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■1999/08/29 安藤しげきと『となりの山田くん』
買い物に出た電車のなかで車内広告の四コママンガが視界に入る。あ、安藤しげきかな、と思ってしまって、悲しくなる。彼は四コマ系のマンガ家のなかでは、あまり重要視されていなかったようにも思えるが私は好きでした。『メルヘリーゾーン』だったか、オチの弱さが作品にやさしい独特の味わいをもたらしてた。スケベなネタをやってもちっともいやらしくない。彼が多用してた登場人物たちの潤んだ目。###
さて、その広告マンガはいしいひさいちの作品だったんですが映画『となりの山田くん』見ました。お父さんが駅から雨に濡れながら帰ってると、家族が傘を持ってくるシーンが良かった。アニメってぜんぜん見てないからカンで言うんですが、いしいひさいちの作品のアニメ化は、叙情・ナンセンス・ギャグの三要素をどう扱うかがカギだったと思います。
まず彼のギャグはアニメには向かないような気がする。四コマはオチのコマで終わりだけれどアニメはオチの次にも時間が流れてる。ギャグ百連発で大爆笑って作品は考えにくい。んで、ナンセンスでは、大人マンガの系譜で言えば古川タクや久里洋二などアニメプロパーに近い作家もいますが、いしいひさいちは絵が下手で動きのおもしろさにはセンスがない。大橋つよしとか、榎本俊二だったらこの線でいける。いしいでナンセンスやるなら、『地底人の逆襲』や平次シリーズなどに見られる時間操作の要素を膨らませるくらいか。映画では作中、疾走感・浮遊感などを表現してたけど、いしいひさいちとはまったく無関係。アニメとしては手がかかってるんだろうけど当たり前の場面。
んで結局、当該アニメの制作者は叙情メインできてるんですが、これがあんまり良くない。冒頭ほめたシーン以外はしゃべりすぎ。意味つけすぎ。団塊世代・大学卒のおとうさんが砦を守るシンボルのヘルメット着けて飛び出してったんはいいけど、やっぱりお母さん(山田君のおばあちゃん)の説得力に敗退してしまう。こうゆうのも良くないけど、輪をかけてヤなのは、おばあちゃんしゃべりすぎ。説教聞いても泣けないよ。そもそもいしいひさいちの叙情の本来は青年にあって、家族にはないんじゃないか。たとえばバイト君のあの不安そうな目。
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安藤しげきの思い出に沈んだ空気の車内に、児童が夏休み最後のお出かけではしゃぐ。おかあさん、おんせんびようほてるでお泊まりだよねえ。ひろちゃん、オーシャンビュウホテルだよ。おんせんびようほてる、おんせん!びよーほてる!
■1999/08/28 あけみちゃん
ヤングマガジン、『ユキポンのお仕事』。無精ひげ猫ユキポンのご主人様、あけみちゃんがイイ。あけみちゃんは口がでかくてオトコの趣味が悪くてガサツな子。おっぱいも大きくなく、丸かいてちょんの目玉。作者は東和広。作者はいいとして少年たちの女の子への幻想は、あけみちゃんも範疇にあるのだろうか。少年たちはここで学習してるのか、それとも例えば『お天気お姉さん』安達哲などで学習ずみだから「あけみちゃんってイイなあ、どきどき。」とかしてるんだろうか。安達哲『バカ兄弟』、小ネタ四色小品。まだリハビリが要るんか、いまやっても居場所がないと思ってるのか。
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自分の絵に手を入れながら朝からビール。つまみはバジルの葉に塩振って。
■1999/08/24 『文化と不平等』宮島喬
ヤンマガと宮島喬。先日の山崎さやかの作品名不詳の女子高生のなかのよそ者マンガ、『フローズン』でした。アメリカ帰りの少女が母国で国際標準に則さない事項を告発して号泣するもの。その後彼女は日本と和解した。和解後はテーマに困ってるような…。###
