| ■1998/04/22 「魔北葵」
社民党の読者の声欄、かぜはるかさんらの意見に対して「児童ポルノ」の解釈について説明。わたくしが4月8日、9日当日記に記した素人理解と同様に、想像上の児童は「児童」ではないとするもの。これで、創作児童ポルノがこの法案で規制対象となるかどうかは法律専門家の意見交換を待たねばならないこととなった。規制対象の「児童ポルノ」に創作児童ポルノが含まれてしまいうる、難しいな、との立場を示している関西大学の園田さんの発言に注目したい。 ## 魔北葵さんの名前を永山薫さんのバビロン掲示板で見かけました。思い起こせば、20日の日記に書いた亡くなった友人からの最後の便りに魔北氏の本が同封されてました。わたくしにはぜんぜん評価不能でしたが、忘れられない作家名です。
■1998/04/21 恥ずかしい
アクション、相原コージの新連載『漫歌』。一読すなわち激しく舌打ちして雑誌を屑籠に投げ棄てる。ててめえ他のまマンガ家が何やってんのか、わわわわかってねえんじゃねえか。いや、吃んなくて良い。 あなたは例えば「恥ずかしい」を表現するのに、ほぼ文字ヅラで「恥ずかしい」と書くに等しいステロタイプのイメージしか呼び出せてないではないか。 あなたが表したいそれを、多くのマンガ家たちがより工夫して表現してるのをあなたは読めないのか。たとえば、エビスさんのマンガから、日常のなかの焦燥感の表現を学び得なかったか。ステロタイプではない恥ずかしい青春を描きたいならば、あすなひろしでも、ほんまりうでも土田世紀でも読んで学べば良いじゃないか。 ステロタイプしか発想できないなら、それでもいいから16頁描け。『かってに白クマ』はよかったじゃない。四コマなりヒトコマで韜晦すんのはそれこそ「恥ずかしい」と知れ。
■1998/04/20 蝋燭
友人の一周忌に行った。彼の実家の部屋で机と書棚を見せてもらう。これまでに僕が送った手紙が数通、10年以上前のものも含めて整理してある。両親は彼が死んだ後もその部屋を片づけていない。 その部屋には高校生のころに読んだ本などが本棚一本ぶんあった。むかし借りた渋澤龍彦の「胡桃の中の世界」が残っていた。高校卒業後に彼が読んだ本はない。職場や下宿先にあった数千冊の書籍やマンガは寄贈され、レコードのコレクションは肉親が引き取った。 一周忌を祈念して彼の遺文集が編まれた。緑色の装丁の本が遺影の側に積まれている。これが彼の初めての単独の著作になった。彼の母は仏壇の前でまいにち息子のことを思い出して、彼の美しくそして短い戒名を見つめている。 …ほら、蝋燭の灯りが揺れとる。友達の遊びに来てくれたけん、喜んどる。 同行した友人がごふごふと泣きだす。
■1998/04/16 すばらしい大人
ヤンサン『よい子の星』柏木ハルコ、読むのが苦しい。小学一年生のコドモの人間関係の葛藤が、このように辛いものであったことを思い出した。「無垢の美しさ」なんて誰が言ったんだ。コドモはオトナ以上に悪辣。 それぞれが持っている学力・体力・特殊技能などの資産をベースとして、それぞれが策略と狡知をもってミクロな権力をあらそう。敵対者に対するむき出しの攻撃性。あーイヤな世界。 わたくしが、世間にたいする基本的なスタンスを身に付けたのもこのころ。根拠のない疎外感をもち、世の中をナナメに見るスタンス。もちろん権力闘争のそとがわに出た訳ではなく、出たフリをして攻撃してんですけどね。あ、あたりまえですかね。 スタンスからマンガと書籍による学習および友人たちのおかげでその悪癖はだいぶなおったんだけど、オトナになった今でも望ましい影響も含めてさまざまな形でのこってる。 わたくしのようなスタンスにかぎらず、コドモの無邪気な攻撃性はのちに薄れていく。やみくもに敵を叩いてたら自分も傷つくリスクが高いことに気づくからだろうか。常識や儀礼、それ以前の人前での振る舞い方などの基本的な規範を身に付けて、オトナになる。 規範の自発的生成、教育の勝利、何でもいいけどオトナって素晴らしい。二度とコドモには戻りたくない。
■1998/04/12 「知的生き方」
