ネルフにおける全人格的従属と限界的緊張


■二一世紀のアプレ・ゲールたち

■カーゴ・カルトのカリスマ

■カリスマ的支配の限界的緊張

■組織崩壊の危険

 
 使徒対策を目的に二〇一〇年に設立された軍事・調査研究組織ネルフ。謎に包まれたこの組織は、その内部をかいま見た者に強靭さと脆弱さというまったく正反対の印象を与えている。例えば、汎用人型決戦兵器エヴァを保有し、人類の生存を脅かす使徒と対抗する強力な組織であるネルフ。一方で成員の多くが不安定な精神を抱えた脆弱な組織としてのネルフ。

 ネルフを構成員の心理的基盤の観点から捉えれば、強/弱ふたつの印象は基本的にひとつの原因から発していることが了解できるだろう。つまりネルフの”強み“と”弱み“が同じコインの表裏であるという事態を、組織心理学的に分析・把握するのが本稿の目的である。


◎二一世紀のアプレ・ゲールたち

 セカンド・インパクト後に生活する者たちも、前世紀と同様に近代社会の構成員が避け難く捉えられている寄る辺なさ、「安住の地の喪失」感のなかで生きている。むしろそれは二十世紀末よりも悪化しているといってもよい。

 人類史上未曾有の大災害であったセカンド・インパクトとその後の社会的混乱は二十世紀の社会がそれなりに積み上げてきた価値や規範を根絶的に破壊した。バレンタイン平和体制下での国家主権の制限は自我の拠り所の一つであったナショナリズムを無根拠化しており、前世紀を席巻し疎外感を組織化した大文字の思想もすでに潰えている。

 さらに二十世紀から引き継いだ、巨大テクノロジーと官僚制化(注1)された組織、欲求をコントロールする消費社会のシステムは、二〇一五年の社会でもあいかわらず個人の自我を不安定にしている。さらに使徒撃退のための非常時型組織の肥大化など、アノミー(anomie/注2)化が加速する条件には事欠かない。

 第二次世界大戦後の日本では敗戦による規範の喪失・社会的混乱のなか、非道徳的で退廃的なアプレ・ゲールと呼ばれる人たちが登場したが、セカンド・インパクト後の社会でもそのような連中が登場している。ネルフに送り込まれてスパイの役割を果たし、性的に放恣な加持リョウジはまさに二一世紀のアプレ・ゲールというにふさわしい性格の持ち主だ。もちろん、加持らにある種の行動力が認められたとしても、その精神の形は不安に耐えきれずに自殺する人々とそれほど変わりはない。

 解放・開発されて無限化する欲求に振り回されながら、個人の視界では全体を捉えられない社会のなかで自分がここにいる必然性をどうしても見いだせないまま、手掛かりのない空間に宙づりになっている−−−。見かけ上の行動はともかく、セカンド・インパクト後の人間たちが共有する心象風景のスケッチはこのようなものとなる。


◎カーゴ・カルトのカリスマ

 碇シンジ・葛城ミサトらもセカンド・インパクト後の社会にあまねく広がる不安的な自我を抱えてネルフの構成員となっているわけであるが、この点がネルフ特有の”弱み“に直結しているのではない。人がみな生の意味を見失うなかで、それを利用してむしろ組織の強さに転化し、大きな結集力を創出した人物がいる。もちろん、その人物とは碇ゲンドウにほかならない。

 ネルフを統合しているのは上部機関である国連の権威ではない。あるいは人類を防衛するという崇高な目的が成員のモティベーションとなっているのでもない。指導者である碇ゲンドウのカリスマ(注3)こそが組織的アイデンティティを構成している。彼は神託的なビジョンと人格的な魅力をもって不安定な自我をもつ者たちの危機感を煽り、成員間の忠誠心を競争させて、組織を自己のコントロール下に置いている。

 社会の危機に登場するカリスマ運動はさまざまな表れ方があるが、碇ゲンドウの組織は、救済をもたらす聖なる「乗り物」を掲げて社会・個人の変革をもとめる点で、ニューギニアのカーゴ・カルト運動(注4)を思い起こさせる。カーゴ・カルトの指導者たちは、外部の世界からのインパクトによって動揺した社会にあって、魂の救済のための信託を告げはじめた。彼らは秘教的な論理を駆使して、彼らの社会を不安定化させた元凶である外部からの使徒とその乗り物を、救済の主体に仕立て上げる。この点からも碇ゲンドウは二一世紀の千年王国運動、カーゴ・カルトの司祭者であるといえだろう。

