「ニューヨーク・タイムズ」の『連赤』評

2008年6月30日
 若松さん、おめでとうございます!
 「ニューヨーク・タイムズ」が『実録・連合赤軍』について、長文の映画評を載せてくれました(6月22日号)。日本人アーチストに対し、これほど長文というのは、きわめて珍しいことです。しかも若松さんが入国を許されないアメリカの地で……。
 『実録・連合赤軍』の英語字幕入りフィルムは、1本しかありません。その貴重なフィルムは、いまニューヨークのりょうちゃん(ジャパン・ソサエティのキュレーター)の手許にあります。ジャパン・ソサエティでの上映に先駆け、6月半ば、りょうちゃんのご尽力で、マスコミ向けのプレス試写会が行なわれました。多くの新聞記者や雑誌ジャーナリストが観にきてくれて、その結果、「ニューヨーク・タイムズ」「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」を始めとする多くの新聞・雑誌から映画評が出たわけです。ありがとう、りょうちゃん!
 ここでは、「ニューヨーク・タイムズ」の記事をご紹介しておきます。原文でお読みになりたい方は、次のアドレスにアクセスしてください。
http://www.nytimes.com/2008/06/22/movies/22lim.html
 ちなみに、筆者のデニス・リムは、前回紹介した、ベルリン映画祭のハイライトを書いた記者です。平野共余子さんのお話によれば、デニスはかつて「ヴィレッジ・ヴォイス」の映画部門の編集長だった女性で、平野さんがジャパン・ソサエティ在籍当時はお互いに交友があったそうです。彼女の記事からもおわかりのように、だれよりも日本映画に通じている理由は、当時から培われてきた素地のせいでしょう。その後、「ヴィレッジ・ヴォイス」は買収されて多くのスタッフが解雇されるという事件が起きますが、デニスも犠牲となり、現在はフリーライターとして活躍しています。
 ジャパン・ソサエティのプレミア上映に参加するために、いまバッテンとぼくは、渡米の準備を始めています。7月5日に日本を経ちます。

ニューヨーク・タイムズ6月22日号 ソフトコア・ポルノの監督、過激派を撮る デニス・リム
 1960代の全盛期、ピンク映画と呼ばれ一世を風靡したソフトコア・ポルノ作品の数は、日本で制作された映画の半数を占めていた。ピンク映画監督の大半は匿名の仕事師であったが、この産業は同時に、異色の才能を育成する場でもあった。そのなかでも異色中の異色と言えるのが、奇抜なタイトル(『ゆけゆけ二度目の処女』、『犯された白衣』)で鳴らす過激な監督・若松孝二だ。彼の興味深い作品は、カール・マルクスやマルキ・ド・サドの強い影響を受けている。

 この分野の映画製作者の多くと同様、若松も夥しい数の作品を撮り続けてきた(彼名義の作品は、およそ100を数える。また、友人の大島渚がメガホンを取った1976年の問題作『愛のコリーダ』のプロデューサーでもある)。72歳を迎えた若松が、ピンク映画という猥雑な領域を越え、彼のキャリアのなかでも最も野心的な作品を発表した。60年代、70年代の日本の過激派学生たちの激動の誕生と自己崩壊への道を描いた190分の作品『実録・連合赤軍』だ。日付、人名、出来事等を入念にリサーチしたドキュメンタリードラマである本作品は、他方、理想主義と幻滅を語った私的述懐でもある。60年代に若松とコンビを組んでいた脚本家の足立正生は、左翼過激派の活動家であった。

 本作品は、7月6日、ニューヨークのジャパン・ソサエティでアメリカ・プレミア上映が予定されている(「ニューヨーク・アジア映画祭」と「ジャパン・カット・フェスティバル」)。政治活動を理由にアメリカのビザ許可が降りない若松に代わって、シナリオ共同執筆者の掛川正幸が映画を紹介し、若松は東京からの中継放送で質問に答える予定。

 もと日雇い労働者、暴力団組員(窃盗で服役も経験)であった若松は、前衛的で過激な描写、新左翼的な政治色とセックスを結びつける手法で独特の世界を築き上げてきた。1965年、のぞきを扱ったポルノ『壁の中の秘事』がベルリン国際映画祭に招待され、ピンク映画は一躍世界進出を果たした。このことは、日本の既存の映画関係者にとってひとつの脅威であった(あるセックスシーンには、ヒロシマの被爆者とスターリンのポスターが映っていた)。