『一騎の嵐』呉智英風に「秩父事件」とか「会津の先生」とかでまとめてみようかと思ったけどやめた。「一騎」に「一揆」がかかってるとか。わたくしの体質として、浪漫主義には弱いし全否定する気はないけど、政治的浪漫主義はひたすらマズイのだ。 『パチプロ探偵ナナ』の「情報量の少なさ」の件。1)パチンコって麻雀と違ってドラマ作りにくい。2)谷村ひとしにパチンコ情報書かせるだけで御の字。って条件があって、あのスカスカのネームが出来てるんだろうな。2)が決定的か。「完全ハマリ台を探して旅する女探偵」って何のことなんだろう。いや、特異な条件のなかで成立したこのスカスカ感は、悪くない。どーでもいいことをつぶやくナナの独白に味がある。 ビッグコミックの『やぶ医者の独り言』、今回は権威主義について考えてる。けっこう素晴らしい。べつに回答があるんじゃないけど、公平にものごとを見てる気持ちよさ。「自分の専門外のことは権威に頼るのも仕方ない」とか。先生の呼称のやりとりなど可笑しい。前回の家庭介護のエピソードも微笑ましかった。 作品に感心して作者名クレジットを確認すると、原作の版元が「三笠書房・知的生き方文庫」。何度見てもこれ、イヤだなあ。 ■1998/04/11 児童と小説と芸術とエロテープ
絵を描いている。油彩だが、オイルパステルつかって簡単に仕上げる。パステルの発色の良さがおもしろい。ラクで楽しいので2枚追加、計3枚描くことにする。裸体も性器も登場しません。児童画のようではある。 #### ちなみに、わいせつ物陳列罪(刑法175条)などでは、描かれたものが実在しようがするまいが取り締まっちまうわけですが、あの場合、1)見ちまった人が迷惑だから止めてくれ、2)風俗を乱して社会の迷惑になるから止めてくれって理屈になってます。SM小説・ビデオに登場する人物の保護はどーでも良いから、例の“定義の伸び縮み”の問題は起こりません。 #### 法案の「児童ポルノ」の定義は、少年少女の裸像の表現すべてが児童ポルノであり、規制されなきゃなんないとは思ってないことを示してます。3項すべてに「視覚により」って語が入ってるのは、モノ=実体のあるブツ以外のウェッブ上のJPGデータなどを規制するとともに、うるさい文学関係を刺激しないようにとの心遣いでしょうか。小説はOKです。どう頑張っても規制できない。エロ・カセットテープもOKになるな。実際に児童虐待があっても小説・エロテープは、この法律では規制できない。穴とも言えるけど、需要がないだろうから良いのか。 この児童ポルノの定義ではいわゆる「芸術」作品を規制の対象とすることを避けようとしてます。同時に「芸術」の語を記載することも避けている。あとでもめるのがヤなんでしょう。それでも、条文の中から想定する保護されるべき「芸術」がネガのように浮かび上がってて、ちょっと気持ち悪い。 ■1998/04/10 桜が終わって春は解放される
家の近くに小さな公園がある。ブランコなどがあるものの児童公園としては中途はんぱで、道と道の三角州にひっそりとある。きょうははもう盛りを過ぎかけてしまった桜がそこで、花びらを散らしてます。 帰宅とちゅうの駅のキオスクで、「週刊モーニング」とビールを買った。その公園のベンチで三十分くらいの時間をすごす。公園をはさむ、かたいっぽうの道の向こう側に「捨て石」という飲み屋。あちこちの街にある、どん底などという名のバーと同様の自虐を含んだ感覚なんだろうか。それにしても捨て石はいかにもわびしく、意味のない韜晦の不快さは感じさせないものの、とてもそこで飲む気にはなれない。 ビールを飲みきると、ベンチに触れている尻が冷えている。風向きのぐあいで、時に捨て石での話し声が聞こえる。すでに葉桜が。
■1998/04/09 児童ポルノ2
児童ポルノ規制法案についてひきつづき考える。 考えても結局わかんねえんで、法律の専門家におたずねすることにする。 以下は、下手の考え。 ##### わたしが、もちろんたぶん多くの人が気にしているのは、各県の有害図書条例で指定されるようなマンガが、この法律の規制対象となるかという点です。私の書棚に「有害図書」であろう例えば石井隆や山本直樹、芳町カゲコらの作品がありますが、これの製造が罰せられたり、保有が禁止されたりするのはこまる。下手すると「性交等に係わる児童の姿態」なり「性的好奇心をそそるもの」なりの基準で見れば、たとえば手塚治虫全集からも数冊の発禁本がでてしまう。 「児童買春・児童ポルノ規制法」が、このようにマンガを規制できるものではないか。