 碇ゲンドウのコントロールはエヴァのパイロットである碇シンジ・綾波レイにおいて顕著に成功した。碇シンジは人類を守るという組織の目的をかろうじて意識しているようではある。しかし彼の行動のほとんどは、碇ゲンドウに対する盲目的従属と、その単純な反作用である”自己実現“への希求というふたつの要素によって説明してしまうことが可能である。彼の心理は、自己のすべてを捧げきった状態と根拠のない暴力的な全能感のあいだで振り子のように、しかも過剰に揺れていて、ニュートラルな地点で立ち止まることができない。そうであるからこそシンジは忠実で勇敢な兵士としての役割を果たしている。

 綾波レイにいたっては上部組織であるはずの国連の存在さえ認識しているかどうかさえあやしい。第六話で発生した碇シンジとのかすかな関係を除けば、彼女の世界には碇ゲンドウ以外は存在しないといってよいほどに彼に従属してしまっている。そのほかの成員も含めてネルフは碇ゲンドウの私兵であるといっても過言ではない。

 二人のパイロットの勇気に現れたように、生の指針をしめす碇ゲンドウへの心理的従属は、幸福な充足感と不可能なことを可能にする行動力を所属する個人にもたらしてくれる。また環境対応へのフレキシビリティや死をもいとわない献身性を確立する点で、組織戦略的にも有効だ。

 成員の犠牲的行為は、組織の統合原理として利用されることになるだろう。その道具となるのが「物語」だ。個人の体験したできごとを物語のフォーマットに再構成し、集団内の他の人間が共有できるようにする。物語として共有された個人の犠牲的行為は、集団の中で規範的に機能する。つまり、物語化により個人の従属意識を組織全体に拡大し、それを安定的に保持させることができるのだ。たとえば第16使徒との対決における綾波レイの特攻的自爆は、まさしくネルフ文化の「精華」として神話的に語り継がれるはずだ。いわば軍神化である。そしてその物語をなぞるかのように、あとに続く第三、第四の「綾波レイ」が登場する。

 ネルフは、各国政府やゼーレの組織破壊活動にも関わらず、第3使徒以降の使徒のすべてを撃退することに成功している。つまりネルフでは、碇ゲンドウのカリスマ的支配こそが、組織の成員と組織に”強み“を与えている、といえる。


◎カリスマ的支配の限界的緊張

 しかし一方でネルフは、碇ゲンドウのカリスマ的支配ゆえの基本的な”弱み“をもっている。心理的側面からみた最大の弱点は、耐えがたい不断の緊張を成員に強いる点だ。

 このタイプの組織は指導者への全人格的な帰依を要求する。近代社会では通常の職場は成員に家族・サークルなど他の私的領域での集団への帰依を許している。さまざまなレベルでの複数の組織への加盟は、個人の心理的な自立の基盤となるはずだ。しかし碇ゲンドウの組織たるネルフでは、生活のすべてをそこにささげることを求めている。一日の24時間を碇ゲンドウのしもべとして暮らさなければならないのである。

 寺院や軍隊でも類似する事態は起こるが、ネルフ成員が帰依する碇ゲンドウは国家なり神なりの抽象的な存在ではない。生身の存在であるから、気まぐれとも思える指示をいつでも直接的に下しうる。

 眠っていても、食事をしている瞬間にも碇司令からの命令が下されるかもしれない。そしてそれは例えば司令のシークレット・ワークにかかわるもので、命令を受けたものにとっては何の目的でそれが行われるのかまったく理解できないないのだ。その上、ネルフにおいては職務の分掌が未確立であるから、あらゆる事項についてすべての成員に責任があることになる。このうえない強制力で個人を引き回すカフカ的世界、それがネルフでの生活である。

 このようなネルフの組織特性が成員にもたらす極度の緊張は、筆舌に尽くし難いものがあるだろう。表面に現れた限りでも、緊張による心理的な悪影響の例のいくつかが認められる。

 まず、碇シンジが精神的に不安定なのは碇ゲンドウを恐れて常に彼の顔色をうかがって緊張しているせいであろう。自分にまったく自信のない状態から、エヴァに搭乗した際の粗暴な心理へと往復する振幅の激しさには、碇ゲンドウへの盲従による自己卑小感と反発の影が推測できる。

 そのほかにも葛城ミサトのアルコール依存、赤木リツコの自傷的行動などは、彼女らの生育歴とともにネルフ組織の限界的緊張に不可分に起因するものと推定される。碇ゲンドウのカリスマ的支配は、成員たちの精神を傷つけ、切り刻みながら成立している。それがもっとも顕著に現れているのはやはり、綾波レイのケースだ。