 本年、若松は再びベルリンに帰ってきた。同映画祭フォーラム部門のミニ回顧上映会で『実録・連合赤軍』に加え、『ゆけゆけ二度目の処女(1969)』、と『天使の恍惚(1972)』が上映された。扇動的で饒舌なピロートークに過激派細胞の自壊、いずれも最新作の先駆けといえる作品だ。

 68年以後の世界を叙事詩的に描いたフィリップ・ガレの『Regular Lovers(2005)』にも似て『実録・連合赤軍』は、革命的な時が消え失せ二日酔いに苛まれる前の高揚した雰囲気のなかで幕を開ける。前半は、1960年の日米安保条約(広範な反対運動の標的であり、大島渚作品『日本の夜と霧』のテーマ)の調印に始まる当時の急進的な反対運動の息もつかせぬ描写が続く。

 触媒となったのはベトナム戦争である。というのも、当時のすべての学生運動の目はそこに向けられていたからだ。米軍基地の存在が火に油を注いだ。1968年までにはデモ隊と機動隊の暴力的な衝突は日常的な出来事となっていた。学生は東京大学を占拠し、デモは新宿駅の流血の惨事へとエスカレートしていった。

 それらの事件は、ジム・オルークの騒がしいロックが流れるなか、ニュース報道形式で次々と活写されていく。組織の内部分裂と学生グループを解体し過激派集団へと分派させていった外的な力を描く一方で、若松のカメラの眼が個々の登場人物に向けられるようになるあたりから、作品はドキュメンタリーから次第にドラマ色を帯びてくる。追い詰められた二つの極左集団が手を結び、連合赤軍が誕生してクライマックスを迎えるこの激動の歴史の回顧から、焦点はアジトでの凄惨な出来事へと移る。

 少ない予算と限られたロケという制約のなかで若松は、これまでにも「監禁」をテーマに取り上げてきた。とりわけ世を騒然とさせた作品のひとつ『胎児が密漁する時(1966)』は、サディストの密室に閉じ込められるというサドマゾヒズムとの遭遇を掘り下げたもの。『ゆけゆけ二度目の処女』は、性的虐待を受けている二人のティーンエージャーの関係を描いた作品で、高層ビルの屋上の空間が出口のない煉獄のように感じられるというものだ。

 ことさら重苦しい空気に包まれるドラマの中盤は、混合したセクトの集団が田舎の小屋に閉じ込められ、幹部はカルトの教祖のように振る舞い出す。「世界革命戦争」のお題目の一方、彼らの秩序の背景にあったのは、権力への執着と狭量な悪意だった。毛沢東主義者のおハコである自己批判が狂信的に横行した。思想性に欠けていると烙印を押されたメンバーは恥とされ、新たな革命意識をもって再生するよう意識を失うまで殴打された。

 作品の終盤は、今も日本人の記憶に残っている場面が再現され、緊張したアクションシーンが展開する。幹部が死亡、あるいは逮捕され、残る5人の赤軍メンバーはある山荘に逃げ込み、管理人を人質に警官隊と対峙する(1972年2月、10日間にわたったこの籠城事件は、日本のテレビで生中継された)。

 解体用鉄球で建物を破壊するシーンを自身の山荘で撮った若松は、本事件のこれまでの解釈に異を唱えることを意図したと語っている。2002年公開の大作『突入せよ!「あさま山荘」事件』では、警察からの視点でこの事件を描いている。『実録・連合赤軍』では警察官は登場しない。

 若松は、彼らの変革への熱い思いを矮小化することなく、その悲劇的な失敗を背景音楽で表現している。学生たちが雪の中を一列になって進む作品の冒頭のイメージシーンには、哀調を帯びた誇らしげな言葉が添えられている。「かつて、武器を手にして革命を叫んだ若者たちがいた」

 リンチを受けた若者の最後の台詞のひとつは、これとは正反対のものだ。「僕らには勇気がなかった」そう彼はすすり泣く。文字どおり、また比喩的にも、本作品は、若者たちの熱い思いと過酷な現実という、二つの言葉の間にある深い溝で生まれた映画である。


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