趣旨はそうではなくとも、拡大解釈・フレームアップの可能性はないのか。それがわたくしの問題意識です。 さしあたって、最も重要なのはこの法の「児童」が何を指すかという問題。 法案では児童を「18歳に満たない者」と定義してます。見ただけじゃ18か19かわかんねえだろうなんて反論もありえますが、それは仕方ない。どこかにデジタルな基準つくんなきゃ取り締まれないから。表AVの出演者の18禁止は事実、機能してるし。もちろん18歳の区切りが妥当かって問題は残ります。ここでいちばん問題したいのは想像上の児童が「児童」に含まれるかどうかです。 実在しない児童は実在しないし児童ではない、と言っちまえばそれまでか。条文に「18歳に満たない者」とあって、架空の人物がそこに入るとは思えないし。 えー、もう少しバカていねいに考えます。正直なはなし、想像上の児童の絵の場合でも、見るものはそれを児童として認識しちまいます。ドラえもんの、のびた君やしずかちゃんはもう、あからさまに18歳未満の児童です。見たこと無いけど女子高生ものの裏ビデオに映ってるのがたぶん「児童」である以上に児童です。のびた君は小学校通ってるもの。 ですから「児童ポルノ」といったときに、のびた君としずかちゃんのカラミがすなわち児童ポルノではないとは言いにくい。法律上は知らないけど、国語的には児童ポルノと言って変じゃあない。それだと第四条だけならば、「性交等に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの」などと定義された「児童ポルノ」に、現在流通するマンガ作品の多くが当てはまることになってしまう。これが心配のタネ。 いっぽう、写真やビデオテープによる表現物の場合は“オリジナル”の児童が居るワケですが、想像上の児童の表現物のオリジナルはアタマの中にしかいない。藤子不二雄のアタマの中での藤子とのびた君の事情は外からは手が出せない。だから、こいつを搾取したり保護したり買春したりすることはできない。 つまり、第一条の目的や第三条の買春の条文中の「児童」において、想像上の児童も「児童」であると言い張ることに意味は無いです。あたりまえですね。 かりに第四条の「児童ポルノ」に関わる部分でのみ、のびた君をふくめるとすると、ひとつの法で二つの語義が混在することになります。第一条ほかでの“実在する児童”と、第四条での“実在+想像上の児童”。 保護の対象という最重要の部分で“定義の伸び縮み”はまずい。この法律中の「児童」は現実の児童のことを指すと理解するとスジが通る。語義を一意にすることができる。 法案はここで「児童」を定義、一つの意味に定めちまってるわけですから、この場合の「児童」は、想像上の児童は含まない。ここに含まれないもの、例えば19歳のヒトとか、18歳未満でもネコとか、のびた君をいくら虐待しよーが搾取しよーが“この”法律では規制できないってことになります。つまり、想像上の児童は「児童」ではない。 法律の場合、この程度の“定義の伸び縮み”があっても良いんだと言われると困る。 ■1998/04/08 児童ポルノ規制に付いて 「感想ナビ」経由で「ほつまつたえ」。与党3党が提出する児童ポルノ規制法案についてあちこち散策。想像上の児童ポルノは規制せずのはず、との意見があったが(鈴木氏 http://member.nifty.ne.jp/jun_suzuki/index.html)管見の限りでは典拠が見あたらない。 わたくしも自治体条例の有害図書規制みたいなやつを国全体で大幅バージョンアップしてやるのは無理だろうと考えて、社民党の頁さがしたら趣旨説明があった。 ・読者の声への回答より。