宮島喬『文化と不平等』、階層を形成する要素として所得・資産格差以外に文化資本の格差が存在し、それが階層の固定化、再生産に役立ってるって話を日本でやろうとするもの。もともとヨーロッパと比較して文化的均質性が高く、大衆社会化がそれに拍車をかけてる日本において、そのような分析が成り立つか興味を持って閲読。階層の固定化の傾向は強まってるし。でもなんかあちこちで違うってカンジ。例えば下記。
ブルデューのいう「学業停止」は、下位層の学生が上位階層への移動の見込みがないために高等教育機関への進学をあきらめる現象を記述するものでした。宮島によると日本における「学業停止」は高校間格差によって発生してるようです。ダメな高校だってレイベリングされてるから、みずから進学をやめるってこと。これ、なんかあやしい。
学力と学歴の相関は日本では一貫して高いのではないか。ほぼ全入制の高校では進学先はおおまかには学力に比例してる。(都市部など私立高校が最上位校になってる地区はやや留意必要。)学力があるにも関わらず進学しないってのが「学業停止」のミソだとすれば、学力がないから進学しない、できない日本の現状はそれにはあたらない。その点は文化資本概念をもちいた分析は適さないでしょう。学力自体の評価は置いといて。
また日本人のもつ「平等主義」「努力主義」から、日本人の自助イデオロギーの強さを主張してますが、賛成できませんね。たとえば生活保護をうけるのが恥ずかしいひとが多いから日本では受給率が低い、だから自助イデオロギーが強いんだという理解が違う。恥ずかしいというのは共同性の存在を前提としてるじゃん。だいたいアメリカ人が生活保護うけるからって、それは相互扶助意識が強いって言えるはずがないじゃないですか。アメリカ人が平気なのは、オレは有資格者であるから受給するんだという権利意識があるから。権利意識は自助イデオロギーに近く、「恥ずかしい」のような共同性のつよさは相互扶助イデオロギーに結びつきやすい。
学歴と文化資本の項、ブルデューの概説書、SSM調査などによる階層研究のインデックスとして便利か。他に日本社会のマイノリティへの同化政策の暴力性などの話あり。
■1999/08/22 自由
細い道沿いに百合の花がたくさん咲いています。そこを上ると白い古い教会。沈降海岸の深い入り江を利用したこの漁村は六十九世帯、ブリやアジ・鯛などが水揚げされてます。家々は潮にさらされつつもしっかりした作り、豊かな村のようです。十代にみえる若い漁師が長靴はいてぽくぽく歩いてます。この集落のほとんどがクリスチャンです。このお兄ちゃんも日曜日には、定置網の収穫を漁協に預けた後に教会に行くのでしょう。ここから五分ほど東に向かった丘の上には風力発電のプロペラが三つ、ゆるゆると回転して村に電気を供給しています。教会横の急な坂道を上ると墓地、木製の十字架に色とりどりの花が供えられてます。バラ・百日草・スイートピーなど。お盆頃に生けられたのか、強い日差しに鮮やかな色彩。クリスチャンネームの刻まれた十字架たちは海を正面に見て立てられています。墓地の脇には小さな碑、「信仰の自由100周年記念碑」とありました。
■1999/08/21 フェリー
ゆっくりと水を押しのけて島に向かうフェリー、高速の水中翼船より二千円くらい安い便です。絨毯敷きの二等の船室、公共工事の人足としてかり出されたのか三人のニッカボッカの青年、売店でマンガ雑誌を数冊購入した様子。ヤングマガジンアッパーズ、ミスターマガジン、漫画タイムスなど。私は漫画ゴラクを読みながらロング缶のビールを飲みます。絨毯のそこここに金ダライが置いてあって、どうやらそれが灰皿。私もそこに灰を落とします。ゴラクを読み終えるとニッカボッカらにお願いして、アッパーズと交換。ロング缶はまだ残ってる。
■990817 漫画サンデーの歴史
