「ナニワ金融道」VS 根本敬



「ゼニと資本主義」なる怪著を上梓、引退後も突っ走る(何処に?)青木雄二。
村田さんほかイイ顔の連中を率いた根本敬は、孤高のマルクス主義者に果たして拮抗しうるか。


1998.01

 週刊モーニングの青木雄二による人気連載「ナニワ金融道」が終わっちまいました。朝日新聞によると青木はこの作品を最後にペンを折って、これからはワン・ルーム・マンション経営で食ってくそうです。それも、学生人口減を見越してなるべく偏差値の高い大学の近くにマンション立てたいようです。いかにものあのマンガの作者らしい話です。もちろん「ナニワ金融道」がなくなっても漫画ゴラクの「ミナミの帝王」が元気なので、街金=まちきんモノ・ファンにもまだ、毎週の楽しみは残っています。心強いですね。

 さて、街金マンガという範疇以外で青木作品から思い出されるマンガ家のひとりとして根本敬がいます。根本は「未来精子ブラジル」とか村田さんシリーズ「生きる」などの作品がある人気作家です。根本作品と青木作品の共通点は登場人物。両作家のマンガには、金にうるさい・こズルい・抜けている・奇怪な観念に取付かれている、等の要素を余計にもっているせいもあってか、社会に適応しかねている連中が登場します。

 一言でいえば市民社会の住人ではない人間を描いてるのが両者の共通点で、彼らの作品群のその点にわれわれは驚いてしまうんです。

 さいきんは「市民の時代」なる時代認識が流行ってるようですが、そこには存在しない、在るべきではない人間が彼らの作品には確かに登場していて、ぞわぞわと蠢いていらっしゃる。清潔な「市民」なる概念では括り込めない人間が、いま現在もいることを示せたのが、青木・根本作品の取り柄のひとつと申せましょう。もちろんこのレベルは両作家の意識上でもあったテーマです。

 そこから先には両者の違いがあって、登場人物にたいするスタンスが青木と根本では異なります。いわば博物学と民俗学との違いとでもいいましょうか、根本のばあいは、ドヤでヘンな連中を見つけて、こんなやつがいるよ、ほうら見て見て、と作品上に虫ピンで留めてわれわれに提示します。採集したサンプルを分類して類型化します。海外にまで足を伸ばして彼のいう「イイ顔」の人間を採集してきます。人間動物園の組織者といった風情です。

 青木はそうではなく、連中の行動原理を把握します。特定のシチュエーションのなかで連中がどのように行動したかを記述・描写していきます。

 われわれはその記述からは、当初は彼らが何をやってるのか何がやりたいのか理解できないのですが、読み進めていくにつれて彼らの世界での規範や価値意識が浮かび上がってきます。不可思議な世界がだんだんわかってくる、それがナニワ金融道の読者のカタルシスになっています。

 さまざまな職を経て40代でマンガ家デビューと伝えられる青木の経歴からみて、彼の作品を文化人類学的な参与観察の成果と見ることができるかもしれません。しかし、やはり青木の「ナニワ金融道」を学者の観察日記とまとめてしまうのは作者をあなどりすぎでしょう。むしろ当該作品は、観察される者と観察されるものが重なる民俗誌と位置づけられます。青木は冷徹な観察者ではなく、登場人物たちと同じ“あちら側”の人間なのです。

 珍奇な昆虫の標本箱を差し出す半ズボンの男が根本ならば、つまり青木はわれわれの前でスイッチョなりキリキリと鳴いてる昆虫なのですが、妙なことになぜかわれわれはそのカマドウマの鳴き声の意味をいつしか理解してしまいます。それは、イソップの例にあるような昆虫の擬人化の成果によるのではなく、われわれが青木と同じくゾウムシだかシロヒトリの類であるからに他なりません。

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