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/九三年アメリカ映画/115min 制作:ジョエル・シルバー/監督:マルコ・ブランビヤ/出演:シルベスター・スタローン、ウェズリー・スナイプス、サンドラ・ブロック この映画は二〇三二年の近未来を舞台としていますが、近未来ものといえば映画にかぎらず小説でもマンガでも「管理社会の抑圧と抵抗を描く」ってのが決まりごとになってるようです。「時計仕掛けのオレンジ」とか小説の「1984」とか。みんな管理がきらいで、また将来が不安なんですね。まるで尾崎豊のようです。それらの筋立ては、むろん管理社会を誉めたたえるわけはないんで、耐えがたい抑圧に反抗するレジスタンツの視点から、その成功なり挫折なりをたどることになります。 ところで、その手の近未来ものに触れるたび、ぼくはある不満感を持ってしまいます。うん、きみの話を聞いてそこがとてもヒドい所であることはよくよくわかった、けれども管理された世の中の外にある管理されてない世界のほうの、積極的な魅力はあんまり伝わってこないなあ、といった難癖にもちかい不満であります。管理されていないほうの世界とはつまり自由な世界のことなわけですが、これまで触れてきた管理社会ものには、自由ってホラ、こんなに楽しい!という魅力の表現が充分ではなかったかのように思えるのです。 この不満を難癖にもちかいと留保してるのは、そうならざるをえない管理社会もの側の、おもんぱかるべき事情もいちおう考えたからです。ひとつには自由ってのは一般的には抑圧がないという消極的な定義がなされうるわけだから、自由の一般的でかつ積極的な魅力を表現するのは、とてもむつかしいだろうという事情、もうひとつは、そもそも管理社会を描いてるんだから自由を描いてなくとも仕方ないという事情があるんでしょう。 そんでも、おおかたのばあい抑圧の不快さには共感できても、抵抗運動そのものがもたらす瞬間のカタルシスを共有できても、いったい彼らがそこからどこに行きたいのか、何が欲しいのかについては見えてこない。そこが難点でありました。 そこで「デモリションマン」ですが、この映画は管理社会ものでありながら、そこからの脱出によって得られる自由のなかみが具体的に、魅力的に描かれています。 シルベスター・スタローンが演ってるスパルタン刑事は、一九九六年に冷凍刑に処されたのち、安全と調和の思想が支配する二〇三二年のソフトな管理社会によみがえりました。彼はレジスタントでありつつ、管理の外の世界の体現者という位置付けももっています。彼が体現している自由の中身はこんな感じです。 形式にこだわらないこと、暴力的であること、銃をもつこと、汚い言葉をつかうこと、女をモノのようにも扱うこと、私刑を執行すること、近親相姦のイメージ。それらこそが自由によって得られる具体的ないいことです。これ、男のひとの“ホンネ”だったりしますよね。ほんとに自由、わがまま勝手にやったとしたら。 さらに彼とともに戦う地下解放区の若いリーダーは、やや穏健な要求をのべる演説をぶちます。地下解放区は自由を望んで戦っている連中が篭城してるところ。 「ものを考え本を読み、自由を唱える。夕食にはこってりしたステーキを食いたい。コレステロールもバターも大好きだ。禁煙席でたばこを吸って、ストリーキングをして、プレイボーイを読んでやる!」 彼らが「飢え死に覚悟」で希望してるなかで、ものを考えうんぬんが一等のものだとはとても思えません、ステーキ以降の要求がもちろん本命。ひとが共感できる具体的な自由は、この種の自由なんでしょう。素直で身もフタもない欲求表現が爽快な怪作です。
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