軽井沢からの帰路、渋滞>車両オーバーヒート>電車遅れ>そのまま勤務先へ。今日はとりあえず仕事を一本しあげて、つかれたー。少年サンデーのベンチマークを準備中。今日は漫画サンデー。創刊40周年記念号ということで、過去の連載作品が紹介されてる。重要な作品があるなあ。下のリストはその一部で80年代以降は次週掲載とのこと。
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漫画サンデーは1959年創刊、アクション・プレイコミックを青年誌とするならば、ゴラク・漫画タイムスとともに成人誌というジャンルに分類される。当初近藤日出造・杉浦幸雄・岡部冬彦・加藤芳郎ら漫画集団系の作家が書いてる。つづいて福地泡助・東海林さだお・園山俊二・砂川しげひさらが登場、さらに秋竜山・黒鉄ヒロシ・谷岡ヤスジら。つまり少年マンガおよび劇画以外の作家の活躍の場だった。その名残はこの前まで連載やってた小島功・谷岡ヤスジ、健在の杉浦幸雄に残っている。手塚・赤塚・藤子ら少年マンガ出身者にとっては、オトナ向けのスタイルを試みる場になってたようだ。同誌の歴史は、現在の連載のラインナップにも地層のような厚みを形成している。
近年では、新田たつお『となりの凡人組』『静かなるドン』の成功、およびなんと言っても畑中純『まんだら屋の良太』の連載が大きな功績。現行では『湯けむりスナイパー』がちょっといいかなあ。『流れ板竜二』以降つづいてる板前ものも良し。現在は『ふくすけ』だっけ。栄光の伝統を担うべきギャグ・四コマは寂しい出来。テレクラ王・成田アキラの連載エッセイマンガが漫画集団の伝統の継承者といったら加藤芳郎は怒るか。あとゴラク・アクションに比べてコラムが弱いよね。
・漫画サンデー連載主要作品
『ギャートルズ』 園山俊二 65>75
『人間ども集まれ』 手塚治虫 67>68
『ショージ君』 東海林さだお 67>75
『百馬鹿』 横山隆一 68>70
『天才バカボンのおやじ』 赤塚不二夫 69>71
『Oh★ジャリーズ!!』 秋竜山 69>85
『ひみこーッ』 黒鉄ヒロシ 70>75
『黒イせえるすまん』 藤子不二雄70>72
『毛沢東』 藤子不二雄 71
『ヒットラー』 水木しげる 71
『一輝まんだら』 手塚治虫 74>75
『独眼左近』 村野守美 74>75
『鯨魂』 川本コオ 牛次郎 75>78
『聖徳太子』 ふくしま正美 滝沢解 77
■990815 モテない男はモテないことによってモテるようになったか
新潟で徹夜、どうにか仕事を形にする。往復時にも、お盆期間中でマンガ誌が発売されないのが寂しい。自宅で一泊した後軽井沢へ、クリプキの読書会。二年がかりで黒田亘・永井均・クリプキと読書会やってきた。すこしは分析哲学わかるようになったろうか。###
評判の小谷野敦『もてない男』ルサンチマンは悪くないとの言、賛成。社会民主主義の心理的動機の両輪は同情心と嫉妬心なのだ。ただ、この本はなんだか…。まず「もてない」とは女性一般に評価されないことであり、好いた女に振られることとは次元が違う。この点混同してんじゃないかなあ。
また、ルサンチマンをバネに研究を積むのはよいとして「もてない男」を売り物に女にもてようとしてる。本書はもてるためのマニュアルの体裁をとりつつ、著者にとってモテるための最大の戦略は本書を出版することにある。『金儲けする法』なる本を買ったら「金儲けの本を書いて貧乏人に売れ」と書いてあったら…。もてない男どもにとって、小谷野氏は氏が断罪する男フェミニスト以上に裏切り者であり、許せない対象でしょう。『神聖モテモテ王国』ファーザーよ怒れ。で、私は怒っているのでしょうか。
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軽井沢での食事、スーパーでイワシがうまそうだったのでたたきにして味噌と酒のタレに漬ける。長芋とろろ、薬味のネギ・生姜・茗荷と混ぜる。ご飯にかけて食べる。あとはおつゆと名物のイワナの塩焼き。