 綾波レイのアパートの部屋の陰惨さは、カリスマに人格のすべてをささげきったおかげでやせ細ったレイの私的感情の姿を端的に表現している。まさか、ゲンドウが部屋を片づけるなという命令を下したのではなかろうし、身の回りを清潔に保つことが碇ゲンドウへの従属と相反するわけでもない。むしろ身体的・精神的な健康保持という観点から部屋の掃除は望まれるところであろう。

 しかし、収奪され抑圧されたレイの私的感情は、部屋をキレイにすることさえも放棄するという形態をとって、碇ゲンドウの心理支配に対してささやかで逆説的な復讐を企てている。彼女の部屋は彼女の傷ついた魂をディスプレイするインスタレーションである。彼女の部屋を見たものには、このようなシナリオにはない独白が聞こえてくるだろう。
 「碇司令が全てを捨てて命までも差し出せと命じるので、私はワタシを捨てました。部屋の掃除さえもやってません。ほら見てください、何にもないでしょう、不衛生でしょう、ワタシの命も生活も全部あなたに捧げています。」


◎組織崩壊の危険

 ここで見たように、ネルフの強みと弱み、あるいは栄光と悲惨はすべて碇ゲンドウのカリスマ的支配に端を発している。であれば、組織の終焉もまたそれに起因することになるはずだ。

 たとえば、指導者であるゲンドウがさらに奇怪な観念に憑りつかれて、上部組織などによるコントロールが不可能になる、つまりネルフが“暴走”してしまう可能性がある。石原莞爾を思想的バックボーンとする関東軍の暴走など歴史上これに該当する軍事組織の事例は枚挙にいとまがない。

 また、何らかの理由で碇ゲンドウの権威が失墜したとき、それまでのカリスマ的支配の緊張の内圧によって、ネルフが爆発的に自壊するシナリオも考えられる。ファシスト党の指導者ムソリーニはイタリアの敗色が濃くなるなか、それまで彼を熱烈に支持していたはずの市民たちの手によって処刑された。碇シンジが第三、第四の綾波レイが赤木リツコが、それぞれにこぶしを振り上げて、落魄した碇ゲンドウを絞首台の十三階段に追いつめる風景が現実のものになるかもしれない。

 いずれにせよ、人類防衛の生命線であるネルフがこのような不安定な組織であることは望ましくない。カリスマによって成立した組織が存続するためには、カリスマが世俗化する、つまりその力を失うことが必要条件である。この逆説に耐えられぬ場合、ネルフに未来はない。




(注1)官僚制
 ヒエラルヒー・公私の分離・文書主義などを特徴とする近代的組織のこと。なわばり根性・責任のがれ・いんぎん無礼などの病理現象を生む。もともとこの語は行政官僚だけを指し示すものではない。官僚批判をおこなう大新聞・放送局や、民間企業もまた近代の大規模組織である限り官僚制であり、行政官僚と同様の病理現象を示しうる、または示している。

(注2)アノミー
 社会規範の動揺や崩壊によって生じる混沌状態。フランスの社会学者デュルケームは『自殺論』で、肥大化し無限化した欲求がもたらす不満、焦燥、幻滅などの心理経験が現代的な自殺をもたらすと説明している。

(注3)カリスマ
 法悦などの非日常的な経験をもたらす天与の資質のこと。シャーマン・軍事的英雄などが保有する。日常性の危機に際して現れ、既存の体制をを破壊する変革への指導・支配に正当性を与える根拠ともなる。被支配者はこれを持つものに対して、自発的に服従することになる。
 カリスマの神託は荒唐無稽、支離滅裂であってもかまわない。むしろそれは日常世界の破壊者としての振る舞いを演出するし、わけのわからない信託の「理解」の深化にむけて被支配者の凝集力を組織化できる。
 逆に、わけのわからない、辻褄のあわない、しかしもっともらしく聞こえる言説を振り回してカリスマの力の捏造を企てるものもいる。現代の日本にもいくつかの大きな成功例がみられる。

(注4)カーゴ・カルト
 二十世紀の初頭にヨーロッパ文明との文化接触があったメラネシアの各地で起こった千年王国運動。白人を、聖なる乗り物(飛行機・船)に乗ってやってくる彼岸からの使徒と捉え、彼らの持ってくる積み荷=カーゴを幸福をもたらすものとして崇拝の対象とした。

■二一世紀のアプレ・ゲールたち

■カーゴ・カルトのカリスマ

■カリスマ的支配の限界的緊張

■組織崩壊の危険

 
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