催促できるものでもないだろう。
ただね、こういうタダでやっているホームページだって、アクセスしてくださる方がいれば、僕はなにか、つまらないものでも更新しないと悪いような気がして、このサイトを続けてきた。
ファンである人のホームページは、仮に更新されていなくても、 時々、のぞいたりしている。要するに文章というのは、やはり誰かとのコミュニケーションなのだ。金になろうが、なるまいが……。
そう割り切れば、自分の中の言いたいことを吐き出すために文章を書くことができるようになる。むかし僕は高校生の時、文芸部の奴らをダサいと軽蔑していた。
なにせ、その当時から、僕の読書量は半端じゃなかったからね。
眼高手低でも、文章を読む眼だけは肥えていたのだ。
大学の時も、同人誌をつくっているような奴を、何を勘違いして、マスターベーションしてるんだと思って、バカにしていた。あんなマスターベーションのようなことをしているくらいなら、女の子のお尻でも追っかけているほうがマシだと……。
そして、売れない物書きなのに、驚くべきことに、僕はハタチを過ぎてから、タダで文章を書いたことは一度もなかったのだ。たとえ、どれだけ原稿料が安くても、金にならない文章は書かないなどと気取っていたわけだ。
ところが、僕にも勘違いしていることは、きっとあったのだ。
このホームページを立ち上げ、タダで文章を書いていると、そこには、やはりそれなりの快楽はある。
思えば、文章を書いて商売をする人種が、わが国に生まれたのは、たかだか木版印刷ができるようになった江戸時代からだろう。だが、それ以前にも、名だたる古典は数多い。みんな、金のために書いているわけでもないのに、文章を書いていたのだ。
ひょっとしたら、そちらのほうがマトモなのかもしれない。
人に読んでいただく文章を書くためには、自分に客観的でなければならないのは、当然だが……。
僕は五十をすきてタダでも文章を書く快楽があることを知った。
小出さんは、立派な編集者だったから、やはり人に伝えるべきことを書こうと思っていらっしゃるのかなぁ。僕は、他人のどんな身辺雑記でも近ごろ、面白いと思っている。わが恩師、小出さんは、元々仕事が趣味みたいな方だったと思う。
僕は五十を過ぎても自分をチンピラの若造だと思っている。
変なの……。そして若造だと思っているのに、今後のわが人生は余生だと思っている。どうせ、余生だ。言いたいことぐらい、言おうゼって。
仕事を中断して、これを書いているのだが、だんだん何が言いたかったのか、わからなくなってきた。
そうだ。僕は、お仕事として立派な編集者だった小出さんに、書くことの快楽について、聞いてみたかったんだ。どおせ、余生、文章を書くことにおいても、僕は快楽を追及したい。
(以上、この駄文を僕は15分で書いた)
2004年01月25日
昨日、あんなことを書いたのに、早くも早朝、小出さんの連載第2回の原稿が到着。たいへんなペースだ。24日分の日記をお読みでない方は『過去10日ほどの日記』へ飛んでネ。
午前8時に起き、朝食前に、これを更新。
今後は、僕の日記が更新されていなくても、小出さんの連載だけでも、すぐにアップすることにする。乞う、ご期待のほどを。
2004年01月26日
昼飯を食う時にBS1をつけた。テレビの悪口を言うことは多いが、それなりに見ているのだ。たまたまやっていたのが『デジスタ (デジタル・スタジアムの略)』。
11月に放映した再放送で、アニメ作家・今敏(コン・サトシ)、ア ートディレクター・野田凪(ノダ・ナギ)、グラフィックデザイナー佐藤卓(サトウ・タク)の三人にインタビューしている番組だった。
今、ウェブ上の同番組の紹介ページを見たが、以下に飛んで欲 しい。
それぞれ面白かったのだが、なかでも今敏の『東京ゴッドファーザーズ』は、やはり観るべきだろうと思った。
そういう作品があることは、なにかの雑誌で見ていたのだが、その時は、何か別のことで頭がいっぱいだったのだろう。
昨年、10月に封切りされたアニメだが、どうも相当な作品のようだ。
現在、僕のサイトをご覧いただいている方たちは、皆さん、情報感度のいい方だと思っているが、今敏のアニメをご覧になっている方は、どれだけいらっしゃるのだろう。この『東京ゴッドファーザーズ』のオフィシャルサイトも、すぐにググッて発見。
これも、この作品についてご存知ない方は、ぜひ見て欲しい。
ご存知の方はご存知だろうが、作品の内容は、ホームレスのオ ッサンとオバハン、家出少女の三人が捨て子の赤ん坊を拾って…というもの。
謳い文句は、『“ホームレス”だから発見できる“幸運の物語”』。
ね、なんか、僕向きだよなぁ。
このオフィシャルサイトからポスターの画像データをゲットして、さっそくデスクトップに貼り付けた。ビデオやDVDは、もう出ているのだろうか?