■990812 嫉妬の処理
朝から「スペリオール」。おおつぼマキ『嫁入り前なの』がいい味だしてる。このひと体質がなんか好きなんだけど作品ができてなかった。原作付きで成功。やや意地悪な目つきの少女がおもしろい。あいかわらず『プリーズ・プリーズ・Me』とみさわ千夏よろしい。タイムスリップもの。お母さんの若いころは女子高生って視点が教育的。女子高生のなかの異物っていう設定はえーと、山崎さやかのヤンマガだっけの連載にもあり。あっちは帰国子女。###
昨日の続きなんですけど共同体を安定的に維持していく仕組みとして「憑き物」は向かないんじゃないでしょうか。村八分のような穏和な排除の形態や、外部にまるごと徴付きの連中を設定するやり方とは違って、共同体の内部に決定的なマイナスの徴付きを抱えることになるんだから。閉鎖系の外に放り出せない。暴力の無限連鎖が止まらない。もしくは徴が意味を失う。ムラの半分以上がキツネ憑きの家筋(石塚調査ではそんなムラもあるらしい)なんてことになっちゃう。
そう考えると富裕化の理由付けとしての憑き物、なかでもキツネ憑きのようなマイナスの憑き物は、崩壊期の共同体において発生しがちなものでなかったんじゃないか。貨幣経済の進入とか原蓄過程の進展と憑き物のタイプの変化なんて視点も必要でしょうねえ。その意味で、小松和彦によれば憑き物のタイプ別の時期の前後にこだわってたらしい千葉徳爾の所論に触れたい。うーん、また20年後くらいまでには読めるでしょ。
ムラのなかで、あいつの家だけが金持ちになっていく。なぜだ、くやしい、ねたましい。あいつは、もともとヤなやつだ。そうだあいつは卑怯な手、あのズルイ手をを使ってのし上がっていったんだ。現代の私らも頭のなかでだいたいそのような操作をやってますよね。そのときに使う観念体系が違うだけで。正しい方法で嫉妬を処理したい。ちょっとちがうかな。
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きょうは新潟に行く。新潟には憑き物なかったか。先週チャリで行った群馬県両神村はくだキツネの本場。小松のフィールド。
■990810 キツネ憑き
みなさま、不義理をしております。一年ぶり。すこしづつやっていきます。きょうはお盆前、マンガ誌がでる最後の日かな。ヤンマガ・スピリッツ・マンサン・アクション・ビッグが並んでる。スピリッツは新連載で攻勢をかけていく構え。相原コージ連載始まるんだっけ。氏の子供の写真が出てた。悪ガキっぽくてかわいいねー、ホント。
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『日本の憑きもの』石塚尊俊読了。おもしろかった。59年初版のものが99年に再発行されたもの。79年頃に出た『憑霊信仰論』小松和彦でそれに対する批判のみを読んでいたけど、ようやく元本にあたったことになる。『日本の憑きもの』は好事家的に「キツネ憑き」や「犬神憑き」の話を収集したという書ではありません。その時点で強固に存在して社会に害悪をもたらしてる「憑き物」信仰をどうにかしたいという政策的な視点がありました。その目的のために、文献を多用したり社会調査をやったりして、民俗学の方法から逸脱してしまう。また同様の理由で、憑き物の範囲を世の中に害をなすものに限定してしまってる。たとえば「座敷わらし」なんかも仕組みとしては憑き物なんだけど、迷惑なものじゃないから今回は話題にしないって態度。
後者の点については、憑き物に良いも悪いもないといって小松和彦が批判してます。基本的に小松に賛成だけど石塚の意図を考えると、そういう批判はやや気の毒。少なくとも石塚憑き物論における政策的な視点の存在にかんして、小松和彦は言及したほうがよかったんじゃないかなあ。