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シロート目には法案自体は想像上の児童ポルノをも規制するように見える。何にしろわれわれを拘束するのは、制定者の意図ではなく法律(法案)自体だから、それを見ながら少し考えてみた。(法案はhttp://w3.scan.or.jp/osaka/database/hourei/kaishun.htm) わたくしの理解、想像上の児童ポルノは、権利・利益を侵害される対象が特定の児童として存在しないから規制しようがない。児童が性的搾取や性的虐待を受けてない、誰もヒドイ目にあってないのに、罰しようがないってこと。 この理解の弱点は、児童いっぱんに対していやらしいキモチを起こさせる行為(=想像上の児童ポルノの製造・配布)が「児童に対する性的搾取」とも捉えられうる点。たとえば、ポルノは女性に対する性的搾取だって言い方。 でも何だか法律ってものは「児童いっぱん」なんて捉え方しないような気がする。まして法が、児童をヒドイ目にあわすことを想像すること、想像したことを表現することを規制する(できる)はずは無い。だからいちおう、スカかもしんないけど上記の理解におちつきました。 ■1998/04/06 春の鬱
ゴラクのデータを作る。漫画ゴラクってこう見るといい漫画がそろってるよね。振り返っても、杉浦日向子がゴラクにかいてた。『バイオレンスジャック』も「月刊少年マガジン」から移った。梶原一騎遺作の『男の星座』もゴラク。 版元の日本文芸社は隔月刊だったか80年代なか頃「コミックばく」という雑誌を一時出してました。湊谷夢吉やつげ義春が寄稿してた雑誌です。林静一や畑中純も描いてたか。サブカルチャー情報のない昔のガロって雰囲気でしみじみしていて良かった。 こういう雑誌はマンガのために続いて欲しいと思ってたのだけど。商業的には成功するはずが無かった。 ゴラクとの連動ができるスタイルであれば長持ちしたかもしんないし、ゴラクの作家的な厚みも選られたかもしんない。創刊から休刊までの顛末は編集長だった夜久弘氏による『コミックばくとつげ義春』(たぶん福武)という本があったと思う。いま手許にはない。 「ばく」にはユズキカズも描いてた記憶がある。彼は一時アフタヌーンにも登場していたが最近は見かけない。あの美しい熱帯の風景をまたマンガ雑誌のザラ紙で見たい。 夜は春の肴。 うどの皮を剥いて手早く酢水に浸ける。しばらく浸したら洗って秘蔵の梅酢味噌をつけて喰う。あと、鰹のたたき。 ■1998/04/03 桜に雪
仙台は雪。やはり北のほうは春の訪れがおそいんだなあと考えてたら、じつは異常な事態だそうで。四月の観測史上初の17cmの積雪だとのこと。 こちらのほうではオリジナルが早売りされている。さいきん首都圏のキオスクよりも静岡など近県のほうが早い発売になる傾向がある。 ■1998/04/02 愛のないセックス
きょうはやまびこに乗る。沖さやか『マザー・ルーシー』は今回ルーシーが色情狂となった理由を説明。ほれっぽく飽きやすい母との対立で愛が信じられなくなったとのこと。いや、いまの時点ではこういう説明も聴いてあげないではないが、最後までコレってわけじゃあないだろうなあ。ルーシーが母の位置に行ってお終いってんだったら怒る。愛のあるセックスが本当なのねとか。 愛とセックスを与件として、ふたつの間の距離を計ってるだけじゃあ、愛と性の不幸な幻想は壊れない。アオリによれば「ルーシーは「恋愛」を封絶した」そうだが、沖さやかのマンガはそんなレベルじゃないでしょう。すくなくともルーシーはそんな人じゃあないと信頼してます。大丈夫ですよね。 宇都宮を過ぎると雪が降ってます。白いちめんの田んぼに、面相筆で描いたような雑草の新芽の明るいみどり。 *** 深川飯つばさの仕組みがわからない ■1998/04/01 北風と太陽に似ている
あさの満員電車のなかでつり革につかまってマンガ週刊誌を読む。座席の前でありますから、それほどじゃまにならねえと思ってたんですが、うしろに立ってた会社員ふうのおにいさんがわたくしに、電車でマンガ読んでんじゃねえよ、このタコ、とおっしゃる。 瞬間、あたまに血が昇ってしまいました。わたくしがそろりと振り向く。なにか言い返そうと思っているのだが口がひらかない、コトバがでない。それでもこういうときは目をそらした方が負けだから、じっとその人の目を見つめる。わたくしは見るからに弱そうですから、もちろん相手の方もこっちを睨んでいます。ガタイが良い、文句あんのかと言いたげな目つきがこわい。 そこでわたしはにっこりと笑うことにする。そしてずっとにこにこしたままで、こちらより10cmくらい背の高い、彼の顔を見上げている。その人が目をそむけても、笑いかける。わたしが体をすこし動かすと、びくっとしている。 彼はつぎの駅で降りました。勝った。 |