さて、小出さんの原稿をお読みくださっている方に、お願いがあります。
感想を、ぜひ、掲示板のほうに書き込んでいただきたいのです。なんかアクセス数も少し増えているようだし…。どうぞ、よろし く。
2004年01月27日
小出さんよりのメールでは、次回からは新原稿のペースは、ややオチルとのことだ。もちろん、僕は小出さんが自らの生活を大事になさることをいのっている。それにしても、ここ数日の原稿量は僕の予想を超えていた。僕はこのサイトを立ち上げる時、基本的にルーズにやろうと決めていた。
おバカなことでも、日々更新する……。
それが僕の考えだった。そりゃぁ僕だって、アクセスしてくださる方になんらかの情報を提供しようという気がないわけではない。せっかく読んでくださっているわけだから……。しかし、一方で、どうせ一文にもならないマスターベーションのような僕自身の気晴らしでつくっているのだから、気ままに気楽にやらなきゃ、続かないだろうと思っていたのだ。
小出さんの原稿は、はっきり読者をちゃんと想定して書かれている。
僕も一応物書きのハシクレだから、あの分量を書くのに、どの程度時間がかかるか、わかる。でも、長年、商品としての文章を読者に提供なさってきた小出さんにあえて言いたい。僕は、気楽に気ままに小出さんの日々の日常をお書きになったものを読みたいのです。あんなに長く、ちゃんとまとまってなくていいので、 殴り書きでも日々の思いを伝えて欲しいのです。
まぁ、本物のプロとしての小出さんの矜持は立派だと思います。
でも、隠居したんなら、もっと自由になりましょうよ。
ほんの一言二言だって、その人のその時の気持ちを知りたい人が僕にはいます。
タダで書いていただいているわけですから、こちらから、とやか く言うことではないとは思っています。でも、気楽に自由に、日々の思いを伝えていただけると、僕は涙が出るほど嬉しかったりするんです。
先日、玄先生にオゴッていただいた時、僕自身、もっとこだわりを捨てて、自由になるようにいわれました。僕は、ある意味では、 こだわりのかたまりですから……。
もう何も言いません。次の原稿、ただ待ってます。
本当に、不義理を重ねて、それでも僕と付き合ってくださっていることを思っただけで、僕は有難くて、泣いちゃいそうになります。
これは、小出さんだけに当てた私信でしょうか? 僕は、自分の考えのなかに、この厄介な今の時代を生き延びる道を求めて、この文章を書いているのですが。
2004年01月28日
午後7時過ぎメールをチェックしたら小出さんからの第4回目の 原稿が届いていた。
今夜はこれをアップするだけで、ご勘弁を。
片手間にやっているとはいえ、結構手間なことをしてるんだ。
2004年01月29日
数年前、僕は編集者として、羽山大輔さんの『アダルトチャットのフシギな世界』という本の編集をしたことがある。
ウェブ上のサイトのチャットで、エッチな話をやりとりしている人たちについて書かれた一種のドキュメント。編集者として、黒子どころか、自己顕示欲が強い僕は、その頃、自分が編集した本に編集者としてのあとがきを書いたりしていた。
同書のあとがきでは、エッチなチャットルームはともかく、チャッ トにハマる人は、要するに他人とバカ話をするために酒場に行くような感覚で、それをしているのではないか、というようなことを書いたのだ。
近ごろ僕は酒場にも、あまり行かず、どうかすると、一日、誰とも話さなかったりする。まぁ、家族とは、それなりに喋っているけどネ。そんなふうだと僕はチャットをのぞいたりはしないが、気分転換に、いろんなサイトをのぞいたりしている。人は誰かと話すことが常に必要なのだ。
この日記は、僕のお喋りみたいなものだよね。
少しは、読んでくれている方たちの役に立つ情報を盛り込もうとはしているけれど……。なんか、僕もパソコン依存症になりつつあるのではないだろうか? 若い子がケータイ依存症であるように。
2004年01月30日
今日、某所で読売新聞の25日の書評欄をよんだ。
おもしろそうだと思ったのは、次の三つ。
ところで、これはウェブ上で読めないが、読売新聞の書評欄には『井上ひさしの読書眼鏡』なる連載がある。NHKの大河ドラマが新選組なので、新選組関連の本が書店に溢れているというのだ。井上さんが、この一冊として、オススメしているのは、光文社文庫の『新選組読本』。いろんな筆者が新選組について書いた文章を集めたアンソロジー。
新選組関連の本を読むなら、これがベストだというのだ。
で、光文社のサイトで同書の紹介ページをさがして飛んだ。
ダメじゃないか、こんな宣伝文句じゃ。
編集者の方って、みなさん、自分の仕事で手いっぱいだから、ウェブでどんなふうに紹介されているかまで、ご覧になっていないのではないだろうか? いろいろ書きたいことはあるが、今日もこれに時間をかけられない。リンクを張ってあるページは見てネ。
2004年01月31日
僕たちは、もはや、ある程度パソコンに依存して仕事をせざるをえない。
それで困ることは、パソコンがトラブル場合があるということだ。フリーズするくらいならいいのだが、場合によっては、全部初期化しなければならなくなったりする。まぁ、いまのところ、このサイト を更新しているが、相変わらず、僕がホームページをつくっている ソフトの調子が悪い。数日前に僕がいつも国際軍事情報を知るために見ている神浦元彰さんが、メールソフトの具合が悪いと書いておられた。僕も、パソコンのトラブルにそなえて、それなりに データのバックアップはとっているが、機械に頼って仕事をしていると、やはり不安になることがある。時間ができれば、またホームページ作成ソフトの不調の原因をさぐろうと思っている。いまは、そんな時間がとれないが。
仕事の原稿書きも、ちょっといきづまってるんだよね。
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